文系ドラゴン、旅に出る~老竜と行く諸国漫遊詩歌の旅~

八百十三

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第二章 放浪

第十六話 異国

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 バサリ、バサリと翼を羽ばたかせる音が海面に反響する。
 オーケビョルンはマルクスを背に乗せながら、アッシュナー大陸の北岸、海岸沿いを飛行していた。
 朝から昼にかけて太陽が昇り始めている頃合い、徐々に気温も上がってきている。海風が身体の右側に吹き付けてくる中、オーケビョルンが視線を上に向けた。

「そろそろ、国境を越えたかの?」
「そうだね。もうアールグレーン王国に入ったはずだ」

 背中のマルクスが左側、陸地の方に目を向けながら言う。国境線が可視化されているはずもないが、川は何本か越えたはずだ。その川の一本が、バーリ公国とアールグレーン王国の国境である。

「アールグレーン王国か。わしは耳に覚えのない国じゃ」
「そうだろうね、百年くらい前に建国された新興国だから」

 オーケビョルンが零しながら視線を前方に戻すと、マルクスがオーケビョルンの背中を軽く叩いた。
 アールグレーン王国はアッシュナー大陸の北岸に面する小さな国だ。建国は今から112年前、大陸の中では歴史の浅い国だ。
 主要な産業は観光と芸術。著名な現代芸術家を輩出していることで、近年名前が知られるようになっている国だ。

「ただ新興国だから、それなりに技術や文化は新しいものが入ってきている。新しいものを求める人達が集まり、新しい表現を求める人達が活動している。だから結構、絵画なんかも盛んなんだよ」
「ほう」

 マルクスの説明を聞いて、オーケビョルンが声を上げる。絵画などが有名とあれば、小説や詩を書くオーケビョルンとしても無視はできない。詩から絵画の案を得ることもあるし、その逆もしかりだ。

「そういう場所だと、わしみたいなコテコテの古典派は歓迎されんかのう」

 そう話しながら眉尻を下げるオーケビョルンだ。確かに彼は根っからの古典派、それも数百年レベルで昔の超古典派だ。アールグレーン王国の芸術と相反する、と言っても過言ではない。
 だが、マルクスはオーケビョルンの背中のとげを撫でながら首を振った。

「いや、どうだろうね。新しいものを求めると言っても、その根底には古く根付いたものがある。その大本の部分に触れられると言えば、反応する人は反応するんじゃないかな。なにせ生きた古典だもの、君は」
「嬉しいやら、悲しいやらじゃなあ」

 マルクスの言葉にオーケビョルンが苦笑する。確かにこんな、数百年昔の著作を今もなお書き続けているような古典派の書き手はそういない。何しろ書いている張本人なのだ。
 ともあれ、新しい国、新しい土地だ。新しい創作の糧との出会いもきっとあるだろう。

「まあ、ともあれ行くとするか。国境を越える前に休息は取ったから、あとは町まで飛ぶだけじゃな?」
「そうだね……ああ、でも」

 オーケビョルンが大きく翼を羽ばたかせると、マルクスがその背中で視線をさまよわせた。上を見て、海の方を見て、さらに陸地の方を見て。そうして距離を測ったマルクスが、オーケビョルンの背中を叩く。

「オーケビョルン、海岸沿いに町が見えたら、町の手前で海の方に方向を変えてくれるかい」
「んむ? 構わんが、何かあるのか?」

 言われて、ぐいと首を曲げてマルクスの方を見るオーケビョルンだ。陸地の方ならともかくとして海の方。なにかがあるにしても陸地から離れては観光名所にもならないだろうに。
 だが、マルクスはこくりと頷いた。

「うん、海岸からだいぶ離れたところではあるけれど、面白い形をした岩があるんだ。獅子岩ライオンロックっていうね」
「ほう、獅子の形をしておるのか?」

 そして説明を始めるマルクスに、オーケビョルンが目を見開いた。獅子の形をした岩とあれば、それは創作にはうってつけだ。興味も惹かれる。
 前方に視線を移せば、陸地の海岸沿いに町が見えた。その町が視界に映ったところで右方向に旋回し、海の方へと飛んでいく。そのまま数分飛び続けていると、マルクスが前方を指差した。

「ええと……あ、あれだあれ。オーケビョルン、見えるかい」
「おお、あれか」

 指し示されたその岩を見て、オーケビョルンも目を見開いた。
 言われた通り、海面から大きく張り出した巨岩が見える。その凸凹とした形状、なだらかな曲線は、確かに雄の獅子を思わせる形状だ。

「確かに、獅子じゃのう」
「そうだろう。海岸からは離れているけれども海の上からでもはっきり見える。これを見に来るための船舶ツアーも組まれているんだ」

 オーケビョルンが速度を落としてその場に留まるように飛ぶと、マルクスもうなずきながら言葉を返した。
 この獅子岩はアールグレーン王国の中でもそこそこ有名な観光スポットで、これを見るために多くの人が金を出して船に乗る。海に顔を出す獅子、ということでなかなか名が知られているのだ。
 見事に獅子の形をしている岩を見て、満足そうに微笑むオーケビョルンだ。

「いいのう、いいのう。じゃが、この海の上じゃと……」
「そうなんだよね……刻むことはできない。波で削られてしまうだろうし」

 だが、悲しそうに呟く彼にマルクスも肩を落とす。
 ここは海の上、波が激しい沖合だ。こんなところに句碑など立てようもないし、岩に刻んでも波で削られて見えなくなってしまうのは目に見えている。
 どうしたものか、考えた末に。

「ふーむ……よし」

 オーケビョルンがこくりと頷いた。背中のマルクスにちらと視線を送る。

「マルクス、わしが今から諳んじるから書きとめておくれ」
「ああ、分かった。風が強いからゆっくりめに頼むよ」

 オーケビョルンがそう言うと、マルクスが手帳と硬筆を懐から取り出した。確かにこういう環境なら、オーケビョルンが諳んじた詩をマルクスが書き留め、それをあとで句碑などに刻んだほうがいい。
 しばらく詩を考えること40分。内容がまとまったらしいオーケビョルンがこくりと頷いた。

「よし、いくぞ」

 そう一言言うと、オーケビョルンの頭が僅かに上を向いた。空に向かって長く吼えるように、彼は声を響かせていく。

――海の只中に、その獅子はいる。
  波に揉まれ、潮風にさらされながらも、その獅子は海にいる。
  凪の日も、嵐の日も、絶えず波間を見続けていたその瞳。
  白く塩をまとったその瞳に、映る景色は如何なるものか――

「どうじゃろ」
「うん、いいんじゃないかな。とりあえず大陸文字で書いておいたから、後で爪文字に変換しよう」

 諳んじられた詩を手早く手帳に書き留めて、マルクスもこくりと頷いた。こうして書き留めておけば、後で爪文字に変換して石版に刻むことも出来る。
 詩を問題なく形にできたところで、オーケビョルンがぐるりと旋回した。陸地の方に戻るルートを取りながら、彼は嬉しそうに笑う。

「書き記したら陸地の方に戻ろうか。そろそろ疲れてきたわい」
「そうだね、やっぱり冷えるだろうから」

 風に長くさらされていては、オーケビョルンの体調にも関わる。体温が下がりすぎて飛べなくなり、海に落ちたなんてことになっては一大事だ。
 すぐに陸地の方に戻らなくてはならない。オーケビョルンは再び大きく、翼を羽ばたかせた。
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