この世界の闇を取り除かせていただきます!~ヤンデレ&メンヘラ攻略者たちを救っていたら悪役令嬢に執着するようになったのですが大丈夫そうですか?

桜崎司

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第1話「前世の記憶を思い出したようです!」

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「……ん、んぐ……」

 乱れたシーツの上で目を開けると、薄いピンク色の天蓋が視界いっぱいに広がった。頭はまだぐらぐらと揺れ、こめかみを押さえる手先にも力が入らない。数日間も高熱で寝込んでいたと聞くけれど、まさかこんなに体がだるいとは――。

 ここはライタンド王国でも指折りの地位を誇るフローリアス公爵家の私室。そして、ベッドの上で弱々しく喘いでいるこの体は、まぎれもなく“悪役令嬢エマ・フローリアス”のものだ。しかし私は――前世で社畜をしていたOLの記憶を持つ、ややこしい存在でもある。

 「本当に……転生しちゃったんだな」

 そんな呟きを口にしかけて、あわてて両手で口をふさいだ。今の独り言は危険だ。もし使用人に聞かれたら、「転生?」と怪しまれるのは目に見えている。

 この世界が乙女ゲーム『闇に堕ちていく君と』だと知ってから、私は“元のエマ”としての8年分の記憶と、前世の二十数年を強制的に思い出してしまった。ショックと高熱のせいで数日間寝込んでいたあいだ、うわごとのように何か口走っていなければいいけど……と、今さら冷や汗がにじむ。

また、熱にうなされる間に思い出したエマとしての8年間…
ゲームの設定では「わがままで高飛車で頭も悪い、どうしようもない悪役令嬢」とされているけれど……実際はそんな単純じゃなかった。

両親は国王の側近や魔法教会の幹部として激務をこなし、家にほとんど帰ってこない。
祖父母も宰相や要職についており、顔を合わせる機会は皆無に等しい。
唯一の“家族全員での食事”の記憶は1回きりで、それ以降まともな会話もなかった。
使用人たちは口では「お嬢様」と私を敬うものの、実際は子どもをあやすように甘やかすか、陰で憐れんでいるように見えた。
本当は寂しくて、不安で仕方なかった。
だからこそ子どもながらに「わがままにふるまうことで威厳を示さねば」と必死だったのだろう。
実際、屋敷の中では「奴隷」かのごとく使用人をこき使い、罵声や物を投げつけたり……。
……それが“ゲームで描かれていた悪役エマの素地”になっているわけだ。

「ほんとはこんな幼い子どもが、まともに愛されず放置されていたら……そりゃ荒むよね」

8年分の行いを知ってしまい、私の胸は痛む。
だけど、今となっては私(転生前の記憶を持つOL)がこの身体にいるのだ。
もう二度と、使用人に暴力や罵声を浴びせるわけにはいけない…!!

 

 そう決意したエマは、ベッド脇の小さなテーブルを引き寄せ、その下に隠してあるノートをそっと取り出す。まだ体は重いけれど、忘れる前に記しておかないといけない。

 ――「原作(ゲーム)のストーリー」や「エマの破滅エンド」についての記憶――。

 熱にうなされながらも書き留めていたノートの文字は、ところどころ読みづらいが、どうにか判読できる。王太子や大魔法使い、亜人の騎士など危険度の高い攻略対象たちを思い出すだけで、軽く眩暈がした。彼らの“愛”は重すぎるし、下手な立ち回りをすれば、私は断罪や処刑といった破滅の道へ一気に突き落とされかねない。おまけに「このエマ」は生来のわがままぶりが災いして、庶民ヒロインに嫌がらせをしては最終的に破滅するのがお約束……。

 「こんなの、何度読んでも絶望しかないじゃない……」

 自嘲気味に笑みをこぼしながらノートを閉じかけた、その時。部屋のドアが控えめにノックされ、聞き慣れた声が聞こえる。

 「お嬢様、失礼いたします。お身体の具合はいかがでしょうか?」

 

