真夜中に愛猫とキスを

八百十三

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第2章 低次元存在との交錯

第14話 怒れる異形

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 四十物さんと会議室を出た後に別れ、俺と六反田は自分の席に戻っていく。そのまま仕事を再開しよう、とも思ったのだが、それを許さないくらいに小飯塚課長が怒り心頭だった。

「松河原はどこに行った!! あのクソ野郎!!」

 手元の封筒をビリビリに細かく破り捨て、もう社内どころかこの次元にすらいなくなった松河原に怨嗟えんさの言葉を吐く。普段以上に激しい怒りに、周囲の課員も何事かと思っているようだった。
 というか言葉と一緒に呪詛やら悪意やらがバンバン撒き散らされているわけで、体調を悪くしている課員も何人かいるようだ。これが、「ひずみ」の発生源たる所以ゆえんだろう。

「俺に断りもなく職場から消えやがって、ふざけんなあの野郎!! どこに逃げようと首根っこ捕まえてデスクに縛り付けてやる!!」

 自分の周囲の課員に悪影響を及ぼしていることなど気にもせず、小飯塚課長はギャンギャンにわめいている。そんな騒がしい状況で、俺と六反田は自分の席に着席した。
 チャットツールをデスクトップに表示させ、六反田のアカウントを表示させると、早速彼からチャットが飛んでくる。

「課長、荒れてんなー」
「捕まえるって言っても、なぁ」

 六反田のメッセージに、ため息をつきながら俺は視線を課長席の方に向けた。今もまた小飯塚課長がテーブルの上から封筒を取り上げ、ビリビリに破いている。先程も破いていたはずなのだけれど。

「松河原さんが置いていった退職願、さっき課長が破いてたよな?」
「そう、ビリビリになー。どうせ破いたところで後から後から出てくるんだから無駄だってのに」

 小飯塚課長が封筒と便せんの残骸をゴミ箱に叩き込む。足元のごみ箱に乱雑に放り込まれた退職願が、こんもりと山になっていた。
 見る限り、もう何枚もの退職願が小飯塚課長の手元に現れ、破られてはまた現れている。さすがに松河原もそれだけの数の退職願を用意していたなんてわけはない。
 六反田がぺろりと笑う絵文字を一緒に付属させながら、メッセージを送ってくる。

「出してんの、だけど」
「ずるいぞ、時間軸を好き勝手に戻せるからって」

 そう、あの松河原の退職願は、六反田が時間軸を戻して破かれる前の退職願を取り出し、それを小飯塚課長のテーブルに出現させる形で出しているのだ。課長からしてみたら、破いたはずの退職願が次から次から出てくるようにしか思えない。イライラもするだろう。
 涼しい顔をしながら六反田が、長いマズルを舌でなめずりながら言ってくる。

「トソちゃんもキネスリスと三次契約すれば、このくらいの時間軸操作は出来るようになるぞ。俺たち四次元の存在は、時間軸をいじれてナンボだからな」

 軽い調子でとんでもないことを言いながら、俺を見てニヤリと笑う六反田だ。確かに彼は生粋の四次元存在、時間軸を操作することなど朝飯前だろうけれど。それを俺に言われても困る。
 と、俺と目が合った六反田が、未だ怒りの冷めやらない小飯塚課長に親指を向けつつメッセージを送ってくる。

「で、トソちゃん。、何だと思う?」

 その発言に俺は目を見開いた。
 彼の話す「あれ」とは、間違いなく小飯塚課長のことだと思う。だが、その指が指し示しているのが小飯塚課長そのものなのか、小飯塚課長に憑りついている異次元存在についてなのか、いまいち分からない。

「あれって……小飯塚課長のことか?」

 彼の問いかけに俺はもう一度、視線を課長席に向けた。
 頭のてっぺんから首にかけて割れるように大きく開いた、歯がずらりと並んだ口。ぼこぼこと節くれだちながらも日本人の肌の色をした身体。こぶのような物が割れ、頭と同じような口を形成する両方の肩。
 やはり、見れば見るほど異形で、恐ろしく、不気味だ。
 そんな口ばっかりというか口だけの姿をした小飯塚課長が、大口を開きながら隣の席を見る。

「くそっ、このクソ忙しい時に勝手に消えやがって……ねえ部長! こんなのが許されてたまりますか!?」
「い、いやぁ~、確かに社会人として、もうちょっと相応しい姿の消し方ってもんがね、あるとはねぇ……」

 そうがなり立てながら、小飯塚課長は直属の上司にあたる、システム開発部の部長、印出井いんでい清一せいいちに噛みついていた。
 課長と正反対に、穏やかでのんびりした雰囲気の、しかし場を収めることが殊更に上手い印出井部長は、部内でも高い信頼を勝ち得ている。ブラックの極致にあるアビス株式会社で、数少ない良心だ。
 だが、それは事なかれ主義の裏返しとも言える。今も小飯塚課長の言葉を否定するには至らず、視線を逸らしながらお茶を濁していた。

「でも小飯塚くんねぇ、君ももうちょっとねぇ、感情のコントロールというものをだねぇ」
「私はいつだって理性的で模範的ですが、何か問題が!?」

 しかしさすがに印出井部長も思うところはあるらしい。視線を逃がしながらもやんわり釘を刺すと、その釘を跳ね返すくらいの勢いでまたも小飯塚課長が噛みついた。
 もう、その姿も相まって誰彼構わず噛みつく狂犬のようにしか見えない。見えないが、しかし当然犬らしい姿ではない。というか自分で模範的だなんて、姿があれだから余計にだがどの口が言うのか。

