冷酷な王の過剰な純愛

魚谷

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対峙(3)

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 ジクムントは単騎で館の前に進んだ。

 無人といっても元々は、貴族の邸宅なだけあって周囲を塀で囲まれて、三階建ての直方体の形をしている。

 ジクムントは呼ばわる。

「ダートマス! 俺だ! ジクムントだ! 聞こえるか! 要求通り一人で来たぞっ!」

 どこから矢がとんでくるか分からない。

 外套《マント》の下ではしっかり剣の束を握り、いつでも抜けるようにしている

 しばらくして門の扉がゆっくりと開いた。

 そこにいたのはゲオルグと、護衛の兵士だった。

「陛下……」

「ゲオルグか。あの男は?」

「ダートマス様は奥でお待ちでございます」

 ゲオルグは真っ直ぐなジクムントの視線を受け止められないようで顔を俯けさせる。
「……剣を預からせていただきます」

「分かった」

 剣を渡すだけではなく、身体検査をされる。

「マリアは無事か」

 身体を触り、武器がないかを確かめるゲオルグに向けて告げる。

「ご安心下さい」

「そうか」

 そうしてようやく館へ入ることを許される。

周囲を武装をした兵士に囲まれながら廊下を進んでいく。

 あの曲がり角から。その通路から。

 どこから刺客が来るともしれない状況だったが、ジクムントの心は凪いでいた。

 ただ一刻も早くマリアを見て安心したかった。

 そうして大広間に通された。

 そこには、狡賢《ずるがしこ》い笑みをたたえたダートマス、そして椅子に縛り付けられたマリアがいた。

「これはこれは陛下。このようなむさ苦しい場所にようこそおいで下さいました」

 ダートマスが恭しくこうべを垂れている。

「久しいな、ダートマス。ずっとお前を探していたんだ。手紙の一通も寄越さぬから心配したぞ。他の誰かに寝首を掻《か》かれたかと危惧《きぐ》もしていたが、五体満足のようで安堵した。思う存分、好きに出来るな」

「ジーク!」

 マリアが声を上げる。

 ジクムントは頬を緩めた。

「――マリア、無事で良かった」

 ジクムントのたたえた微笑に広間にいる誰もがどよめく。

 鉄面皮。冷血漢。

 そう悪し様に言われてきた男が見せた混じりけのない笑みに誰もが驚きを隠せないようだった。

「ダートマス。望み通り、来てやったんだ。マリアを返してもらうぞ」

 ダートマスは哀れなものでも見るような眼差しをする。

「あなたは変わられた。以前であれば死ぬと分かっていてただの女一人を取り返す為に乗り込んでくるような方では無かった……。あの無礼者のメンデスの娘に身も心も腑抜《ふぬ》けにされたようだ」

「大切な者を守れず生きているよりはましだ。もうこれ以上、俺は後悔をして生きていたくない。それだけのことだ」

「ふん」

 ダートマスは気に入らないと言いたげに鼻を鳴らすと、顎をしゃくる。

 兵士がマリアに近づき、椅子から立たせるとジクムントの方へ押しやった。

 マリアはつんのめりながら、ジクムントの腕の中に収まる。

「怪我は?」

「ジーク、どうして来たのっ」

 ジクムントはきょとんとした顔をする。

「その言いぐさはなんだ。お前を助けに来たんだ」

「私よりも、あなたにはたくさんの国民の将来がかかっているのよ! なのに……」

「マリア。お前もヨハンも俺を死にたがりにしすぎだ」

「え?」

 ダートマスの声が響き、会話が中断された。

「――さて、感動の再会も終わったところですが、これで今生のお別れでございます。憐れな王よ。愛した女と共に朽ちろ」

 ダートマスが右手を挙げると、中二階《ちゅうにかい》に潜んでいた兵士たちが弓を構える。

 と、その時、大広間の扉が勢い良く開け放たれ、兵士が駆け込んでくる。

「えええい、いかがしたっ!」

 ダートマスが邪魔をされた怒りをぶちまける。

「大変です。館が軍勢によって取り囲まれていますっ!」

「何だと!?」

 ダートマスは目を剥き、ジクムントを睨んだ。

「貴様! これは、どういうことだっ!」

 ジクムントは悠然と笑う。

「これでお前は袋のネズミだ。ヨハンに限って手抜かりはない。すでに蟻《あり》の這《は》い出る隙も無いだろう」

「たった一人で、それも女を連れて、ここにいる兵士から逃げ切れると思っているのか
っ!」

「それはお互い様だ。天が俺たちのどちらに微笑むか、それとも二人とも見捨てられるのか。試すには絶好の機会だろう!」

 ジクムントは言うや、身体検査されることを前提に腰帯《ベルト》に仕込んでいた短剣を天井に下がっている豪奢《ごうしゃ》なシャンデリアめがけ放てば吊っていた鎖が切れ、落ちてくる。

