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バック・スタバー(:起 大きな借り)

19 刻まれた名前たち

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「この部屋とも今日でお別れか」
 律は二段ベッドの下段から、上段を見ながら寝転がっている。

「来週から学校生活だなんて笑えるの」
 優花里は上の段で狭い天井を見ながら律に語りかけた。先日の試験を終えたふたりは、この地を離れ、都内の学校で正式な任務に従事する。
 鹿美華セキュリティサービス研修センター。基本的には1年半の研修期間を経て各地へ配属される運びだが、優花里は10ヶ月、律に至っては4ヶ月程での配属となった。

 そんな華々しい功績とは別に、最近の優花里は意気消沈気味だ。律にはその理由が分かっている。律は二段ベッドの上の優花里に語りかけた。

「優花里。任務、頑張るしかないよ」
「励ましてるのかの」
「そうだよ」

 優花里は裏社会にいるであろう兄に出会う為にボディガードを目指している。ところがどうだ。飛び級で与えられた任務といえば、学校生活内での警護。優花里は兄が遠のくのを感じていた。任務の期限は決められてはいないが、少なくとも1年間は間違いなく、高校3年生として過ごす必要がある。

「律。別に私は目的の為に迂回する事は嫌いじゃないの」
「うん」
「でも、鹿美華のお嬢様の学校生活を守るなんて、正直言って退屈だの」
「そうか?」
「律はどうなの?」

 その問いかけに、律は正直に答える。

「俺はやれる事を頑張る」

 あの日、小姫を助けて、飛び込む様にこの世界に入って、色んな研修を受けたりして、今。やっと、守りたい、そう思った人の警護をする事が出来る。それが規模の小さな学園生活だろうと律にとっての目的を果たす事が出来る。

「私だって頑張るの」
「うん」
「律。寂しいね」
「ま、まぁな」
「起きろの」
「はぁ?」
 面倒だなあ、と思いながら律はベッドから降りる。タイミングを合わせる様に優花里が上から梯子を使って降りてきた。

「ハグしよ」

 唐突に出てくるハグという言葉に律は顔を赤らめた。
「はっ!?ハグ!?」
「早く」
「えっ!」

 優花里の家庭は崩壊している。

 あの日以来、祖父母の家で暮らし、そしてフリーターとして長く暮らしてきた。ずっとずっと孤独だった生活。
 研修センターに来ても女という理由でひとりだけの部屋を与えられたが、律が現れた。

 忘れかけていた、誰かと一緒に暮らす日々というもの。そしてそれが終わる。寂しさがある。
 女でいる事を嫌っている彼女も、たまにはそういう一面を見せるのだった。

「こ、今回だけだからな」
 律はゆっくりと近づく。意識してしまうと律は緊張してしまった。目を閉じ、手を広げている優花里。律も恐る恐る手を伸ばし近づく・・・こういう時は、ふざけた感じで接するべきだ。律は考える。そして、優花里を抱きしめようとした瞬間。

 ガチャ、と部屋の扉が開く。
 律は身体をびーんと伸ばした。

「よっ、飛び級コンビ!」
 現れたのはコミネを含む残りの研修生たちだった。

(また邪魔されたの・・・)
 少し不機嫌になる優花里。




 翌日。雑な感じで卒業を言い渡され、ほかの研修生より一足早く研修センターを出るふたり。外の状況が分からない車に乗せられ、運転する事数時間。

「降りたまえ」
 運転席のガンマン清がそういって後部座席を開けた。目的地は空港のはずだが、そんな気配は無い。

「ここは・・・?」

 見晴らしの良い丘。牛がいても問題なさそうなその平原に、どすん、っと言った感じで四角い大きな石碑が立っていた。

・・・そこには多数の名前が書かれている。

「これって」と優花里は察する。

「そう。慰霊碑」
 ガンマン清はカウボーイハットの姿のまま真剣な顔をしていた。

「鹿美華の案件で死んだボディガードの名前が刻まれているんだ。そして僕はこれを毎週掃除している」
 尻ポケットからウエットティッシュを取り出して、小さな布面積で大きな石碑を効率悪く拭き始めるガンマン清。

「僕の先輩、友達、そして教子達の名前もここにきざまれている。掃除は週一だけど、彼らの事は毎日想ってる」
 ガンマン清はその連なっている名前の殆どを記憶していた。律と優花里はガンマン清の言葉をただただ聞いている。

「ほら。一生警護って教えたことあるじゃない。でもね、こう言ったら矛盾するけど、命は大切にして欲しいんだ」

 ガンマン清は後輩の名前が刻まれた部分を丁寧に拭いた。死んだという知らせを聞いた者やその場面を間近に見た者、死んだかどうかも分からず刻まれた者・・・その名前の凹凸をなぞる。

「残された側ってのは、悲しい」

 その言葉に割って入ったのは優花里だった。

「先生。私は欲張りなの。自分の命も、対象の命も守り抜くの」
「強いね」

 その言葉の後、しばらく清の掃除を見守るふたり。律達は知らない。同胞が幾多の修羅を乗り越え、そしてその命を落としてきたのかを。

「案件の事は琥太郎から聞いてる。気をつけてね。最近、よどみを感じるから」

「淀み?なんですかそれは」
 律は尋ねる。

「根深く存在している〝裏切り者〟の存在・・・それが動き出してる」

 裏切り者、という言葉にふたりは互いの顔を見合った。違うよな?そうだの、そう言った会話が言葉を発せずに語られる。

「裏切り者?」
「鹿美華は常々狙われている。真っ向勝負でやってくる相手もいれば、仲間のフリをして裏切る奴もいる。今までも沢山いた」

「たくさん・・・」
「蜜葉学園が何かのキッカケになるかもしれない」

 ガンマン清は現役のボディガードでありながら、その腕を認められ、新人の研修を行っている。幾多の人間を一人前として輩出してきた。そして、そのうちの何人の死に涙を流したか。
 その幾多の経験がこの突飛な案件に纏わる何かを察しとっていた。

