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バック・スタバー(:焼 イケニエ)

26 それがどうした?

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◇[22:45 タテイビル 地下一階]

「優花里か・・・」
 兄・優輝は特に驚く様な素振りも見せずに成長した妹の姿を見た。今日に限っては化粧をしている優花里だが、兄はすぐに自分の妹を認識した。

「アニキなの?優輝なの?」
 最初は確証は持てなかった。最後に見た顔とはまるで違う。頬はやつれて、骨に皮が張り付いている様な見た目だ。それでも、兄が自分を認識したことを知って、優花里は目の前の男が兄である事が間違いないと思った。

「どうしてお前がここにいる・・・このビルで働いているのか?」

 優花里は兄の姿を見る。髪はぐちゃぐちゃで、歯はボロボロだった。でも面影がある・・・好きだった時の、かっこいい兄の面影。
 でも、何かが違った。何かに取り憑かれた様なそんな姿・・・

 これは優花里のために設けられたイベントではない。ただ、偶然が重なった。物語を運ぶ為に、吸い寄せられるように優花里は兄に再会した。


「アニキ、こんな所で、何やってるんだの」
「それはこっちの台詞だ」
「何がなんだか分かんないの」

 ミサイル誤射事件。その発信元の端末があるとされるビル。その地下まで来たら、兄がいる。優花里の理解は追いつけない。

 地下室はエレベーターを降りると、短い廊下だけがあり、そこから行けるのは兄の先にある部屋だけだった。
 開かれた部屋の隙間から流れる特異な匂いが優花里の鼻を刺激する。優花里はそれの香りを知らないが、おおよそ予想がついた。

「アニキ、クスリやってんの?」

「ああ。お前もやるか?」

「帰ろうよ」

「どこへ?」

「実家」

「帰れるわけないだろ」

「やり直そう」

 優花里は、変わってしまった兄の姿に身震いが止まらない。どうしてここで現れるのか・・・優花里は混乱していた。

「どうしてお前がここにいる?マボロシか?」 
 優輝はフラつきはじめ、顔を左右に振る。優輝は薬の副作用で幻覚を見る事は少なくない。目の前の優花里も幻覚ではないかと疑い始めた。

「本物だの。ワタシ、アニキに会う為に頑張ったんだ!」
「どういう事だ」
「私、ボディガードやってるの」

 優花里は兄の求める強さに応えたかった。強い女。そういたかった。兄が誉めてくれるから。再会したら、強くなったんだと伝えたかった。あわよくば、誉めてほしかった。いつか兄が話した事。イイ女の条件。強い女。

 ボディガード。その言葉を聞いた瞬間、優輝の目の色が変わる。

「まさかお前・・・鹿美華のボディーガードか?」

「そうだの」と優花里が言い放った瞬間、優輝は騒ぎ出す。

「ふざけるなよ」

「アニキ!?」

「俺がこんなにボロボロになっちまったのは鹿美華のせいだ!鹿美華に関わる人間は許さねぇ!」

 ポケットから徐にペンを出す優輝。それを使って優花里を刺そうと襲いかかるが、優花里は容易くそれを受け止める。弾かれたペンは力なく床に落ちていく。

「アニキ・・・どうしちゃったんだの?」
 ねぇ!と肩を揺すり、呼びかける。頭が前後にぶらんぶらん、と力なく揺れる。

「お前らのせいでクスリ・・・クスリ漬けで・・・ああああ・・・」

「アニキ!?アニキ!待ってろの!」

 優花里は優輝を壁にもたれかけさせ、部屋の中に入る。臭い。薬の匂い。そこには燻した後の薬の吸殻と、モニター、そして金がある。大金だ。積まれている。
 優花里は優輝の言葉を思い出す。キー。キーがあれば、地上に戻れる。兄を救急車でもなんでも、とにかく運ばなければならない。

