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王宮 恋する獣人 編
27:心配しすぎな弟と走りすぎる妹
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イングリットは部屋に戻るなり、溜息を漏らした。
「……なんだか大変なことになったなぁ」
「噂のことか、シェイリーンのことか」
マクヴェスが聞いてくる。
「……うーん、どっちも?」
「違いない」
よりにもよって相手がアスコットいうのが……何か、奇縁を感じざるをえない。
(ううん、因縁っていうべきなのかも、これは……)
「……まあ、それもあるけど」
もう一つ厄介だなと思うのは、マクヴェス大好きなヤツの反応だ。
当然、彼にも噂は届いていることだろう。
真相を知りたくて今頃、じりじりしているに違いない。
「おい!」
(やっぱ来た!)
部屋に押し入ってきたのは、誰であろう、フォルスだ。
「どういうことだ、お前らがキスをしていたときいたぞ!」
「フォルス、落ち着け。ロシェル、お茶を」
「かしこまりました」
「兄貴!」
フォルスはただでさえ悪人顔なのに、それをもっと鋭く磨いて声を荒げた。
「こんなはしたない女、王族には不適当だ。すぐにたたき出せ。兄貴ができないのなら、俺がやる!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それは、誤解……っていうか、はしたなくないからなっ」
「兄が男同士で抱擁し、キスをしたという噂が流れているんだ。そういう恋愛を否定するわけじゃないが、事実誤認の噂を流されるのは王族の名誉にかかわる」
「フォルス」
マクヴェスは立ち上がるや、イングリットをかばうようにフォルスとの間に立った。
「落ち着いて、俺の話しを聞け」
「……殿下、お茶ですどうぞ」
ぐっと目の前にわざわざロシェルが湯気をたたえるハーブティーを差し出す。
「執務でお忙しい殿下に是非にと用意した特別ブレンドでございます。
疲労回復のジンセング、アシュワガンダを混ぜまして、それだけでは苦みの強いので、クコと特製シロップを混ぜました。どうぞ」
「ホント、お前ら主従は……っ」
ぐぐぐ……と歯がみしながらもそこは、育ちの良さを発揮してカップをしっかりと受け取り、渋々感まるだしでソファーに座った。
そして淹いれ立てのお茶を一切、冷ますことなく飲んだ。
(犬舌って熱いの大丈夫なのか……あれ、狼だから、関係ない?)
イングリットはそんなどうでも良いことを考えてしまう。
「お味はいかがでございましたか?」
「……あいかわらず、うまい――って、そうじゃなくてっ!」
「分かってる」
マクヴェスはこれまでの経緯を聞かせた。
すると、「シェイリーンめっ、勝手なことを」と妹のアイディアに眉をひそめる。
「しかし、シェイリーンたちにコイツが女だとしゃべったのか」
「あの場では仕方がないだろう」
「だが、仮にコイツが女だと言ったところで、お前らの噂のことは何ら否定されないぞ」
フォルスは頬杖をつきながらつぶやく。
「キスは嘘だ。ただ抱きしめただけだ」
ぶっ!とフォルスはお茶を吹き出す。
ロシェルから受け取ったハンカチで口元を拭う。
「お、お前、自重しろっ」
「違う、私は、そんな……っ」
「顔を赤らめて可愛くないぞ」
「うっさい!」
「――俺から抱きしめた。プレゼントをもらって、少し……いや、かなり有頂天になったんだ。しかし残念ながらそれ以上のことはない」
かすかにその声は弾んでいた。
マクヴェスは言うと立ち上がり、なぜか寝室へと消えていった。
どこへいくんだとイングリットたちは見送る。
「おい、お前、本当なんだろうな」
「……本当だって。でも、もし、万が一にも嘘でもあんたには関係ないでしょ」
「あるに決まってるだろ。兄貴が女ひとりにどうにかなったなんて思いたくない。ただでさえ王城での立場が不安定なんだぞ。
それに、お前が人間と分かったら……」
もう遅いよ!心の中で捨て鉢に叫びたくなる。
「とにかく、シェイリーンのこともあるし、ここは、それで乗り切るわ」
「……まったく、手のかかる」
フォルスは吐き捨てるように言った。
と、寝室に消えたマクヴェスが、戻ってきた。
「見ろ。イングリットからのはじめてのプレゼントだ」
そうして愛おしげに、自分の瞳とよく似た色合いの宝石の填まっている箱の上蓋を撫でると、そっと開いた。
澄み切ったリズムが奏でられる。
「それにしても紛らわしいんだ。こんなもの、部屋で渡せばいいだろうが」
「無粋だな。イングリットはイングリットなりに渡すべき場所を熟考していたんだ」
「ただでさえ兄貴がつれてきた護衛ということで注目を浴びているのに、もっと厄介なことになりかねないぞ。もしこれで人間とばれればどうするんだ」
「そのときはそのときだ」
「正気か!?」
フォルスは立ちあがり、目を剥いた。
「できるだけ、隠すことはするが、バレたときは隠し立てはしない」
「兄貴。もっと自分の立場をわきまえてくれ」
「わきまえている。もしそうなったときには、俺を切れ。
次期・国王としての手腕をみせつけるんだ。お前は身内に甘いと貴族連中には思われているからな」
「兄貴……っ」
フォルスは今にも泣き出しそうな顔をする。
しかしマクヴェスは本気だ。
その凪いだ湖面のような静かな眼差しは演技でどうにかできるものでもない。
(そ、そんな大変なことに!?)
