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血のにおい
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近頃、城内には血の臭いがよくするようになった。
処刑された人々の死体は確かに片付けられているはずなのに。
鸞果は一人、数名の護衛に守られながら官庁街の一画にあてがわれた屋敷に住まう兄を訪ねようというところだった。
士忠は実質的な最高権力者になりながら、決して豪奢な屋敷や生活を望まず、大将軍次代とほとんど変わらぬ生活を送っていた。
変化はといえば民を苦しめる法を次々と英麟に裁可するよう強い、逆らう者を次々と殺すようになったことだ。
士忠の変質のはじまりは小さな綻びだった。
士忠を殺そうとした禁軍の兵士が襲いかかったが、あっさりとねじ伏せられた。士忠はその兵士を投獄せよという意味で臣下に任せたが、臣下は士忠の気持ちを勝手に忖度し、その兵士を殺した。
その際、市中は勝手なことをした臣下を処刑し、暗殺未遂の兵士もろとも処分するよう言い渡した。
それからだ。
士忠は厳しい規律を兵たちに要求し、罪を犯せば、片っ端から首を刎ね、自分の意にそぐわない臣下の首を次々とすげかえた。
城内は英麟の統治の頃とは比べものにならないくらい暗く沈んだ。
誰もが目を伏せ、同僚と話す時にもどこかよそよそしく何をするにも人の目を気にした。
実際、密告で職を逐われる者も出てきていた。
鳥の声に歩みをふと止めた。
見ると、城壁の上で磔に処された十数人の罪人の死体に鳥がたかっていた。
まるで悪夢のように無数の、逆光で黒々とした影が、舞う。
思わず襦の袖を鼻にあてた。
士忠の妹でもある自分にも死臭がつきまとっているのではないか――そう思ったのだ。
乱世は顔を歪め、足早に兄の屋敷を訪ねた。
護衛は出入り口に待たせ、家令に案内されて奥の部屋へ案内される。
「兄上……」
「鸞果か」
何十枚という書類と向き合っていた兄が顔をあげる。
「……っ」
鸞果は出そうになった悲鳴を辛うじて、こらえた。
見ないうちに異様な雰囲気になっていた。
頬が痩けているのに、目が妙にぎらぎらと輝いていた。
宮中で噂になるほどの白皙《はくせき》の将軍の面影はない。
「どうしたんだ、何か用か」
「……兄上。また、誰かを処刑したのですか。城壁に……」
「見せしめだ。あれは俺の暗殺を企てようとした。まだ禁軍の中には俺のやり方が気に入らない連中がごまんといるらしい」
「しかし、兄上は以前、無駄な血を流すのを厭うていたではありませんかっ」
「簡単なことだ。人は、死を恐れる。恐れは人を硬直させ、従わせる力がある。今はそれが必要な時だ」
「それでは、芳皇太后と一緒ではありませんか。私たちの両親を、叔母を殺した……」
士忠の目が鋭くなった。まるで獣のような獰猛な眼差しに鸞果は射竦められる。
「あんな女と一緒にするなっ!」
士忠は勢いよく立ち上がると鸞果に近づいて来た。
喰われる――。
そう反射的に思った。
「誓っただろう? 両親の仇を討つ、俺たちの人生をめちゃくちゃにしたこの国に復讐をすると……。忘れたわけではないだろう?」
鸞果は目を伏せる。
「……分かっています」
しかしどうしても、兄のしていることが正しいとは思えなかった。いや、きっとこれは兄との差なのだ。
鸞果は兄ほど、この国を恨んでもいないし、復讐を望んでもいないのだ。
誰にも追われることのない、兄との静かな暮らしさえ出来ればそれで良かった……。
確かに、兄に計画を教えられた時には協力しようという気持ちは確かにあった。兄がそれを望んでいるのならばそれを助けよう。
女の自分にしかできないやり方で。
兄が幼い自分を助けて逃げて、追っ手からかくまってくれたときのように。
