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拗れてく俺と拗れてるお前⑥
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「そういえば久賀はなにかサークルとかには入らないのか?」
四月中旬の木曜日。一日の講義が終わった後に学校の学習スペースで俺は大学に入ってからできた友人、同じ学科の久賀に問いかけた。
毎回授業のはじめに確認テストがある明日の必修科目に備えて勉強していた俺は。向かいに座る久賀がボールペンでノートを埋めきったところを見計らって声を掛けた。
「サークルに入る予定はない。バイトをする」
見た目からして寡黙な印象を受ける久賀は実際寡黙で無表情だった。
受け答えも簡潔でともすれば冷たい印象を受けるが、永瀬とも話ができるところを見ると久賀は賑やかな雰囲気は嫌いではないようだし受け答えが至極真面目なだけで話をするのは嫌いではなさそうだ。
そもそも美味しいものや甘いものに目がない時点で。俺からすれば面白いやつだった。
「なにか欲しいものでもあるのか」
久賀はいつも綺麗な身なりをしているので金に困っているわけではないだろう、と勝手に思った俺は問いかけ。久賀は男らしく整った顔を俺に向け、何を言おうか、何をどこまで伝えようか判断しようとするかのようにこちらを見つめた。
「大学に入れてくれた祖父母に負担をかけたくない……だから、バイトしながら勉強もして授業料免除を狙いたい」
短い沈黙の後、久賀は淡々とした口調でそう語る。
そういえば久賀は実家から通っていると言っていた。
もしかしなくてもこの大学を選んだ理由も家から近いという理由なのかもしれない。
両親は居ないのか、不仲なのか。
あっけらかんと訊けるほど自分たちはまだ仲が良くないので。俺はそっか、と曖昧な相槌を返した。
「そういうことなら協力するよ。過去問とか、そのまま出ることはあんまりないらしいけど傾向がわかると対策もしやすいしな」
バスケサークルを見学するうちに同じ学部の先輩とも仲良くなった。
教養科目は全学部共通なのでより集まりやすいだろう。
真面目な久賀はそういったことを嫌がるかと思ったけれど。ほんの僅か口の端を緩めてありがとう、と呟いた。
ふたりで向かい合って勉強していると、案の定視線を感じた。
誰に宛てられた視線かは考えるまでもない、と俺は考えながら駅ででも配られたのだろう、電気屋の名前の入ったボールペンでノートを埋める久賀をちらりと一瞥した。
久賀は佐野ほどではないがモテるのだ。
久賀は俺とそう身長が変わらないし。運動部に所属しているわけでもないのでがっしりとした体型でもないけれど。知的で落ち着いた雰囲気を纏っていて服装も上品で、なにより男らしく大人っぽい、絵に描きたくなるような端正な顔をしている。
「あの……久賀君、少しいいかな」
傍らから声が聞こえるのと。ぴたりと久賀の手が止まるのは、同時だった。
一文字を書く前に途切れた漢字を見た俺は内心ため息をつく。
久賀は几帳面で真面目だ。賑やかなことだって話をすることだって嫌いではない。
けれどなにより作業の邪魔をされるのを嫌うのだ。
これまで俺は何度も久賀が女の子の誘いを断るのを見てきた。
設問の答えをちょうど書き終えたときに声を掛けた子は『明日テストだからまた今度』と言ってもらえた。
句読点を打ったときに声を掛けた子は『いま勉強中なのですまない』と言われていた。
漢字を書き上げたところで声を掛けた子は『いまは集中したい』と眼を上げないまま返事をされ……漢字を書きあげる途中で声を掛けた子は。
「……邪魔だ」
短いのに息が詰まるように重い沈黙の後、静かに拒絶される。
それだけなら、鈍感だったり勝気な女の子の場合何か言い返してくるところだが。同時に目元にかかる前髪の影から投げられる、存在を否定されそうな眼差しを見た女の子はたいてい何も言えずに姿を消す。
そのせいだろう。久賀はモテるのに彼女がいそうな匂いがしない。
もったいないな、と思いながらも久賀の恋人になるような相手はきっと、久賀に惚れる相手ではなく、久賀が惚れた相手なのだろうなとなんとなくわかった。
