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第一章 出立

第十五話 旅立ち

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 そこからしばらくレミと雑談をして、場がいくぶんか温まったところで。部屋にかけられた時計が三時の鐘を鳴らした。随分と話し込んでしまったらしい。

「ところで、ラッパラン先生は市内の方ですのでともかく、お二人は今後どのようなご予定で」

 レミがマルクスに問いかけると、彼は二杯目のお茶を飲み干してから息を吐き、口を開いた。

「そろそろエクルンドを離れて別の場所に行こうかな、と思っているところです」
「随分市内を堪能させてもろうたからのう。そろそろ旅立ち時じゃろう」

 オーケビョルンもそれに同調しながら頷く。確かにエクルンド市に二日も滞在したのだ。観光としては十分、創作の刺激を得るにしても十分だろう。加えてオーケビョルンは、陽が落ちたら飛べなくなるという問題が出てくる。
 レミもこれ以上引き止めるつもりはないらしい。頷いてオーケビョルンに手を差し出してきた。

「かしこまりました、最近は暑い日が続いております故、どうぞ体調にはお気をつけて旅をされてください」
「ありがとう」

 レミの手を握り、握手を交わすオーケビョルン。それを見ながら、サビーヌが嬉しそうな表情をしてマルクスに声をかけた。

「よかったですね、オーケビョルン先生、マルクス先生」
「ああ、これで一先ずの目標は達成できた」

 マルクスも満足した様子で頷く。市内の観光をして、詩を詠んで、句碑を設置する手はずも整えた。十分に実りのある二日間だったと言えるだろう。
 挨拶を交わして、市庁舎を後にする三人だ。向かう先はもちろんのこと、海沿いにあるドラゴンの離着陸場である。

「離着陸場から飛び立つとして、どこに向かおうかのう」

 離着陸場への道を歩きながら、顎髭を撫でつつオーケビョルンが零す。それに視線を返しながら、マルクスが指を一本立てた。

「さしあたって、海岸沿いを西に行ってみるかい? 海の上を飛べば違う景色も見えるだろう」
「いいのう」

 その指が西側、エクルンド市を取り囲む城壁を越えて更に西の方に向けられる。エクルンド市の西側の海岸線は複雑に入り組んでおり、波も非常に高い。東側に比べて荒れることの多い場所だが、それ故に絶景が広がっているのだ。
 同調するオーケビョルンを見ながら、サビーヌがうんうんと頷いた。大陸の海岸線を西に進み、アールグレーン王国の方に向かうルートだ。海岸線も見目に楽しく、風光明媚な地域としてよく知られている。
 そうこうするうちに離着陸場に到着する三人だ。離陸の手続きを行い、料金を払って離陸フロアへ。サビーヌとはここでお別れだ。
 ラウンジで二人を見送るサビーヌが、大きく手を振る。

「ここまでありがとうございました。お二人共、お気をつけて!」
「ありがとう、サビーヌ先生」
「長々とお付き合いくださり、感謝いたしますのじゃ」

 マルクスも、オーケビョルンも、サビーヌに感謝の意を述べながらラウンジの出口に進んでいく。それと一緒に館内に、魔法拡声による放送が鳴り響いた。

「オーケビョルン・ド・スヴェドボリ様、マルクス・ミヨー様、五番の離着陸場にお入りください」

 今回の離着陸場は、一番西側に位置する離着陸場だ。これならだいぶ都合がいい。離着陸場に到着するや、オーケビョルンが一声吼えて変化の魔法を解除する。
 果たして、すぐさまにくすんだ緑色の鱗をした、巨大なドラゴンが姿を見せる。

「ふぅ、久方ぶりの竜の姿じゃ」

 翼や前足をしきりに動かしながら、オーケビョルンが自分の体をチェックする。幸い、特に問題のある箇所はなさそうだ。

「やはり、こっちのほうが楽かい?」
「そりゃあのう」

 マルクスが荷物を整理しながら問いかければ、オーケビョルンが大きく頭を上下させる。やはり元々はドラゴンなのだ。本来の姿が楽なのは当然だろう。
 果たして、マルクスがその背にまたがったことを確認したオーケビョルンが、力強く翼を羽ばたかせる。

「よし行くぞ、マルクス! 思い切り飛ぼうではないか!」
「ああ!」

 オーケビョルンの言葉に返事を返すマルクス。その声に呼応するように、ぐんと羽ばたいたオーケビョルンの巨体が持ち上がった。そのまま彼は翼を羽ばたかせて飛び上がり、バーリ公国の西側に位置する目的地、アールグレーン王国を目指して進み始める。
 眼下でみるみる、エクルンド市の建物や明かりが小さくなっていった。もう、あれだけ存在感のあった市庁舎も、あれだけ背の高かった「ベック」の入居するビルディングも、どんどん小さくなっている
 そして視界の端でどんどんとエクルンド市が小さい、豆粒のようになっていくのを見下ろしながら、オーケビョルンがふと笑った。

「ふふ……」
「オーケビョルン?」

 彼の漏らした言葉に、不思議そうな目をしてマルクスが問いかける。
 そちらにぐるりと首を回しながら、オーケビョルンは優しい声色で話した。

「いやなに、随分エクルンド市内で詩を詠んだものじゃな、と思うてのう」

 その言葉に偽りはない。何本もの詩を詠んで、何人もの人々と逢ってきた。これが生身の人間の姿だったら、随分と朗らかな笑みを浮かべていたところだっただろう。
 空を飛んで、ぐんぐんと高度を上げていくオーケビョルン。そんな中、マルクスがオーケビョルンに問いかける。

「スランプからは脱却できたかい?」
「んー」

 マルクスの問いに、難しい表情をしながらオーケビョルンが零す。
 あまりあちこち、急いで回ってもよくない。一つの都市に留まり続けてもよくない。そもそも今回の旅の目的は、オーケビョルンのスランプ脱却なのだ。そのオーケビョルンがしばし考えてから口を開く。

「どうかのう。この旅を始めてからというもの、目にするもの全てが目新しくてのう。いつの間にやら、という気もするし、まだまだ本調子ではない、という気もするんじゃな」

 オーケビョルンの漏らした言葉に、目を細めながらマルクスは頷いた。
 オーケビョルン・ド・スヴェドボリは何も、人間を害する、支配すると言った魔王のようなことはやらないのだ。ただ作品を作り、いいものを見て、感じて、そして書き記していく。
 そうして最終的に、マルクスや現地の人々、みんなで協力して一つの作品を作り上げていく。それが何より重要なことなのだ。

「なら、もう少しいろいろ見ていこうか。いろんなものを見て、君の創作の糧にする。それが目的だからね」
「うむ、すまんのう。まだまだ付き合わせてしまう」

 マルクスの言葉に頷きながら、オーケビョルンは翼を羽ばたかせる。
 まだ陽は高いものの、徐々に太陽は傾き始めている。そしてここは海の上、あまり遅くまで飛び続けていたら二人ともの命に関わるだろう。
 早めに次の町に行かなければ。少々気持ちが逸る中、オーケビョルンはまっすぐ前だけを見つめていた。
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