被害が及ぶのは自分ばかりと思っていたイングリットからすれば、マクヴェスの覚悟は嬉しい半分、なんてこと言っているのだという気持ち半分だ。
「ま、マクヴェス……! 何もそこまで……」
マクヴェスに伸ばした手をそっと掴まれる。
「構わない。俺はそれだけ、お前に“本気”ということだ」
「……っ」
頭に血が集まりすぎてどうすればいいのか思いつかない。
なのに、彼の視線から目を背けられない。
ゴホン、とフォルスが空咳をして、ようやくその空間から脱することが辛うじて出来た。
「それで、これからどうする気だ? もう俺を動揺させるようなことはないだろうな」
「さあな。シェイリーンが計画をたてるらしいから、それ次第だろう」
「兄貴が甘やかすからだ」
「お前ほどじゃないさ」
「俺はいつだって厳しく接している」
「なんだかんだ、あとで俺に言われて、とかと理由をつけて、フォローをするだろう。シェイリーンが十歳の誕生日のときだって、面と向かって渡すのが照れくさいといって、俺から渡せと命じられたとか言ったろう」
「……っ」
「それだけじゃない。シェイリーンがはじめての舞踏会に出る時だ。
皆みながダンスはそこそこで構わないと言うのに、お前だけは王族としてお前の踊りは恥ずかしい、そんなものでは誰にも相手にされないだろうと、一週間ちかくずっと猛稽古をしていただろう。
シェイリーンはかなりいやがったが、でもそのおかげで今じゃ王族のなかでも一番見事に踊れる。
まあ、その代償としてお前のことを“ダンスの鬼”といってシェイリーンは踊りたがらないけどな」
「う、うるさい……っ、あんな足が今にもつれそうな踊り、とても見ていられなかったから矯正きょうせいしてやっただけだ」
「へえ、優しいんだ」
「黙れ、人間」
「はいはい」
イングリットは肩をすくめて受け流す。
褐色の肌を赤らめ、目をギラギラさせながら声を荒げられても、怖さ半減。
「そういう照れると怒るクセは直せと前から言ってるだろ」
「ぐぐぐ……」
歯を軋ませ、うなる。
あきらかに旗色が悪いと判断したのか、勢いで立ち上がった。
「俺はどうなっても知らないからな」
そんな子どもっぽい捨て台詞とともに、フォルスは出て行ってしまう。
「フォルス、大丈夫……?」
思わず二人の仲を心配してしまう。
すると、マクヴェスは笑う。
「平気さ、あいつは優しすぎる。優しすぎるからすべてを自分の力でなんとかしたいと思いがちなだけなんだ。――あいつは良い王になる。
……当面の問題は、シェイリーンのことだけだな」
「うまくやるわ」
「……ん」
マクヴェスは静かにうなずき、背もたれによりかかる。
「どうしたの?」
「……いや」
しかしその横顔からなんとなく察しはつく。
「大丈夫。フリをするだけなんだから」
マクヴェスはしずかにうなずくだけだった。
(本当はここで、“私はあなたを想ってる”ていえればいいんだけれど……)
でも心の底でその気持ちはたしかにある。言葉にはできないけれど。
そこへノックが聞こえ、ロシェルが応対に出る。
「あのー、皆様、シェイリーン殿下がすぐに鏡の間へ……とのことでございます」
イングリットとマクヴェスは顔を見合わせた。
嫌な予感しかしなかった。
■■
急な呼び出しにもかかわらず、王城にいる使用人や文武官、果ては国王・王妃以外の王族にいたるまで勢揃いして、かなり賑わっていた。
そしてマクヴェスたちの姿に、水を打ったような静けさが満ちる。
(こ、これが、いわゆる針のむしろ……?)