久賀は、恋をしたことがあるのだろうか。
なんとなく一方的なシンパシーを感じるのは……恋をしたことがないか、しないようにしているように見えるからかもしれない。
「あ、宇野じゃーん」
「やかましい」
そんなことを考えていると鞄を持った永瀬が現れた。
反射的に声を上げると『ちゃんと声絞ってるもん』と永瀬が不貞腐れたように唇を突き出す。
「そうだなごめん。つい反射的に……動きがうるさくて」
「ひっでぇー……わぁん久賀くーん、宇野くんが意地悪するよぅ」
「やめろ」
いつもの調子で永瀬が久賀の背後に回り込むけれど。久賀の言葉は簡潔かつ取り付く島もない。けれど先ほどの女子のあしらい方を見ていると優しく思えてくる。
そう思いながら俺は久賀の手元を一瞥し。設問の答えが書き綴られ。ノートのページの端まで文字が埋められている状態であることを見て。永瀬がついているのか、それとも永瀬が声を掛けるタイミングをある程度はかっていたのか、どちらだろうか、と。答えの出ないことを考えた。
そうして三人で勉強した後は夕食を食べようということになったのだが。永瀬は恋人との約束があるといって片目をぱちんとつぶって退散し。バイトをして節約している様子の久賀を見て、金銭的に外食は嫌かもしれないと思った俺はアパートで料理をふるまうことにした。
恐縮する久賀に今度原料持ってきてくれたらいいからと冗談で言ったら真面目な顔をして頷いていたので、とりなす羽目になった。
そんなこんなでいま、部屋には久賀がいる。
久賀は家でも料理を手伝っているのだろう。
佐野も父子家庭なのである程度料理はできるが久賀はより手際が良かった。
ちなみに永瀬は料理がからっきしだめだ。包丁を持たせてはいけない人間に分類される。
『彼女が作ってくれるからいいんですぅー』なんていうので何とは言わないが削いでやろうかと思ったものだが。なぜかお菓子作りだけはとんでもなくうまいのでつくづく不可解な男だ。
祖父母と暮らしているので、あまり洋食を食べたことがないという久賀のために今日は洋風の献立だ。
ちなみに家に帰れば夕食が用意されているだろうと思って大丈夫だったのかと訊いたら今日は自治会の寄り合いがあるので問題ないという答えが返ってきた。
洋食の中でも何か食べたいものがあるか訊いたら目を泳がせた後、遠慮がちな小さな声で『オムライス』という言葉が返ってきて。うっかりかわいいとか思ってしまったのは内緒だ。
そんなこんなで俺は飴色になるまで玉葱を炒め、こんがり焼いた鶏肉に下味をつけ。炊きたての米とケチャップを惜しみなく使ってチキンライスを作った。久賀が玉葱を飴色にしてくれている間にスープとサラダの用意をして。卵の用意もした。
腕前とフライパンの問題でチキンライスをきれいに包むオムライスは作れなかったので。大きなオムレツを作って皿によそったチキンライスの上にのせてナイフで切って広げるタイプのオムライスを作ると。久賀は普段涼やかな印象の眼を幼い子供のように見開いてその様を見ていた。
久賀はとても喜んでいる様子なのにいつも以上に言葉少なで。仕上げに卵の上にケチャップを軽く絞って完成させ、コンソメスープとシーザーサラダで食事を始めても黙り込んで夕食を堪能しているばかりだった。
もしかすると少々複雑な思い出があるのかもしれないと思った俺は特に何もつつかずにおいしくできたオムライスを堪能した。
「今日は誘ってくれて、ありがとう」
食事を終えて、並んで食器を洗っている時、久賀は俺をじっと見つめながら静かにお礼を言った。
どこか噛みしめるような口調と凪いだ湖面を思わせる目と目が合って。若干の既視感を感じながら俺はどういたしまして、と笑った。
「ひとりじゃ料理も面倒だから、今後も都合のいい日があったら、付き合って」
そう、笑いながら口にした提案は悪くないものに思えた。
出会って半月だが久賀と話すのは心が落ち着くし。料理ができるので料理の支度がとても楽だ。久賀が実家暮らしでなければ頻繁に料理を作りあえたのにな、と秘かに残念だったけれどそれは個人の事情なのでそう思っていることは出さないように心がける。
