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第二章 大魔女の遺産
1, プロローグ
しおりを挟む「……子供? おい、エグゼ。冗談だろう? あの森の奥に、子供がいるわけないだろうが」
エアーレイ王国王城の執務室で、第二王子、アドニス・カイル・エアーレイは、報告を終えた目の前の男に鋭い視線を向けた。
アドニス──十八歳にして、王国魔法騎士師団の団長を務める若き俊英。その存在は今や王都で知らぬ者はおらず、優雅に風魔法を放つその姿から「風の貴公子」とも称される。
金糸のような髪が光を反射し、翡翠の瞳は静かに、だが冷たく事実を見定める。王族の気品と、魔法師としての威厳を同時に纏うその姿は、人々の畏敬の対象だった。
一方、対峙しているのはSランク冒険者パーティ”疾風の黒豹”のリーダー、エグゼである。
漆黒のローブを身にまとい、腰にも同じ漆黒の魔剣グラムを携える男――エグゼは、無表情にその言葉を受け止める。
赤茶の短髪にがっしりした体型、ベテラン感が漂う様子はまさにSランクパーティのリーダーだと言われても納得できる。
エグゼの背後には、パーティー仲間の二人──ベリルとルシアの姿も見える。
薄緑色の長髪を後ろに一つに結えているのはベリル。エルフの血が入っていることは彼の耳の先端が少し尖っているのを見れば明らかだった。彼の背には魔矢が銀色に光っている。
その隣に立つ灰鼠色の髪の男は、一番年若いルシア。鋭い眼光と腰に帯びた鈍色の魔剣アンサラーが、その若さを補って余りある威圧感を放っていた。
「冗談にしては、割と洒落にならないんですけどね。森の中央部、塔の手前の結界の前で――間違いなく、こっちを見ていたんですよ。六、七歳くらいの、黒髪の子供。たしか……白い服を着てました」
エグゼの言葉にその場にいたアドニスの側近サイラスが思わず声をあげる。
「まさか!」
「サイラス!」
「申し訳ありません。失礼しました」
アドニスの咎める声にサイラスは頭を下げて下がった。
報告の途中で口を出すことはあるまじき行為である。幼い頃からアドニスの側近として教育されたサイラスにとっては珍しいことだったが、それほど、エグゼの報告が信じられないものだったのだ。
分厚い絨毯が敷かれた執務室は数秒間の静寂に包まれた。
「見間違いだろう。あの“魔獣の森”だぞ? 強大な力を持つ魔獣が生息し、王国の地図でも未踏領域とされている、あの領域だ。Sランクのお前たちでさえ、魔剣や魔矢がなければ生きて帰るのが精いっぱいな場所だ。普通の子供がいるわけが――」
「だからこそ、おかしいと言ってるんです」
エグゼはぴしゃりと遮った。声に苛立ちが滲む。
「俺は幻覚魔法にもそれなりに耐性があります。今回の件で、森の魔力の干渉も確認しましたが、子供を見たのは私ひとりじゃない。ルシアも、ベリルも二人とも同じ位置に、同じ“子供”の姿を確認しています」
「……三人全員が、同じ幻覚を?」
エグゼの後ろに控えるルシアとベリルが無言で頷く。
「それが可能なら、それこそ大魔女級の存在による幻術ですね。でなければ……本当に、あの子供は実在している」
室内の空気がぐっと冷えるのを感じた。アドニスは眉間に皺を寄せ考え込む。
「……馬鹿な」
その一言は、呟きだったが重く響いた。
そもそも、エアーレイ王国の南端にある”魔獣の森”――今は強大な魔力を持つ魔獣が跋扈する未開の地、その中央にそびえる”エアデの塔”は、遥か昔、地圏の大魔女エアデによって築かれたとされる伝説の遺構だった。
何百年もの間、存在すら忘れ去られていたが、数年前、古代文字で記された魔法文献が王国の考古庁によって解読され、その存在が公に知られることとなった。
文献によれば、エアデの塔内には、大魔女が遺した”禁呪の書”と”奇跡の薬”、さらにこの世界にはない多くの魔導具が安置されているという。
だが塔に辿り着くためには、いくつもの難関が立ちはだかる。森を徘徊する魔獣たちは並みの冒険者を瞬殺するほどの強さを誇り、塔までの間には“結界”――正確には”強固な防御魔法壁”が存在していた。
さらに、通常よりも魔力が強いその森は、魔力が弱い者が足を踏み入れると体調を崩すという。
「我々はその結界まで到達しました。……そこまでは、予定通りだったんです。問題は、その直後」
エグゼは視線を伏せた。睫毛の影から覗く瞳がわずかに揺れている。
「あの子供、結界を簡単にすり抜けて行ったんです」
「……結界を?」
「はい。その先に進もうとしたら、透明な壁が立ちはだかったんです。きっと、あれが昔大魔女が施したという結界に違いありません。それをいとも簡単にすり抜けて行ったんです」
「その結界は、お前たちの魔剣でもどうにもならなかったのか?」
「全くだめでしたね。ルシアの魔剣アンサラーどころか私の魔剣グラムでさえも弾かれましたよ。俺の魔剣はあの竜をも切り裂けるという伝説の魔剣ですよ。もっとも魔力喰いなんで長時間は使えませんけどね」
「そんな場所でそんな幼い子供を見たというのか?」
「魔力の干渉も感じました。あの子供、ただの人間じゃない。私たちを睨んでいた……その先に進まぬようにと……そんな印象を受けました」
アドニスは、椅子の肘掛けに手を置いたまま、黙り込み、その数秒後、ようやく低く呟く。
「それが……エアデの塔を守る番人だというのか? 子供の姿をした、何か……」
「それはわかりません。でも確実なのは――あの塔には、“何か”がいます。俺たちは、侵入者として認識された。……そういう空気でした」
エグゼは、一歩踏み出す。彼の後ろに控えていた仲間たちもまた、神妙な面持ちで頷いた。
アドニスは額に手を当て、深いため息をついた。
「……まったく、塔の攻略だけでも頭が痛いというのに、今度は子供の幽霊か神か……。それとも――まだ生きている、大魔女の亡霊だとでもいうのか」
「いずれにせよ、あの塔へはあの強力な結界を解除できなければ進めません。力の強い魔法師が必要でしょう」
「魔法師……か。分かった、検討しよう」
そう言ったアドニスに、エグゼは笑みを浮かべた。だがそれは、喜びでも軽口でもない。戦士としての決意が滲んだ、静かな笑みだった。
「頼みますよ。俺たちは、王国から正式に依頼を受けて動いている。今度こそ塔を攻略し、子供の正体も掴んで見せよう。……一角玄虎の子を抱えて連れ行ったその子供のね」
「一角玄虎の子?」
「ええ。親の方は倒したんですが、子の方がその間に逃げてしまいましてね。やっと追いついたと思ったら、その子供に攫われたってわけですよ」
アドニスは、無言で立ち上がると、窓の外に目をやった。王都の遠く向こう、深緑の影が薄く霞んでいる。
塔の謎。子供の正体。大魔女の遺産――。
「……もう少しだけ調査の時間をくれ。情報を整理し、王国としての対処方針を検討する。それまでは勝手な行動を控えろ。いいな、エグゼ」
「了解です、殿下。けど、俺たちは……引く気はありませんよ。あの森の奥にある塔には、まだ何かがある」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
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