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ファースト・ミッション

12 他力本願

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数週間前。

「全くもってシンプルな事を教えてやる」

 鹿美華シークレットサービス研修センター。座学室。ガンマン清がカウボーイハットを被って授業をしている。座学は寝ている律も、その時のことは覚えていた。

「お前ら。手が使えない時、どうする?」
「はい、先生」
 そう言ってコミネは手を挙げずに足を上げる。
「手が使えないなら、足だろうよ」
 元プロサッカー選手の満点の回答だ。

「そんで、足はどう使う?」

「そりゃあボレーシュートみたいな蹴りで・・・」

「そんなんじゃ、倒せないよ」
 ガンマン清はそう言って、右膝を畳んで伸ばすように地面を叩いた。ドンっ、という音が鳴る。

「単純な事だ。かかと。踵で踏む。それが一番。踏む場所は相手の足の甲なら尚更良い。無論、そういうのを防ぐ靴を履いている奴もいるが・・・意外と効く」
「踵か」
「へぇ~」
 手を支えなければ、踵で踏む。


◆[19:08 ホテル極寒ロータリー]

 鹿美華琥太郎の言葉に皆が上を向いていた時、律は右膝を折り曲げ、右足を宙に浮かせていた。両手は小姫を抱えたまま。律は今、手を使えない。

 手が使えない時、それが今。

 律と優花里は試されている。鹿美華琥太郎によってボディガード達に出された指示は、このふたりに状況の打開をさせるという事。その他のメンバーは琥太郎の指示でその場で動く事が出来ない。

(律はきっと踏みつける・・・)
 優花里は律の手を使えない状況を見て、察する。あの授業の時、律は起きていた。そこまで記憶している。単純なあの男の思考なら、間違いなくそう行動するだろう。確信していた。

(優花里はきっと来てくれる・・・)
 律はなんとなく、優花里の性格を思い出した。その場でじっとしてる事なんて無い。指名を受けたなら尚更だ。行動に移すだろう。そのキッカケは自分だ。

 同じ部屋で過ごしたふたり。互いが互いの事をなんとなく想った。琥太郎が観察し、ボディガードは動かず、池波も状況の打開を確認しているとき。その静寂を終わらせるように律は叫んだ。

ー〝見極めろ!〟ー

「優花里ッ!」

 律は池波の足の甲を力一杯踏みつけた。それはほんの少し、池波の動きを抑える隙を作った。

ー〝二度目は無い!〟ー

 ボディガード達の物陰から、優花里が3歩で飛び出してくる。池波は律の踏み付けで一瞬だけ怯み、飛んでくる優花里に気を取られる。

ー〝一生警護〟ー

 その瞬間、律は小姫を抱きしめて、引き寄せた。池波からの引き剥がしに成功する。律は再度ホテルの中へ、とにかく走り出した。

 優花里は律を追いかけようとする池波の顎に向けて飛び膝蹴りを繰り出す。身体こそ鍛えているが残念ながら性差により同じく鍛え上げている男性には力では勝てない。彼女は力ある相手に対しては、スピードとテクニックで戦うしかないのだ。
 彼女のその速さ、正確さの攻撃が、池波の顎に届く。

「舐めやがって・・・」

 しかし、威力はない。池波は一瞬だけ怯んだが、直ぐにその両手で優花里の太ももを捉えた。身動きの取れない優花里、次の一手を考えるフリをしている。

 池波がナイフで優花里の身体を突き刺そうとした瞬間、ナイフがその手から離れていく。銃声と共に、池波の手の甲に銃弾が撃ち込まれる。2階から琥太郎が撃ち放ったのである。

「終わりだ」

 そう。勝負はついていた。優花里は言わば時間稼ぎ。池波が優花里の足を捉えている間も、律は小姫を抱いて逃げている。合わせて亜弥も池波と距離を取った。
 警護対象の為に律は走り出し、優花里は時間稼ぎの為に、惜しみなく命を差し出していた。

「3点だな」
 そう言って鹿美華琥太郎は池波の肩に向けて、再度正確な銃を放った。

 その時池波は、死以上の恐怖を感じていた。

◆[19:10 ホテル極寒 2階]

 小姫を抱えてたどり着いたのは、2階。律は息を切らしながらも、敵から彼女の身を守った事に安堵している。
 タバコを吸う鹿美華琥太郎がこちらを見ている。そこで安心した小姫は律の元から降り、父の元へと向かった。

「大丈夫か?小姫?」
 心配する鹿美華琥太郎は自分の娘に触れることが出来ない。言葉をかけることしか出来ない。
「うん。なんとか」

 吸いかけの煙草の火をホテルのカーペットに押し付けて消火する琥太郎。ひと段落ついて、律に話しかける。

「合格とは言えない」と指摘する。

 律はどうでも良かった。小姫を守れれば勝ちなのだ。目の前のこの男は余興を楽しんでいたが、それは違う。守れればいい。必死だったのだ。律からすれば、小姫を守れた事、それが合格だ。