「そんなことを言われたら甘えてしまいそうだ」
けれど気持ちは若干声に乗ってしまったのかもしれない。
久賀が淡く微笑んでそんなことを言う。
「甘えていいよ。勿論、手伝ってもらうし割り勘か原料持ち込みにするけど」
そして俺がフォークを洗い流し、乾燥棚に乗せた時。インターホンが鳴った。
荷物が届く予定はないが、こんな時間に誰だろう、と思いながら俺は玄関の方を見ながら乾燥棚から手を引き。その拍子に斜めに立てかけていた菜箸に手をぶつけてしまった。
あっと思ったときにはもう遅くて。崩れた菜箸が乾燥棚の中で転がり、メインで使う二枚の白い皿が傾く。
それを見た俺は咄嗟に手を伸ばして皿を掴むが。乾燥棚が揺れた拍子にグラスがふたつ、転がりそうになる。
久賀もそれを見て慌てたのだろう、状況を忘れて見惚れてしまいそうな惚れ惚れとするほどの反応速度で俺のすぐ後ろに滑り込むようにして乾燥棚に手を伸ばしてグラスを支えた。
「わっ」
だがまさか久賀がすぐ後ろに来るとは思わなくて。俺は驚いて前傾姿勢から体勢を崩す。
傾いだ俺の体勢にすぐ気づいた久賀は後ろから胸に手を回し、抱くようにして俺の体を支え。ぐっと胸板に腕を回された俺はここ最近敏感になってしまった乳首を久賀に押しつぶされて漏れそうになった吐息を喉奥に押し込めた。
間違ってもできたばかりの大学の友人に変態であることがバレないように、俺は必死で平静さを保ち。一方の久賀は、そんな俺の異変になど気づかずに片腕で俺の体を支えながら乾燥棚の中の食器を並べなおしている。
「悪い……」
いまのは完全に俺が悪かった、と思いながら謝るといや、と久賀が首を振り。思い出したようにちらりと玄関のドアを一瞥する。
来客が来ていたことを思い出した俺は慌てて玄関に行き。ドアを開けるとそこには走り込みをしていた様子の佐野がいた。
「ごめん、明かりが点いてたから顔、見たくなって」
いつもの調子で声を掛けてくる佐野の顔を、なぜかまっすぐ見られなくて。俺はぎこちなくなっていないだろうかと思いながら佐野を家に入れた。
そんな妙な態度をとってしまったからだろう。佐野に探るような眼を向けられて。俺は生きた心地がしなかった。
「あぁ、友達来てたんだ……ごめん」
幸い、何も変な部分はなかったのか、台所に立って洗い物の続きをしている久賀を見た佐野がそういって詫びてくれる。
「いや、飯を一緒に食ってただけだから……同じ学科の久賀っていうんだ。久賀、こいつは俺と中学高校で同じバスケ部だった佐野」
「宇野とは中学からずっと一緒だったんだ。宜しく、久賀君」
「あぁ、宜しく」
佐野は誰に対しても人当たりが良いし、久賀は無口だが真面目で好感が持てる男だ。
モテる男同士、気が合うだろうと思っているとなぜか佐野が玄関のドアを閉める俺の後ろ襟を引いて、整えてくれる。
先ほど体勢を崩したときに乱れていたのか、と思いながら俺は洗い物の最後の仕上げをしてくれた久賀にありがとな、と声を掛け。久賀は手をタオルで拭いながらなぜか俺の後ろに立つ佐野を軽く見上げてあぁ、と低い声で頷いた。
「茶、すぐ用意するから待ってて」
「わかった」
「オレは手伝うよ」
俺がそういうと久賀は素直に頷いて部屋に向かったけれど佐野は何故か台所に残ろうとし。俺はすぐ行くから、と微苦笑を浮かべて佐野を促した。
佐野は素直に部屋に行き、俺は茶だけというのも味気ないかと思いながらもトレーニング中の佐野に余計なものを食べさせるのもどうかと思って。ささやかな贅沢に買い置きしているオレンジを切って皿に盛りつけた。
そうして部屋に向かうと佐野と久賀は案の定、気が合う話題があったのか佐野が盛んに話をしていて。何の話なのかと耳を傾けてみると古い映画の話だった。
映画には疎い俺がその映画を知らないと知るや否や、二人は……佐野はともかく久賀までもが人生で一度は見るべきだといって何故か今度三人で映画を見ることになった。
午後九時を過ぎたところでそろそろ帰らないと心配をかけるからと言って久賀が家に帰り。佐野は穏やかな笑顔でその背中を見送っていたけれど。俺がお前もそろそろ帰るか、と問い掛けようとしたのをまるで見透かしたかのようにドアを閉めて、鍵を掛けた。
