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バック・スタバー(:焼 イケニエ)

25 タテイビル

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◆[21:15 爽奏・小早川家]

「おーい、小姫、晩飯できたぞ」

 男女の思いがすれ違う爽奏・小早川家。2階。廊下。小姫の大きな部屋の前。そこに立つ律。夕飯の準備が出来たので部屋に戻った小姫を呼ぶが、返事はない。
 小姫は踏み込んだ質問をし、律はそれをすり抜ける様な回答をしてしまったのだ。そこから微妙か空気が流れたままである。

「先食べてるからな~」

 そう言って、階段を降りるフリをする律。少しすると、小さく小姫の部屋の扉が開く。

(必殺!平泳ぎ!)

 両手を合わせ、その隙間に手を突っ込む律。そこから無理やり扉をこじ開けた。部屋の内側から扉を閉めようとした小姫は力負けし、前のめりになる様に部屋から出る。
 その時、体制を崩すが律はそれを優しく受け止めた。小姫はそれを拒絶する様に律の手を解き、立ち上がる。

 その力のない力に律の心が少しだけ擦り傷のような痛みを感じる。小姫に拒絶される事、その胸の痛みを感じる。

「ご飯なら後で食べるわよ」
 そっけない態度の小姫。小姫は少し前の会話で律に拒絶された様な気がして、反抗する様に律を拒絶している。

「なら下で待ってるぞ」
「先食べてて」
 小姫は早々に会話を終わらせようとする。

「食欲ないのか?」
 あえてような質問をする律。

 その言葉に顔を赤くする小姫。苛立ちだ。

 小姫はつくづく思う。

(どうして・・・)

 ・・・どうしてこの男が現れたのか。

 なぜ、父や母ですら触れられない自分に・・・
 まるで開かずの金庫の鍵を適当にまわしているうちにカチリと開く様な、そんな偶然の様な必然の出会いが起きたのか。

 小姫はそれを理解出来ない。
 出来ていない。

「律。これは命令。ひとりにさせて」

 強く閉じられる扉。その風圧で律の癖毛が少し揺れる。ばたりという音が律の心を打ちつける。


◇[21:36 タテイビル]

 タテイビル入り口に琥太郎と優花里はいた。呼び込みをしていたメイドは消え去り、客は誰一人として現れない。彼の要求から1時間後、豹柄のコートを被り、葉巻を吸った成金が現れた。年齢は50歳程度。綺麗な白髪と蝶ネクタイ。

 彼はこの歓楽街の一部の縄張りの実権を持つ男、縦井タテイ英樹ヒデキ。このビルの所有権を持つ。

「おやおや、貴方ですか」
 縦井は琥太郎の圧など全く臆せず、開口一番琥太郎を見て笑った。
「俺の事を知ってるのか。嬉しいねぇ」

「嬉しいのはワシだ。目の前にいる大金がいるようなものだ」下品な笑い方をする縦井。
「言うねぇ、ジジイ」
 縦井は成金の出立に見合うやり手の金持ちである。利益優先、金が全て。それが縦井のポリシー。その原動力が彼の財布を豊かにしてきた。

 ま、入りたまえ、と促し琥太郎と優花里をビルの5階、美脚美人を揃えたクラブへと案内する。暗い店内の中央には骨董品が置かれ、従業員が素足を露出し、チラつかせている。

◇[21:42 タテイビル5階 美脚倶楽部]

 美脚美女が縦井の横につき、なれた手つきで酒を作る。琥太郎はそれを水のように飲んでいく。鏡張りの薄暗い部屋にシャンデリア。淀んだ空気。優花里は悪趣味だの、と心の中で思った。

「いくらだ?」

 琥太郎は面倒なやりとりが嫌いであった。金で黙らせ、ビルを買い取って縦井を従わせようとしている。
 そのやり取りを見ている優花里は疑問を抱く。鹿美華琥太郎ほどの力があれば、最初から全て暴力で解決できるのではないか?と。

