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第5話 豚は死ね

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「汚い、汚いっ! 婚約者のいる身でありながら他の男にすりよるとは! これだからアン以外の女は醜いんだよっ!」

 突然の闖入者は残り少ない髪の毛はさはさと振りまきながら喚いた。
 もう周りの様子など気にも留めていない様子だ。

「何だアイツ、知り合いか?」

 ウーログは自分の背中で隠れるように衣服の端を握っているヨハンナに声を掛けた。
 しんそこ嫌そうな顔と声で、ヨハンナは言う。

「……なんでアナタがここにいるんですか」
「なんでも何もあるものかっ! 僕だってお前なんか探したくなかったさ。でも父上が行けっていうから――!」

 こんなのと知り合いなのか、とウーログは怪訝な顔をした。

「しかも探してやってみれば、お前はどこぞの低俗な男を誑し込んで男遊びと来たもんだッ! 女が浮気とは、恥をしれいっ」
「アナタがそれを言いますか……。大体、もう婚約は破棄されたんですから何をしようとワタシの勝手でしょう?」
「黙れっ! 口答えをするな! とりあえず、首に縄をかけてでも連れていくからなっ! その後は仕置きだ、覚悟しておけよっ」

 どうやら友好的な空気では無いらしい、とだけ分かったウーログは、そのままずいと前に出た。

「あー、ちょっと良いですか?」
「なんだ無礼者めっ! そこの淫売に騙された間男風情が何の用だ!」
「ま、間男……? とにかく、落ち着いて。俺はその娘の保護者のようなものです。当然、親とも顔見知りですから」
「それがどうしたっ!」
「……騒動については聞いています。双方言い分はあることでしょうが、ここは後日改めてご両家の立ち合いの元話し合いの機会を――」
「知るかッ! ツェルペーリウスの田舎者風情が指図をするな! そいつは今僕が連れていくと行ったんだ!」

 まるで取り付く島もない。
 ウーログは一つため息を吐くと、にわかに視線を強くした。

「保護者だと申し上げました。雅な身分の方だとお見受けしますが、それでもオレはこの娘の身の安全を守る義務がある」
「ふんっ、田舎の力自慢風情が騎士の真似事か?」

 男はウーログの腰に掛かる剣を見ると、小ばかにしたように嗤った。
 数打ちものの、無骨な剣だ。
 間違っても名剣、名刀の類ではない。
 
 日々の魔物との闘い、あるいは酔っぱらって暴れる冒険者の類など、王のおひざ元であってもウーログたち下級騎士の日常は戦いに溢れている。
 そんな戦いの中でお高い剣など使っていられない。
 ウーログにとっては武器とは使い潰すもので、大量生産品は取り換えても癖が無いから使いやすい。

「スマン、つい習慣で身に着けてた」
「もう兄さん、今そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「でもなぁ、遊びに行くのにコレは無粋だろ?」

 もしかしてそれで不機嫌だったのか。
 そんなことを考えながらウーログは振り向きざまに謝罪した。
 ヨハンナはそれにアレコレ文句を言いながらも、まんざら嫌そうでも無い。

 目の前の男はというと、まったく置いてけぼりだった。

「こらぁッ! おまえたち! 僕を無視していちゃつくんじゃない!」
「いちゃつくって、そんなつもりは――」
「ええいッ! どいつもこいつも僕をバカにしやがって! いいだろう、教育してやる!」

 言うと、男はやおら剣を抜き放った。
 辺りにどよめきが走る。

 場末で冒険者同士の喧嘩などなら珍しくも無いが、此処はそれなりに行儀の良い王都の中心部である。
 そんなところで剣を抜くなどまず聞かない話だし、一人の男の風体は貴族風。
 どちらが勝っても負けてもしこりは残る。
 まず常識のある者なら、こんな騒動は起こさないものだ。

 男はそんな事情など一切鑑みず、やはり得意げな笑みを浮かべた。

「どうした、抜けよ? 教育してやるって言ってるだろ。それとも怖気づいたのか?」

 手にしたレイピアをくるくる回し、びしりと構えを取った。
 剣を持つ手を前に、それに利き足を共に出す。
 残った手足は後方に置き、半身だけ前にせり出す形だ。

 当たる面積を極力少なくし、突きの一撃に全力を注ぐ決闘剣術。
 如何にも貴族らしい、華のある構えだった。

 先ほどの醜態はどこへやら、男の構えは中々堂に入っている。
 しかしこの場ではそれが却って妙に間抜けに見えてしまう。

「はぁ、街中ですよ?」
「詭弁を弄して逃げる策か? 小物は生きづらくて可哀そうだよ。そこの女を置いていくと言うなら、ただ売女に騙されただけの哀れな男として見逃してやるさ」
「……引いてはくれないんですね」
「ダメだね。その女はしっかりとてやる」

 男は一歩も引く様子が無い。

 ウーログは盛大にため息を吐くと、観念したように腰の剣を抜いた。

「ちょ、ちょっと兄さん!」
「お前は下がってろ。なに、アイツが先に言いがかりをつけて剣を抜いたのは周知の事実だ。正当防衛だし、王都の警邏もオレの仕事のうちだから問題ない……わけじゃないが、最低限の言い訳はできるだろ、うん」

