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第四章 緋色(ひいろ)の記憶
後宮への潜入
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旬果が白鹿殿に戻ると、すでに玄白が来ていた。
そして小馬鹿にした笑みを口元に滲ませながら、旬果を見る。
嫌みったらしく何かを言われる前に、旬果は機先を制する。
「そっちにも噂は届いたでしょう。私が後宮で大立ち回りをしたって」
玄白は不満そうに、口をへの字にした。
「可愛げのない女だ」
「あら。玄白は可愛げが欲しいの? それは初耳。初めて会った時から、嫌味と皮肉以外のことを口にしたっけ?」
「ますます可愛げがない」
「これだけは言っておくけど、私は後悔してないから。あんな嫌味な連中に好き放題言われるなんて、ありえないっ」
玄白は何故か笑みを見せた。
旬果はぎょっとする。
「な、なに……?」
「お前が後宮の女どもに傅いていたら、この役目を辞めてやろうと思っていたからな。なかなか骨がある」
「あ……うん……」
「何だ? その気の抜けた相槌は」
「いやあ……。いきなり褒められて、どう返したら良いんだろうって……。玄白も人を褒めることもあるんだね。あははは」
玄白は再び嘲る。
「勘違いするなよ、山猿。お前の頭脳はまだまだてんで、駄目だからな」
旬果はいつもと変わらぬ玄白の毒舌具合に、苦笑する。
「はいはい。それじゃあ、楽しい楽しいお勉強を始めましょ」
その日の夜、玄白との拷問のような勉学を終えて私室で休んでいた旬果に、泰風がお茶とお粥をもってきてくれる。
「旬果様。どうぞ」
「泰風。ありがとう!」
お腹が満ち足りれば頭が回らなくなり、だらける――との玄白の考え(いじめ?)により、勉学の間は一切、飲まず食わずなのである。
泰風が、飲むようにお粥を食べる旬果に言う。
「お代わりなら幾らでもございますから、そう慌てずとも良いですよ」
「あ、う、うん……」
頬を染めつつ、旬果は本能の欲求に素直に従い続けた。
※※※※※
食事を終えると、本能の塊の獣から人間に戻れた気がした。
泰風が淹れてくれるお茶は食事の時にはぬるめに、そして食事を終えた後は熱めに、風味をわえるようにしっかりと考えてくれている。
(至れり尽くせり、よね)
村では喉が渇いたときに飲めるのは白湯か水くらいで、こうして普通にお茶が飲めるということはなかった。しかしそんな非日常にも馴れてきて、最初ほどありがたみを感じなくなっていた。
(贅沢って怖いわぁ……)
そんなことをしみじみ思いつつ、頭にあるのは自分の失われた記憶のこと。
もっと後宮の中を探索すれば、空白を埋められるかも知れない。
しかし後宮には、劉麗一味ばかりか皇太后までいる。
あんな騒ぎまで起こしてしまったのだ。
女官や宦官には旬果の悪名はますます広まり、見つけられた途端、叩き出されないとも限らない。
「はあ……」
口からこぼれるのは名案ではなく、溜息ばかり。
泰風は言う。
「後宮のことを、お考えでございますか?」
あはは、と旬果は照れ笑いする。
「分かっちゃう?」
「……ええ」
旬果としては、顔にそこまでは出ていないと思ったのだけれど。
そこまでばれているのならば仕方がない、と旬果は打ち明けた。
「どうすればうまく後宮に、もぐりこめると思う? ……普通に入っていって、捜し回るのは難しいでしょ? 前回のこともある訳だし」
「それだけではありません」
「まだ何かある?」
「もし仮に記憶の手がかりを見つけられたとして、以前のように意識を失われることが、起こらないとも限りません。もしそんなことになれば……。お一人で行かれるのは危険です」
「じゃあ、菜鈴と一緒?」
泰風は、隣の部屋を気にしながら言う。
「……あれが、どこまで役に立つか……」
「でも、女性で他に頼れる知り合いなんていないし……」
と、旬果は閃いた。
突然、じっと見つめられた泰風はたじろいだ。
「旬果様……?」
旬果は思い浮かんだ名案に、笑みを大きくした。
「泰風が、ついてきてくれれば良いんだわっ!」
「は? いえ……後宮は男子禁制で……」
「泰風が宦官になってついてきてくれれば問題は解決。でしょ?」
「えっ……いや、私は」
「――良いじゃない、宦官」
そう言ったのは、隣の部屋からいつの間にか、顔を覗かせていた菜鈴だった。
泰風はキッと、菜鈴を睨んだ。
「お前は黙ってろっ」