こういう時こそ背筋を伸ばし、胸を張って、威風堂々していなければならない。
縮こまっていては主人であるマクヴェスに恥をかかせてしまう。
実際、マクヴェスも刺さるような視線を周囲からうけても、泰然自若の構えを崩さない。
「――突然、お呼びして申し訳ありません」
マクヴェスたちの来訪を確認した上で、声をあげ、しずしずと観衆の前に進み出たのは、アスコットを従えたシェイリーンだった。
「皆様も薄々気づいていると思われますけれど、お集まりいただいたのはほかでもありません……」
「シェイリーン、もったいぶった言い方はおやめなさい。いったい、これはどういうことですのっ」
シェイリーンの姉・ヒルダが不満そうに声をあげた。
シェイリーンは一人舞台を邪魔されて不満そうだったが、「分かりました」とうなずく。
「我が兄、マクヴェスと、その護衛、イングリットが昨夜、逢瀬をしていたとの噂がまことしやかに語られています。
ですが、それはまったく誤解なのです!」
シェイリーンの発言に、場が一斉にざわつく。
(シェイリーン……何を言う気なの?)
イングリットは気が気でなかった。何を言ってもロクなことにならない予感がすごくした。
「みなさまにまずお伝えしなければならないこと、その一つは、イングリットは女性だということです」
どよめきがみるみる広がっていく。
「ですが、これはいらぬ詮索からイングリットを守るためについた嘘なのです。ただでさえ兄のはじめての護衛が、女性だと分かれば、またいらぬ噂が流れることを警戒したのです……。
そして抱擁とキス、ということですが、それも誤解なのです。
あれはただよろけたイングリットを抱きしめただけ、それが見るものによってはさも秘め事をしているかのように見えてしまっただけなのです!」
全員の視線が、マクヴェス主従に向く。
「みなさん、話しはまだ終わっていません!」
シェイリーンが力強く言う。
「なぜ、私がこのようにわざわざ申し上げるかと言えば、です。
実は、イングリットには正式な恋人がいるのです! それは我が騎士、アスコットですっ!」
さらに場がざわめき、「きゃああああああ!」という悲鳴があがった。
きっと、アスコットのファンであるメイドたちだろう。
アスコットはシェイリーンの背後で、静かにたたずんでいる。
「イングリット、こちらへ」
「あ、は……い……」
(痛いっ……人の視線が、痛い……っ)
それでも顔をうつむけず、まっすぐに前を見据えた。もう意地だった。
「さあ、二人並んで。
……みなさん、どうです? お似合いのカップルだとは思いません?
イングリットこの凛々しい男装姿ですけれど、本当は可憐な乙女なのです。それを優しく力強く支える我が騎士、アスコット……はあ、まったくなんて画になる二人なのでしょう!」
シェイリーンはやや演技過剰にのたまわった。
(ああ、殿下……お願い、もういいから……早く終わらせてください……!)
正直、マクヴェスの顔なんてみられない。
嫉妬で、これまでさんざん大変なことになっていたのだ。これをどんな気持ちでマクヴェスは見ているのか、考えるだけでぞっとしない。
「つまりはこういうことなの。噂は誤解。
二人は出会った時から、互いの心に通じるものがあり、結果、わたくしとお兄様の助力を得て、恋人同士になったのです。
ですから噂は一から十まで誤解の連続だったのです!」
シェイリーンは設定を高らかに宣言する。
しんと、水を打ったような静けさが広がる。
(あああ、もうどうでもいいから、早く終わって……!)
イングリットが祈るような気持ちで、重たい沈黙のただなかにあると――
パチ……パチ……
かすかな拍手の音。
(え?)
見ると、マクヴェスが手を叩いていた。
それに重なる拍手。次はフォルスだ。
王族二人、それも皇太子まで手をたたいているということもあって、それに追従する拍手の広がりはみるみる広間を満たしていった。
(いいの? こんな風に大々的に発表しちゃっても……!?)
