ボディガード -触れられないお姫様-

大野晴

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ファースト・ミッション

10 壇上

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◇[18:45 ホテル極寒3階ホール〝細雪〟]

 芸能人の結婚式の披露宴にも使われるようなこの大きなホールで、記念式典が開催されている。関係者達は円卓の席に座り、中央前方のステージに目を向けていた。

 ステージの上手かみてに立つのは幕田沙羅。鹿美華ファンドの代表取締役である。52歳のやり手の女で、長身眼鏡で長髪。老いを感じないスタイリッシュさがある。

 これまで様々な企業を転がし、吸収させ、鹿美華ファンドを巨大化させている。その青い眼鏡の先の眼球は鋭く、周りからは青仮面と呼ばれている。

 そして、その隣には若干緊張気味の鹿美華小姫が立っていた。母親の提案でこの場に立たされたのだ。私よりも貴方の方が華になるわ。そう言われて立たされる小姫。今日はお淑やかなグレーのドレスを着ている。

 この2名に対するように、下手にはH銀行の頭取北広島とOBの酒井が立っている。ステージに立つ4名は皆、手に華やかな赤白の紐を持っていた。
 4人がこれを手元に引くと、ベールが取れ、吸収合併されたH銀行の新銀行名が発表される仕組みだ。今日の式典のメインである。

『それでは、準備が整いましたでしょうか?』司会がそう言うと、ホールの照明が暗くなり、ベールに包まれた看板にスポットライトが当たる。遠くの報道陣達もそれを映していた。

 新たな社名が発表される。それは地域に根ざしてきた、この銀行の終わりを告げるものである。

「・・・終わったなH銀行も」
 北広島の隣にいるH銀行OBの酒井が北広島に呟く。
「私の力不足です」北広島は謝るしかなかった。ただ、これ以外の方法も無かったのだ。歴代の先輩に恨まれる事は分かっていた。
 ただ、今の社員を守るのも代表の務めだ。

『それでは、カウントダウン!3!2!1!』と司会がカウントダウンを行う。鹿美華小姫は緊張しながらも、皆に合わせてその紐を引っ張る。ばっ、っとベールが取れ、看板が映し出される。

『新銀行名は〝エスエイチバンク〟です!』

 関係者は既に知っていた事だが、改めて拍手喝采が響き渡る。報道陣のカメラフラッシュがけたたましい。恥ずかしくなった小姫は早めにステージを降りた。

「よくやったな!小姫!いい仕事だったぞ!」紐を引くだけの仕事を大袈裟に褒める父、琥太郎。その顔は緩み切っていた。
「別に、紐引くだけだし」恥ずかしながら小姫は椅子に座った。

その時だった。




◇[18:50  ホテル極寒3階ホール〝細雪〟]

 北広島は背中の異変を感じた。

 筋肉痛とは違う。何かこう、火傷とも違う感覚。ただ、これが痛みというよりは〝熱い〟という感覚に近いような・・・そして、そのまま意識を失って倒れた。
 部屋の見張りをしていた4名のボディガード達はその瞬間、既に後ろに立っていた酒井を取り押さえようとしている。

 ようやく、その異変に会場が気付く。北広島の背中にはコンバットナイフが刺さっていた。流血し、吐血したまま倒れている。誰か!救急車!その言葉から会場はパニックになった。

 壇上の悲劇を眺めながら鹿美華琥太郎はタバコの火をつける。

「どう言う事だこれは」

 鹿美華琥太郎はその異常事態に焦る事なく、怒る。普通通りじゃない事を嫌うのだ。琥太郎は動じないが、これは彼にとって、異常な異常事態である。普段なら、狙われるのは自分だ。なのに、襲撃されたのは銀行の人間である。

「皆様。何があるか変わりません。ここを出ましょう」若草達ボディガード6名は、システム的に動き出し、小姫と亜弥を背中で囲んだ。化学式の芳香環のように規則的に配置され、その中に2人がいる。


◆[18:51 ホテル極寒3階 非常階段付近]


「異常事態か」ホール内の叫び声が響き渡る3階の廊下。その非常階段付近。尾美神と律と優花里の持ち場。

「ど、どうするんですか?」焦る律。ホール内には小姫がいる。中の様子は分からない。ただ、悲鳴が聞こえた。

「指示を待つ」
 尾美神は直立不動の姿勢を動かさない。

 その後、律達のイヤホンに特殊なメロディが流れる。非常事態の合図。若草から尾美神へ連絡が通信が入る。

『銀行OBの酒井が北広島を刺しました。鹿美華家には今のところ被害無し。亜弥様、小姫様は念の為会場を退出させます。非常階段を歩かせますので、援護をお願いします』
『了解』

「大事だの」意外と冷静な優花里と打って変わって、律は緊張していた。その反面、少しだけ安堵する。小姫の身に何か起きたわけではない。

「慌てるな。既に小姫さんと亜弥さんは6名で警護されている。お前達ふたりは頭数に入れてないんだ。俺が非常階段の先導をする。それだけだ」

 尾美神は指示を与えながら頭の中で考える。銀行OBの酒井が北広島を刺した?本件に関わる人物のデータは頭に入っている。年齢は80歳丁度。そんな人間に人を刺せるわけがない。


◇[18:52 3階ホール〝細雪〟]


