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第四章 緋色(ひいろ)の記憶
泰風視点:親友との語らい
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簫玄白《しょうげんぱく》の屋敷は、都の内郭《ないかく》にある。
内郭というのは皇城にある官僚街のことだ。
ここでの暮らしを許されるのは、帝室に仕える者、もしくは権門貴族のみ。
玄白は後者に当たる。簫家は洪家同様、功臣の家柄だ。
玄白は簫家の嫡男の権利を行使して、ここで一人、暮らしている。
※※※※※
今日も今日とて玄白は夜が更けても、蝋燭の明かりを頼りに書物に目を通す。
室内には、書物を捲るかすかな紙の音がひっそりと響く。
だがこの日は違った。
ドンドン、と扉を叩く音が不意を突く。
玄白は一度顔を上げるも、すぐに書物に目を戻した。
こんな夜更けの訪問者など、ろくな者ではない。無視だ。
しかし門を叩く音はなかなか止まない。
玄白は、綺麗な弧を描いた眉をしかめる。
昔、訪問者の対応のために使用人を雇っていたが、自分以外がこの部屋にいるということに耐えきれず、すぐに解雇してしまった。
今は使用人が喉から手が出るほど、欲しい。
と、門を叩く音が途切れた。
(諦めたか……)
そう思った時である。叩く音の代わりに聞こえてきたのは、
「――玄白。いるんだろ。俺だ。泰風だ」
親友の声だった。
さすがにこれには無視をする訳にもいかず、玄白は床に山積みにされた本の間を縫い、喜び勇んで扉を開ける。
本当に、親友の姿がそこにあった。
「こんな時間にどうした!」
「……少し良いか。話がしたくって……」
「あ、ああ……」
いつもと様子が違う泰風を、玄白は室内に招き寄せる。
泰風は部屋を見回しながら、
「相変わらずだな。足の踏み場もない……」
床という床には本が置かれ、唯一通路と呼べるものは、玄白のいる書見台の周囲と、玄関を結ぶ動線だけである。
泰風は仕方なく、玄関脇の壁に寄りかかった。
「何の為に棚があるんだ?」
泰風は空っぽになった本棚を見て、溜息を吐く。
玄白は微笑む。
「いちいち棚に戻すのが面倒なんだ。床に置いておけば、いつでも手を伸ばして取れる」
「……なるほど」
泰風は曖昧に頷く。
玄白は泰風を見つめる。
「で、どうしたんだ? あの女に、追い出されたのか?」
「旬果様がそんなことをする訳ないだろう」
「それはそれは」
玄白は肩をすくめた。
泰風が、あの女――旬果の肩を持つのは面白くない。泰風が来てくれて、本当は嬉しいくせに自然と唇が尖ってしまう。
「で? 本当に何があった?」
顔を上げた泰風が、ゆっくり口を開く。
「……旬果様が、火事の記憶を取り戻された」
玄白はさすがに驚いた。
「どうしてそんなことに……」
「……旬果様が、記憶を取り戻したいと後宮に行かれて……」
「引き留めなかったのか?」
「出来るはずないだろ。……協力した」
玄白は呆れてしまう。
「馬鹿が」
「旬果様がお望みになったことだ。ご自分の過去を失われて苦しむお姿を、見てはいられなかった……」
「記憶を無理に思い出せば、混乱するだけだろう。それにあの女は訳ありだぞ。全く……」
「では、どうすれば良かったんだ」
「止めるしかないだろ」
と、玄白は、とある可能性を思いつく。
「まさか。お前、自分のことをもっと思い出して貰いたいと、思ったんじゃないだろうな?」
「ちっ……」
違う、とは言い切らなかった。いや、言い切れなかったのか。
玄白は溜息をついた。
(あの女のどこが良いんだか)
玄白は旬果が都からいなくなって間もなく、彼と知り合った。だから公主時代の旬果と、泰風の関係がどんな物であったかは、よく知らない。
ただ今の所、旬果は努力をすることも知っているし、頭の空っぽな人種ではないようだが。
とはいえ、玄白からすれば田舎生まれの芋女だ。
玄白は泰風を見た。
「……臆病者め」
「な、何だとっ!?」
「好きだと言えないから、あの頃のことを思い出してもらいたかったんだろう。そんなに想っているなら、さっさと自分のものにすれば良い」
「そんなこと出来る訳がないだろ。旬果様は皇后におなりあそばされる……いや、それだけじゃない。元々はお側に近づくことすら、許されないお方……」
「もしあの女を物に出来る立場にいれば、やってるのか?」
泰風は気まずそうに口ごもった。
親友の、旬果を想う気持ちに妬けながら、玄白は笑う。
泰風はすねる。
「笑いたきゃ笑えよっ」
「あの女と再会する前までは、お前、あの女のことを自分を救ってくれた恩人だから、早くお側に仕えたいと言っていたが、実際は全然違うんじゃないか」
気まずげに黙り込んでしまった泰風の耳は、ほんのりと紅潮していた。
本心から言えば泰風とあの女がどうなろうが、玄白の知ったことではないし、知りたくもない。しかし親友の沈み込んだ顔は見たくない。
「遠慮するなよ。皇后といっても形だけなんだ。あの女は帝室の血統を継いでいるが、それを知ってるのはごく少数。別にお前が自分のものにしたところで何ら問題はない。あの女だって、お前を嫌ってはいないだろうし」
「ば、馬鹿も休み休み言え……っ」
玄白は苦笑する。
「分かったよ。だったら私から言えることは何もない。さっさと帰れ。書見の邪魔だ」
泰風は諦めたように踵を返す。