四月中旬の木曜日。一日の講義が終わった後に学校の学習スペースで俺は大学に入ってからできた友人、同じ学科の久賀に問いかけた。
毎回授業のはじめに確認テストがある明日の必修科目に備えて勉強していた俺は。向かいに座る久賀がボールペンでノートを埋めきったところを見計らって声を掛けた。
「サークルに入る予定はない。バイトをする」
見た目からして寡黙な印象を受ける久賀は実際寡黙で無表情だった。
受け答えも簡潔でともすれば冷たい印象を受けるが、永瀬とも話ができるところを見ると久賀は賑やかな雰囲気は嫌いではないようだし受け答えが至極真面目なだけで話をするのは嫌いではなさそうだ。
そもそも美味しいものや甘いものに目がない時点で。俺からすれば面白いやつだった。
「なにか欲しいものでもあるのか」
久賀はいつも綺麗な身なりをしているので金に困っているわけではないだろう、と勝手に思った俺は問いかけ。久賀は男らしく整った顔を俺に向け、何を言おうか、何をどこまで伝えようか判断しようとするかのようにこちらを見つめた。
「大学に入れてくれた祖父母に負担をかけたくない……だから、バイトしながら勉強もして授業料免除を狙いたい」
短い沈黙の後、久賀は淡々とした口調でそう語る。
そういえば久賀は実家から通っていると言っていた。
もしかしなくてもこの大学を選んだ理由も家から近いという理由なのかもしれない。
両親は居ないのか、不仲なのか。
あっけらかんと訊けるほど自分たちはまだ仲が良くないので。俺はそっか、と曖昧な相槌を返した。
「そういうことなら協力するよ。過去問とか、そのまま出ることはあんまりないらしいけど傾向がわかると対策もしやすいしな」
バスケサークルを見学するうちに同じ学部の先輩とも仲良くなった。
教養科目は全学部共通なのでより集まりやすいだろう。
真面目な久賀はそういったことを嫌がるかと思ったけれど。ほんの僅か口の端を緩めてありがとう、と呟いた。
ふたりで向かい合って勉強していると、案の定視線を感じた。
誰に宛てられた視線かは考えるまでもない、と俺は考えながら駅ででも配られたのだろう、電気屋の名前の入ったボールペンでノートを埋める久賀をちらりと一瞥した。
久賀は佐野ほどではないがモテるのだ。
久賀は俺とそう身長が変わらないし。運動部に所属しているわけでもないのでがっしりとした体型でもないけれど。知的で落ち着いた雰囲気を纏っていて服装も上品で、なにより男らしく大人っぽい、絵に描きたくなるような端正な顔をしている。
「あの……久賀君、少しいいかな」
傍らから声が聞こえるのと。ぴたりと久賀の手が止まるのは、同時だった。
一文字を書く前に途切れた漢字を見た俺は内心ため息をつく。
久賀は几帳面で真面目だ。賑やかなことだって話をすることだって嫌いではない。
けれどなにより作業の邪魔をされるのを嫌うのだ。
これまで俺は何度も久賀が女の子の誘いを断るのを見てきた。
設問の答えをちょうど書き終えたときに声を掛けた子は『明日テストだからまた今度』と言ってもらえた。
句読点を打ったときに声を掛けた子は『いま勉強中なのですまない』と言われていた。
漢字を書き上げたところで声を掛けた子は『いまは集中したい』と眼を上げないまま返事をされ……漢字を書きあげる途中で声を掛けた子は。
「……邪魔だ」
短いのに息が詰まるように重い沈黙の後、静かに拒絶される。
それだけなら、鈍感だったり勝気な女の子の場合何か言い返してくるところだが。同時に目元にかかる前髪の影から投げられる、存在を否定されそうな眼差しを見た女の子はたいてい何も言えずに姿を消す。
そのせいだろう。久賀はモテるのに彼女がいそうな匂いがしない。
もったいないな、と思いながらも久賀の恋人になるような相手はきっと、久賀に惚れる相手ではなく、久賀が惚れた相手なのだろうなとなんとなくわかった。
久賀は、恋をしたことがあるのだろうか。
なんとなく一方的なシンパシーを感じるのは……恋をしたことがないか、しないようにしているように見えるからかもしれない。
