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ファースト・ミッション
09 ファースト・ミッション
しおりを挟む◇[11:05 H銀行本店]
ひとりでいるには広すぎる部屋。そこには応接用のソファとテーブルや掛け軸、取引先から頂いた骨董品など、この会社の歴史を物語るモノが飾られている。
歴史ある地方銀行の社長室。そこに立つ男の背中は寂しい。
「おはよう御座います。頭取」
厳かなノックの後に現れたのは事業部長のオノである。
部屋の窓から街を眺めている力なき老人がH銀行の頭取、北広島。
北広島は地域に根ざしたこの銀行を何年も支えてきた柱である。高度経済成長期から身を粉にして企業の為に戦ってきた優秀な男だ。
彼の経歴や奮闘も虚しく、数年前からの業績悪化に悩み、それに漬け込んだ鹿美華ファンドの人間との折衝から吸収合併が決定した。
時代の流れと共にかつての威厳はなくなり、諦めの境地に立っている。
存命のOBには罵詈雑言を浴びせられた。今回の吸収合併によりH銀行という名前は消失。それが全てだ。
守っていた屋号を奪われる。H銀行頭取という気持ちの良い立ち位置もこれまで。でも、地方の組織が生き残るには長いものに巻かれるしかなかった。北広島は何度も唇を噛み締めていた。
「17時30分ごろ、ここを出ますので、その際はどうぞよろしくお願いします」オノは連絡事項を伝えにきた。H銀行本店から式典の行われるホテル極寒は近場にある。
「オノ」
「どうしました、頭取」
「これからもよろしく頼むよ」
「もちろんです」部屋を去るオノを見届ける北広島。そして再び窓の外を見る。
穏やかな都市の市街地のビル群。
扉を閉め、オノは微笑む。
(北広島頭取・・・あなたの時代は終わりなんですよ・・・)
◆[12:40 鹿美華セキュリティサービス研修センター]
律達6名の研修生メンバーが小型のバスに乗り込む。
彼らは既にその装備を装着している。そして、全員がスーツを着こなしていた。そうなると研修生である彼らも、いっぱしのボディガードに見える。
「やっぱ、ボディガードはスーツだな」
コミネが呑気に語っている。それなりの肉体を持ち合わせたガタイの良い男がスーツを着ると、それらしく見える。スーツの中は防護服だ。
「律はなんだか頼りないの」
一方、鍛えはしたものの貧相な身体で新調したスーツを着る律の姿は入学式の大学生のようだった。優花里の言葉に自信有り気だった律のテンションが下がる。
「よーし、お前ら、しばらく車ん中で仲良くやってろよー」
運転席のガンマン清がボタンを押すとバスの後部座席の窓と運転席側の視界が遮断された。
この研修所の位置さえもトップシークレットなのだ。ガンマン清は回り道をしながら、目的の場所・・・ホテル極寒へ向かう。
「ゔぉえっ!」と汚い言葉を吐き出したのは優花里だった。
「大丈夫か?」コミネが心配をしている。
「く、車酔いが・・・」その言葉に皆が苦笑している。
◇[14:15 青森県北部 上空]
「お母さん。見えてきたよ」
「もうすぐね」
鹿美華琥太郎、母の亜弥、そして娘の小姫。それに付く枝角若草。
プライベートジェットで現地に向かう。
母の亜弥と小姫は窓に映る大陸を見ている。日本地図のその通りの形を空から見るのは、愉快な事である。
父の琥太郎と言えば、武器の手入れをしている。それを手伝う枝角若草。ロケットランチャーに小型銃。使わないものまで手入れを怠らない。
「やはりスーツというものはイヤだねぇ」
琥太郎は年の殆どをカーゴパンツとタンクトップで過ごす男である。分厚い筋肉が彼の温度を調整してくれるのだ。オーダーメイドのスーツといえども筋肉が邪魔をして着心地は良く無い。
「それはとても残念です。琥太郎様、その服はお似合いですよ」
飛行機という事など気にせず、タバコに火をつける琥太郎。肺に入れた煙を吐き出す。
「ところで若草。今回の警護に研修生を混ぜているらしいな」
その言葉に若草は冷静を装い、答える。
「はい」
「どうしていつも通りの事をしない?」
その眼差しから放たれる鋭い刃物。若草の眼球手前まで距離を縮め、捉える。誇張抜きで死を感じる威圧感。
鹿美華琥太郎は、いつも通りじゃ無いことを嫌う。変化とは何かの兆候なのだ。
例えば信頼を置いている若草が裏切るのでは無いかかと感じる事もある。今回は特にそうだ。
現場に経験の浅い研修生を配置するなど、おかしい。琥太郎は怪しんでいる。
もちろんこれには理由がある。
若草は小姫にお願いをされているのだ。律に会いたいと。それが理由だが、若草は琥太郎の性格を知っている。
たぶん小姫がそんな事を言ったとなれば、もしかしたら律は拷問を受けるのでは無いだろうか・・・そう思った。この父は娘を溺愛している。
異常なほどの愛。
その理由は単純だ。
父は娘を抱くことができない。その特異体質が故に、娘に触れる事が出来ないからだ。
「やはり若いうちから慣れさせておくべきかと。今後これを制度化するつもりでございます」
「そうか」