「どこ!どこなの!」
 キーを探す優花里。それがカードキーなのか、よくある鍵のタイプなのか、それが分からない。

 その時、部屋の外から大きな音がする。どごん、びし、ミシミシミシ・・・と。琥太郎がエレベーターを壊しながら地下1階へやってくる音だった。容赦ない力で扉をこじ開け、地下へと降り、力ずくでエレベーターの上部を破壊しつくった道のり。キーも確認出来ぬまま、優花里はすぐさま優輝のいるエレベーターホールに向かう。

「なっ・・・」

 その時既に優輝の左腕はおかしくなっていた。在らぬ方向に折れたそれは力なく垂れている。琥太郎が無力化の為に折ったものだ。崩れ、中腰になる優輝を足で押さえつける鹿美華琥太郎。

「小姫パパ!コイツは!私のアニキなんだ!」

「それがどうした?」

「いやっ・・・」
「どうしてこんな隠しフロアみてーなのがあるんだ」
 力なく倒れる優輝に語りかける琥太郎。彼は縦井が思い出した地下室の存在を聞き、向かおうとしたがエレベーターが止まったままであったため、力づくで道を作って現れた。

「誰だお前・・・」優輝の視界は朧げだ。
「俺の質問に答えろ」
「られなんだよ!」優輝は呂律が回っていない。
 その言葉に対し左腕に続いて右腕を折る琥太郎。躊躇も何も無い。小学生がトンボの羽根をもぐような、そんな感覚で彼の身体を壊していく。

 先程まで残虐性を隠していた琥太郎は、隠されたこの地下1階の存在と、クスリの匂いに〝普通では無い〟事を判断する。

 琥太郎は普通では無い事を嫌う。
 沸点に達する条件のひとつだった。

「おい・・・やめろの」

 優花里が震えながら琥太郎に語りかける。

「俺に口ごたえか?」
「ワタシの兄貴なんだ・・・」
「良かったじゃねえか。お前の探し物だろ?」
「もう、これ以上、傷つけないでくれ」

「・・・これも巡り合わせだな」

 そう言って、折り曲げていた腕を手から離す琥太郎。優花里が安堵した瞬間だった。彼女の視界に影が現れる。強い力が優花里の右腕を掴む。

「おい。ヤク中。お前の妹の身体をされたくなければ質問に答えろ」
 琥太郎は優花里を捉え、尋問の道具にする。

 痛みに耐えるのが精一杯の優輝。薬の幻覚を痛みが現実に引き寄せていた。意識を少しずつ戻していく優輝。そんな正常な状態でもなお・・・

「勝手にやれよ・・・うああああ」
 優輝は捨ててきた妹の事など、どうでもよかった。

「剱岳という男を探している」
 そう言って、鹿美華琥太郎は優花里の右手小指を曲げてはならぬ方向へ折り曲げる。優花里はその痛みに声を出す。しかし、それは優輝に届かない。

 優輝には、妹が破壊されていくことよりも、恐ろしい事がたくさんあった。


◇[5年前]


「優輝です!お願いします!」


 優輝が半グレの時代に功績を残し、紹介された場所。彼はその場所に足を踏み入れた。それは、いつか訪れる死の為の準備だったのだと、後に知ることになる。

「ここがどこなのか、分かってるのか?」構成員が目を輝かせる優輝に語りかける。
「もちろんです!」

 〝カックロウチ〟という名前。日本語でゴキブリ。忌み嫌われる存在。この名前は不名誉な事に、意図せず名付けられたものだ。

「自分を捨てていく覚悟はあるのか?」
「もちろんです!」

 荒くれ者、全てを捨ててきたもの、薬漬けになった者、それらが金の為に殺しや誘拐、強盗、端的に言えば裏バイトの様な事を行う。その集団がカックロウチ。より上位の団体にそう名付けられている。

 優輝はこの時すでに、薬漬けになっていた。とにかく金が必要だった。身を粉にして働いた。自分より下の人間を使い、足元がつかないように犯罪に手を染め、そこで得た少しの金をまたクスリに使う。気が付けばボロボロ・・・それでもやめられない。

