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夢と現(うつつ)
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「賤人(ジィェンレン)!」
呆然としていた蒼花の耳に鋭い声が届くと共に、意識は覚醒した。
(夢……?)
それとも幻か。
妙に甲高い声と共に扉が開き、差し込む蝋燭の灯りに蒼花は目を細める。
あらわれたのは宦官の蔡両だった。
「蔡両様」
蒼花は深々と頭を下げる。
蔡両は膝を折り、」汚物でも見るような冷たい眼差しをくれてきた。
「陛下より情けを賜るのだから、ちょっとは利かせて、もっと乱れてみせろ。それくらいできるだろう。能なしめ」
蔡両の口元には嘲笑がありありと浮かんだ。
「……申し訳ございません」
蒼花はひたすらに控える。
それと共に、湯の入った桶を抱えた数人の下女たちが現れる。
「さあ、さっさとしろ」
「はい」
かつては頭を下げられていた者に、平伏することにはすぐに馴れた。
それでも、人前で散々犯された身体を拭うことには未だ抵抗はぬぐえなかった。
たとえ目の前にいるのが、男でも女でも、何者でもない宦官の前であったとしても。
女たちは桶に布をひたし、固く絞ると、乱暴に蒼花の身体を拭いていく。
引っ掻きあとのように肌に赤い筋が浮かぶのもお構いなし。蒼花自身も、ひたすらに口を噛み縛ってこらえた。
「おい、あまり手荒にするな。傷物にしては陛下より叱られるのは私なんだからな」
蔡両の声がとぶと、下女たちの動きも多少は緩む。
下女たちの乱暴さには、かつて仰ぎ見ていた存在であった蒼花への嘲りと優越感とが色濃く滲んでいた。
「仕上げだ」
蔡両の声と共に、下女たちはそれぞれの桶をもつや、蒼花に次々とぶっかけていく。
半ば冷めかけた湯で鳥肌がたち、身体が震えた。
そして下女たちは渇いた布で蒼花を包み込むようにしたかと思えば、また遠慮のない強い力で拭ってくる。
屈辱に塗れながらなすがままにされる。
「もういいだろう」
それでようやく嵐のような時間が終わりを告げた。
「……ありがとうございます」
乱雑に掻き乱された髪のまま、蒼花は蔡両や下女たちを見送った。
重い扉の閉められる音が、室内に残酷に響く。
籠の鳥どころか、家畜扱いだ。
蒼花は虚脱感に襲われたままよろよろと臥榻へ戻る。
月明かりの落ちるそこには、先程自分の身体から漏れ出た愛液の濡れ染みが浮いていた。
蒼花は歯の何番も欠けた竹の櫛で、どうにかこうにか髪を梳る。
全ての温みを吸い取ってしまおうとするかのような冷たい石造りの居室に、蒼花の震える嗚咽が静かに響いた。
※
明かりとりの窓から、またもや桃の花がひらりと迷い込んでくる。
蒼花はそれをそっと両の手で包み込むようにとらえた。
明かり取りの向こうには澄んだ青空が広がっている。玻璃(ガラス)は嵌められておらず、壁をくり抜いただけの造り。
今日は気持ちの良いほどの快晴だ。
(今頃はいつも、皇太后様と一緒にお花を見に行っていたわ)
新参者として肩身の狭い思いをしていた蒼花に促し、箏を弾かせたのだ。
芳皇太后の女官は誰しも一通りの教養はあるし、箏も弾けるが、周囲の状況に合わせて曲調を変えられるのは蒼花くらいなものだったのだ。
皇太后様は、はじめて箏の奏でる音を聞いた時、
「ちょっとした月日でこれほどの腕とはねえ」
「皇太后様に教えてもらえたからです」
「いや。お前に箏の才能があったからだよ。妾はお前の弾く箏が妾が好きだよ」
そう言って微笑んだ。
その微笑みと共に、皇帝の英麟の顔が瞼の裏に浮かび上がる。
男性に対しておかしいかもしれないが、和やかな春風のように蒼花の心を撫でる。
これまでこんな気持ちになったことなどない。
もちろん相手は天子だ。
誰にも言えない、あまりに身分が違いすぎる、秘密の片思い。それでも構わなかった。
そう、すべてをなげうった自分にしてみれば、そんな気持ちを抱けることだけで幸せなことだから。
はじめての出会いからもう五年あまりが経とうとしている。