 入ってきたのはリリアン。まだ十四歳ながらフローリアス家の侍女としてしっかり働いている少女で、同年代の使用人たちからも頼りにされている。だが、前の“エマ”は彼女に対してひどい仕打ちを繰り返していた。暴言は当たり前、時に物を投げてはぶつけることもあった。私の頭の中には、その忌まわしい記憶がはっきり刻まれている。

 「……リリアン……。おはよう。少し熱が下がったみたい」

 どう言葉を続けるべきか迷う。数日前までのエマとは態度が違いすぎるからだろうか、リリアンは不安そうに眉を寄せている。いつもの“お嬢様”への笑顔が見当たらない。そりゃあ当然だ。いきなり優しく言葉をかけられたら、誰だって怪しむに決まっている。

 「……そう、でございますか。今朝お熱を測ったところ、平熱に近づいていたと伺いました。何よりです」

 リリアンの口調は丁寧だけれど、その声色には警戒の色が混ざっている。私は唇を噛みしめた。まずはきちんと謝らなきゃ。いままでリリアンに押しつけてきた苦しみを考えたら、こんな言葉だけで済むはずもないけれど――。

 「ごめん、今まで……ずっと。私は、あなたに酷い扱いばかりしていた。無茶な命令をしたり、暴言や……暴力まで……本当にひどいことをしていた。……謝っても許されないのは分かってる。だけど……わ、私……!」

 言葉に詰まった瞬間、なぜだろう、自然と涙がこぼれていた。大人の記憶と幼いエマの記憶が重なって胸が痛む。また、社畜人生を歩んできた前世の私は、上司からの罵倒にとても苦しんでいた。だからこそ使用人の気持ちが痛いほどわかるのだ。しかしエマは、自分が感じてきた孤独を盾に、使用人たちを踏みにじってきたのだ。だからこそ、その罰は”私”が受け止めなければならない。

 リリアンは目を丸くして、思わず手にしたタオルを落としかけている。あまりの変貌ぶりに驚きを隠せないのだろう。

 「……お嬢様、いきなりそんな……。あの、大丈夫でしょうか? まだ熱があるのでは……」

 「い、いや、違うの。おかしなことを言ってるのは分かるわ。でも信じて、私は本当に反省してるの。熱があるせいとか、うわごとなんかじゃないの。だから……だからもう少し私と話を、してくれない?」

 苦し紛れの言い訳で、私が何か変なことを口走っていると怪しまれないように必死に取り繕う。実際のところ“前世の記憶”という最大の秘密を明かすわけにはいかない。わがまま放題の令嬢が突然「私、前世の記憶を思い出したの!」なんて言ったら、精神病か何かと思われるかもしれない…それだけはごめんだ。

 リリアンは恐る恐る一歩近づいてきた。彼女のまなざしには戸惑いだけでなく、ほんの少しの希望が宿っているようにも見える。私はその揺れる瞳に向かって、必死に絞り出すような声で続けた。

 「もう、あの頃の私じゃない……って言ったら信じてもらえないかな。正直、まだどうすればいいか分からないけど、あなたと……いえ、他の使用人の皆とも、もう一度やり直したいの。私が原因で傷つけてきたんだから、簡単には許されないのは分かってる。だけど……これからは、皆を粗末に扱ったりしないから」

 すると、リリアンの瞳が潤んだ。彼女は少し震える声で言葉を返す。

 「……わたくし、今までのことを水に流せるほど器用ではないです。きっと、簡単には信じられないこともあると思います。けれど……もし本当に変わられたのなら、わたくしも心からお仕えしたい。ここはフローリアス公爵家で、わたくしの大切な仕事先でもありますから……」

 それは、リリアンなりの誠実な答え。嫌悪や怒りを抱きながらも、心の奥では私に救われたいと願っていたのかもしれない。私の涙を拭おうと、彼女がそっとハンカチを差し出してくれる。私はそれを受け取ると、小さく息をついて力強く頷いた。

