1ページ劇場①

ルカ(聖夜月ルカ)

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季節外れの雪

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「……雅史さん……」

「宮本……」


 最初は幻を見ているのかと思った。
だけど、幻ならば、夫も同じものを見るはずがない。
あの頃と比べれば老けてはいるものの、面影はそのまんま残っている。
 私と夫は驚き、顔を見合わせた。



「あれ…宮本だよな。」

「……でも、そんな……」

「行ってみよう!」

「あ、礼二さん!待って!」

夫は、雅史さんのところへ走り出していた。
私は、戸惑いながらもその後を追う。


「宮本!おまえ、どうしてたんだ!」

 夫は雅史さんの両腕を取り、詰め寄る。
 雅史さんは夫に驚いたような様子だったが、それ以上の感情は感じられなかった。
 雅史さんの隣には、同じくらいの年代の女性が寄り添い、怯えたような顔で夫を見ていた。



「僕は、宮本ではありません。
野下です。」

「…野下…?」

夫は、雅史さんの腕から手を離し、ゆっくりとその顔を凝視する。


「いや、おまえは宮本だ。
そのあごのほくろ…間違いない!」

そのほくろには私も覚えがあった。
でも、雅史さんはゆっくりと首を振る。



「僕は野下です。
野下浩二。」

そう言う雅史さんの顔に嘘は感じられない。


「あ、そうだ!すみませんが、右腕を見せていただけませんか?」

 雅史さんがまくり上げたその腕には、小さなやけどの跡があった。
 子供の頃にやかんに触れて作ったやけどだと雅史さんが話していたもの、そのままに。


「やっぱり、あなた、雅史さんよ!」

「宮本!俺だ、渡辺!
思い出せないか!?」

 雅史さんの表情は少しも変わらない。
その時、女性がおずおずと前に進み出た。


「あそこでお話しませんか?」

女性は近くのベンチを指差した。



「……いつか、こんな日が来るんじゃないかと思ってました。」

 口火を切った彼女は、遥か昔のことを話してくれた。
 女性は、ある時、崖の下で倒れている雅史さんをみつけた。
 小さな山間の村のはずれに暮らしていた彼女は、雅史さんをそのままにはしておけず、家に連れて帰って手当した。


「本来ならば、病院に連れて行かなくてはならないのでしょうけど…実は私は酷い暴力をふるう夫から逃れるため、そんな辺境の村に身を潜めていたのです。
もし、病院に連れて行って、そこから夫にみつかるようなことになったら…と思うと怖くて…
本当にごめんなさい!」

 女性はうっすらと涙を浮かべ、私達に頭を下げた。


「幸い、けがはそれほどたいしたことはありませんでした。
ですが、この人は記憶を失っていて……」

「荷物はなかったんですか?」

「ええ…私も探したんですが、何も…多分、近くの沢に流れてしまったのではないかと…」

「え?でも、野下浩二って…」

「あれは嘘です。
世話をしているうちに、私はこの人のことが好きになって…
それで、本当のことを思い出さないようにと、倒れていた時に『野下浩二』という名刺が傍に落ちていたって、嘘を吐いたの…ごめんなさい。」

 雅史さんはそれを聞いて、少し驚いたような表情を浮かべたが何も言わなかった。
 二人の間には子供も生まれ、子供達は町に出て行き、今は二人で山の中の村で暮らしているという。


「そうだったの……そんなことが……
でも、良かった…雅史さんが無事で本当に良かった…」

「宮本、少しも思い出さないのか?
ほら、俺は同期入社の渡辺だ。
おまえとは一番仲良かったと思う。
そして……」

 夫が私の方を見た。


「私は……渡辺の妻の美穂です。」

「……美穂ちゃん……」

 夫は、何かいいたげな顔で私の名を呼んだ。


「あの…ぜひ、ご両親に連絡してあげて下さい。
きっと、喜ばれますわ。」

「……本当に喜ばれるでしょうか?」

「もちろんです。
何も心配はいりませんよ。」

私は女性に雅史さんの実家の電話番号を伝えた。


「こちらからも連絡しておきますね。」

「あ、これ…僕の携帯の番号です。」

その時、忘れかけていた過去の記憶が重なった。


 二十年以上も前のこと……
初めて、雅史さんが私に話しかけて来た時もこれと同じことを言った。
はにかんだような笑みを浮かべて、そっとメモを差し出して……
胸が熱くなって、泣きそうになるのを私は懸命に堪えた。



「あ……」

雅史さんが小さな声を上げ、空を見上げた。



「雪……」

 私も空を見上げた。
ゆっくりと舞い落ちて来る冷たい雪が、私の熱い涙を冷ましてくれた。
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