蒼花は今年で十八歳。
英麟は十九歳だ。
英麟は侍中を撒いたと芳皇太后を苦笑させながらも、ひょっこりと到来してきた。
その笑顔を見るたびに蒼花の胸は熱く高鳴るのだった。
やってくるのは、春ばかりではない。
木々がみずみずしく輝く新緑の季節、都のそばの山々が赤々と染め上がる紅葉の時節、何もかもが真っ白に塗り潰される銀雪の時期。
そのたびに、英麟は好奇心いっぱいの子どものような純真な眼差しで、蒼花に箏を弾くようねだったのだ。
春は桃の花の下、夏は蓮の浮いた苑麗池の亭閣。冬は屋内の隅を赤々と焚いた広間で。
「何か恋にまつわる曲を」
「のんびりとした曲を」
「眠気の覚めるような激しい曲を」
そう言われるたびに、自分なりの工夫をこらし、目を閉じ、耳を傾けてくれる彼のために奏でるのだった。
「何かを褒美をとらせよう。何か欲しいものはあるか」
そう言われたことも何度もあったが、蒼花は何も要らないと言った。それは本心からだった。
「なんだ、欲のないやつだ。何でも言え。言わぬ限り、朕はもう一歩も動かない」
そんな駄々をこねられたことがあった。
本音を言えば、それでもいっこうに構わない、ずっとあなたのおそばにいられるならば、とそうは思ったが、もちろんそんなことを口にだせるはずもない。
蒼花は考え、
「では、一つ」
「なんだ?」
これまで何の褒美も求めてこなかった蒼花が何を望むのか、英麟は興味津々で身を乗り出してきた。
「今から弾きます曲をお聴きください」
「なんだ? それが望みか?」
「そうでございます」
そうしてこっそりとかなり工夫を凝らした曲をかき鳴らす。
それは古来より伝わる、恋歌だ。
遠くの戦地に向かった恋人へ僅かな音でも構わない届いて欲しい、満月の夜にしっとりと女性がかき鳴らすというもの。
もちろん、周囲にいる女官や皇太后に分かっては一大事。
だから編曲に編曲を重ねて別の曲だと装いつつも、そのなかにはひそかな想いを重ねた。
「これではまた、私がもらってばかりだなぁ」
くすくすと笑いながら、英麟はすのんびりと言うのだった。
しかし一年前からぱったりと英麟の姿を永楽宮で見ることはなくなり、そのうち蒼花は皇太后から遠ざけられるようになった。
呆然としていた蒼花の耳に鋭い声が届くと共に、意識は覚醒した。
(夢……?)
それとも幻か。
妙に甲高い声と共に扉が開き、差し込む蝋燭の灯りに蒼花は目を細める。
あらわれたのは宦官の蔡両だった。
「蔡両様」
蒼花は深々と頭を下げる。
蔡両は膝を折り、」汚物でも見るような冷たい眼差しをくれてきた。
「陛下より情けを賜るのだから、ちょっとは利かせて、もっと乱れてみせろ。それくらいできるだろう。能なしめ」
蔡両の口元には嘲笑がありありと浮かんだ。
「……申し訳ございません」
蒼花はひたすらに控える。
それと共に、湯の入った桶を抱えた数人の下女たちが現れる。
「さあ、さっさとしろ」
「はい」
かつては頭を下げられていた者に、平伏することにはすぐに馴れた。
それでも、人前で散々犯された身体を拭うことには未だ抵抗はぬぐえなかった。
たとえ目の前にいるのが、男でも女でも、何者でもない宦官の前であったとしても。
女たちは桶に布をひたし、固く絞ると、乱暴に蒼花の身体を拭いていく。
引っ掻きあとのように肌に赤い筋が浮かぶのもお構いなし。蒼花自身も、ひたすらに口を噛み縛ってこらえた。
「おい、あまり手荒にするな。傷物にしては陛下より叱られるのは私なんだからな」
蔡両の声がとぶと、下女たちの動きも多少は緩む。
下女たちの乱暴さには、かつて仰ぎ見ていた存在であった蒼花への嘲りと優越感とが色濃く滲んでいた。
「仕上げだ」
蔡両の声と共に、下女たちはそれぞれの桶をもつや、蒼花に次々とぶっかけていく。
半ば冷めかけた湯で鳥肌がたち、身体が震えた。
そして下女たちは渇いた布で蒼花を包み込むようにしたかと思えば、また遠慮のない強い力で拭ってくる。
屈辱に塗れながらなすがままにされる。
「もういいだろう」
それでようやく嵐のような時間が終わりを告げた。