 「ありがとう、リリアン。……これからは、あなたに相談したいことがいろいろあるの。みんなとの関係を、どうにかして改善したい。……協力してくれる?」

 



 

 その後、私はリリアンを部屋に呼び留め、ふたりでこっそり作戦会議を始めた。もちろん「別人になっている?」と勘ぐられないように細心の注意を払う。言葉を選び、前世の知識が漏れない程度に「熱が出たときに昔のことを思い返して、それで目が覚めた」という趣旨を伝えるにとどめた。

 「まず、私がしっかり謝罪すべき相手……誰が思い浮かぶかな?」

 「……そうですね。わたくしと同じ侍女たちのほか、洗濯や料理を担当する下働きのメイドたちも、今まで随分と辛い思いをしていました。大広間の掃除が遅いと怒鳴り散らされただけでなく、時にお皿を投げつけられた者も……」

 「……うっ。ほんと最低だな、以前の私……」

 リリアンの言葉に顔から火が出そうになる。今は覚悟を決めて受け止めるしかないけれど、聞けば聞くほど胸が痛む。
 リリアンはそんな私を気遣い、ゆるめの口調で続けてくれた。

 「ですが、お嬢様が真剣に謝罪されれば、きっと分かってくれるはずです。人によってはもう心が離れているかもしれませんが……少なくとも、わたくしを含め、何人かは少しずつでも許す方向に傾くと思います」

 彼女の言葉に少しだけ希望が湧く。よし、まずは謝罪。そこからがスタートだ。

 



 

 翌日、リリアンは私の提案どおり、仲の良いメイドたちを部屋に呼んでくれた。彼女たちは緊張で固まった表情のまま、私の前に整列している。どのメイドも私より数歳年上か同年代。皆、一度はエマから罵倒を浴びているのだろう。

 「え、えーと……みんな、集まってくれてありがとう。突然だけど、私は……」

 喉がカラカラに渇いて言葉が出ない。そんな私をリリアンが黙って見守る。ここで逃げてはいけない。
 私は全員の視線を受け止めて、一気に頭を下げた。

 「今まで、本当にごめんなさい。私は皆さんにひどい扱いばかりしてきました。とても謝って許されるレベルじゃないって分かってます。でも……どうか、もう一度だけ、私のことを信じてもらえないでしょうか?」

 沈黙が落ちる。メイドたちは困惑の色を浮かべながら、ちらちらと顔を見合わせている。中には怒りをこめて私を睨んでいる人もいた。その眼差しは痛いほど突き刺さる。

 「……お嬢様は、いったい何があったんですか? まるで別人みたいに見えます」
 少し年上のメイドが、怪訝な視線を隠さずに問いかける。私ははっきりと答えた。

 「確かに、別人みたいだよね。でも、それくらいショックを受ける出来事があったの。熱にうなされている間、自分の行いをずっと振り返って、今のままじゃだめだって思い知らされたの。……私は変わりたいの。今さらって思うかもしれないけど、本当に心から反省してるんだよ」

 正直、半信半疑で聞いているメイドも多い。すべてを受け入れるには、あまりに傷が深すぎるのだろう。だけど彼女たちの中には、私をじっと見据え、少しだけ表情をゆるめてくれる人もいた。

 「まあ、お嬢様がそう仰るなら……。あたしらは、これからの態度を見させてもらいますよ」
 小柄なメイドがそう言うと、ほかのメイドたちも静かに頷いてくれた。今はまだ完全には信じていない。でも「これからの態度を見て、考える」と言われたのは大きな一歩だ。

 


 

 そして数日後――。私はリリアンの力を借りながら、使用人たちへの謝罪と関係改善を地道に進めていった。メイド長のシーナは、最初こそ厳しい表情で「お嬢様が反省なさったなど、にわかには信じ難いですね」と吐き捨てるように言ったものだ。けれど、根気強く「今までの私が間違っていた」と説明し、こちらの誠意を伝えると、少しずつほころびを見せ始める。