万雷の拍手を前に、イングリットは気が遠くなった――。
「……なんだか大変なことになったなぁ」
「噂のことか、シェイリーンのことか」
マクヴェスが聞いてくる。
「……うーん、どっちも?」
「違いない」
よりにもよって相手がアスコットいうのが……何か、奇縁を感じざるをえない。
(ううん、因縁っていうべきなのかも、これは……)
「……まあ、それもあるけど」
もう一つ厄介だなと思うのは、マクヴェス大好きなヤツの反応だ。
当然、彼にも噂は届いていることだろう。
真相を知りたくて今頃、じりじりしているに違いない。
「おい!」
(やっぱ来た!)
部屋に押し入ってきたのは、誰であろう、フォルスだ。
「どういうことだ、お前らがキスをしていたときいたぞ!」
「フォルス、落ち着け。ロシェル、お茶を」
「かしこまりました」
「兄貴!」
フォルスはただでさえ悪人顔なのに、それをもっと鋭く磨いて声を荒げた。
「こんなはしたない女、王族には不適当だ。すぐにたたき出せ。兄貴ができないのなら、俺がやる!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それは、誤解……っていうか、はしたなくないからなっ」
「兄が男同士で抱擁し、キスをしたという噂が流れているんだ。そういう恋愛を否定するわけじゃないが、事実誤認の噂を流されるのは王族の名誉にかかわる」
「フォルス」
マクヴェスは立ち上がるや、イングリットをかばうようにフォルスとの間に立った。
「落ち着いて、俺の話しを聞け」
「……殿下、お茶ですどうぞ」
ぐっと目の前にわざわざロシェルが湯気をたたえるハーブティーを差し出す。
「執務でお忙しい殿下に是非にと用意した特別ブレンドでございます。
疲労回復のジンセング、アシュワガンダを混ぜまして、それだけでは苦みの強いので、クコと特製シロップを混ぜました。どうぞ」
「ホント、お前ら主従は……っ」
ぐぐぐ……と歯がみしながらもそこは、育ちの良さを発揮してカップをしっかりと受け取り、渋々感まるだしでソファーに座った。
そして淹いれ立てのお茶を一切、冷ますことなく飲んだ。
(犬舌って熱いの大丈夫なのか……あれ、狼だから、関係ない?)
イングリットはそんなどうでも良いことを考えてしまう。
「お味はいかがでございましたか?」
「……あいかわらず、うまい――って、そうじゃなくてっ!」
「分かってる」
マクヴェスはこれまでの経緯を聞かせた。
すると、「シェイリーンめっ、勝手なことを」と妹のアイディアに眉をひそめる。
「しかし、シェイリーンたちにコイツが女だとしゃべったのか」
「あの場では仕方がないだろう」
「だが、仮にコイツが女だと言ったところで、お前らの噂のことは何ら否定されないぞ」
フォルスは頬杖をつきながらつぶやく。
「キスは嘘だ。ただ抱きしめただけだ」
ぶっ!とフォルスはお茶を吹き出す。
ロシェルから受け取ったハンカチで口元を拭う。
「お、お前、自重しろっ」
「違う、私は、そんな……っ」
「顔を赤らめて可愛くないぞ」
「うっさい!」
「――俺から抱きしめた。プレゼントをもらって、少し……いや、かなり有頂天になったんだ。しかし残念ながらそれ以上のことはない」
かすかにその声は弾んでいた。
マクヴェスは言うと立ち上がり、なぜか寝室へと消えていった。
どこへいくんだとイングリットたちは見送る。
「おい、お前、本当なんだろうな」
「……本当だって。でも、もし、万が一にも嘘でもあんたには関係ないでしょ」
「あるに決まってるだろ。兄貴が女ひとりにどうにかなったなんて思いたくない。ただでさえ王城での立場が不安定なんだぞ。
それに、お前が人間と分かったら……」
もう遅いよ!心の中で捨て鉢に叫びたくなる。
「とにかく、シェイリーンのこともあるし、ここは、それで乗り切るわ」
「……まったく、手のかかる」
フォルスは吐き捨てるように言った。
と、寝室に消えたマクヴェスが、戻ってきた。
「見ろ。イングリットからのはじめてのプレゼントだ」
そうして愛おしげに、自分の瞳とよく似た色合いの宝石の填まっている箱の上蓋を撫でると、そっと開いた。
澄み切ったリズムが奏でられる。
「それにしても紛らわしいんだ。こんなもの、部屋で渡せばいいだろうが」
「無粋だな。イングリットはイングリットなりに渡すべき場所を熟考していたんだ」
「ただでさえ兄貴がつれてきた護衛ということで注目を浴びているのに、もっと厄介なことになりかねないぞ。もしこれで人間とばれればどうするんだ」
「そのときはそのときだ」
「正気か!?」
フォルスは立ちあがり、目を剥いた。
「できるだけ、隠すことはするが、バレたときは隠し立てはしない」
「兄貴。もっと自分の立場をわきまえてくれ」
「わきまえている。もしそうなったときには、俺を切れ。
次期・国王としての手腕をみせつけるんだ。お前は身内に甘いと貴族連中には思われているからな」
「兄貴……っ」
フォルスは今にも泣き出しそうな顔をする。
しかしマクヴェスは本気だ。
その凪いだ湖面のような静かな眼差しは演技でどうにかできるものでもない。
(そ、そんな大変なことに!?)