「どうしてホテルに戻った?」

 小姫を池波から引き剥がした時、律にはいくつかの選択肢があった。
 ひとつはそのまま外へ逃げるという事。もうひとつは動く事か分からない車に逃げ込む事。また、敵である池波を制圧するという選択肢もあった。
 残りの1つは律が選んだ選択肢、ホテルに逃げるという事。

 敵の数を把握していない状況でホテルに逃げ込むというのは賞賛される行為ではない。ただ、どの選択肢を選んでも同じだが、逃げ道を増やせる方が良いはずだ。わざわざ建物の中に逃げるのは悪手だと、琥太郎は指摘した。

「お父さん・・・最強の貴方に、小姫さんを渡せれば、それで助かると思ったから」

 律は素直にそう回答する。そもそも彼の中に選択肢などなかった。思いもよらぬおだてに鹿美華琥太郎は笑う。

「他力本願だな」

「それでもいいんです。小姫さんを守れたので・・・」

「爽奏律」
「は、はい」
「とりあえず、お父さんって呼ぶのやめてもらっていいか?」


◆[20:30 ホテル極寒 1階出口付近]


「現場撤収確認、終わりました」
 疲れた身体で、律は持ち場の確認を終えた。2階の窓を破った爆発によりホテル極寒周辺は騒然となっていた。

 消防車3台。救急車2台。そして地元新聞記者の車が1台。他は野次馬だ。関係各者がホテル内の撤収作業を終えている。

「こう言った事態を想定し、その時の動きを君たちに伝えておくべきだった。すまない」
 尾美神がその大きな身体を折り曲げて謝る。そんな事ないです、と謙遜する律と優花里は少しだけやり切った顔をしていた。
 巨木はそのまま、ふたりの元を去る。

 解散の運びとなった。律達研修生は迎えの車をロータリーで待っていた。

「お、おい、なんだよあれ・・・」
 隣にいたコミネが指をさした。担架で運ばれた男が救急車に乗せられていく。その一瞬の姿を見た。

 顔の右半分が、穴だらけになっている。

 正確に言えば、焼け焦げた跡だった。顔面の一つ一つに煙草の火を押し付けられ、じりじりと焼かれていたのだ。
 鹿美華琥太郎の手によって。

◇[20:30 ホテル極寒 2階]

「あの爆弾男は毒壺に入れておけ」
 琥太郎は指示をする。
「はい」
「鹿美華記者団はまだか?」
「もうすぐ参ります」
「若草ァ。どうしてこうも想定外ってのは起きるんだろうな」

「聞きたいのは私の方ですよ」
 現れたのは鹿美華ファンド、幕田沙羅。

「華やかな舞台に泥を塗る様な出来事ですね・・・」
 若草は残念な顔をしていた。

 本件の死者1名。

 それはH銀行北広島頭取。彼に恨みを持った人間が殺し屋を雇い、OBに扮してその命を奪った。

 この件の犯人が誰なのか、琥太郎には興味は無かった。尋問の末、彼は口を割った。しかしそれは鹿美華には関係の無い出来事だった。





「今回もまた失敗か」
 大都市圏。某所ビル。35階。プライベートルーム。煌めく都市の夜景を見ながら、男は電話をしている。

『池波はそれなりに出来るヤツだと思ってたんすけどね』

「早くやって貰えないと困るんだ」
 苛立ちを見せる男。男自身も焦っているのだ。彼自身もまた、巨大な組織の歯車の一つであり、この嫌な役回りをしている。失敗の報告を上の人間にする事にストレスを感じ始めていた。

『悪かったよ。今回は不運が重なった』
「別の事件が重なった事か?」
『ああ。一応、めちゃくちゃな世界だが、そういうのは注意しているつもりなんだけどな』
 ホテル極寒の一件で起きた、裏社会の人間達の予定が被るという、あまりにも杜撰なトラブル。

「トラブルがあっても任務はやりこなす。それがプロだ」
『俺たちも足はつけたく無いからね。カックロウチを使うしかないんだよ。でもアイツら、俺から言わせれば弱いね』
「ならお前が直接行けば良いじゃないか」
『なーに言ってんすか。俺ひとり頑張っても鹿美華琥太郎は殺せない』

「ダラダラと話すな。また折を見て連絡する」

『ほーら、俺らしか頼れないって事でし』苛立ちを隠せない男は通話を切る。

(鹿美華琥太郎・・・貴様さえいなければ・・・)


 男は目を瞑りたいその気持ちを表すかのように、ブラインドを下げる。


 
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