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56.*約定 後編*

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 予想とは違う言葉を贈られた僕は、目を閉じることさえ忘れて、唇に落とされた熱を感じていた。
 至近距離にある瑠璃色の瞳は瞬きすらもせず、まるで何かを探るように蒼い光を纏ったまま視線がずっと絡み合う。

 そんな状態なんだからやめておけばいいのに、気が付いた時には、頭の中で先程の言葉を反芻してしまっていた。

(愛して、る……愛している?……いじゃなくて、『あいしている』……っ……っ!?)

 その音を、このひとの声で紡がれる。
 他ならぬ自分ぼくだけへ、向けて。

 そう理解してしまった瞬間、酔いも眠気も吹っ飛ぶほどの強烈な感情が体中を突き抜けていった気がした。
 歓喜と羞恥をごちゃまぜにして、意味を持たない言葉をただただ叫びだしたくなるような衝動が。

 一瞬でカッと酷い熱を持ったのは頬だけではなく顔全体で、食むように啄まれていた口元は小さく震えて引きつるし、何より、そんな有様を全てまるっと観察されている、この状況。
 そのなかで、顔を背けることさえ許されなかった僕ができたことといえば、

(ふっ、ふぇっ……ぅわぁぁぁんッ!!?)

 そう年甲斐もなく、子供のような叫び声を胸の内で上げ続けるくらいだった。

 それもこれも、涙目で盛大に赤面しているであろう僕を逃がさず、舌まで絡めてきたラグナのせいだ。
 なのに、彼と肌を合わせた時特有の、あのぽっと小さく灯るような懐かしい温もりが舌先に生まれた途端、鼻から抜けた自分の声はやけに甘ったるくて。

「んぅっ…ふ…ぁ……っ」

 止まった思考のまま、僕へ覆いかぶさる男の背へ条件反射的にしがみつきながら、ふわふわとしたその温もりに縋っていた。
 性急さも激しさもなく、ただゆっくりと熱を馴染ませるように何度も行き来していたそれが、ちゅっという小さな音を最後に、切り上げられるまで。

 やだ、もっと。と本心を危うく口に乗せかけた直前、どうにか我に返れたのは、少しだけ距離をとって僕を眺めるラグナが、殊更ほっとした顔をしていたからだ。
 それも、やっぱりまだ見たことのない、とても柔らかで繊細な微笑まで浮かべて。

 そんなものを見せられては、燻っていた羞恥がまたすぐ顔に戻ってきてしまう。
 だから急いでそれを誤魔化すためにも、僕はその名前を呼んだ。

「……な、なに?ラグナ」

「あぁ……よい。僅かとはいえ、傷が癒えていくな……く、っはは……なるほど……なるほどなぁ」

 何かを確かめるように僕の顔へ両手で触れ、額に落ちる髪を長い指先で梳くラグナ。
 たったそれだけの言葉で、僕が全ての意味を理解できるはずもない。
 なんだか意識もはっきりとしたことだし、いい加減ちゃんと説明してよと眉間に皺を作りかけた途端、当然とばかりに邪魔をされた。

「ユーリオ、愛している」

「っふぇ!?」

 聞きなれない言葉だけど、やっぱり僕の聞き間違いじゃなかったんだ!?えぇ!?急にどうしたのこの魔王!?
 そう頭の隅で喚きながらも、再び跳ねた心臓が原因で変な声まで漏らしてしまった。
 なのに、そのまま近づいてきた綺麗な男らしい顔に唇を塞がれ、また温もりを与えられる。

 それからしばらく、穏やかではあれど確実に体の奥へ浸透していく熱に夢中になった後で、ようやくラグナは教えてくれた。

 かつて魔王本人と黒龍が告げたように、僕の体は魔族と同じ、いわば不老不死に近い。
 肉体としての最適な状態に到達した時点で成長は止まり、このザルツヴェストに満ちる毒と反応することで、その状態が保たれ続けるのだと。

 でも、体は時の影響を受けなくなろうとも、『魂』というものは違うらしい。
 それがどういう物なのか、今この時に正確に理解することを、僕は放棄した。
 「存在値の生成根源」「世界強度の構成要素」「最も単純で難解な動力源」とつらつら語られたところで、ふんふん、と首を縦に振りながらわかったふりをして、話を続けてもらうのに精いっぱいだったから。