被害が及ぶのは自分ばかりと思っていたイングリットからすれば、マクヴェスの覚悟は嬉しい半分、なんてこと言っているのだという気持ち半分だ。
「ま、マクヴェス……! 何もそこまで……」
マクヴェスに伸ばした手をそっと掴まれる。
「構わない。俺はそれだけ、お前に“本気”ということだ」
「……っ」
頭に血が集まりすぎてどうすればいいのか思いつかない。
なのに、彼の視線から目を背けられない。
ゴホン、とフォルスが空咳をして、ようやくその空間から脱することが辛うじて出来た。
「それで、これからどうする気だ? もう俺を動揺させるようなことはないだろうな」
「さあな。シェイリーンが計画をたてるらしいから、それ次第だろう」
「兄貴が甘やかすからだ」
「お前ほどじゃないさ」
「俺はいつだって厳しく接している」
「なんだかんだ、あとで俺に言われて、とかと理由をつけて、フォローをするだろう。シェイリーンが十歳の誕生日のときだって、面と向かって渡すのが照れくさいといって、俺から渡せと命じられたとか言ったろう」
「……っ」
「それだけじゃない。シェイリーンがはじめての舞踏会に出る時だ。
皆みながダンスはそこそこで構わないと言うのに、お前だけは王族としてお前の踊りは恥ずかしい、そんなものでは誰にも相手にされないだろうと、一週間ちかくずっと猛稽古をしていただろう。
シェイリーンはかなりいやがったが、でもそのおかげで今じゃ王族のなかでも一番見事に踊れる。
まあ、その代償としてお前のことを“ダンスの鬼”といってシェイリーンは踊りたがらないけどな」
「う、うるさい……っ、あんな足が今にもつれそうな踊り、とても見ていられなかったから矯正きょうせいしてやっただけだ」
「へえ、優しいんだ」
「黙れ、人間」
「はいはい」
イングリットは肩をすくめて受け流す。
褐色の肌を赤らめ、目をギラギラさせながら声を荒げられても、怖さ半減。
「そういう照れると怒るクセは直せと前から言ってるだろ」
「ぐぐぐ……」
歯を軋ませ、うなる。
あきらかに旗色が悪いと判断したのか、勢いで立ち上がった。
「俺はどうなっても知らないからな」
そんな子どもっぽい捨て台詞とともに、フォルスは出て行ってしまう。
「フォルス、大丈夫……?」
思わず二人の仲を心配してしまう。
すると、マクヴェスは笑う。
「平気さ、あいつは優しすぎる。優しすぎるからすべてを自分の力でなんとかしたいと思いがちなだけなんだ。――あいつは良い王になる。
……当面の問題は、シェイリーンのことだけだな」
「うまくやるわ」
「……ん」
マクヴェスは静かにうなずき、背もたれによりかかる。
「どうしたの?」
「……いや」
しかしその横顔からなんとなく察しはつく。
「大丈夫。フリをするだけなんだから」
マクヴェスはしずかにうなずくだけだった。
(本当はここで、“私はあなたを想ってる”ていえればいいんだけれど……)
でも心の底でその気持ちはたしかにある。言葉にはできないけれど。
そこへノックが聞こえ、ロシェルが応対に出る。
「あのー、皆様、シェイリーン殿下がすぐに鏡の間へ……とのことでございます」
イングリットとマクヴェスは顔を見合わせた。
嫌な予感しかしなかった。
■■
急な呼び出しにもかかわらず、王城にいる使用人や文武官、果ては国王・王妃以外の王族にいたるまで勢揃いして、かなり賑わっていた。
そしてマクヴェスたちの姿に、水を打ったような静けさが満ちる。
(こ、これが、いわゆる針のむしろ……?)