「あ、宇野じゃーん」
「やかましい」
そんなことを考えていると鞄を持った永瀬が現れた。
反射的に声を上げると『ちゃんと声絞ってるもん』と永瀬が不貞腐れたように唇を突き出す。
「そうだなごめん。つい反射的に……動きがうるさくて」
「ひっでぇー……わぁん久賀くーん、宇野くんが意地悪するよぅ」
「やめろ」
いつもの調子で永瀬が久賀の背後に回り込むけれど。久賀の言葉は簡潔かつ取り付く島もない。けれど先ほどの女子のあしらい方を見ていると優しく思えてくる。
そう思いながら俺は久賀の手元を一瞥し。設問の答えが書き綴られ。ノートのページの端まで文字が埋められている状態であることを見て。永瀬がついているのか、それとも永瀬が声を掛けるタイミングをある程度はかっていたのか、どちらだろうか、と。答えの出ないことを考えた。
そうして三人で勉強した後は夕食を食べようということになったのだが。永瀬は恋人との約束があるといって片目をぱちんとつぶって退散し。バイトをして節約している様子の久賀を見て、金銭的に外食は嫌かもしれないと思った俺はアパートで料理をふるまうことにした。
恐縮する久賀に今度原料持ってきてくれたらいいからと冗談で言ったら真面目な顔をして頷いていたので、とりなす羽目になった。
そんなこんなでいま、部屋には久賀がいる。
久賀は家でも料理を手伝っているのだろう。
佐野も父子家庭なのである程度料理はできるが久賀はより手際が良かった。
ちなみに永瀬は料理がからっきしだめだ。包丁を持たせてはいけない人間に分類される。
『彼女が作ってくれるからいいんですぅー』なんていうので何とは言わないが削いでやろうかと思ったものだが。なぜかお菓子作りだけはとんでもなくうまいのでつくづく不可解な男だ。
祖父母と暮らしているので、あまり洋食を食べたことがないという久賀のために今日は洋風の献立だ。
ちなみに家に帰れば夕食が用意されているだろうと思って大丈夫だったのかと訊いたら今日は自治会の寄り合いがあるので問題ないという答えが返ってきた。
洋食の中でも何か食べたいものがあるか訊いたら目を泳がせた後、遠慮がちな小さな声で『オムライス』という言葉が返ってきて。うっかりかわいいとか思ってしまったのは内緒だ。
そんなこんなで俺は飴色になるまで玉葱を炒め、こんがり焼いた鶏肉に下味をつけ。炊きたての米とケチャップを惜しみなく使ってチキンライスを作った。久賀が玉葱を飴色にしてくれている間にスープとサラダの用意をして。卵の用意もした。
腕前とフライパンの問題でチキンライスをきれいに包むオムライスは作れなかったので。大きなオムレツを作って皿によそったチキンライスの上にのせてナイフで切って広げるタイプのオムライスを作ると。久賀は普段涼やかな印象の眼を幼い子供のように見開いてその様を見ていた。
久賀はとても喜んでいる様子なのにいつも以上に言葉少なで。仕上げに卵の上にケチャップを軽く絞って完成させ、コンソメスープとシーザーサラダで食事を始めても黙り込んで夕食を堪能しているばかりだった。
もしかすると少々複雑な思い出があるのかもしれないと思った俺は特に何もつつかずにおいしくできたオムライスを堪能した。
「今日は誘ってくれて、ありがとう」
食事を終えて、並んで食器を洗っている時、久賀は俺をじっと見つめながら静かにお礼を言った。
どこか噛みしめるような口調と凪いだ湖面を思わせる目と目が合って。若干の既視感を感じながら俺はどういたしまして、と笑った。
「ひとりじゃ料理も面倒だから、今後も都合のいい日があったら、付き合って」
そう、笑いながら口にした提案は悪くないものに思えた。
出会って半月だが久賀と話すのは心が落ち着くし。料理ができるので料理の支度がとても楽だ。久賀が実家暮らしでなければ頻繁に料理を作りあえたのにな、と秘かに残念だったけれどそれは個人の事情なのでそう思っていることは出さないように心がける。
「そんなことを言われたら甘えてしまいそうだ」
けれど気持ちは若干声に乗ってしまったのかもしれない。
久賀が淡く微笑んでそんなことを言う。