 結局、今の人生だけでなく、その後に繋がる――いわゆる輪廻転生に絶対不可欠な力が魂にはあり、その強度は生まれながらにして決まっているということみたいだ。
 そして、人間という元が短命な種族の『魂』にとっては、ただ『永く生きる』ということだけでも、負荷がかかりすぎるのだと。
 
 だから、時の流れに疲弊し摩耗した僕の魂は、いつ壊れてもおかしくない状態だった……らしい。
 そうなれば、体の機能は無事でも心は死ぬし、全く別の存在に生まれ変わることも、もうない。

 既に人間に戻って死んだと思っていたはずの僕が、まだ『僕』のまま生きていて、しかもそんな魂の姿をしていたから、ラグナはとても焦ったそうだ。
 そのうえ積年の念願を叶えて緊張が緩んだせいか、そのまま魂が一気に崩壊しそうになる様まで克明に見えていたものだから……あんなに、取り乱してくれた。

 けれど、崩壊を完全に止め、あまつ僕の魂が負った傷すら癒す術を、この魔王は見つけたという。
 それが――。

「あぁ、素晴らしい……真に素晴らしい。余は其方の傷が癒えるまで――いや、癒えた後であろうとも何度でも告げよう。

『愛している』」


「っあ!?やっ…はぁっ、ん…ふぁっ、ぁ…っ」


 うつ伏せに変えられた体勢で、感覚の鋭い背中を唇で辿られながら、絡みつくような低く甘い声音で紡がれる、その言葉。

 それに反応するかのように、膝を立てて高く上げていた腰が小さく跳ねたせいで、体内に埋められていた長い二本の指をきゅうっと食い締めてしまい、墓穴を掘った。
 抑えられなかった恥ずかしい声と熱い息を零しながら、もう『久しぶり』なんて表現では到底足りないほどの、遥か昔にしか触れられたことのなかった場所から生まれる、その痺れるような快感に眩暈さえ覚えているのだから。

 そう、この男は、有無を言わさず前戯を始めるなかで、酷く深刻な話を語り続けていたわけだ。
 僕にちゃんと理解させる気は、ある?ないよね!?

「あっぁ!もっ……ふぁっぁ、わか、わからなっ……もおぉおっ!!」

 背中に感じる微かな熱も、体の内側を控えめに暴いてくる指も、勝手に涙が溢れてくるほど気持ちいい。
 この変わらない身勝手な強引さだって懐かしいけれど、同時にやっぱり腹立たしくもある。
 そんな思いを、顔を半分埋めた大きな白い枕に拳を振り下ろすことで、一応は落ち着けようと思ったのに……ボフン!と上がった抗議の音に間髪を入れず返ってきたのは、

「うむ、愛い!この愛いさまで変わらず健在であるとは……これほどの喜び、未だかつて余には覚えがないぞ?」

「っ!!……あ、あっ!いっ、んぅう~~~~ッ!!」

 あれだけ待ち焦がれた言葉を、記憶そのままの口調で、唐突に口にされたものだから、頭よりも思考よりも先に、体が反応してしまったじゃないか。

 咄嗟に声は飲み込んだものの、あっけなく吐き出した欲の心地良さと余韻に浸る暇もなく、すぐに抜け出ていく指の感触にも不満を覚える。
 そのうえ背後から腕をとられて、乱暴ではないけれどまた簡単に体を反転させられるし。

 本当にもう、このひとは!僕を人形みたいにころころ転がしてくれるんだから……!もうっ……待ってた!!