 しかしそれは違った。琥太郎には彼なりの美学がある。琥太郎には独自の沸点がある。それを越さない限りはある程度の常識人なのだ。幾多の暴力であらゆる事を捩じ伏せる彼にもそういった仁義があった。

「待て待て。その前に、どうしてこのビルを買う?」
 縦井は琥太郎のスピードを感じているが、自分のペースを落とすつもりはない。
「剱岳という男を探している」
 本日3度目の台詞。

「知らないぞそんな奴は」
「地主にここの細かいことなんて判らないだろう。だから、買う。買って調べさせてもらう」

「見た目によらず律儀な男だ・・・」

 そう言いながら縦井は頼まれてもいない見積書を出してきた。
 ただでさえ、一頭地のビルの値段は高い。土地そのものの値段に加え、ビル自体の費用、そしてテナントを撤去させる為の費用など、余計な金額を膨らませたものを提示する。
 優花里はその0のおかしな桁数に困惑するが、琥太郎からすれば驚くものでは無かった。

「そんなものか」

 縦井にとって、この商談はプラスでしかない。鹿美華の人間、それも鹿美華琥太郎のような人間の土地が存在する事は、自分のシマの治安維持にも繋がる。

「決まりで良いですか?」
 縦井の鼻の下が伸びきっている。

「直ぐに振り込んでやる。細かいことは後でいいだろ。振り込みを確認したらこのビルを自由にさせてもらうぞ」
 琥太郎はタバコを吸い始め、若草に電話をしている。若草はすぐに入金手続きに入った。

「ええ、構いませんとも!ささっ!貴方も!」
 縦井は調子が良くなる。そして優花里を凝視する。脚は太いがよく見るとイイ女だ。
 優花里に酒を差し出す。

「悪いの。お酒はお肌の大敵だから飲まない」
「じゃ、烏龍茶ですかな?」
「お構いなくですの」

 などと簡単な会話をしている間に、鹿美華家から縦井の口座への巨額な金の移動が完了した。

「おい。縦井」
「はい!なんでしょう!鹿美華サン!」
「お前は頼れる。今後も頼むぞ」
「はい!」

 琥太郎は縦井を利用するつもりでいる。こういう胡散臭い、金の匂いしかしない人間は裏の世界へと繋がる。

「おい女。上から順に見て回るぞ」
「はいの」

 琥太郎と優花里はビルの6階から調査を開始する。

◆[22:02 爽奏・小早川家]

 いつもなら風呂に入る時間だというのに、小姫が部屋から出ないので、律は何も出来ずにリビングにいた。自分が最後に風呂に入るというルールを守っているのだ。優花里がいつ帰って来るかも分からない。律は完全に時間を持て余していた。

(つーか、なんで喧嘩みたいな雰囲気になってんだ・・・?)

 律は小姫の事で頭がいっぱいだった。
 もう律は気が付いている。

 小姫が自分に好意を寄せているという事を。

 でも律にはよく分からない。分からないのだ。恋愛を装備品だと捉えていた彼には、まだ分からない。

(女って厄介だな)

 そんな事を思った時だった。インターホンの音が鳴る。閑静な住宅街、この家に訪れる人間など限られている。律は恐る恐る、リビングのインターホンのボタンを押し、訪問者を確認する。


「えっ?」


『入れて貰えるかしら?』

 厄介な女がもうひとり。
 現れたのは蜜葉るりだった。

「どうして・・・」
 何も考えずにるりをリビングに通し、その迫力ある胸元を凝視しながら律が尋ねる。今日の服装は露出は抑えられているが、それはそれで胸のラインをくっきりと示してしまっていた。

(で、デカい・・・)