旬果は割って入った。
「泰風。怒らないで。あくまで振り、で良いんだから。女官よりは良いでしょ?」
「……し、しかし宦官など……」
菜鈴が言う。
「振りじゃなくって、この際だから思い切ってなっちゃえばー?」
旬果は菜鈴を見た。
「菜鈴。調子に乗りすぎ」
菜鈴は肩をすくめて、逃げてしまう。
旬果は告げる。
「私は女官の変装をして、泰風が道案内してくれれば良いのよ。で、私がまた倒れたら、助けて」
「は、はあ……」
「そんな顔しないでよ。お願い。記憶が戻れば、もっと泰風のことを思い出せるかもしれないし!」
旬果に根負けしたみたいに目を伏せた泰風は、「分かりました」と言ってくれた。
「ありがとっ!」
※※※※※
「――旬果様。これでいかがですか?」
菜鈴に女官の衣装を調達して貰い、こうして着させてもらった旬果は鏡の前に立って、身体を動かす。女官の服は同じ襦裙だが、飾りっ気は全くなく、動きやすい実用品だ。
正直、こっちの方を普段から着たいと思った。
「良いわね、この格好。動きやすいし」
菜鈴が呆れたように旬果を見る。
「そのような格好で、喜ばれるなんて……」
「そう?」
「はい。そんな粗末なもの……」
「……粗末」
女官の服は村で暮らしていた頃、着ていた物よりもずっと上等だ。
「ま、まぁ、とにかくこれなら、ばれなさそうよね?」
旬果は意気揚々として私室を出た。
そこには、黒ずくめの宦官服姿の泰風が立っていた。
宦官が身につける黒の上下の袍と長袴姿、頭には短い房のついた宦官帽と呼ばれるものを、かぶっている。
「泰風、よく似合ってるわ」
「はあ……」
泰風は微妙そうに自分の出で立ちを見る。
菜鈴は、ニヤニヤする。
「本当にお似合い」
泰風はすぐに目を尖らせる。
「お前は黙ってろ」
「で、菜鈴。何か助言はある?」
菜鈴は、旬果たちの姿を眺める。
「泰風。あんたは喋らないこと。宦官は大概、声が高いからね。喋っただけで怪しまれるわ。それから旬果様は……まぁ、そのままで良いでしょう。良い意味で村育ちのお陰か、芋っぽいですから」
泰風が声を低くする。
「菜鈴。お前、旬果様を愚弄してるのか」
旬果は、泰風の袖を引く。
「ほら。泰風、さっさと行くわよ」
「しゅ、旬果様っ!」
「いってらっしゃいませー」
菜鈴が頭を下げ、旬果たちを見送った。
そして小馬鹿にした笑みを口元に滲ませながら、旬果を見る。
嫌みったらしく何かを言われる前に、旬果は機先を制する。
「そっちにも噂は届いたでしょう。私が後宮で大立ち回りをしたって」
玄白は不満そうに、口をへの字にした。
「可愛げのない女だ」
「あら。玄白は可愛げが欲しいの? それは初耳。初めて会った時から、嫌味と皮肉以外のことを口にしたっけ?」
「ますます可愛げがない」
「これだけは言っておくけど、私は後悔してないから。あんな嫌味な連中に好き放題言われるなんて、ありえないっ」
玄白は何故か笑みを見せた。
旬果はぎょっとする。
「な、なに……?」
「お前が後宮の女どもに傅いていたら、この役目を辞めてやろうと思っていたからな。なかなか骨がある」
「あ……うん……」
「何だ? その気の抜けた相槌は」
「いやあ……。いきなり褒められて、どう返したら良いんだろうって……。玄白も人を褒めることもあるんだね。あははは」
玄白は再び嘲る。
「勘違いするなよ、山猿。お前の頭脳はまだまだてんで、駄目だからな」
旬果はいつもと変わらぬ玄白の毒舌具合に、苦笑する。
「はいはい。それじゃあ、楽しい楽しいお勉強を始めましょ」
その日の夜、玄白との拷問のような勉学を終えて私室で休んでいた旬果に、泰風がお茶とお粥をもってきてくれる。
「旬果様。どうぞ」
「泰風。ありがとう!」
お腹が満ち足りれば頭が回らなくなり、だらける――との玄白の考え(いじめ?)により、勉学の間は一切、飲まず食わずなのである。
泰風が、飲むようにお粥を食べる旬果に言う。
「お代わりなら幾らでもございますから、そう慌てずとも良いですよ」
「あ、う、うん……」
頬を染めつつ、旬果は本能の欲求に素直に従い続けた。
※※※※※
食事を終えると、本能の塊の獣から人間に戻れた気がした。
泰風が淹れてくれるお茶は食事の時にはぬるめに、そして食事を終えた後は熱めに、風味をわえるようにしっかりと考えてくれている。
(至れり尽くせり、よね)
村では喉が渇いたときに飲めるのは白湯か水くらいで、こうして普通にお茶が飲めるということはなかった。しかしそんな非日常にも馴れてきて、最初ほどありがたみを感じなくなっていた。