 ジクムントたちとダートマスたちを隔《へだ》てるように、盛大な音をたててシャンデリアが落ちる。

 けたたましい音を立て、埃《ほこり》が濛々《もうもう》と立ちこめた。

ジクムントはマリアを背に庇《かば》いながら告げる。

「逃げるぞっ!」

 マリアを片手で肩に担ぎ上げるやジクムントは駆け出し、目に付いた扉から廊下に飛び出す。

「殺せ! 殺せぇっ!」

「追えっ!」

 兵士たちの怒鳴り声が交錯した。

「止まれ!」

 剣を構えた兵士たちが眼前に立ちはだかる。

「マリア。目を閉じていろ」

 言うや、ジクムントは兵士たちの間に躍《おど》り出ると、蹴《け》りで相手を怯ませ片腕で兵の手放した剣を奪い、相手を斬り下げた。

 血しぶきが壁に飛ぶ。

「ジーク……」

「目を開けるなっ!」

「見るわ。あなただけに辛い思いはさせられない。私がさらわれなかったから、こんなことをあなたがする必要はなかった。だから、大丈夫。私のことは気にしないで……」

「分かった。だが言っておく。お前に責任はない。俺はお前を守ると言った。お前が攫《さら》われたのは俺のせいだ。だから俺がどれほど傷ついてもお前がどうも思う必要はない」

 マリアの決然とした物言いをジクムントは受け容れ、再び走り出す。

 次々と行く手を兵士が遮り、矢が放たれる。

 それをジクムントは避け、避けきれぬと判断すれば腕で受け止め、そのまま兵士たちのただなかへ突っ込み、剣を振るい、相手を薙《な》ぎ払い、怯《ひる》ませ、強行突破していった。

 それでもどれほどジクムントが獅子奮迅《ししふんじん》の働きをしようとも多勢に無勢だ。

 ジクムントはマリアを庇うために全身に矢傷を負い、制服を赤く濡らす。

 ひとまずジクムントは空き部屋に身を隠す。

 そこでマリアの縛《いまし》めを断ち切った。

「ジーク。私を置いていって。このままじゃ死んじゃうっ」

「そんなこと出来るはずがないだろ」

「でも」

「この話はもう終わりだ。行くぞ」

「……待って」

 マリアは衣服の袖を断ち切ると、ジクムントの傷を縛った。

 これでもやらないよりましだろうと。

「すまない」

 ジクムントは口元を緩める。

 と、ギッ……と扉が軋みながら開く。

 ジクムントはマリアを背に庇い、剣を構え、侵入者に突きつける。

「陛下」

 喉元まであともうすぐというところで止める。

「ゲオルグ……」

 ゲオルグは両手を挙げる。

 ジクムントが剣を引くと、彼はひざまずく。

「お許し下さい、陛下」

「そんなことをする為にわざわざ俺の後をついてきたのか」

 マリアは不安に駆られて、ジクムントの腕に縋る。

「ジーク。ゲオルグ様はダートマスに恩義があると。だから味方するのだと仰っていました」

「……ゲオルグ、何の用だ。今はお前の弁解に耳を傾けている場合ではない」

「陛下、わたくしが出口までご案内します」

 ジクムントはマリアを振り返る。

 マリアはすぐにうなずく。

「案内しろ」

 でたらめに走り続けたところでいつ兵士と鉢合わせるか分からない。

 実力差は明らかだが、数が多い。マリアのことを考えれば避けるに越したことはない。

 そして今この館のことを知っているゲオルグを信じるしかない。

「こちらですっ」

 ゲオルグを先導に廊下を抜けていく。

 兵士たちの足音がどこからか反響して聞こえる。

 ヨハンたちは動いたのかどうなのか分からない。

 そうしてジクムントちたちは中庭に出た。

 しかしそこは中庭だ。出入り口などない。

 ジクムントは剣の束《つか》を握る手に力を込め、周囲の気配を探る。

 一方、ゲオルグは無防備に中庭を横切り、そびえ立っている塀《へい》の一画に立った。

「ここです」

 そこにあった石をどけると穴が空いていた。

「何だ、これは?」

「ここに住人がいた頃、犬が掘ったらしいです。大型犬なので十分、抜け出せる大きさです。埋めるよう命令が出ていたはずですが兵ががさつで助かりました」

 迷ってはいられない。

「マリア、俺が先に行く。ついてこい」

 もしこの先で兵士が待ち伏せをしていても万が一、自分なら対処ができると思った。

 仮に出来なくともマリアが逃げるだけの時間は稼ごうと胸に期する。

 と、その時、「いたぞ!」と中庭に兵士が出てくる。

「さあ、お二人とも、お急ぎをっ! ここは私が食い止めますっ!」

 ゲオルグが叫ぶ。

 ジクムントは頷き、穴に飛び込んだ。

 逡巡していたマリアもすぐにジクムントの後に続く。

 ジクムントは身を捩り、穴を進む。

 向かう先に光が漏れ注いでいた。

(天はどちらを認める――)

 そうして穴を抜けると、兵士と鉢合わせる。

 兵士は槍を突きつけてきたが、そのまとう鎧の色は象牙。

「陛下!?」

 ジクムントは後から続くマリアの腕を掴んで引き上げると、兵士に託《たく》す。

「ヨハンの元へ連れて行け。俺はゲオルグを助けるっ」

 そうして踵を返し、穴に飛び込んだ。

 すぐに穴を抜け、手傷を負ったゲオルグの元に駆けつける。

「陛下、どうして!?」

「たとえお前があいつと通じていたとしても、お前の仕事に俺は満足している。そんな人間をむざむざ死なせたとなれば、王として失格だろうっ」

 ジクムントは敵兵の中へ走り、剣を振るった。

 何人目かを斬り倒せば、中庭に象牙色の鎧をまとった兵士たちが殺到してくる。

 ダートマス側の兵士たちは武器を捨て、次々と投降した。

 ヨハンも姿を見せ、片膝をつく。

「陛下。ダートマスの身柄を押さえましてござりますっ」

「そうか。よくやった」

 ジクムントは剣についた血を払うと鞘《さや》に収める。

(ダートマス。どうやら俺の勝ちのようだな)
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