こういう時こそ背筋を伸ばし、胸を張って、威風堂々していなければならない。
縮こまっていては主人であるマクヴェスに恥をかかせてしまう。
実際、マクヴェスも刺さるような視線を周囲からうけても、泰然自若の構えを崩さない。
「――突然、お呼びして申し訳ありません」
マクヴェスたちの来訪を確認した上で、声をあげ、しずしずと観衆の前に進み出たのは、アスコットを従えたシェイリーンだった。
「皆様も薄々気づいていると思われますけれど、お集まりいただいたのはほかでもありません……」
「シェイリーン、もったいぶった言い方はおやめなさい。いったい、これはどういうことですのっ」
シェイリーンの姉・ヒルダが不満そうに声をあげた。
シェイリーンは一人舞台を邪魔されて不満そうだったが、「分かりました」とうなずく。
「我が兄、マクヴェスと、その護衛、イングリットが昨夜、逢瀬をしていたとの噂がまことしやかに語られています。
ですが、それはまったく誤解なのです!」
シェイリーンの発言に、場が一斉にざわつく。
(シェイリーン……何を言う気なの?)
イングリットは気が気でなかった。何を言ってもロクなことにならない予感がすごくした。
「みなさまにまずお伝えしなければならないこと、その一つは、イングリットは女性だということです」
どよめきがみるみる広がっていく。
「ですが、これはいらぬ詮索からイングリットを守るためについた嘘なのです。ただでさえ兄のはじめての護衛が、女性だと分かれば、またいらぬ噂が流れることを警戒したのです……。
そして抱擁とキス、ということですが、それも誤解なのです。
あれはただよろけたイングリットを抱きしめただけ、それが見るものによってはさも秘め事をしているかのように見えてしまっただけなのです!」
全員の視線が、マクヴェス主従に向く。
「みなさん、話しはまだ終わっていません!」
シェイリーンが力強く言う。
「なぜ、私がこのようにわざわざ申し上げるかと言えば、です。
実は、イングリットには正式な恋人がいるのです! それは我が騎士、アスコットですっ!」
さらに場がざわめき、「きゃああああああ!」という悲鳴があがった。
きっと、アスコットのファンであるメイドたちだろう。
アスコットはシェイリーンの背後で、静かにたたずんでいる。
「イングリット、こちらへ」
「あ、は……い……」
(痛いっ……人の視線が、痛い……っ)
それでも顔をうつむけず、まっすぐに前を見据えた。もう意地だった。
「さあ、二人並んで。
……みなさん、どうです? お似合いのカップルだとは思いません?
イングリットこの凛々しい男装姿ですけれど、本当は可憐な乙女なのです。それを優しく力強く支える我が騎士、アスコット……はあ、まったくなんて画になる二人なのでしょう!」
シェイリーンはやや演技過剰にのたまわった。
(ああ、殿下……お願い、もういいから……早く終わらせてください……!)
正直、マクヴェスの顔なんてみられない。
嫉妬で、これまでさんざん大変なことになっていたのだ。これをどんな気持ちでマクヴェスは見ているのか、考えるだけでぞっとしない。
「つまりはこういうことなの。噂は誤解。
二人は出会った時から、互いの心に通じるものがあり、結果、わたくしとお兄様の助力を得て、恋人同士になったのです。
ですから噂は一から十まで誤解の連続だったのです!」
シェイリーンは設定を高らかに宣言する。
しんと、水を打ったような静けさが広がる。
(あああ、もうどうでもいいから、早く終わって……!)
イングリットが祈るような気持ちで、重たい沈黙のただなかにあると――
パチ……パチ……
かすかな拍手の音。
(え?)
見ると、マクヴェスが手を叩いていた。
それに重なる拍手。次はフォルスだ。
王族二人、それも皇太子まで手をたたいているということもあって、それに追従する拍手の広がりはみるみる広間を満たしていった。
(いいの? こんな風に大々的に発表しちゃっても……!?)
万雷の拍手を前に、イングリットは気が遠くなった――。
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