 「……お嬢様は、以前お台所の仕事を手伝うと言っていましたが、あれは本気だったのですか?」

 「うん、さすがに上手く手伝えるとは思えないけど……せめて邪魔をしないように片付とか、できることをやりたかったの」

 シーナの目は疑わしげながらも、微かに驚いているようだった。「わがまま娘」が台所になど近づきもしなかったのは誰もが知るところだからだ。私が少しずつ行動を変えていくのを重ねて見せることで、やがてシーナも「まぁ、一度だけチャンスを差し上げましょう」と態度を軟化してくれる。

 執事長にいたっては、最初は露骨に冷たい態度で睨んでいた。かつて私が彼の気に入っていた食器を投げつけて割ってしまい、それを謝るどころか罵倒して追い払ったことがあるのだ。それを思えば、そう簡単に和解はできないのも当然だ。
 だが、私が何度か頭を下げて謝罪し、「二度と同じことはしません。必要があれば自分で償います」と伝えると、やがて彼は困ったようなため息をついた。

 「お嬢様、お言葉は嬉しいのですが、償いは行動で示してくださいまし。言葉だけならいくらでも並べられますので……」

 こうして、メイド長や執事長という大きな存在が「とりあえず見守る」という姿勢に変わってくれたことは大きかった。それをきっかけに、他の使用人たちも少しずつではあるが私を受け入れはじめる。

 



 

 さらに数日が経つころには、屋敷の中で私を遠巻きに見ていた使用人たちが、ほんの少しだけ会釈を返してくれるようになった。中にはまだ警戒を解かない者もいるが、少なくとも「話を聞く耳を持ってくれた」だけでも大進歩だろう。

 私はといえば、前世の“社畜経験”で培った調整力とコミュニケーションをフル活用しながら、今の立場にあった行動を心がける。もちろん腰を低くしすぎるのも変だし、かといって偉そうにするのも逆効果。バランスを探りつつ、毎日を必死に過ごしていた。

 「お嬢様、皆さんとのお話、うまくいったみたいですね。メイド長も『普通の令嬢らしくなった』とおっしゃっていましたよ」

 リリアンが嬉しそうに報告してくれると、私も心からほっとする。ふり返れば、あの涙ながらの謝罪のあと、リリアンも少しずつ心を開いてくれるようになった。今では部屋に来てくれるたび笑顔で接してくれるから、私も救われる。

 「リリアンのおかげよ。みんなとの橋渡しになってくれてありがとう。私ひとりじゃ、きっと誰も信用してくれなかったと思う」

 そう告げると、リリアンは少し照れた様子で「いえ、役に立ててよかったです」と微笑んだ。彼女の笑顔は、まるで一筋の光のように温かい。その姿を見るだけで、この世界での孤独も少しだけ和らぐ気がするのだ。

 

 こうしてフローリアス家の使用人との関係は、少しずつではあるが改善しはじめた。以前のように高圧的な態度を取らなくなっただけで、こんなにも空気が変わるとは思わなかった。それと同時に、私は今さらながら彼らがいかに優しく有能で、そして私の小さな変化に真剣に応えてくれる人々なのかを実感している。

 「――でも、まだ始まったばかり。これで安心するわけにはいかないよね」

 私は小さくつぶやく。
 この屋敷の中で築いた信頼関係は、いずれ学園に行くころにきっと大きな支えになってくれるはずだ。原作どおりに“悪役”まっしぐらの道を辿れば、私の破滅は避けられない。だからこそ、こうやって地道に味方を増やしていきたい。少しずつでも道が開けるように。

 リリアン、シーナ、執事長、そして仲間になってくれた使用人たちの思いを胸に、私は今しっかりと第一歩を踏み出した。
 何があっても私はもう“あのわがまま悪役”には戻らない。

 そう決意を新たにすると、私は窓の外に目をやった。吹き抜ける涼やかな風がカーテンを揺らし、どこか希望を運んできてくれるような気がする。
 ――この運命を、なんとしても変えてみせる。今はまだわずかな光だけど、私ならきっと大丈夫。
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