 ボディガード4名が酒井を取り押さえている。

 そこで彼らは気付く。これは80歳の人間の老体ではない事を。あまりにも迂闊だったのかもしれない。それでも4対1の戦いはボディガードの圧勝だ。彼らが取り押さえている現場に、鹿美華琥太郎が堂々と歩いている。彼にはボディガードはついていない。禁煙のホールで堂々とタバコをふかしている。

「俺は、普通通りじゃないことが嫌いなんだ」そう言って、タバコの火を身動きの取れない酒井の顔に向ける。いつの日か、律にやろうとした根性焼き、それをしようとしている。

「お前の狙いは頭取か?」その問いに答えない酒井。痺れを切らした鹿美華琥太郎がタバコの火を酒井の顔面、頬につける。じりじりと焼ける音・・・そして予想通りの事に気がつく。

 造り物が焼ける匂い。

 その焼けた場所から鹿美華琥太郎は酒井の顔面を引き剥がしていく。よく出来たフェイクだ。一本取られた、と感じる彼の目は慈悲などない。

「じゃあ、もう一度焼くぞ」

 現れた殺し屋が目を瞑ることなど容赦無く、鹿美華琥太郎は男の右瞼を焼き始めた。


◇[18:55 3階ホール〝細雪〟~非常階段]


「我々は先に避難しましょう」
 枝角若草は鹿美華琥太郎の残虐性を知っている。琥太郎の拷問を妻の亜弥や娘の小姫に見せてはならない、そう判断し、警護の体制を取ったままホールを出ることにした。

 彼を含めた6名のボディガード達は、2人を中心に6角形の陣を取り、全方位に目を向けている。これは律達も習っている基本陣形、ヘキサである。
 このフォーメーションを崩さぬまま、2人の移動に合わせて動き出すボディガード達。ホールの出口の大きな扉付近まで来ていた。あとは非常階段で尾美神達と合流する手筈である。

 鹿美華小姫は、この様な非常事態で心が揺れる事はあまりない。ただ、その視界に見えてきた爽奏律の姿を見て、非常事態など関係なく、心が揺らいだ。

 彼女の目に映る律は、たくましくなっていた。あの日、自分を助けてくれた日の姿よりも凛々しく見えた。

「ツノじい!こっちだ!」律はホールから出てきた若草に声をかけた。

「私が先導します」尾美神の心強さに安堵する若草。このフォーメーションを組み、多くのボディーガードに守られた2人をホテルを出ればとりあえずの危機は逃れられる。

 しかし。

 思いがけない言葉が発せられる。それは鹿美華小姫が爽奏律に向けて放った一言だった。

「疲れたわ。お前。私を抱っこしなさい」
「えっ?」

 他のボディガード達も想定しない場面に慌てている。お嬢様の命令は、あの残虐な父琥太郎もなかなか逆らえない。誰も意見することは出来なかった。

「やれますか?」と優しく尋ねる若草。
「ああ」律は笑っていた。

 あの日、大男に殴られ、吹き飛んで、雨降りの地面に倒れた自分とは違う。そういった自信がある。

 非常階段付近。鹿美華亜弥、小姫を文字通りお姫様抱っこしている律。それを囲む6名のボディガードと先導役の尾美神と優花里。完璧な守備のパターンが出来た。

 律は久しぶりの綺麗な子姫を間近で見て緊張する。小姫は1ヶ月ぶりの律の鍛えられた身体に心を打たれていた。
 母の亜弥はこの微笑ましい状況に、何故か初恋の時のことを思い出していた。それほどに、過剰な警護体制は余裕を生んでいた。

「前を向け研修生」と他のボディガードが注意する。

「我々の任務は至って簡単です。ここから階段を降り、ホテルを出ます。ハイヤーは既に待機済み、車に乗せるまでが我々の任務。落ち着いて行動しましょう」若草がそう言って仕切り直す。皆が合図をし、動き出した。律は小姫を抱いているので、足元が見えない。慎重に階段を降りていく。

 1段、1段。ゆっくりと、安全な場所へ向けて、慎重に足を伸ばしていく。


◇[18:52 市内コインパーキング]


 アナログ無線がホテル内の異変を聞き取っていた。池波は想定外の出来事に焦る。

「お頭ァ!これは!?」車内で同じく無線を聴いていた部下のひとりが慌てていた。この無線からは悲鳴しか聴こえず、何がどうなったかまでは分からない。
「とにかく想定外が起きたって事だ」池波は車のセルを入れ直し、エンジンをかけた。ひとりがパーキングの精算を行いにいく。何かが起きて会場がパニックになっている。鹿美華の人間の身に何かあれば困るのは自分達だ。急がなければならない。

 彼らは状況を把握していない。何故なら、壇上で起きた事件は、彼らとは無関係だったからだ。
 想定外の事態。しかし、冷静に事を進めなければならない。

「皆、準備はいいか?予定より少し早いが、行くぞ」
 予定していた作戦なんてものは無くなった。ただ、ホテルから出るであろう鹿美華琥太郎を狙う事、この任務の本質は変わっていない。

「鹿美華琥太郎を殺す。何がなんでもやり遂げるぞ」

 池波の目は向精神薬の作用で血走っている。カックロウチと呼ばれる集団に属する自分がここから抜け出すには、任務を遂行するしか無かった。

 それでも彼は悪寒がしている。未来を見ていると言っても過言ではない。例えどの方法を取ったとしても、鹿美華琥太郎に勝つ事は出来ない。そんな気がしてならないのだ。

 だから、薬に手を染め、現実から逃避する。迫り来る、恐怖。そこから逃げなければ、あの残虐な男には立ち向かえないのだ。
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