(贅沢って怖いわぁ……)
そんなことをしみじみ思いつつ、頭にあるのは自分の失われた記憶のこと。
もっと後宮の中を探索すれば、空白を埋められるかも知れない。
しかし後宮には、劉麗一味ばかりか皇太后までいる。
あんな騒ぎまで起こしてしまったのだ。
女官や宦官には旬果の悪名はますます広まり、見つけられた途端、叩き出されないとも限らない。
「はあ……」
口からこぼれるのは名案ではなく、溜息ばかり。
泰風は言う。
「後宮のことを、お考えでございますか?」
あはは、と旬果は照れ笑いする。
「分かっちゃう?」
「……ええ」
旬果としては、顔にそこまでは出ていないと思ったのだけれど。
そこまでばれているのならば仕方がない、と旬果は打ち明けた。
「どうすればうまく後宮に、もぐりこめると思う? ……普通に入っていって、捜し回るのは難しいでしょ? 前回のこともある訳だし」
「それだけではありません」
「まだ何かある?」
「もし仮に記憶の手がかりを見つけられたとして、以前のように意識を失われることが、起こらないとも限りません。もしそんなことになれば……。お一人で行かれるのは危険です」
「じゃあ、菜鈴と一緒?」
泰風は、隣の部屋を気にしながら言う。
「……あれが、どこまで役に立つか……」
「でも、女性で他に頼れる知り合いなんていないし……」
と、旬果は閃いた。
突然、じっと見つめられた泰風はたじろいだ。
「旬果様……?」
旬果は思い浮かんだ名案に、笑みを大きくした。
「泰風が、ついてきてくれれば良いんだわっ!」
「は? いえ……後宮は男子禁制で……」
「泰風が宦官になってついてきてくれれば問題は解決。でしょ?」
「えっ……いや、私は」
「――良いじゃない、宦官」
そう言ったのは、隣の部屋からいつの間にか、顔を覗かせていた菜鈴だった。
泰風はキッと、菜鈴を睨んだ。
「お前は黙ってろっ」
旬果は割って入った。
「泰風。怒らないで。あくまで振り、で良いんだから。女官よりは良いでしょ?」
「……し、しかし宦官など……」
菜鈴が言う。
「振りじゃなくって、この際だから思い切ってなっちゃえばー?」
旬果は菜鈴を見た。
「菜鈴。調子に乗りすぎ」
菜鈴は肩をすくめて、逃げてしまう。
旬果は告げる。
「私は女官の変装をして、泰風が道案内してくれれば良いのよ。で、私がまた倒れたら、助けて」
「は、はあ……」
「そんな顔しないでよ。お願い。記憶が戻れば、もっと泰風のことを思い出せるかもしれないし!」
旬果に根負けしたみたいに目を伏せた泰風は、「分かりました」と言ってくれた。
「ありがとっ!」
※※※※※
「――旬果様。これでいかがですか?」
菜鈴に女官の衣装を調達して貰い、こうして着させてもらった旬果は鏡の前に立って、身体を動かす。女官の服は同じ襦裙だが、飾りっ気は全くなく、動きやすい実用品だ。
正直、こっちの方を普段から着たいと思った。
「良いわね、この格好。動きやすいし」
菜鈴が呆れたように旬果を見る。
「そのような格好で、喜ばれるなんて……」
「そう?」
「はい。そんな粗末なもの……」
「……粗末」
女官の服は村で暮らしていた頃、着ていた物よりもずっと上等だ。
「ま、まぁ、とにかくこれなら、ばれなさそうよね?」
旬果は意気揚々として私室を出た。
そこには、黒ずくめの宦官服姿の泰風が立っていた。
宦官が身につける黒の上下の袍と長袴姿、頭には短い房のついた宦官帽と呼ばれるものを、かぶっている。
「泰風、よく似合ってるわ」
「はあ……」
泰風は微妙そうに自分の出で立ちを見る。
菜鈴は、ニヤニヤする。
「本当にお似合い」
泰風はすぐに目を尖らせる。
「お前は黙ってろ」
「で、菜鈴。何か助言はある?」
菜鈴は、旬果たちの姿を眺める。
「泰風。あんたは喋らないこと。宦官は大概、声が高いからね。喋っただけで怪しまれるわ。それから旬果様は……まぁ、そのままで良いでしょう。良い意味で村育ちのお陰か、芋っぽいですから」
泰風が声を低くする。
「菜鈴。お前、旬果様を愚弄してるのか」
旬果は、泰風の袖を引く。
「ほら。泰風、さっさと行くわよ」
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「いってらっしゃいませー」
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