「……ありがとうございます」
乱雑に掻き乱された髪のまま、蒼花は蔡両や下女たちを見送った。
重い扉の閉められる音が、室内に残酷に響く。
籠の鳥どころか、家畜扱いだ。
蒼花は虚脱感に襲われたままよろよろと臥榻へ戻る。
月明かりの落ちるそこには、先程自分の身体から漏れ出た愛液の濡れ染みが浮いていた。
蒼花は歯の何番も欠けた竹の櫛で、どうにかこうにか髪を梳る。
全ての温みを吸い取ってしまおうとするかのような冷たい石造りの居室に、蒼花の震える嗚咽が静かに響いた。
※
明かりとりの窓から、またもや桃の花がひらりと迷い込んでくる。
蒼花はそれをそっと両の手で包み込むようにとらえた。
明かり取りの向こうには澄んだ青空が広がっている。玻璃(ガラス)は嵌められておらず、壁をくり抜いただけの造り。
今日は気持ちの良いほどの快晴だ。
(今頃はいつも、皇太后様と一緒にお花を見に行っていたわ)
新参者として肩身の狭い思いをしていた蒼花に促し、箏を弾かせたのだ。
芳皇太后の女官は誰しも一通りの教養はあるし、箏も弾けるが、周囲の状況に合わせて曲調を変えられるのは蒼花くらいなものだったのだ。
皇太后様は、はじめて箏の奏でる音を聞いた時、
「ちょっとした月日でこれほどの腕とはねえ」
「皇太后様に教えてもらえたからです」
「いや。お前に箏の才能があったからだよ。妾はお前の弾く箏が妾が好きだよ」
そう言って微笑んだ。
その微笑みと共に、皇帝の英麟の顔が瞼の裏に浮かび上がる。
男性に対しておかしいかもしれないが、和やかな春風のように蒼花の心を撫でる。
これまでこんな気持ちになったことなどない。
もちろん相手は天子だ。
誰にも言えない、あまりに身分が違いすぎる、秘密の片思い。それでも構わなかった。
そう、すべてをなげうった自分にしてみれば、そんな気持ちを抱けることだけで幸せなことだから。
はじめての出会いからもう五年あまりが経とうとしている。
蒼花は今年で十八歳。
英麟は十九歳だ。
英麟は侍中を撒いたと芳皇太后を苦笑させながらも、ひょっこりと到来してきた。
その笑顔を見るたびに蒼花の胸は熱く高鳴るのだった。
やってくるのは、春ばかりではない。
木々がみずみずしく輝く新緑の季節、都のそばの山々が赤々と染め上がる紅葉の時節、何もかもが真っ白に塗り潰される銀雪の時期。
そのたびに、英麟は好奇心いっぱいの子どものような純真な眼差しで、蒼花に箏を弾くようねだったのだ。
春は桃の花の下、夏は蓮の浮いた苑麗池の亭閣。冬は屋内の隅を赤々と焚いた広間で。
「何か恋にまつわる曲を」
「のんびりとした曲を」
「眠気の覚めるような激しい曲を」
そう言われるたびに、自分なりの工夫をこらし、目を閉じ、耳を傾けてくれる彼のために奏でるのだった。
「何かを褒美をとらせよう。何か欲しいものはあるか」
そう言われたことも何度もあったが、蒼花は何も要らないと言った。それは本心からだった。
「なんだ、欲のないやつだ。何でも言え。言わぬ限り、朕はもう一歩も動かない」
そんな駄々をこねられたことがあった。
本音を言えば、それでもいっこうに構わない、ずっとあなたのおそばにいられるならば、とそうは思ったが、もちろんそんなことを口にだせるはずもない。
蒼花は考え、
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「今から弾きます曲をお聴きください」
「なんだ? それが望みか?」
「そうでございます」
そうしてこっそりとかなり工夫を凝らした曲をかき鳴らす。
それは古来より伝わる、恋歌だ。
遠くの戦地に向かった恋人へ僅かな音でも構わない届いて欲しい、満月の夜にしっとりと女性がかき鳴らすというもの。
もちろん、周囲にいる女官や皇太后に分かっては一大事。
だから編曲に編曲を重ねて別の曲だと装いつつも、そのなかにはひそかな想いを重ねた。
「これではまた、私がもらってばかりだなぁ」
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