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第一章

はじまり

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                  初

「むうっ!」

「こ、これは……!」

「な、なんと面妖な……」

 夜の京のとある路地に不気味な黒い物体が蠢く。それは人とも獣とも言えないなんとも不思議な姿形をしている。対応する為に出動した京の治安維持に当たっている検非違使の兵も動揺を隠すことが出来ない。兵を率いる長が声を上げる。

「ひ、怯むな! 直ちに攻撃せよ!」

「よ、よろしいのですか?」

 副官的立場の者が不安気に尋ねる。長が声をさらに張り上げる。

「同じことを言わせるでない!」

「は、ははっ! 攻撃準備!」

「……!」

 副官の声に応じ、兵たちが弓を構える。

「……放て!」

「!」

 兵たちが放った無数の矢が物体に突き刺さる。

「ど、どうだ……?」

「……」

 物体はわずかに動きを止めたようにも見えたが、またすぐに蠢き始める。副官が驚く。

「き、効いていない⁉ あれほどの矢を受けて⁉」

「むう、仕方がない。刀と槍で攻撃せよ!」

「………」

 長の声に対し、兵たちの反応は鈍い。長が怒る。

「な、何を躊躇している⁉ それぞれの役目を果たせ!」

「…………」

 長の怒声に兵たちは一応、刀や槍を構えるが、誰一人前に進み出ない。

「くっ……」

「お困りのようですね……」

「むっ⁉」

 後方から涼やかな、それでいてよく通る声が響く。長が振り返ると、そこには武装した兵たちとは対照的な、狩衣を纏い、袴を穿いて、立烏帽子を被った男性が立っていた。男性は扇をぱっと開いて、提案する。

「我で良ければ、お力をお貸しいたしますが?」

「だ、誰だ、お前は⁉」

「い、いや、この者は陰陽寮の……」

 副官が長に告げる。長が首を傾げる。

「陰陽寮だと? 占いなど頼んではおらんぞ?」

「ほう、もしかして……我のことをご存知でない?」

 男性は開いた扇を口元に当てながら、小首を傾げる。

「こ、こちらは地方から先日任官してきたばかりで……」

 副官が補足する。男性が頷く。

「ああ失礼、田舎者の方でしたか……」

「ぶ、無礼な!」

「ですから失礼と申したではありませんか」

「そ、そういう問題ではない!」

「それよりも」

 男性が長の鼻先に閉じた扇を突き付ける。

「う……」

「ああいう類に対して、刀槍や弓矢で戦おうとしても栓無きこと……」

「なんだと?」

「まあ、なんとかしてしまう者も中にはいなくもないのですが……」

 男性がそう呟いて苦笑する。長が問う。

「あれはなんなのだ?」

「……至極簡単に申せば、『物の怪』ですね。貴方はご存知ありませんでしたか?」

 男性が副官に問う。副官が首を捻る。

「き、基本的には昼間のお役目が多かったもので……噂には聞いておりましたが……」

「成程ね……分かりました」

 男性がゆっくりと前に進み出る。長が問う。

「な、何をするつもりだ?」

「どうぞお静かにお願いします……」

「む……」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」

「‼」

 男性が文字を唱え、前方に向かって指を振ると、光の条のようなものが幾筋も放たれ、黒い物体に刺さる。黒い物体はたちまちに霧消する。男性は踵を返して呟く。

「はい、おしまい……後始末は陰陽寮の他の者にお任せください」

「ま、間違いない。烏帽子から覗く白髪、年齢不詳の顔つき……あ、あの者がこの京洛きっての陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)殿です……」

「安倍晴明……」

 長たちが見送る中、晴明がその場を優雅に去る。

「……こんな朝っぱらから呼び出しとは、何の用だよ?」

 あるお屋敷の中の一室で、緑色の長い髪を後ろで一つに結んだ女子がぼやく。

「……そんなに朝早くもないでしょう。まったく、だらしのない……」

 緑髪と一人挟んで右隣に座る金色の巻き髪をした女子が呆れる。

「ああん? だらしがないだと?」

「い、諍いはやめましょう……栞さん、金さん……」

 緑髪と金髪の間に座る、青く、うなじが見えるくらいの短い髪をした女子が緑髪を宥める。

「いやいや、喧嘩をふっかけてきたのはこいつの方だぜ、泉?」

「い、諍いというのは同じ程度の者の間でしか起きえないものですから……」

「ちょっとお待ちください! それではわたくしも、この方と同じ程度だと⁉」

「あははっ、泉ちゃんってば面白いことを言うよね~。ねえ、基ちゃん?」

 緑髪の左隣に座る長い赤色の髪の女子がケラケラと笑う。長い髪をやや無造作にしているが、それがかえってまとまり良く見える。赤髪は左隣に問いかける。

「面白いけれど、焔も含めて少し静かにして欲しいかな……眠い……」

 赤髪の左隣に座る茶色の短い髪をした女子が欠伸をする。短いと言っても、青髪の子よりはやや長く、毛先が少し跳ねている。

「みんな、おはよう……」

 晴明がその部屋に入ってくる。五人の女子が揃って頭を下げる。金髪が口を開く。

「おはようございます……晴明殿は昨晩も大層なご活躍だったそうで……」

「いやいや、そんなに大したものじゃないよ、金(こがね)」

「謙遜するなんて謙虚だね~晴明ちゃん」

「そうかい、謙虚さを君にも分けてあげたいよ、焔(ほむら)」

「連日連夜の活躍はとっても嬉しいよ。晴明くん」

「うん、一体誰目線なのかな? 基(もとい)」

「で? 呼び出して何の用なんだよ? 晴明?」

「栞(しおり)、礼儀を教えてあげたいところなのだけどね……違うんだ、伝えたいことがあってね」

「伝えたいこととはなんでございましょうか? お師匠さま?」

「泉(いずみ)、ちゃんとしているのは君だけだね……かの弘法大師がこの日ノ本に伝えた七曜という考え方がある……七日の内、二日だけ働いて後は休ませてもらうよ、五日は君らに任せた」

「⁉」

 晴明の言葉に五人の女子は揃って驚く。
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