 最悪ヨハンナと一緒に田舎に出戻りだな、とウーログは内心で涙を呑む。
 だがヨハンナはそんなことは問題ではないとウーログの袖を強く引っ張った。

「あれであの人、勉強と剣だけは出来るんですよ! 遠慮なんてしないんだから、戦ったらケガじゃすみません!」
「……なんだ、それじゃあお前を差し出せって? に?」

 豚を見るような瞳で、ウーログはその男の方へ顔を向けた。

「いろんな意味でありえんだろう」
「兄さんっ!」
「ほお、いじましいものだなっ! 戦うつもりか、この僕と!」

 己の勝利を確信しているのか、男は笑み崩そうともしない。

「では教育してやろう! 真の強者の剣をその身で味わうが良い!」

 男はぴっ、と手に持つレイピアを眼前に掲げるとすぐに構えを戻す。
 そしてそのまま前にせり出した利き足を軸に、じりじりとすり足でにじり寄ってくる。
 時折レイピアを無意味にぐにゃぐにゃと回しながら。

 挑発のつもり、というより単純に馬鹿にしているだけなのだろう。

 ――なら、遠慮なく乗ってやる。

 ウーログは男のような構えを取ることも無く、大股で駆け出した。
 ダンダン、という石畳を蹴りたたく大きな音が響く。
 
 ヨルドの民特有の柔らバネのある筋肉、それを幼い頃駆け巡ったツェルペーリウスの山々で鍛えられた。
 突破性と強襲力だけなら、ウーログはこの国に並ぶ者のいない勇士だろう。

「なっ」

 男はそれを見て驚嘆の声を上げる。
 あまりに早い。
 それに学院の稽古では、そのような不用心で不躾な距離の取り方をする者はいなかった。
 
 眼前にウーログの剣が迫る。
 片手で放たれた大ぶりの上段だった。

「舐めるなっ!田舎の蛮族がッ!」

 しかし男はそれにレイピアを添わせ、力を流すようにしていなした。

「ふん、獣の剣理がこの僕に通じると思うなっ」
「あらま、意外とやる」

 腰をかがめ男の上からウーログな呑気な声が届く。
 男はそれに苛立ち、返す刀でウーログの腹を刺し貫こうと殺気を滾らせた。

 ――だが、その殺意が実ることは無い。

「えっ」

 男の口からそんな間抜けな声が漏れでた。
 視界の端から何やら黒い物体が迫るのを捉えたのだ。

「うわぁッ!」

 すんでの所でそれを躱す。
 鞘だ。

 横合いから男のこめかみを狙って薙ぎ払われたそれは、ウーログの腰に掛かっていた剣の鞘だった。

「おいおい、これも躱すのか!」

 感心したように呟きながらも、ウーログは攻撃の手を緩めることは無い。
 剣と鞘による二刀流の連撃。
 それは軽い牽制の中に本命の重撃を混ぜながら嫌らしく男の体力を削る。

 軽いと思えば重い、弧を描いたかと思えば直線の鋭い突き。
 それは良く言えば縦横無尽であり、悪く言えばまったくでたらめな剣技だった。

「くそくそくそっ! 何だこれは! 真面目に戦えよっ!」

 男は悪態を吐きながら、レイピア一本でそれに耐え続けた。
 圧倒的に手数が足りず、ちっとも己の本域である攻勢に移れない。
 そうしてじわじわと体力だけ削れていく。

 先に耐えられなくなったのは、男のレイピアの方だった。

「ああっ!」

 その悲鳴と共に、バキンと軽快なと音を立ててレイピアが半ばから折れる。
 極力負荷が掛からないようにしていたが、そもそもレイピアは「受け」の道具ではない。
 度重なるウーログの攻撃に耐えうるものではなかったのだ。

「……はい、武器に不備があったようですね。では口惜しいですが、この件はまた後日という事で」

 レイピアが折れたことを確認すると、ウーログはすぐ距離をとってそんなことを言った。
 ここら辺がお互いの落としどころだろう、と視線を送りながら。

 周囲に集まっていた野次馬は、二人の剣劇が終わったことに気づくと、ややまばらな拍手の後弾けたような歓声を上げる。

 これで終幕。
 だが、それでは気が収まらない男がいる。

「……まだだ」
「はい?」
「まだだ、まだ終わりじゃない! だってこんなのズルいじゃないか! ちゃんと戦えこの卑怯者!」

 男は顔を真っ赤にしながらみっともなくも喚き散らす。
 あまり醜い姿に、聴衆も豚を見るような目でそれを見つめる。

「ここで終わりにした方がお互いの為だと思いますがね」
「うるさいうるさいっ! そのふざけた口を利けなくしてやる!」

 男はそう叫ぶと、ウーログに向かって拳を振り出した。
 今度はもう一切の理屈の無い、単なる子供の暴力だった。

 ――剣の不備ってことで終わらせればまだ面目も立っただろうに。

 心底面倒くさそうにしてウーログはそれを迎え撃つ。
 そしてひどくあっさりと、ウーログの拳が男の顔面を捉えた。

 言葉も無く、男はバラバラと歯と髪の毛を散らしながら地面に倒れ伏す。

 一瞬場は沈まりかえり、次の瞬間野次馬がわっとひときわ大きな歓声を上げた。

「兄さんっ!」
「ああ、スマン。怖がらせちまったか?」
「ううん、平気です。それにしても、凄いじゃないですか!」

 そう褒められても、ウーログはただ居心地が悪いだけだった。
 所詮は貴族の決闘剣術。
 それが弱いとは言わないが、前提として一定のルールの下で振るわれる力だ。
 何でもありの実戦はそもそも門外なのである。

 それを知らずか、ヨハンナは我がことのように無邪気にはしゃいでいる。
 そして、ウーログにとってはある衝撃的な事実をさらりと口にした。

「あの殿下が手も足も出ないなんて!」

 ――え、あれが噂の殿下なの?

 ウーログのその呟きは声に出なかった。

 ただ毛も歯も抜け落ち、変わり果て姿の王子スヴェンを見下ろすだけである。
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