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昇進試験

14 流れ星

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「おきろの」

 優花里のビンタで目が覚める律。部屋はまだ暗い。何より眠りが浅い。時計を見ると、自分が眠り始めてから1時間程しか経過していない。午前1時。今日は朝練もないし、朝練があるとしても、起こされるには早過ぎる。

「ど、どうした」
 そういえば騒音の様ないびきを聞いてないな、と思い出す律。

「眠れないの」

 暗がりで優花里が寝ている律に顔を近づけている。もう数センチ近付けばキスできてしまう距離だ。律は慌てて身体を起こす。さっきまで自分の事を殴って寝ると言った優花里が起きている。

「睡眠第一の優花里が、寝れない!?」

 律は冗談まじりに驚いてみせる。しかし内心では仲間の不調を心配していた。いつもは大きな音を立て眠る彼女が、静かに起きていた。

「散歩行こうよ」と提案する優花里。
「しょーがねーな」

 別に悪い事をするわけでもないが、律と優花里は他のメンバーにバレないように静かに階段を降り、外へ出た。

 冬本番の北の大地はとても寒い。凍てつく空気。ふたりの息は白い。朝練をするこの牧草地も一面雪景色だ。見上げれば、空に張り付く様にちりばめられた沢山の星が輝いている。見慣れてしまったが、間違いなく絶景だ。

「どうして寝れないんだよ」
 澄んだ空気が映し出す飲み込まれそうな星空。そんな幻想的な雰囲気を見ながら、歩き、少ししたところで律は優花里に尋ねた。

「アニキの事、思い出したの」

「兄貴いんのか」

 律はいつしか、優花里が〝全てを捨ててきた〟と言って以来、プライベートな事は極力聞かないようにしていた。優花里に兄弟がいる事は、律にとっては意外な事だった。

「ふたりいて、好きだった方のアニキを思い出した」
「ふたりいんのかよ」

「ひとりは死んだ」
「は?」
「好きなアニキが、もうひとりのアニキを殺した」

 律は唐突に優花里がそのような話を始めるので戸惑った。しかし、この世界に関わるようになってから、そういった人殺しの話が嘘や遠い世界の話ではない事を認識し始めている。

 綺麗な星空を眺めながら、優花里は話を始めた。





 優花里は年の近い兄、優輝を好きだった。そして自分より15も離れているもうひとりの兄、優哉ゆうやを嫌っていた。

 優花里が優哉を嫌いな理由はひとつ。
 努力をしない男だからだ。

 彼は半ば引きこもりのでろくに仕事もしない男だった。優花里は思春期に入る中学生の頃から優哉の部屋には全く入っていない。優花里は周りの友人に彼の存在を隠していた。ふたり兄弟だよ、と周りに言いふらしていた。
 その意に反し、優哉は家庭内に図々しく存在していた。むしろ三兄弟の中では優遇されていたのだ。両親は彼に嫌悪感を抱いていない。

 その理由は金だった。

 優哉は少ない金を競馬やギャンブルに費やし、資金を何年もかけて増やし、そして株式投資を行い資産を増やした。
 優哉にその手のセンスがあったのではなく、ただ偶然、幸運が重なっただであった。新聞紙を何回か折る事で月に届くという、そんなスピードで、彼の資産は瞬く間に増えた。それは一般家庭では到底届かない額だ。資産家というほどではないが、優哉は金を持って両親を黙らせていた。

 優花里同様、優輝もそんな優哉が嫌いだった。どんなに自分が頑張っても、金を持っている優哉が優遇される。それが彼を非行に走らせた理由だ。不良少年の気質があった優輝だが、醜い上の兄の存在がそれを加速させたのたわ。

 思い出せない様な些細なきっかけだった。ほんの小さな亀裂から水が漏れ、ダムが崩壊するように、優輝はいわゆる半グレと言われる位置に存在し、知らぬ間に裏社会に片足を突っ込んでいた。

 優花里にとっては存在を消したい兄優哉。それに縋り付く両親。両親は非行に走る優輝の存在を消そうとしていた。

 そんなある日だった。家に複数人の男が押し寄せる。



 優花里は怯えていて、その時の事は詳しく覚えていない。母は優花里を自分の寝室のクローゼットに隠し、出てくるなと指示した。

 現れた複数の男たち。半グレ集団。その真ん中に優輝がいる。父が見たその久しぶりの姿は、髪を奇抜な色に染め、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。

「優輝。何の様だ」
 震えながらも、威厳を保つ為に父が玄関で対応する。
「金を貰いに来た」とニヤニヤする優輝。
 その周りには年齢がバラバラな荒くれ者が数名立っている。
「小遣いという年齢じゃないだろう。久しぶりに帰ってきたかと思えば!それか!」
 父は震えを隠すために、声を荒げた。

「だるいなぁ親父」

「お前な!一体どうしちまったんだ!お前らか!お前らのせいで息子がおかしくなっている!もう関わらないでくれ!」
 そう、喚き立てる父の肩を、とん、と押す優輝。その優しさとは裏腹に腰の抜けた父は尻餅をついて倒れた。そして行軍の様に荒くれ者達が家の中へ入っていく。優輝達の目的は決まっていた。

