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策略

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「旦那様、大丈夫でしょうか?
あれ以来、お二人がお部屋から出てこられないのですが…」

「運んだ食事はたいらげてらっしゃるのだろう?
ならば、心配はないだろう。
生きてらっしゃるということだからな。」

「生きてらっしゃることは間違いありません。
なんせ…あの…声が…」

「これ!下品なことを申すでない。
お二人は、別れを惜しんで今までの思い出話でもしてらっしゃるのだ。」

「は、はい、旦那様。」



結局、ジェロームが部屋を出て来たのは、それから五日後のことだった。







「クシュネル…世話になったな。
どうか、ベルナールのことをよろしく頼む。
奴に何か必要なものがある時は、使いをよこしてくれ。
奴は、これまで何不自由なく暮らして来た。
多少、無理を言うかもしれんが、出来るだけ応えてやってくれ。」

「かしこまりました、ジェローム様。
……それで、ベルナール様は?」

「まだ休んでいる。
目が覚めると、また別れ辛くなるからな。
私は、ここで失礼する。
では、頼んだぞ、クシュネル。」

「は、はい!ジェローム様!
ベルナール様のことは、命に代えて大切にお預かり致します。」

ジェロームはクシュネルに片手を差し出し、二人は力強い握手を交わしジェロームは屋敷を後にした。



ベルナールが、部屋から出て来たのはもうあたりが暗くなった頃だった。



「クシュネルさん、伯爵を見かけませんでしたか?」

少しやつれた様子のベルナールが、クシュネルに問いかけた。



「伯爵はお昼頃お帰りになりました。」

「帰った…?
……そうですか…」

「そうがっかりなさることはないでしょう。
お会いになりたければ、いつでもジェローム様のお屋敷をお訪ねになればよろしいではありませんか。
それと、ベルナール様、もうあなたは我が家の養子となられたのです。
私のことは…」

そう言って、クシュネルの言葉が途切れた。



「……どう呼ぶことに致しましょう?」

「……そうですね。
では、『父上』とでも…」

「おぉ…光栄です。
しかし、あくまでもそれは他人の目の前だけのこと。
それ以外では、どのようにでも…」

「いえ…あなたは、私の父上となった方です。
他人がいない時もそう呼ばせていただきますよ。
それと、私のことはベルナールと呼び捨てにして下さってけっこうですから。」

 
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