「いや……何なんだ、あれ?」
「ん、見ただけじゃ分かんないよな、が何なのか」

 さっぱり分からないままにメッセージを投げ返すと、六反田がすぐに返事を返してきた。どうやら彼には何かしら、あの異形の正体に当たりがついているらしい。
 俺は対象の真実の姿を見破ることが出来るが、見えたとしてもそれが何なのかを判断する知識も、経験も無い。対して六反田は見破ることこそ苦手だが、正体を察する嗅覚には非常に優れている。おまけに俺とは比べられないくらいに長生きだ。
 そんな彼が、黒い鼻をすんと鳴らしながらキーボードを叩く。

「今は『におい』がプンプンしてるし、他の連中の『におい』も薄らいでるから、ハッキリ分かる。ありゃだ」
「悪霊……?」

 そして六反田から送られてきたメッセージを見て、俺は目を見開いた。
 悪霊。つまりあの化け物は実体を持たない霊で、課長はその悪霊に憑りつかれて、あんなになってしまったということなのか。
 俺が首をひねりながらメッセージを返すと、六反田のメッセージがすぐに俺のチャットツールに表示される。

「そう。それも二次元世界由来のな。すっかり骨身に染みわたるまで憑りつかれて、9割がた悪霊そのものになっちまってるけどよ」
「9割がたって、それじゃ」

 返って来たメッセージに記載された内容に、驚くと同時に慄く俺だ。
 9割も悪霊になってしまっているのでは、それはもう悪霊そのものではないのだろうか。そうなったら松河原同様、悪霊として二次元世界に還さなくてはならない。小飯塚課長が「ひずみ」の原因の一つであるなら余計にだ。
 だが、俺のメッセージを見た六反田が、こちらを見ながら首を小さく振った。

「大丈夫だトソちゃん。あれならまだ
「えっ、マジで」

 剥がせる、との言葉に俺は思わず声に出して呟く。
 あんなに悪霊と一体化して、周囲に悪影響をばらまいている課長から、悪霊だけを引き剥がして送り還すことが、本当に出来るというのだろうか。
 今も小飯塚課長は印出井部長にガンガン怒鳴っていた。口調こそまだ乱れていないが、語調は明らかに課長が部長に向けるものではない。印出井部長も若干引いていた。

「何でしたらそこの会議室か、あるいは社長室にでも行きますか部長!! 受けて立ちますよ私だって!!」
「こ、小飯塚くん、ほら、そういうところがねぇ」

 小飯塚課長のねじ曲がってぐねぐねになった指が、会議室のある方へと向けられる。印出井部長は椅子に座ったまま両手を前に出して抑えようとしているが、小飯塚課長に引きずり立たせられそうな状況だ。
 止めに入るわけにもいかず、しかし視線を外せないでいる俺の手元で、またメッセージが新たに送られてくる。

「課長、悪霊と身体が一体化している感じに見えるだろ。悪霊が課長の身体の『中』にいる証拠だ。単独で悪霊してないから、還さなくても十分いける」
「あれで……?」

 さらりとなんでも無いことのように話す六反田に、心配そうな目を向けながら俺はメッセージを返した。
 本当に、引き剥がすなんて出来るのだろうか。あんなに悪霊としか言いようのない姿をしていて、人間的な部分なんてちっとも残っていないのに。
 ふと肩の上を見たら。わらびがぽかんと目と口を開けていた。どうやらわらびからしても、六反田の発言は予想外だったらしい。
 しきりにパソコンの画面と小飯塚課長の方を交互に見るわらびをそのままに、俺はキーボードを叩いてメッセージを打ち込む。

「でも……あそこまでとなると、四十物さんでも剥がすの大変なんじゃ」
「だろうな。俺とトソちゃんもサポートに入ることになる。二次契約結んどいてくれてよかったぜ」

 俺のメッセージに、六反田はこれまたさらりと返してきた。
 ぐ、と俺の喉から変な音が漏れる。分業制を取って、切除は四十物さんに一任する形だと思っていた矢先にこれである。予想外だなんてもんじゃない。
 そもそもからして、俺は異次元存在の切除なんてやったこともないし、やる手法も知らないのだ。わらびに教えてもらったこともないし、何ならわらびが「私には無理です」と言うのを聞いている。
 何も言葉を返せないで固まる俺に、六反田がにやりと口角を持ち上げながらキーボードを叩いてくる。

「ま、剥がした後は課長はになっちまうかもしれんけどなー。あんだけ深けりゃその可能性もゼロじゃないだろ」
「えぇ……マジで……」

 そんな末恐ろしいことを送ってきながら、座席から立ち上がって荷物を取る六反田だ。今度こそは帰るらしい。
 横に目を向ければ、まだ小飯塚課長は印出井部長にぎゃんぎゃん喚き散らしている。あんなに怒鳴り通しで、理性的だなんて誰が聞いても信じやしないだろうに。印出井部長はなだめるので精一杯だ。
 あれを、俺と六反田と四十物さんの三人でどうにかするだなんて、考えるだけでも背筋が寒くなる。なのに六反田はそのままそそくさと、居室を出るべく歩きながら俺に手を持ち上げた。

「じゃトソちゃん、俺帰っから。課長のあれには今夜対応しようぜ」
「えっ、えぇっ」

 あっさりと言いながら、彼は五本の尻尾をフリフリしつつ立ち去っていく。
 もうちょっとなんか、準備の言葉とかかけてくれないのか。そう言いたくて立ち上がろうとする俺を放置して、六反田は無情にも去っていってしまった。
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