カーバンクル奮闘記~クラス丸ごと荒れ果てた異世界に召喚されました~

八百十三

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第3章 魔法

第26話 見えた光

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 変身させてもらってから、ラーシュやクート、助手の三人やその使い魔達と雑談をして、二時間くらいが経った頃だろうか。
 急に、本当に急に俺は言い知れぬ不安に襲われて、レオンのシャツの襟元えりもとをぎゅっと握りしめてすがった。

「んぅ……れおん」
「ニル?」

 不安そうに服を握り締め、顔を胸に寄せてくる俺に、レオンが怪訝そうな声をかけてくる。
 そんな主人を見上げながら、俺は目を潤ませて必死に呼びかけた。

「れおん、おれは……ここにいるか? ちゃんといるか?」
「突然何を――」

 俺の発した、ともすれば当たり前のことを言うな、と一笑に付されそうな言葉。
 それを聞いてますますきょとんとなるレオンだが、それより早く動き出したのはラーシュだった。レオンにしがみつく俺の顔を両手で挟んで、ぐっと自分の方に向けさせる。

「レオン、待って。ニル、こっちを向いて、僕の目を見るんだ」
「らーしゅ?」

 突然顔を別の方に向けられた俺が、目の端に涙を溜めながらラーシュを見つめる。そんな俺の目をまっすぐに見て、ぐっと顔を近づけながら、彼は早口でまくし立ててきた。

「いいかい、君は間違いなくシトリンカーバンクルだ。よく思い出してごらん、君はレオンの右肩の上に乗って、ここにやって来た。そうだろう?」
「あ……うう……」

 その強い口調の言葉を聞いて、圧倒されながら言葉を漏らす。ラーシュを見つめたまま、俺の身体の震えが徐々に止まっていく。
 それを確認した彼が、俺の額に向けて手をかざした。

「よし、そのまま。動かないで……」

 彼が言葉を発しながら目を閉じると、その手のひらから俺に向かって魔力が流れ込んできた。魔力式が動作し、俺の身体が再び光に包まれる。
 そして程なくして、俺の身体は再び小さくなり、元のシトリンカーバンクルへと戻っていた。

「キュ……アウ……(う……あ……)」
「変化が……解けた? ラーシュ様、今のは」

 元の姿に戻り、レオンの膝の上で縮こまる俺。そんな俺に恐る恐る手を伸ばしたレオンが、状況を飲み込み切れないままにラーシュに問いかけると、彼はゆるゆると頭を振った。

「限界が来たみたいだ。やっぱり、他人を無理やり変化させると、精神への負担が大きいね。こっちで解除させてもらったよ」

 彼はそう言って、小さく震える俺の身体を見つめた。
 視線は感じるが、怖さが先行して顔を上げられない。自分の身体に顔を埋めるので、俺は精一杯だった。そんな俺の耳に、ラーシュの説明する声が聞こえる。

「変化に慣れていないと、今みたいに存在の『揺らぎ』が起こるんだ。自分は誰なのか、本当にこの場にいるのか、どうしてこの場にいるのか……そう言った情報が正確に認識できなくなる……その結果、さっきみたいに強烈な不安に襲われる」

 彼曰く、元々変化魔法は自分の存在と言うものが危うくなるため、精神に負担がかかる魔法なのだそうだ。それが他人の手によって為されるために、自分自身に魔法をかけるよりも負担が大きいのだという。
 なるほど、道理で。確かに先程のは、俺と言う生き物の在り方が、さっぱり分からなくなる感覚だった。

『レオン……俺、怖かった……俺が俺じゃなかったみたいだ……』
『ニル……もう、大丈夫だ』

 レオンに念話を飛ばしながら、俺は彼の体温を感じられるように顔を擦り付ける。こうしていると本当に小動物のようだろうが、それが一番安心できる以上、しょうがない。
 ラーシュの手が、俺へと伸びる。俺の頭を優しく撫でながら、彼は言った。