「先生、俺頑張る」
「私もだの」

「みんなそう言うさ」
 そう言って、再び車に乗り込む3人は、空港に向かう。

「・・・でも、君たちなら大丈夫な気もする」
 その台詞は清がみんなに言う言葉だった。

「それじゃあ、頑張ってね」
「任せてよ先生!」
「行ってくるの!」

 そしてそのまま空港に到着し、ガンマン清はロータリーでふたりを送り出す。その並んだ背中は出会った時より、たくましく見えた。


 淀みが濁流を生む、その時は、北の大地で先生をやっている場合では無い、清はそう思った。




 あっという間に飛行機で関東地区に到着するふたり。そこから出口を探して、タクシープールでその姿を見つける。シルクハットにステッキのナイスな紳士。

「お待ちしておりました」
 枝角若草が律と優花里を歓迎し、黒光りの車に乗る様に指示する。運転手は頼り甲斐の無さそうな顔をしている。

 その後部座席には、小姫が座っている。その中に乗り込む2人。車内後部座席、向かって右から、小姫、律、優花里の3人でのる。律は両手に華、なんてくだらない事を考えていた。車が広いのか、小姫が華奢なのか、とにかく3人が乗っても車内は窮屈さを感じない。

 優花里は疑問だった。
(どうしてこの娘が乗ってるんだの?)

「これより、で暮らしていただく家にご案内致します」

 その言葉に驚くふたり。

「御三方?」
「ええ。小姫様、律様、優花里様の3名で御座います」

 そう言いながら、軽快に車を運転する若草。到着したのはその1時間後。その間、会話はなかった。

「こちらです。どうぞお入りください」

 私立蜜葉学園高等学校から徒歩10分。閑静な住宅街の一角の家、そこに〝爽奏・小早川〟と名前の刻まれた表札。
 その表札の門構えの先に大きな家がある。二世帯住宅とすれば納得のいく大きさだ。

 簡単に乗り越えられそうな門を抜ける。玄関の扉は各自がリーフォンをタッチし、それが鍵となる。玄関のドアは半分までしか開かず、1人ずつしか入れない仕組みになっていた。

「さ、どうぞお入りください」

 若草の紹介が始まる。1階には大広間、キッチン、風呂、トイレ、そして律達ふたりの為の備品庫がある。2階は3部屋に分かれており、各自の部屋になっている。小姫の部屋だけふたりの二倍の面積があった。

「ちょっと居心地が悪いの」
 優花里が廊下に分かりやすく配置されている監視カメラを覗きながら呟く。

「御三方の部屋、風呂、トイレ以外は残念ながら監視されております。申し訳ありません」
 その理由は律と優花里がS3から完全な信頼を得ていない事を意味した。

「と、とりあえず自分の部屋で荷解きとか、するか?」
 律がそう言って、3人がそれぞれの部屋のドアノブに手をかける。その時、小姫は勇気を振り絞った。

「荷解きが終わったら1階で、その・・・」

「ん?」鈍感な律。

「パーティでもやるかの」察しの良い優花里。

「若草。食事の準備を」命令する小姫。

「はい」笑みを浮かべる若草。



 小姫は広い部屋に入り、とりあえずベッドに飛び込んでみた。そして、隣の部屋の音を聞こうと、壁に耳をつけてみる。無言だが、ガサガサ、と音がする。律の生活音だった。

 小姫は琥太郎へ我儘を突き通した。今回の学生生活では登下校もしたい、とお願いをする。
 前回の学校は、若草の送り迎えがほとんどで、楽しむ事が出来なかったからだ。
 琥太郎は娘の我儘を喜んでで受け入れた。しかし、所在地不明としている普段の家からの通学時間などを考慮すると障壁があった。

「ならボディガードのふたりと共同生活だ」
 琥太郎が小姫に出した条件はそれだった。そういうわけで、3人一緒に生活させる運びとなったのだ。それは小姫の想像通りに運んだ。

 小姫は窮屈な基地の様な家から抜け出し、彼女なりの普通の学生としての生活を手に入れたのだ。胸が高鳴っている。

 なにより・・・

(律と一緒・・・学園生活・・・)

 それが嬉しい。
 ただ、小姫は少し気がかりなことがある。



 同刻。鹿美華病院。

 律の治療を行った医師・狭間と鹿美華琥太郎が屋上で空を見ながら会話をしている。

「で、どうだったんだよ」
 琥太郎はタバコを吸いながら狭間の回答を待つ。

「それが・・・驚いたよ」

 琥太郎は狭間に律の怪我の治療に加え身体検査を依頼していた。
 特異体質で、他者の接触を拒絶する娘の身体に触れる事のできる存在、爽奏律。
 自身には分からない身体の秘密・・・それがあるはずだ。

「おいおい、勿体ぶるなよ」

「驚くほどに、凡人だったんだよ」

「凡人?」

「ああ。身体の構造も、DNAも・・・何一つ変わった所は無い」

 狭間は残念な顔をし、琥太郎もまた、期待した自分に少しがっかりしている。爽奏律の身体は、ただの人でしかなかった。


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