しかし兄が具体的に何をするのかまでは想像はできなかった。
英麟を殺すのか、みずから皇帝につくのか。
しかし賢い兄であれば、どんな道を辿っても間違いはないはず――。
そう思った。
だが、こうしてことがなったと思えば、どうだ。
兄は民や臣下を次々と虐げはじめた。
兄は常にこの国を壊すためというが、それは民が苦しむことになるのと等号だ。
兄が追っ手を恐れるかつての自分たちのようなものたちを、たくさん作り上げようとしているだけのように想えてならなかった。
その時、
「――旦那様。将軍たちがいらっしゃいました、客庁(きゃくま)でお待ちです」
家令が告げてきた。
士忠は鸞果から視線をそらし、首肯した。
「鸞果、安心しろ。父上と母上の仇は私が討つ。約束する」
士忠は妹と心が通じ合っていると微塵も疑っていないかのようにその頬をそっと撫で、家令と共にを出て行った。
(兄上……)
鸞果は振り返るが、かける言葉を見つけられなかった。
※
蔡両の報告のなかで人が殺された話しをよく聞くようになった。
いつその刃が英麟に向かうのか、蒼花はそのことばかり考えてしまい、時には英麟が目の前で殺される悪夢にうなされ、汗をびっしょりとかいて飛び起きることもあった。
「――蒼花様?」
呼びかけられてはっと我に返る。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。ごめんなさい……」
「もう一度、説明を?」
「いいえ。大丈夫」
今、蔡両から英麟の監禁されている宣室殿の様子を聞いていたのだ。
そう、英麟を救う計画をこの数日間、少しずつ組み立てていた。
その結果、士忠による恐怖政治により、兵の士気は下がり、綱紀そのものがかなり緩んでいることを掴んだ。
そして、決行をする時期は明後日と決めた。
明後日は新月なのだ。
夜陰に乗じればきっと、うまくいくはずだ。
「……しかし、どうやってここから出るのですか?」
外にいる兵士を憚《はばか》り、蔡両は小声で言う。
「私に考えがあるわ」
蒼花は蔡両に、脱走に必要な手はずを耳打ちをした。
処刑された人々の死体は確かに片付けられているはずなのに。
鸞果は一人、数名の護衛に守られながら官庁街の一画にあてがわれた屋敷に住まう兄を訪ねようというところだった。
士忠は実質的な最高権力者になりながら、決して豪奢な屋敷や生活を望まず、大将軍次代とほとんど変わらぬ生活を送っていた。
変化はといえば民を苦しめる法を次々と英麟に裁可するよう強い、逆らう者を次々と殺すようになったことだ。
士忠の変質のはじまりは小さな綻びだった。
士忠を殺そうとした禁軍の兵士が襲いかかったが、あっさりとねじ伏せられた。士忠はその兵士を投獄せよという意味で臣下に任せたが、臣下は士忠の気持ちを勝手に忖度し、その兵士を殺した。
その際、市中は勝手なことをした臣下を処刑し、暗殺未遂の兵士もろとも処分するよう言い渡した。
それからだ。
士忠は厳しい規律を兵たちに要求し、罪を犯せば、片っ端から首を刎ね、自分の意にそぐわない臣下の首を次々とすげかえた。
城内は英麟の統治の頃とは比べものにならないくらい暗く沈んだ。
誰もが目を伏せ、同僚と話す時にもどこかよそよそしく何をするにも人の目を気にした。
実際、密告で職を逐われる者も出てきていた。
鳥の声に歩みをふと止めた。
見ると、城壁の上で磔に処された十数人の罪人の死体に鳥がたかっていた。
まるで悪夢のように無数の、逆光で黒々とした影が、舞う。
思わず襦の袖を鼻にあてた。
士忠の妹でもある自分にも死臭がつきまとっているのではないか――そう思ったのだ。
乱世は顔を歪め、足早に兄の屋敷を訪ねた。
護衛は出入り口に待たせ、家令に案内されて奥の部屋へ案内される。
「兄上……」
「鸞果か」
何十枚という書類と向き合っていた兄が顔をあげる。
「……っ」