「大丈夫かい、ニル? 怖かったね」
『ラーシュ……』

 穏やかな声色で俺の頭の毛並みを撫でるラーシュに、念話で返事を返す。温かく、優しい。その手つきは本当に心が安らいでいくものだ。
 撫でる手を止めないまま、彼は俺へと語り掛けた。

「分かったかい? あれが、変化するってことだ。変化する前の自分のことをしっかり認識し、保っていないと、容易く心が壊れてしまう。だから、難しいんだ。変化する前のことをすっぱり忘れられる転生魔法パティヤなら、こういうことにはならない……まぁ、忘れても支障がないだけで記憶には残るから、どの道ダメージは負うけどね」
『そうか……そうだよな……』

 その優しくも厳しい言葉に、俺は魔法の難しさと、恐ろしさを実感する。
 自分が自分でなくなる魔法が、これほど精神にダメージを与えることになるとは。それは、魔物化が刑罰として成立しうるわけだ。あとで元の姿に戻れる変化魔法ですら、ここまで心に来るのだから。
 俺の身体の震えが徐々に収まるのを見て、ラーシュがふっと息を吐く。そして俺の額に埋まった魔石を指先で撫でた彼が、柔らかく笑いながら言った。

「とりあえず、感覚はいくらか掴めたと思う。あとは変化を維持する練習と、自力で変化できるように練習して行こう。他の皆とも協力していけば、君ならすぐに習得できるはずだ」
『……分かった』

 その言葉に、こくりと頷く。変身する、という感覚は掴めた。あとは変身する過程の感覚と、変身した後の感覚を、なぞっていけばイメージが出来そうだ。
 気づけばもうとっぷりと日が暮れて、研究室の窓から二つの月が空高く昇っているのが見えた。時刻的には、夜中に差し掛かっているだろう。

「うん。さて、そろそろ夜も遅い。今日はこの辺で終わりにしよう。明日また、レオンと一緒にここにおいで」
『ああ……ありがとう、ラーシュ、クートも』
「ありがとうございます、皆」

 彼の言葉に頷いて、研究班の面々に視線を向けながらレオンが立ち上がった。
 フォンスも、マティルダも、パウリーナも、揃ってこちらに笑顔を向けながら言葉を投げてくれる。

「うん、頑張っていこうね、ニル」
「あんたならきっとうまくやれるわ、自分をしっかり持ってね!」
楽園パラディーサヤで自由を得ること……あの、応援してます、私も」

 三人の応援の言葉に、勇気づけられて。そこからラーシュとクートに目を向ければ、一人と一匹がこくりと頷いて。クートが自分の胸に手を当てながら、しっかと答えた。

「はい、一緒に頑張っていきましょう、ニル。僕も出来る限り協力します」
『ありがとう……よろしく頼む』

 クートの優しい言葉に、俺も小さく頷きを返す。やり取りが済んだことを確認したラーシュが、くるりとこちらに背を向けた。そのまま、研究室の外に向かって足を進める。

「じゃ、研究棟の外まで送るよ。おいで、二人とも」

 彼の言葉に従って、俺とレオンは研究室を後にした。
 そこから、ラーシュの後について昇降機に乗り、下の階についたら渡り廊下に出て、『正義の壁』の前まで来て。
 そして研究棟の外に出るために結界を解く……と言うところで。ラーシュがふと、足を止めて俺を見た。

「ニル……いや、ニラノ・タイセイ」
『うん?』

 真剣な声色で、敢えて俺の本来の名前で、呼びかけてくるラーシュ。何事か、と顔を上げると、彼は笑顔を消して、真っすぐに俺を見ながら口を開いた。

「君には、まだまだ君の知らない秘密があるはずだ。封印解除の魔力式のこと、君の人格にかけられた保護のこと、君の変化させられた元の肉体が内包していた魔力式のこと……君の『』のこと」