 窓からの光が差し込む明るい室内の様子は、過去何度も勝手に使わせてもらった、この城の主の広い広い寝室だ。
 でも、二人で使うには大きすぎるベッドへ一緒に身を沈めるのは初めてのこと。
 あの頃はいつだって、僕に宛がわれた部屋で二人して夜を――……ちょっと待って。

「っこの、魔王……なんでまだ僕だけ裸なのさっ」

「ん?」

 ひとの服はさっさと剝いたくせに、幸せそうなご満悦顔で僕を組み伏せている男は、いまだそのローブすらきっちり着込んでいるではないか。
 純白に施された数々の装飾が美しいそれに遠慮なく指を絡ませ、皺を作りながらグイグイ引っ張ってやっと、僕の意図はこの人外にも通じたようだ。
 あぁすまぬすまぬ、とおざなりな謝罪をしながらも、すぐさま魔法で服を消し去った男の素肌がようやく、露わになる。

 何度も夢にまで見たそのままの、腑抜けたデレッとした笑顔もそこに追加されていたものだから、思わず鼻の奥が熱くなるような感覚に息が震えた。

「――僕のこと……愛いじゃなくて、愛してるの?なんで?」

 だから、思いの外弱々しくなってしまった声音で、そう尋ねてしまった。
 深い理由は特にない。
 ただ単純に疑問で、否定された場合のことにまで頭が回っていなかっただけ。

 でも、僕の魂に執着していたという魔王は、彼だけが持つその瑠璃色に燃える双眸を殊更細め、艶やかな笑みを口元に刻み、はっきりと答えてくれた。

「其方は、余が持たぬモノの全てを持っている。超えられぬはずの時を越え、あのような姿になってまで余の望みを叶えてくれた」

 ……魔王の望みって何だったの?なんて今は口出ししてはダメだよね、僕。
 でも、あのさ、心当たりは一撃入れ……ようとしたことくらいなんだけど、まさか……それ?

「その強さと其方の献身は、『愛い』でも『美しい』でも足りぬ。余に捧ぐその想いを返したい。このまま余の前から消えゆくことなど、到底許せん」

 いつの間にか解かれ、シーツに散っていた暗く赤い髪をそっと指先で掬い上げ、そこへ唇を寄せながらも、僕の目をじっと見つめたままラグナは笑う。

「どれもこれも余には理解し難い感情であったのに、其方はそれにすら応えてみせた。『愛している』――たったこれだけの言葉で、余の腕の中へ踏みとどまってくれたのだ」

 見上げる男の肩口から、長く奔放な銀髪の一房が僕の首元へ零れ落ちてくる。
 糸の宝石のように輝くその美しい髪へ、すぐに自分の左手を絡ませたのは無意識だ。
 ただ、さらりとした感触を楽しめたのは一瞬で、今度はその手をラグナに取られ、そっと甲へ唇を落とされた。

 その場所から、ぽつりと肌へ染みていく小さな熱を感じていると……。

「これが『愛』でなければ、もう欲しいとも思わん。故に――」

 そう呟いた男が、少しだけ離れていた距離を、また鼻先が触れあいそうな位置まで縮めてくる。
 咄嗟に目を閉じかけたものの、実際は一度瞬きしただけで、ちゃんと僕にその光景を届けてくれた。

 誰よりも何よりも強く美しく、僕の世界を壊して変えてくれた人が、僕が焦がれ続けたその人が、きっと初めて使う言葉で誓いを立てた瞬間を。


「ユーリオ。其方こそ、余の愛する唯一人の伴侶であると、ここに約定す」


 どこまでも自由な魔王たる存在が縛られるのは、彼自身が自らに課す『約定』のみだと、今の僕は知っている。
 そして、その言葉を使ってなされた宣誓は、決して覆されることはない。
 魔族の約定は、絶対――なのだから。

 僕の望みを遥かに超えた、こんな答えを貰えるなんて、思ってもいなかった。

 再会の勢いに任せて、自分からあんな求婚をしてはみたけれど、本当は一方的に想いを告げられただけで、満足だった。
 ただ、また傍に……もう一度、あの日々のように変わらず「愛い」と、愛玩動物のように愛でられるだけでもよかったのに。
 
「あぁ、また泣いて……だが、やはり泣き顔も愛い!……愛いのだが、そろそろ本格的に余の力を注いで、魂の修繕を急ぎたいゆえ……まぐわってもよいか?よいな?よいであろう?」

 あっという間に熱をもって滲んだ世界のなかで、呑気に小首を傾げて困ってみせる、伴侶。

 その首元に自分から腕を伸ばして抱き着いて、不規則な呼吸に邪魔されながらも、僕も好き、愛してるとどうにか音にして、懐かしく愛しい熱を強請った。


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