 その扉が開かれる。優輝はその部屋に鍵がない事を知っていた。

「臭え部屋だな」優輝は優哉の久しぶりの顔に苛立ちを覚えていた。この男は運が良かっただけ。それなのに自分よりも儲け、家庭内の地位もいつの間にか一番上にいる。優輝は優花里以上に優哉を嫌っていた。

「な、なんだ!」優哉は掠れた声で久しぶりのやつれた弟の姿を睨んだ。

「兄貴。金出せよ。それだけだ。そうしてくれればいいんだ」
「か、金だと!出すわけないだろ!」
「強がんなよ」
 優輝は優哉の部屋を荒らし始めた。パソコンが商売道具である事を知っていたので、それ以外を荒らし、本を破り、ガラスを割る。優哉は恐怖のあまり失禁していた。

「こ、ここには金はない!それに!溶かしたんだ!お前、俺の今の全財産、見せてやるよ、4万だ!」
 がたがた震える椅子の音と共に優哉は咄嗟の嘘を放つ。使わなくなった口座に残っていた明細の画面を開いた。

「兄貴・・・てめぇ・・・こんなとこでも俺の邪魔をすんのかよ」

 優輝のいる世界は厳しい。金が全てだ。そしてそれ以上に上下関係が全てである。金を工面し、納めなければならない。優輝はその時窮地に陥り、家族から搾り出す事を決めたのだ。プライドを捨て、金だけは頼りたくない優哉の元に来た。
 その優哉は金が無いと言っている。

 優哉の身体は不健康だ。巨大な三角形にぽんと出ている様な頭、その頭部の右頬に殴りかかる。そこに加勢する様に他の人間も倒れた優哉を蹴る。

「け、警察を!呼んだ!」父が慌てながら、階段を登り駆け上がる。
 その時、取り巻きの一人が彼を蹴り飛ばした。転落する父。



「私と母は隠れてたから、大丈夫だった」

 律は黙って、ただ聞いていた。優花里はその残酷な事実を冷静に語っている。それに違和感を覚える。

「お父さんは、頭の打ちどころが悪くて、植物人間」

「あ、母さんはね、自殺した」

 優花里は淡々と喋る。
 寒空、綺麗な星の空の下。

「優哉はそん時死んだよ」

「私はミナシゴってやつかな」

「聞いてる?」

「聞いてるよ」

「この仕事やれば、アニキに会えると思うんだ。だから志願した。裏社会だなんて、入り口は分からないし、入りたくない。それに立ち向かう組織にいれば、多分会えると思ったから」

 優花里の目標は、兄・優輝に会うこと。そう言っている様に律には思える。律から言わせれば家族を痛ぶる悪者にしか思えない。

「優花里・・・今でもそのお兄さんが好きなのかよ」

「うん。律の次に好き」
「は?」
「ごめん、聞き流して」

 突拍子もない事を言う優花里と、それを受けて黙る律。

「全部捨ててきたって言ったの、実はウソ。捨ててきたのはお父さんだけ。アニキに会う為に、私は頑張るの」

 その言葉を最後に、ふたりの沈黙は続いた。
 綺麗な星空に流れ星が映る事は珍しくない。時折、ぽつりぽつりと空から降っては消えていく。
 ふたりはそれを見つける度になんとなく願い事をする。律は自分以外の人の事を願っていた。





「若草。小姫から何か聞いているか?」
 
 枝角若草は鹿美華琥太郎のその言葉にどきりとする。

「ど、どの事でしょう」
「俺は怒っちゃいない。正直に話せ」
 煙草に火をつける琥太郎。若草は琥太郎の顔色を窺う。小姫から受けている話というのはたくさんあるが、それだろう、というものを語り出す。

「小姫お嬢様からは〝学校に戻りたい〟とお話を受けております」
「半年前の誘拐があっただろう。学校に行かせるのはヤメだ」

 律と出会うあの日まで、小姫は高校に通い、生徒同士の交流などの充実感は無くとも、彼女は学生生活を送っていた。それすらも危うい今、小姫を学校に戻すなど言語道断。そう思って若草は黙っていた。

「ええ・・・ですので、私も口をつぐんでいたと言いますか・・・」

「ま、父としてはだな。娘の願いは叶えてあげたいわけだ」
 いつしかの残虐さなど微塵もかけらも無く、鹿美華琥太郎はペラペラと喋る。この様な男であっても小姫は娘であり、愛おしい存在なのだ。

「そこで考えたんだよ。この前の研修生のガキふたりも編入させる。そうすりゃあ、何かあっても少しは凌げるだろ」

「琥太郎様・・・ですが、今はどこから情報が漏れるかも分かりませんし・・・やはり危険かと」
 琥太郎の気持ちもわかるが、余りにも浅知恵だ、若草は意見する。

「あの学校には戻らねえよ」
「は、はぁ・・・」
 確かに転校ならば、可能性はあるが、いずれ同じ様に情報が漏れ、また狙われる可能性は否めない。

「蜜葉財閥んトコの学校があるだろうよ、そこに通わせる」

「な、何を仰っているのですか!?」

 名案思いついたぜ、そんな顔をしながら鹿美華琥太郎はタバコの煙を若草に吹きかけた。
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