 彼の言葉に、俺は目を見張る。
 確かに、俺自身には分からないことが、まだまだある。どうしてディーデリックの手を以てしても人格を消されなかったのか。どうして俺の身体が変化した魔石には、封印解除の魔力式が内包されているのか。
 それはきっと、魔法の専門家であるラーシュにもすぐには分からないことなのだろう。分からないからこそ、彼は俺に手を貸してくれているのだろう。

『ラーシュには、俺は、そんなに秘密を抱えているように見えるのか?』
「うん。どう見ても不可解なんだ、君の魔力式の動きも、魔力の動きも。絶対に何か、君には君の知らない真実が隠されていると見ている」

 俺の疑問の声にも頷きながら、彼は話す。結界の中、研究棟の中だからこそ、あけすけに、隠さずに。
 そして、そこまで話して。彼はもう一度、俺の頭を優しく撫でた。

「でもね、ニラノ。その秘密が、その真実こそが、きっと君を生かし、君を唯一無二の存在へと押し上げた。ディーデリック老の魔法すらも跳ね除けた。君はきっと、君自身が思っているほど、取るに足らない人間じゃないはずなんだ」

 きっと、とは言っているものの、ラーシュの言葉には力が籠もっていた。彼自身、ある程度の確信は出来ているのだろう。
 俺の持つ『秘密』とやらが、俺の人格を守り、ディーデリックの魔法から守った。そして、俺に仲間を救う力を与えた。
 それはきっと、俺以外には出来ないことなのだ。

『……ラーシュ』
「……ラーシュ様」

 思わず思念が漏れる。レオンも言葉が漏れたようだ。ほぼ同時に、ラーシュ・シェルの名前を呼ぶ。
 第四席を戴く、「薄明の旅団」随一の研究者は、俺達二人を見つめて、力強く頷いた。

「だから、ニラノも、レオンも。君達は強硬派に屈しちゃならない。屈しそうになったら僕や、カトーや、カスペルを目一杯頼っていい。僕達は君達の力になる。君達が楽園パラディーサヤに到った時、自由を手にすることが出来るように力を尽くす」

 そう話しながら、彼は身を起こす。俺の頭から手を放して、右手を握って胸に当てる……敬礼の姿勢を取って、宣言する。
 彼の取り得る最大級の敬意を俺達に示しながら、ラーシュが笑った。

「僕達はもう、志を共にする仲間なんだ……そうだろ?」

 その言葉に、胸の内から熱いものが込み上げてくる思いがあった。
 この男は、思っていたよりもずっと、大人で、熱意に溢れていて、優しい人物だ。今ならそう思える。
 レオンが俺の身体を、自分の左肩へと移す。そうして両手を空けてから、彼も自分の左胸に、握った拳を押し当てた。

「……ありがとう、ございます」
「ア……アイ、アト」
「んん?」

 俺も、鳴くしかできない魔物の喉を何とか動かし、礼の言葉らしいものをひねり出す。先程の変化魔法でヴァグヤ語の発声はいくらか練習できた。それっぽく言えた気もするが、まぁ、犬や猫が人間の言葉を真似るのと大差ないだろう。
 とはいえレオンもラーシュも、俺のこの行動は予想外だったようで。目を見開きながら次々俺の身体をつつき始めた。

「おいニル、お前、シトリンカーバンクルの状態でもヴァグヤ語喋れるなんて聞いていないぞ」
『俺だって知るもんか、というか今のは喋った判定になるのかよ』
「いや、レオン、気持ちは分かる。気持ちは分かるけどさ。今のを喋ったと認めるのは無理があるよ。それっぽく聞こえただけだよ」

 結界の内側の廊下で再び言葉を交わし合うレオン、ラーシュ、俺。
 思っていた以上に濃密で、内容の濃い夜を過ごした俺達は、今から明日の朝が待ち遠しくて仕方なくなりながら、その一日を終えるのだった。
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