晶蒼花伝~孤独の少女は皇帝との愛に溺れる

魚谷

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朝議

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 空を舞う大鵬の眼差しで見れば、京師・悠寧は碁盤状に区画整理された、奥行きの長い方形をした美しい街である。
 街の正門である朱雀門より真っ直ぐ伸びる皇心大路を北に行けば、荘厳華麗な建物群が見えてくる。
 そこは天まで覆わんばかりの城壁が二重に巡らされる。
 百僚の廨署が連なるのを皇城と呼び、そのさらなる厳重に警備された城門の奥が天子の住まう宮城である。
 そこは大きく三つの領域に分けられる。まず一つが文武百官が皇帝に謁見し、朝政を行う前殿・皇帝の執務室の場であり寝起きする私室のある宣室殿、次いで夏の離宮である清涼殿・冬の離宮である温室殿・詔命や外交文書などを保存する保管所である天雲閣、最深部が後宮である。
 宮城にある建物はもちろん扁額を掲げた城門の甍はすべて黄色に染め上げられ、それが日射しを浴びてきらめく様はまるで黄金の稲穂がそよぐかのようだった。
 政の中心である正殿の玉座に霍英麟が出御すると、宰相、大将軍をはじめとする文武百官たちがそろって叩頭した。
 朝議の場である。
 玉座は平場より数段高い位置にあり、臣下を見下ろす格好になる。
 皇太后が生きていた時には、玉座の背後に簾が垂らされ、そのなかで皇太后がいて、経験の少ない英麟の政務の後見をしていた。
 曰く、垂簾聴政《すいれんちょうせい》――。
 英麟と芳皇太后の間には血のつながりがないどころか、英麟が皇帝に即位した時には、れっきとした生みの母・羌美人がいたにもかかわらず、皇太后は皇帝の遺言――英麟が政務に長じるまでは皇太后を後見役にすること――をかざし、後見役の座に納まった。
 有力貴族の娘である芳皇太后は母よりも政治に長じ、よく父帝が病に倒れてからは名代として政務を総覧していたことから、羌苑より後見役に相応しくはあった。
 後見役といえば聞こえはいいが、すべての政務は芳皇太后を中心にまわり、英麟はお飾りだった。
 しかしあの時の自分は、それを愚かにも信じ、自分の考えが否定されても、浅はかな自分が悪いとすら思っていた。
 皇太后に認められるようと過去の政治を顧み、勉学に励んだ。
 まさか母と慕っていた皇太后が、英麟の生みの母を殺していたなんて考えもしなかった……。
 誰もが皇帝たる自分を仰ぎ見る。
 以前は、皇太后のほうばかりを見ていた。
 英麟に聴かせるという体裁をとりながら、皇太后の裁可を待っていた。
 あの時の英麟は玉座にありながら、臣下からすればいないも同然、皇太后の傀儡だった。
 しかし今、名実共に最高の権力をもっているのは英麟に他ならない。

「……奏上いたします」

 宰相を務める経綸が恭しく口を開く。
 塩の専売制などの税制のこと、長期的な土木計画、周辺異民族の服属に関する政策の裁可を求める。

「それらについては大将軍と相談の上、決めよ。朕にはその報告だけでよい」
「陛下」

 朝議の場に、凛乎とした声が響く。
 羌士忠《きょうしちゅう》だ。

「どうした?」
「小臣は陛下より、大将軍という身に余る栄職を賜りました。しからば大将軍とは軍権をもって陛下をお輔(たす)けいたすこと。政に口を出すわけにはまいりません。どうぞ、経綸殿にご一任いただきますよう……」
「そうか。ならば、経綸。お前の良いように。あとで報告を聞こう」
「ははっ」

 宰相が叩頭《こうとう》する。

「……終わりか?」

 続く沈黙に、英麟が立ち上がろうとするのを、宰相が押しとどめる。

「いえ……。あと、一つ……」
「あるならば、さっさと申せ」
「最後の案件でございますが……皇太后陛下の埋葬に関してでございます」

 皇太后が亡くなってまもなく半年あまりが経とうとしていた。
 未だ陵墓を造る計画はたてておらず、間に合わせの廟堂に遺骸を安置するにとどめていた。

「――経綸殿。陛下はそれについてはとうに答えは出ているはずだ。皇太后の墳墓の造成はおこなわない」

 大将軍と仰々しい位とは裏腹に、それを務める羌士忠は居並ぶ群臣の誰よりも若い。
 若く見えるのではなく、実際、周囲の群臣たちのほとんどが六十代、若くても五十代後半であるのに比べて、今年で二十八歳――英麟よりも十歳上――と、群を抜いての若さでありながら、宰相をもしのぐ権勢をもっている。

「羌士忠の言う通り皇太后は朕を謀り、専横を極めた悪逆の徒である。お前たちも知っているであろう。皇太后は己の野心のために、先帝より仕えし臣下を悉く閑職においやり、または謀反の罪をきせて族滅した。そして天はそれをお許しにはならず、芳皇太后は頓死した。そのまま大地に晒しても飽き足らないものを、一寸の慈悲を示して廟に収めているのだ」
「しかし……皇太后様は先帝の皇后であらせられます」
「経綸。どうしてお前はそこまで皇太后をかばい立てする。お前は、皇太后の不興を買い、宰相を罷免され、片田舎の官吏に左遷(と)ばされた。それを朕が復職させたのだぞ。……経綸。これ以上のことはもう言うな」
「……はは」

 英麟が立ち上がると、群臣たちは一斉に平伏して送り出した。
 朝議の行われる前殿から出ると、そのまま政務を執る宣室殿へ戻れば、そこにはたくさんの書類が運び込まれていた。
 全てを縛り付けていたと言っても良い芳皇太后が死に、政治の全ては英麟に帰している。
 だというのに、皇太后が生きていた時にはあったはずの情熱が今はすっかり消えてなくなっていた。
 今、心の底を炙るのは蒼花を陵辱することへの暗い熱だけ。
 野生児のように目をぎらつかせていた蒼花が、皇太后の元へ預けられ、次第次第に宮廷の女官のように洗練されていくのが、英麟は少し残念に思いながら眺めていた。
 それでもいざ話してみると、どんなに礼儀正しく、作法を心得ても、根っこのところは蒼花だった。
 女官のようにこちらに色目をつかうこともなく、溌剌として無邪気。
 人買いに売られ、商人に手込めにされたような暗さなどかけらもみせない。
 それに惹かれた。
 そして宮廷で覚えた箏の音色に心を奪われる。
 箏がうまい女官であれば、ここは宮中、掃いて捨てるほどいるし、これまで何人もの箏の調べを聴いてきたが、その誰とも違っていた。
 平板なところに緩急を加え、飽きさせない。
 伝統ある曲を汚すと眉をひそめるものもいたが、英麟はそれが好きだった。
 皇帝と庶民上がりの女官。
 寝所に召し出すのは容易だろう。
 しかしそれではあまりに一方的だ。
 とても英麟の中にある気持ちを満足させられない。
 愛し愛されなければ意味がなかった。そう、蒼花が英麟のために奏でてくれる箏曲のような、皇帝がどれほど望んでも手に入れられない庶人の恋愛のように――。
 その想いの重なりがゆえに、蒼花が皇太后の悲しみにくれていることを宦官から聞かされ、胸中は激しい憎悪で燃えあがった。
 どうしてあんな女をそこまで大切に思う。
 あの女は、俺の母を殺した血も涙もない女だぞ。
 今でも覚えている。
 母は日に日にやつれていった時のことを。
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