鸞果は出そうになった悲鳴を辛うじて、こらえた。
見ないうちに異様な雰囲気になっていた。
頬が痩けているのに、目が妙にぎらぎらと輝いていた。
宮中で噂になるほどの白皙《はくせき》の将軍の面影はない。
「どうしたんだ、何か用か」
「……兄上。また、誰かを処刑したのですか。城壁に……」
「見せしめだ。あれは俺の暗殺を企てようとした。まだ禁軍の中には俺のやり方が気に入らない連中がごまんといるらしい」
「しかし、兄上は以前、無駄な血を流すのを厭うていたではありませんかっ」
「簡単なことだ。人は、死を恐れる。恐れは人を硬直させ、従わせる力がある。今はそれが必要な時だ」
「それでは、芳皇太后と一緒ではありませんか。私たちの両親を、叔母を殺した……」
士忠の目が鋭くなった。まるで獣のような獰猛な眼差しに鸞果は射竦められる。
「あんな女と一緒にするなっ!」
士忠は勢いよく立ち上がると鸞果に近づいて来た。
喰われる――。
そう反射的に思った。
「誓っただろう? 両親の仇を討つ、俺たちの人生をめちゃくちゃにしたこの国に復讐をすると……。忘れたわけではないだろう?」
鸞果は目を伏せる。
「……分かっています」
しかしどうしても、兄のしていることが正しいとは思えなかった。いや、きっとこれは兄との差なのだ。
鸞果は兄ほど、この国を恨んでもいないし、復讐を望んでもいないのだ。
誰にも追われることのない、兄との静かな暮らしさえ出来ればそれで良かった……。
確かに、兄に計画を教えられた時には協力しようという気持ちは確かにあった。兄がそれを望んでいるのならばそれを助けよう。
女の自分にしかできないやり方で。
兄が幼い自分を助けて逃げて、追っ手からかくまってくれたときのように。
しかし兄が具体的に何をするのかまでは想像はできなかった。
英麟を殺すのか、みずから皇帝につくのか。
しかし賢い兄であれば、どんな道を辿っても間違いはないはず――。
そう思った。
だが、こうしてことがなったと思えば、どうだ。
兄は民や臣下を次々と虐げはじめた。
兄は常にこの国を壊すためというが、それは民が苦しむことになるのと等号だ。
兄が追っ手を恐れるかつての自分たちのようなものたちを、たくさん作り上げようとしているだけのように想えてならなかった。
その時、
「――旦那様。将軍たちがいらっしゃいました、客庁(きゃくま)でお待ちです」
家令が告げてきた。
士忠は鸞果から視線をそらし、首肯した。
「鸞果、安心しろ。父上と母上の仇は私が討つ。約束する」
士忠は妹と心が通じ合っていると微塵も疑っていないかのようにその頬をそっと撫で、家令と共にを出て行った。
(兄上……)
鸞果は振り返るが、かける言葉を見つけられなかった。
※
蔡両の報告のなかで人が殺された話しをよく聞くようになった。
いつその刃が英麟に向かうのか、蒼花はそのことばかり考えてしまい、時には英麟が目の前で殺される悪夢にうなされ、汗をびっしょりとかいて飛び起きることもあった。
「――蒼花様?」
呼びかけられてはっと我に返る。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。ごめんなさい……」
「もう一度、説明を?」
「いいえ。大丈夫」
今、蔡両から英麟の監禁されている宣室殿の様子を聞いていたのだ。
そう、英麟を救う計画をこの数日間、少しずつ組み立てていた。
その結果、士忠による恐怖政治により、兵の士気は下がり、綱紀そのものがかなり緩んでいることを掴んだ。
そして、決行をする時期は明後日と決めた。
明後日は新月なのだ。
夜陰に乗じればきっと、うまくいくはずだ。
「……しかし、どうやってここから出るのですか?」
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