 仲間を売ることもあった。家族を売ってしまった彼には、もう手にしたものを簡単に手放すクセがついていた。とにかく、この汚い世界を生き抜くためには、自分を頼り、薬に頼るしかなかった。

 命を貪る様な日々が何年も続いた。

◇[1週間前]

 それから優輝はカックロウチの中で浮き沈みもなく、ただ細々と生きていた。そんなある日だった。

「優輝。お前、もう稼げないだろ」

 優しく言葉を掛けてくれたのは、カックロウチより上位にいるセンチピードと呼ばれる組織。その一員の人間である。

「俺、まだまだやれます!」
 優輝は焦っていた。自分が使い物にならないと決められる事は恐怖だった。

 カックロウチのメンバーがその組織から外れる場合、その経路はひとつしかない。

 死ぬ事だ。

 ただ、死に方は幾つかある。凄まじい拷問を受け、人間としての尊厳を失いながら死ぬ方法。
 もうひとつは、最後まで組織の一員として貢献し、死ぬ方法。まだまともな死に方である。

「お前はクスリに喰われた。いいか?クスリに困らない場所にお前を任命してやる」

 優輝はその言葉の意味を知っていた。まともな死に方の選択肢が与えられたのだ。

 イケニエ係。足のつきそうな上位構成員の身代わりとなる役割。優輝には断る権限も、そして判断力もなかった。クスリ・・・クスリが手に入る。イケニエ係の役割は単純明快だった。

 その場所に居続け、敵が来るのを待つ。

「分かりました」

 それはつい数日前の出来事だった。優輝はセンチピードの人間と入れ替わるようにタテイビルの地下に来た。

「もしもの時が来たら、分かるな?」
 優輝は遠隔式のスイッチを渡される。

 イケニエ係は敵及び証拠隠滅の為の自爆係と言った方が正しい。彼は爆破装置のスイッチを渡されていた。地下一階は鍵がなければエレベーター操作をする事はできず、敵を誘き寄せて自爆する。それがこの場所の存在する意味だった。


◇[22:53 タテイビル 地下一階]


「お前が喋らない限り、1本1本、折っていく」
 鹿美華琥太郎は優輝の前で、優花里の指を折り曲げようとしている。たった1本小指を折られただけなのに優花里はもう逃げ出したかった。

 その残酷な状況に、優輝は正気を取り戻し、使命を思い出す。

 妹を守る使命では無い。

 自分が命じられた、イケニエ係の使命。
 もしその命令に背けば、自分には最悪の死に方が待っている。もう愛情もない妹の指が折られることなど、恐怖ではない。使命から逃れた先にある、最悪な死に方の方が何倍も恐ろしいのだ。

 折れた両腕は使い物にならない。少しずつ、少しずつ、足腰をくねくねと動かし、ポケットにある、カード型のスイッチの感覚を確認する。そして、太ももの圧でそれを押し続ける。

ー[スイッチ 作動]ー

 このフロアの爆破スイッチ。
 1分間、押し続ける事でそれは作動する。

「間違いねぇ。お前は剱岳と繋がっている」
 確証は無いが、琥太郎は疑い出した。普通じゃ無い。それだけが頼りである。

「知らない・・・」
ー[20秒 経過]ー

「やっと喋る気になったか」
ー[30秒 経過]ー

「本当に知らないんだ」
「妹の指を折っていくが、いいのか?」
「構わない!本当に知らないんだ!」

 45秒経過。その間、優花里が先程入った部屋の一部に静かにガソリンが撒かれる。残り15秒。発火装置が作動する。10秒。チープな罠が本格的に作動し、爆発の準備を完了させた。

 全てはこの場所に現れる敵を消すための罠。

「せっかくアニキに会えたってのに、残念だな」

 優花里は返す言葉も、気力もない。指の痛みと、追いかけてきた兄の真実の姿。

「それじゃあ、次の指に行」
ー[22:55 爆破装置 作動]ー

 巨大な爆発が、そしてその爆風が3人を飲み込む。
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