「甘えていいよ。勿論、手伝ってもらうし割り勘か原料持ち込みにするけど」
そして俺がフォークを洗い流し、乾燥棚に乗せた時。インターホンが鳴った。
荷物が届く予定はないが、こんな時間に誰だろう、と思いながら俺は玄関の方を見ながら乾燥棚から手を引き。その拍子に斜めに立てかけていた菜箸に手をぶつけてしまった。
あっと思ったときにはもう遅くて。崩れた菜箸が乾燥棚の中で転がり、メインで使う二枚の白い皿が傾く。
それを見た俺は咄嗟に手を伸ばして皿を掴むが。乾燥棚が揺れた拍子にグラスがふたつ、転がりそうになる。
久賀もそれを見て慌てたのだろう、状況を忘れて見惚れてしまいそうな惚れ惚れとするほどの反応速度で俺のすぐ後ろに滑り込むようにして乾燥棚に手を伸ばしてグラスを支えた。
「わっ」
だがまさか久賀がすぐ後ろに来るとは思わなくて。俺は驚いて前傾姿勢から体勢を崩す。
傾いだ俺の体勢にすぐ気づいた久賀は後ろから胸に手を回し、抱くようにして俺の体を支え。ぐっと胸板に腕を回された俺はここ最近敏感になってしまった乳首を久賀に押しつぶされて漏れそうになった吐息を喉奥に押し込めた。
間違ってもできたばかりの大学の友人に変態であることがバレないように、俺は必死で平静さを保ち。一方の久賀は、そんな俺の異変になど気づかずに片腕で俺の体を支えながら乾燥棚の中の食器を並べなおしている。
「悪い……」
いまのは完全に俺が悪かった、と思いながら謝るといや、と久賀が首を振り。思い出したようにちらりと玄関のドアを一瞥する。
来客が来ていたことを思い出した俺は慌てて玄関に行き。ドアを開けるとそこには走り込みをしていた様子の佐野がいた。
「ごめん、明かりが点いてたから顔、見たくなって」
いつもの調子で声を掛けてくる佐野の顔を、なぜかまっすぐ見られなくて。俺はぎこちなくなっていないだろうかと思いながら佐野を家に入れた。
そんな妙な態度をとってしまったからだろう。佐野に探るような眼を向けられて。俺は生きた心地がしなかった。
「あぁ、友達来てたんだ……ごめん」
幸い、何も変な部分はなかったのか、台所に立って洗い物の続きをしている久賀を見た佐野がそういって詫びてくれる。
「いや、飯を一緒に食ってただけだから……同じ学科の久賀っていうんだ。久賀、こいつは俺と中学高校で同じバスケ部だった佐野」
「宇野とは中学からずっと一緒だったんだ。宜しく、久賀君」
「あぁ、宜しく」
佐野は誰に対しても人当たりが良いし、久賀は無口だが真面目で好感が持てる男だ。
モテる男同士、気が合うだろうと思っているとなぜか佐野が玄関のドアを閉める俺の後ろ襟を引いて、整えてくれる。
先ほど体勢を崩したときに乱れていたのか、と思いながら俺は洗い物の最後の仕上げをしてくれた久賀にありがとな、と声を掛け。久賀は手をタオルで拭いながらなぜか俺の後ろに立つ佐野を軽く見上げてあぁ、と低い声で頷いた。
「茶、すぐ用意するから待ってて」
「わかった」
「オレは手伝うよ」
俺がそういうと久賀は素直に頷いて部屋に向かったけれど佐野は何故か台所に残ろうとし。俺はすぐ行くから、と微苦笑を浮かべて佐野を促した。
佐野は素直に部屋に行き、俺は茶だけというのも味気ないかと思いながらもトレーニング中の佐野に余計なものを食べさせるのもどうかと思って。ささやかな贅沢に買い置きしているオレンジを切って皿に盛りつけた。
そうして部屋に向かうと佐野と久賀は案の定、気が合う話題があったのか佐野が盛んに話をしていて。何の話なのかと耳を傾けてみると古い映画の話だった。
映画には疎い俺がその映画を知らないと知るや否や、二人は……佐野はともかく久賀までもが人生で一度は見るべきだといって何故か今度三人で映画を見ることになった。
午後九時を過ぎたところでそろそろ帰らないと心配をかけるからと言って久賀が家に帰り。佐野は穏やかな笑顔でその背中を見送っていたけれど。俺がお前もそろそろ帰るか、と問い掛けようとしたのをまるで見透かしたかのようにドアを閉めて、鍵を掛けた。
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