「……突然押しかけて、悪かった。……話を聞いてくれてありがとう」
そう言って出ていく。
子どものようなことで悩む泰風を、旬果は微笑ましく見送った。
内郭というのは皇城にある官僚街のことだ。
ここでの暮らしを許されるのは、帝室に仕える者、もしくは権門貴族のみ。
玄白は後者に当たる。簫家は洪家同様、功臣の家柄だ。
玄白は簫家の嫡男の権利を行使して、ここで一人、暮らしている。
※※※※※
今日も今日とて玄白は夜が更けても、蝋燭の明かりを頼りに書物に目を通す。
室内には、書物を捲るかすかな紙の音がひっそりと響く。
だがこの日は違った。
ドンドン、と扉を叩く音が不意を突く。
玄白は一度顔を上げるも、すぐに書物に目を戻した。
こんな夜更けの訪問者など、ろくな者ではない。無視だ。
しかし門を叩く音はなかなか止まない。
玄白は、綺麗な弧を描いた眉をしかめる。
昔、訪問者の対応のために使用人を雇っていたが、自分以外がこの部屋にいるということに耐えきれず、すぐに解雇してしまった。
今は使用人が喉から手が出るほど、欲しい。
と、門を叩く音が途切れた。
(諦めたか……)
そう思った時である。叩く音の代わりに聞こえてきたのは、
「――玄白。いるんだろ。俺だ。泰風だ」
親友の声だった。
さすがにこれには無視をする訳にもいかず、玄白は床に山積みにされた本の間を縫い、喜び勇んで扉を開ける。
本当に、親友の姿がそこにあった。
「こんな時間にどうした!」
「……少し良いか。話がしたくって……」
「あ、ああ……」
いつもと様子が違う泰風を、玄白は室内に招き寄せる。
泰風は部屋を見回しながら、
「相変わらずだな。足の踏み場もない……」
床という床には本が置かれ、唯一通路と呼べるものは、玄白のいる書見台の周囲と、玄関を結ぶ動線だけである。
泰風は仕方なく、玄関脇の壁に寄りかかった。
「何の為に棚があるんだ?」
泰風は空っぽになった本棚を見て、溜息を吐く。
玄白は微笑む。
「いちいち棚に戻すのが面倒なんだ。床に置いておけば、いつでも手を伸ばして取れる」
「……なるほど」
泰風は曖昧に頷く。
玄白は泰風を見つめる。
「で、どうしたんだ? あの女に、追い出されたのか?」
「旬果様がそんなことをする訳ないだろう」
「それはそれは」
玄白は肩をすくめた。
泰風が、あの女――旬果の肩を持つのは面白くない。泰風が来てくれて、本当は嬉しいくせに自然と唇が尖ってしまう。
「で? 本当に何があった?」
顔を上げた泰風が、ゆっくり口を開く。
「……旬果様が、火事の記憶を取り戻された」
玄白はさすがに驚いた。
「どうしてそんなことに……」
「……旬果様が、記憶を取り戻したいと後宮に行かれて……」
「引き留めなかったのか?」
「出来るはずないだろ。……協力した」
玄白は呆れてしまう。
「馬鹿が」
「旬果様がお望みになったことだ。ご自分の過去を失われて苦しむお姿を、見てはいられなかった……」
「記憶を無理に思い出せば、混乱するだけだろう。それにあの女は訳ありだぞ。全く……」
「では、どうすれば良かったんだ」
「止めるしかないだろ」
と、玄白は、とある可能性を思いつく。
「まさか。お前、自分のことをもっと思い出して貰いたいと、思ったんじゃないだろうな?」
「ちっ……」
違う、とは言い切らなかった。いや、言い切れなかったのか。
玄白は溜息をついた。
(あの女のどこが良いんだか)
玄白は旬果が都からいなくなって間もなく、彼と知り合った。だから公主時代の旬果と、泰風の関係がどんな物であったかは、よく知らない。
ただ今の所、旬果は努力をすることも知っているし、頭の空っぽな人種ではないようだが。
とはいえ、玄白からすれば田舎生まれの芋女だ。
玄白は泰風を見た。
「……臆病者め」
「な、何だとっ!?」
「好きだと言えないから、あの頃のことを思い出してもらいたかったんだろう。そんなに想っているなら、さっさと自分のものにすれば良い」
「そんなこと出来る訳がないだろ。旬果様は皇后におなりあそばされる……いや、それだけじゃない。元々はお側に近づくことすら、許されないお方……」
「もしあの女を物に出来る立場にいれば、やってるのか?」
泰風は気まずそうに口ごもった。
親友の、旬果を想う気持ちに妬けながら、玄白は笑う。
泰風はすねる。
「笑いたきゃ笑えよっ」
「あの女と再会する前までは、お前、あの女のことを自分を救ってくれた恩人だから、早くお側に仕えたいと言っていたが、実際は全然違うんじゃないか」
気まずげに黙り込んでしまった泰風の耳は、ほんのりと紅潮していた。
本心から言えば泰風とあの女がどうなろうが、玄白の知ったことではないし、知りたくもない。しかし親友の沈み込んだ顔は見たくない。
「遠慮するなよ。皇后といっても形だけなんだ。あの女は帝室の血統を継いでいるが、それを知ってるのはごく少数。別にお前が自分のものにしたところで何ら問題はない。あの女だって、お前を嫌ってはいないだろうし」
「ば、馬鹿も休み休み言え……っ」
玄白は苦笑する。
「分かったよ。だったら私から言えることは何もない。さっさと帰れ。書見の邪魔だ」
泰風は諦めたように踵を返す。
「……突然押しかけて、悪かった。……話を聞いてくれてありがとう」
そう言って出ていく。
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