たとえ愛がなくても、あなたのそばにいられるのなら

魚谷

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 暑さが本格的になるのを、降り注ぐ日射しで感じた。
 今年もこの季節がやってきた。
 ハイネは陰鬱になりそうな気持ちを振り払い、執事に用意してもらったアイリス、スターチス、グラジオラクスをひとまとめにした花束を受け取った。

(とても綺麗)

「アーサーは?」
「朝から仕事へ向かわれています」
「分かったわ」

 花束を手に馬車に乗り込んだ。
 向かった先は、王都郊外にある貴族墓地。
 小高い丘にあって、周囲には季節ごとの花々が植えられていて、常に花が絶えないよう考えられている。
 墓地のある丘からは王都が見渡せた。
 常に先祖の魂が、子孫の住まう王都を見守れるように、という配慮だ。
 墓地の周囲には背の高い塀が巡らされ、外部から中を覗き見られないようになっている。
 出入り口には、警備のための衛兵が立ち、部外者の立ち入りは厳しく制限されていた。
 公爵家の紋章の入った馬車から現れたハイネに敬礼をし、道を譲る。
 出入り口から入ってすぐ脇には墓守の待機所があるが、ここへ来るのが初めてではないハイネは一人で目的地の場所に向かう。
 公爵家の墓は奥まった一角にある。
 真新しい墓に刻まれた名前は、ラウーロ・ウル・ノクスヴァルト。
 その墓の前には、真っ白なカスミソウの花束が置かれている。

(もう来てくれたのね)

 ハイネはしゃがみこむと、持参した花束を墓に供えた。

(ラウーロお兄様。あなたが亡くなって、もう一年以上になるなんて信じられない)

 ハイネにとってラウーロは実の兄ような存在だった。
 文武両道で、才気に溢れていた人だった。
 ラウーロの周りにはいつだってたくさんの人たちがいて、彼は常に話題の中心にいた。
 眩しくて、素敵な人だった。
 見た目だけでなく、心根がまっすぐで、話すだけで心が温かくなる。
 そんなすごい人が物語の中ではなくて、現実に存在することが信じられなかった。
 いや、物語に出てくるどんな英雄たちよりもラウーロは優れていたかもしれない。
 そんな人に『もし良かったらお兄様と呼んでくれないかな』と言ってもらえた時の喜びと言ったらない。
 まるで自分が特別な存在であるかのように錯覚してしまうほど。

『実は昔から妹が欲しかったんだ。どのみち将来的には僕のことを兄と呼ぶことになるんだろうから、少し早いけど今から呼んでも問題ないだろう?』
『? そうなんですか?』
『まだ子どもだから分からないだろうけど、そのうち分かるよ。さあ、僕のことをお兄様って呼んで』
『お、お兄様……』
『ありがとう。可愛いね。ハイネ』

 そうして太陽のように眩しい笑顔で、ハイネを抱き上げてくれた。
 ラウーロは、いつもアーサーとハイネの二人を見守ってくれていた。
 ハイネは、自分もラウーロのために何か出来ることがあればと、思い続けてきた。
 だから、あの時、ハイネは自ら進んでラウーロへ協力を申し出ることができたのだ。
 悔いがあるとするならば、良かれと思ってした決断によって、ラウーロとアーサーの間に取り返しのつかない断裂を作ってしまったことか。
 ラウーロが病に倒れても、その断裂のせいで、アーサーが見舞いに来ることはなかった。
 ハイネは毎日のようにラウーロの元へ通い詰め、看病を手伝った。
 今でもベッドで骨と皮になったラウーロのことは忘れられない。

『……これは、天罰だ』

 あれほど健康的で鍛えられた体は痩せ細り、その目には最早人を魅了する眩しいほどの光は見当たらない。
 虚空を見つめる瞳は焦点が定まらず、声はかすれて、力がなかった。

『お兄様、やめて。天罰だなんてそんなことないわ!』
『神の教えに背いたんだ。それに、可愛い妹を巻き込んだ』
『あれは私から申し出たことよ』

 ラウーロは笑顔を浮かべようとしんだと思う。
 しかし体力がないせいか、頬が僅かに引き攣れるようにしか見えない。

『僕は断ることができた。いや、あれは絶対に断らなければならないことだった。断らなかったのは、ハイネよりも、自分のことを優先にしたからだ。そのせいで、ハイネとアーサーとの仲が……』

 ラウーロは目を伏せ、消え入るような声で『すまない……』と謝罪を口にする。
 それに対してハイネはどう答えればいいのか分からず、ただ目を伏せることしかできなかった。

(私は、間違ってたのかな)

 どうするべきだったのだろうか。
 しかしどれほど考えても答えは出ない。
 ハイネは立ち上がると、「また来るね、お兄様」と微笑みかけ、その場を後にした。



 ハイネは孤児院の子たちと一緒に完成させたレースを持って、アーサーの部屋の前に立つ。
 レースを是非、貴婦人たちに披露したいと考えた。
 そこで考えたのが、公爵邸でのガーデンパーティーだ。
 しかしハイネの一存で勝手なことはできないから、アーサーに許可を取ろうとこうして、夜、彼の部屋の前までやってきたのだ。
 控え目なノックをすると、「誰だ」とアーサーのぶっきらぼうな声が聞こえた。

「……ハイネよ」
「入れ」

 ハイネが恐る恐る足を踏み入れると、ゆったりとしたガウン姿のアーサーが執務の最中だった。彼は顔を上げることなくペンを動かしている。

「仕事の最中にごめんなさい」
「用件は?」

 アーサーは事務的に言った。

「ガーデンパーティーを開きたいんだけど、許可が欲しくって」

 ペンを止めたアーサーが怪訝そうな顔をする。

「お前がパーティー? まさか、あの男と会うためか?」

 アーサーの目にカミソリのように鋭い光が宿る。

「あの男……?」
「クリフォードだ」
「! そんなことするはずがない。私はあなたの妻よ」
「それなら何の為に開く」
「これを見て欲しいの」
「……布?」

 アーサーはレースをつまみ上げる。
 ハイネはレースについて説明をした。

「……母上と一緒に」

 アーサーの目がかすかに痛ましい色を浮かべる。

「パーティーを開いてレースを紹介したいの。もしうまくいけば、孤児院の子たちが自活するのにいい仕事になるかもしれない。それになにより、公爵夫人との夢を実現したいの」
「孤児院のことはどうでもいいが、母上と考えたのなら協力する」
「ありがとうっ」

 ハイネは満面の笑みを浮かべ、頭を深々と下げた。
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