琥太郎は爽奏律についても聞きたい事があった。あの少年は成長しているのか。ゆくゆくは自分の愛娘の命を預ける男になる。琥太郎はもし律が使い物にならない場合は律が特別な存在である事など関係無く、切り捨てるつもりだった。
◆[15:30 ホテル極寒]
地方都市の歴史あるホテル。そこにメンバーは到着する。ホテル極寒は所々が古びているが、それもまた気品さを感じさせる要素のひとつであった。
「会場設営の準備。及び警備。そして建物構造の把握。伝えた通り、各自行動しなさい」とガンマン清。律は大きな箱を持っている。各々が散らばった。律と優花里が所定の場所に向かうと、巨木の様な男が立っている。
「君たちが研修生か」巨木の名前は尾美神哲二と言って、32歳のベテランボディガードである。身長は190センチあり、とにかく大きくて高い。
律達は挨拶をする。
(で、デケぇ~・・・)
(デカいの・・・)
とふたりは思った。
「まぁ、緊張してるぐらいが良いだろう」
尾美神の巨大から発せられる声は重厚感や安定感がある。尾美神から漂う余裕は、キャリアの違いをふたりに見せつけた。
巨木の指示で律達はホテルの3階、式典が行われる大ホール〝細雪〟の付近の非常階段を確認した。そこが3人の持ち場である。まずは不審物がないかを確認し、死角となる場所が無いかを確認し、階段を簡単に降りれるか、走ったり、歩いたりしてその安全性を確かめる。問題はない。
「ここでいいですか?」
「ああ」
尾美神の指示で律は持たされていた箱を置く。これはワイヤレス充電を可能とする特殊な箱だ。この箱の設置範囲、見通し100mの位置に対応する機械は特別な磁波によって充電される仕組みだ。
それは律の装着しているイヤホンやリーフォンの稼働を保証するものだった。
「よし、念の為、確認するぞ」
そう言って尾美神は警護のシステムを説明する。このポジションは直接誰かを守るわけではない。常々、非常階段から現れるかもしれない他者を受け入れない事、また、有事の際に警護対象を逃す為にサポートを行う役割である。
「今回の警護対象は3名。念のため読み上げる」
鹿美華亜弥。
鹿美華小姫。
鹿美華ファンド代表取締役幕田沙羅。
「鹿美華側の人間を守る。それが俺たちの任務だな」
他参列者はH銀行頭取北広島次男。来賓2名。H市市長・・・など。
「あれ?鹿美華琥太郎さんは警護対象じゃないのかの?」
優花里は単純な疑問を尾美神に投げかける。鹿美華側の警護対象に琥太郎は入っていない。
「愚問だな。鹿美華琥太郎さんにはボディガードなんていらなんだよ」
「そ、そうなのかの・・・」
理解出来ない優花里。律は琥太郎を知っているので、納得した。
「警護対象1名につき、3名が付く。俺たちを含め、他にも現場を警備する者が多数いる事を心得ておけ」
「こんなにもボディガードが集まるだなんて・・・」
「君達はまだ分からんだろうが、警護任務にもランクがある」
「ランク・・・」
「今日みたいに鹿美華家の人間が来る警護は最大級の警戒を行うんだ」
尾美神は若い2人に教える。
とはいえ、今日のボディガードの数は新人がいるとは言え、異常だなと感じている尾美神。これは先日の小姫が拐われた件に起因する。
警備体制を強化しているのだ。無論、小姫に関する件はトップシークレット。S3の社員もそれを把握はしていない。
「初任務がこんな大舞台だなんて光栄だの」
優花里は呑気な事を言っている。
◇[16:10 H市内駐車場]
ホテル極寒から少し離れた街中の時間貸パーキング。そこに大きなボックスカーが停まっている。
そこには鹿美華琥太郎暗殺の任務を与えられている池波達が乗っていた。
「ほら、先払いの報酬で買ったやつだぞ」
その言葉にニヤニヤする車内メンバー4人。
「待ってましたよ」
「ユートピアっスね」
池波が鞄から取り出したのは興精神薬。法的に禁止されており、限られたものしか手にする事の出来ない代物。
ユートピアという名前が付けられている。
人殺しの案件の時はいつもこれに手を染める。気を狂わせるのだ。狂わせられなければ、時に人を殺める事を躊躇してしまう。
この薬は言わば武器。
「式典は19時30分終了。あとは懇親会だが、鹿美華家はそのタイミングで会場を去るだろう。その時が仕事の時だ。いいな?」
彼らは知っているのだ。鹿美華のボディガードは分厚い。自分達5人が会場に立ち入っても勝ち目はない。式典の終了後、鹿美華の人間がホテルを去る時。それがチャンスである。
唯一の・・・残されたチャンス。
「鹿美華琥太郎は強い。だからこそ、もし今日、あの男を殺る事が出来りゃ、俺たちは間違いなく昇進だ」
「やってやりましょう!池波さん!」
「ド底辺生活から抜け出すぞ!」
向精神薬が彼らに自信を与える。叶いもしない目標を達成できる気になった。
しかし。
計画というものは計画通り行く事は少ない。
常々、想定外のトラブルというものはつきまとうもの・・・
それは、敵もに味方にも言える事である。
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