冷酷な王の過剰な純愛

魚谷

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対峙(2)

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「んっ…………」

 マリアは重たい瞼を持ち上げた。

 頭がぼんやりして、視界が半ば霞んでいる。

(ここは……私は……?)

 焦点がゆっくりと結ばれる。

 そこは大広間のように開けた室内だった。

 窓には分厚いカーテンがかかってはいるものの、うっすらと日光が漏れているのが分かった。

 マリアは身動ぐが、自由が利《き》かない。

 自分の身体を見ると、マリアは椅子に座らされた上で縄目を打たれていた。

(どうして)

 マリアは必死に最後の記憶を探る。

(最後に会ったのは………………ゲオルグ様)

 ジクムントの婚姻の件で話したいことがあると言われて部屋に向かった。

 そこで――

 誰かに口と鼻を押さえられて、鼻に何かツンとするものを感じて、それから。

(……思い出せない)

 そこからぷっつりと記憶が途切れてしまっている。

(ゲオルグ様は!?)

 マリアは首をどうにか曲げて、彼の姿を探すがどこにもいない。

 マリアを襲った何者かに、ゲオルグもまた被害に遭っているかもしれないと思ったのだった。

(とにかく、この状況を何とかしないとっ)

 マリアはどうにか縄をほどこうと身体をねじり、ひねり、動かす。

 だが縛めはびくともせずむしろ肌に食い込んで痛みが走ってしまう。

 しかしマリアは諦《あきら》めず、尚も身体を動かす。

 ガタガタと椅子が動き、音が響く、

「っ!」

 体勢を崩し、椅子ごと横倒しになってしまう。

 マリアはこめかみを床に打って呻いた。

 その時、扉が開いた。

「――何かと思えば、目覚めて早々やかましい女だ。これだから血筋の野蛮な女は……」

 姿を見せた男を前に、マリアは目を瞠《みは》る。

「あ、あなたは……」

 男は仕立ての良い服に身を包んでいる。

 白髪は鬢付け油でしっかりと調えられていた。

 その切れ長の目は神経質そうにきょろきょろと絶えず辺りを窺っている。

 口はへの字に曲がり、この世の全てに対する恨みつらみを今にもぶちまけた。

 マリアはその男の名を知っている。

ダートマス・ヴィドール・オゼール。

 侯爵の位(公爵は王族の血筋を引くものに与えられるから、事実上貴族の頂点だ)を戴《いただ》き、ジクムントの父親の時代から宰相として君臨していた男。

 そしてジクムントの治世下では、反ジクムントの中心人物として全国的に手配されている。

「おい、立たせてやれ。これでも大切な人質だからな」

「……はい」

 ダートマスの背後より現れた青年に、さらにマリアは驚かされた。

「ゲオルグ様!?」

 ゲオルグはマリアから目を反らし、無言で椅子を立たせてやるとすぐに、ダートマスの
傍らに戻った。

 マリアはダートマスとゲオルグを見やる。

 ダートマスが鼻で笑う。

「全く愚かで無防備な娘だ。ゲオルグは私の忠実な部下なのだ」

「本当なのですか!?」

「……」

 ゲオルグは目を伏せた。

「お前が城へ上がってきた時には、あの忌々《いまいま》しいメンデス同様殺してやろうと思ったが、お前のことをあの冷血漢が愛していたとは想像もしなかった」

「……あなたがやはり、父を」

 マリアは、ダートマスを睨み付けた。

 薄々そうかもしれないと思っていた。だが、第五王子の側近をわざわざ殺すこと必要があるのかと思いもしたし、確信がもてなかったのだ。

「どうして父を殺したのですか!」

「私をその目で見るなっ!」

 ダートマスはむっとした顔で近づいてくると、強かにマリアの頬を叩いてきた。

 痛みに頬が熱くひりついてしまう。

 それでもマリアは睨むのをやめない。

「このっ――」

「閣下、おやめください!」

 ゲオルグが飛びつき、ダートマスを押さえる。

「大切な人質です。傷つけては」

 ダートマスは荒い息遣いまじりに手を下ろす。

「……お前の父親もその目でこの私を見たのだ。この国の頂きに立っているこの私を、だ! 異国の血筋を引いた蛮族《ばんぞく》の分際で! 従えば優遇してやろうと言ってやれば、全ては国王の命だとほざくっ! あの国王を支えていたのは私なんだぞ!? 私がいなくなれば、この国は立ちゆかぬっ!」

 それは傲慢《ごうまん》だったが、伝統的な貴族の代表的な考えでもあった。

「……そんな理由で?」

「そんな? 身の程を知らせてやっただけだ! 私があの男より上等であるとな」

ダートマスが昂奮すればするほど逆に、マリアは落ち着いていく。

「……人質と言いましたね。あなたは、何を考えているんですか」

「あの忌まわしい恩知らずの小僧をおびき出す為の餌になるんだ。すでに招待状は送って
いる。あいつは、来るだろう」

「ジークは、来ません。あの人はこの国の王。そんな方が私一人の為に罠だと分かっている場所に来る道理がありません。無駄なことですっ」

「良いや。ジクムントは来るろう。王に即位してからも兄たちを想って泣く健気で哀れな心の持ち主だからなぁ」

 ダートマスがにやりと口の端を持ち上げた。

「あなたという人は、何と下劣な人ですか……っ! ゲオルグ様、どうしてなんですか。どうしてこんな人間に仕えるのですか。あなたにとってジークはこんな男にも劣る存在だとでも言うのですか――」

「黙れ、小娘!」

 もう一度、平手がとんだ。

 頭が揺れるほどの重たい一撃だった。

「良いか。もう一度、私を侮辱して見ろ。貴様に死んだ方がましだと思えることをしてやるぞッ」

「私が死ねば、あなたは交渉材料を失う。ジークはあなたを殺す。やりたければ好きにす
れば良いわ……っ」

 ダートマスは顔を赤黒く染めたが、「ゲオルグ、この女を見張っていろ」と吐き捨て、足早に部屋を出て行った。

「ゲオルグ様」

「マリア様、申し訳ございません」

「どうしてなのですか。どうして……あなたは衷心《ちゅうしん》からジークに従っていたのでは無かったのですか」

「閣下……ダートマス様には恩義がございます。私は逆らえません」

「恩義? ではジークには何の恩義も無いと言うのですか……」

 ゲオルグは痛みを覚えたように顔を歪める。

「ともかく、あなたを傷つけないよう閣下にはお願い申し上げます」

 それだけを言うと、ゲオルグは部屋を出て行く。

 代わりに兵士が二人出入り口を固めた。

 マリアはうな垂れた。

(どうしてなんですか。どうして……)

 ジクムントの治世の為にあれだけ協力していたことが全て演技だったとでも言うのか。

 マリアはそんなことを信じたくなかった。

 だが、彼がマリアをここに連れてきたのは間違いないことなのだ……。

(ジーク)

 来てはいけない、欲しく無いと思いながら、心細さに愛おし人のことを考えないわけにはいかなかった。
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