「どうしてこの場所が?って?」
「ま、まずはそうだな」
「るりの学校よ。生徒の住所は把握してますのよ」

「だからってどうしてここに・・・」
「貴方の連絡先を知らないから」
 だとしても直接家に来るのか?と疑問に思う律。さすがお嬢様だ、と思う。

「で、何の用事だよ」

「いっぱいあるわ。まずは学校再開のお知らせ。つぎに、聞きたい事があるの」
「聞きたい事?」
「貴方、今回の一件について何か分かる事はあるかしら」

 今回の一件・・・
 蜜葉学園にミサイルが飛んできた事、そして蜜葉るりが誘拐されかけた事。蜜葉るりは週刊誌の記者や芸能関係の人間に付き纏われた事があるが、あの日のように誘拐されるという事は今までなかった。

「ボディガードの俺じゃあ、分からない事だらけというか・・・」
「それは私もそうよ。大人達が事を穏便に済ませようとしてるわ。るりが知りたいのはそこじゃないの。どう思う?って事」

「どう思う?何がだよ」
 律は蜜葉るりの会話の意図が掴めない。

「誰が・・・どういう目的でミサイル飛ばしたって話」

 蜜葉るりは、先日のミサイルの誤射や自分の誘拐が鹿美華の仕業ではないという結論を自分なりに出していた。

「分かんねーよ俺、そういうの」
 律は先日の会議で死んだはずとされる人間のリーフォンからミサイル射出の指示が出た事を知っているが、その情報を漏らすつもりはない。

「この国の三大財閥は分かるかしら?」

「あっ、それは」
 座学で習った。三大財閥。鹿美華家・蜜葉家・・・そして・・・

猪苗代いなわしろ家・・・」

「貴方はどう思う?」
「どう思うも何も、分からないや」
「私の学校に小姫さんが学校に通っている事を知ってて、ミサイルを撃つ・・・私達を仲違いさせようとしてるんじゃないの?」

 蜜葉と鹿美華の仲を悪くして徳をするのは、猪苗代家。るりお嬢様はそういった簡単な予測を立てた。

「う~ん・・・」

「そしてもうひとつ、話があるの」
 そう言って蜜葉るりが律に近づく。

◇[22:26 タテイビル]

 縦井は媚びるようにエレベーターの操作を担当し、6階から順々にフロアを紹介していく。

「特に怪しいとこはないの」
 優花里達は既に2階フロアの捜索を終えていた。
「次は1階ですね」
 エレベーターのドアが開き、縦井が操作をする。
 何一つ剣岳双刃に関する情報が出てこない。

 分かった事といえば、ただただ下品なビルで外装工事はされているものの古く、よく見ると汚れや傷、ヒビが目立つと言う事だ。

 一度外に出て、ビルを眺める琥太郎。

「無駄金か・・・」

(無駄金にしちゃデカすぎるの・・・)

「もう一回だけ、6階からサラッと確認するかの?」気を利かせる優花里。
「めんどくせぇ。お前だけで行ってこい。一服してる」

 ハズレクジを引いた気分になり、煙草を吸う琥太郎に媚びる様に話しかける縦井。ただ、優花里は何も考えず、ひとりでエレベーターに乗り込む。

 6階のボタンを押そうとした時・・・。

(ん?なんだの?これ?)

 さっきまでは縦井がエレベーターを操作し、各階を案内してくれていたので気が付かなかったが、注視すれば判るレベルの細工が・・・周りと同じ様なシールで上からボタンを隠している場所がある。

 優花里は何の気無しに、そのボタンを押す。


ー〝地下1階〟ー


 そのボタンを押すと、優花里はすぐにその場所に到着した。

 エレベーターの扉を出ると少しの距離の廊下とその先に半開きのドアが構える小さな部屋がある。
 薄暗くて、黴臭い、そして特異な匂いのする空間。

「な、何だの・・・ここ・・・」

 一度琥太郎の所に戻ろう、そう思ってエレベーターに戻った瞬間、部屋の隙間から声が聞こえる。

「キーが無いと地上へは出れないぜ」

 男の声だ。
 その声の主の方へ振り向く。そして扉が開き、声の主が現れる。

 優花里は思った。
 この男は剱岳では無い。

「いったい・・・どうなってるんだの・・・」


 優花里の目の前に現れたのは、兄・優輝だった。
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