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語られなかった物語

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(……ここは!?)



俺は真っ白な霧の中にいた。
まとわりつくような白い霧は、あたりをすっぽりと包み込み、今いる場所がどこなのか、見当も付かない。
ただ、自宅の傍ではないということだけがぼんやりとわかった。
なぜなら、あたりにはまるで人の気配がなかったからだ。



俺は、なんらかの術にかけられたのか…?
だとすれば、無闇に動かない方が良いのか?
そうは思いつつも、同じ場所にずっと突っ立っているというのも不自然だ。
俺は、あたりを警戒しながら慎重に霧の中を歩き始めた。



どんなに目を凝らそうと、どっちを見ようと俺の目に映るのは白い霧ばかり。
しばらく歩いても誰にも出会わず、建物一つ見当たらない。
こんな場所が牢獄にあるとは聞いたこともない。
と、なれば、やはりこれは術…?
俺は、なんらかの術に惑わされていることか…!?
そう感じた途端、俄かに俺の拳に力がこもった。
俺のことを狙う奴がいても不思議はない。
たとえ、それが理不尽な理由だとしても…或いは理由等なくとも…
だが、ここまで手の込んだことをする理由はなんだ?
俺には、そのことが気にかかったが、今はその答えがわかる筈もない。



全神経を張り詰め、あたりに注意を払いながら俺は白い霧の中を進んで行く…
不思議なことに、殺気どころか相変わらず人気配さえ感じられない。
行けども行けども白い霧は晴れず、建物もやはり見当たらない。
もしかしたら、俺は本当は一歩も歩いてはいないのかもしれない。
ただ、歩いていると思いこまされているだけなのではないか…と。
しかし、それにしては疲れた。
腹も減った。
ただの思い込みではここまで、空腹や疲労を感じるものだろうかと考えた時、俺の鼻を不意に芳しい香りがくすぐった。 
 
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