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1.王子と護衛
しおりを挟むエクランド王国には建国以来、五百有余年に渡り、とある一族が仕えている。
その血族のみに許された異能の力は、天候を意のままにし、時には大地すら引き裂いたという。
剣や槍、弓矢が主力武器である戦場において、その異能は替えの利かない強大な軍事力として、王国の隆盛に必要不可欠であった。
襲い来る敵国の軍勢を跳ね返し、人が抗するのも難しい魔獣の脅威すら、容易く退ける。
そんな人ならざる力を求める者は、当然の如く多い。
だからこそ時の王に変わりなく寵愛されてきたが、一族は王と貴族、どちらの派閥にも属することなく中立を謳い、ただ国にのみ忠誠を尽くした。
それがいつしか、畏怖と共に『エクランドの影の王』と囁かれるようになった名門貴族、オルデアス家の成り立ちである。
しかし時の流れと共に、その異能の力も弱まっていった。
王国内での地位と影響力は変わらず盤石とはいえ、今では伝承にあるような圧倒的な力を振るえるのは、厳格に血統を管理し続けてきた当主筋と、それに近い僅かな血族に限られる。
血の薄まった多くの一族と同じように、オルデアス家の一人であるキオという青年にも勿論、そこまでの強大な力はない。
だがそれでも彼は今、このエクランド王国の第五王子、フレデリック・ウォル・スノア・エクランドから特別な寵愛を受けていた。
それは単に、十二歳の少年王子が、七歳年上のキオに相当懐いている――というだけのことではあるが。
「キオ!ほら見てよ、今日は算術の試験で満点を取ったんだ」
勉強部屋でもある王子の私室へ、授業が終わった頃を見計らって訪れたキオを出迎えたのは、そんな朗らかな第一声であった。
子供特有の屈託のない笑みを浮かべて小走りに駆け寄って来たキオの主は、短く切りそろえた癖のある赤みがかった金髪を揺らし、丸く大きな翡翠色の瞳をこれでもかと輝かせている。
項で一つに括った自分の長い青黒髪や、色素の薄い浅紫の瞳とも全く違うその色を眩しく思いながら、キオは片膝をついて跪いたまま、主の小さな手から一枚の高級紙を受け取った。
大人でも難解な数式で埋め尽くされたその紙面には、算術の専任教師からの全問正解という流麗な書き付けが、赤いインクで大きく記されている。
それを軽く一瞥してから、彼は意識的に明るく微笑んでみせた。
「本当だ。よく頑張りましたね、フレデリック殿下」
平均的な身長はあるものの、十九という歳のわりには線の細い体同様、その顔に男らしい厳つさは皆無だ。
青味を帯びた黒髪が彩る肌は、陽に焼けたことのないような白さであり、名門貴族らしく整った涼やかな顔立ちも相まって、いっそ深窓の令嬢を思わせる儚さすら纏わりついている。
男のわりには美しいと誰もが感じる青年のそんな笑みを向けられて、気分を害するような者はそう多くはないだろう。
自分の顔の良さをある程度自覚しているキオにとって、この笑い方は処世術の一つですらあるのだから。
だが、彼の主である王子の顔は、珍しく不満げに歪んだ。
といっても、まだ可愛らしさが残る少年が頬を膨らませる様は、キオにとってはただただ愛らしく見えるだけだったが。
「また言った。僕を呼ぶ時は?」
「――っふふ。失礼いたしました、フレン殿下」
「……どうせキオの他には誰もいないのだから、フレンでいいというのに……」
少しむくれた顔のまま、くすんだ緑色をした年代物のソファーへ腰を下ろしたフレンの言葉通り、この第五王子の私室に侍る人間はキオだけだ。
それどころか、西大陸の覇者たるエクランドの王子、その一人にしては部屋の広さも調度品も質素であり、専属の侍従すら一人もいない。
王子の服装も、いくら身軽な私服姿とはいえ簡素な水色のドレスシャツに、着古した黒いベスト、ややサイズの大きな白のズボンと焦げ茶色のショートブーツ、と下手をすれば中流貴族の子弟よりも質素な身なりである。
オルデアス家から護衛として王子の下へ配属されたキオの方がまだ、上等な衣装に身を包んでいるくらいだ。
その青藍を基調としたロングコートは一見地味ではあるが、純白の組紐による精緻なフロッグ・ボタンを始め、喉元まで隠す詰襟や長い裾を控えめに彩る金刺繍の美しさは隠せない。
皺一つない漆黒のズボンと、膝丈まである同色のブーツにも汚れ一つなく、主君の為に荒事へ備える護衛というより、勉学の師となる専任教師の一人といった方がしっくりくるだろう。
キオが一族の任として、この王子の護衛に就くようオルデアス家当主から命じられた際には、「そんな大役を、なぜ自分などに?」と疑問に思っていたものの、就任初日でその理由にも納得できてしまった。
それほどまでに、フレンという子供は誰からも軽視されていたのだ。
ほぼ平民と変わらない身分の愛妾が産んだ、この国の五番目の王子。
それは王位継承に関わる予備としても、政略に使う婚姻相手としても、等しく無価値だと思われているからだ。
挙げ句、その生母も夭折して以降は、広大な王宮のはずれにある古く小さな離宮にこうして捨て置かれている。
だからこそキオは、誰にも必要とされていない少年に哀れみを覚えた。
その姿に、「一族の恥晒し、欠陥品」と当主から直々に評されてきた自分自身が重なったからかもしれない。
そんな初めての主に対して、キオが職務を超えて何かと世話を焼くようになるまで、そう時間は必要なかった。
自分が不要な存在であることを早くから理解していた賢い子供は、それはもうグレていたのだから、キオの元来の世話焼き体質に火が付いたともいう。
王命によって仕方なく離宮へ派遣されてくる数少ない教師たちとも、ろくに向き合わず、投げやり気味に「勉強したって何になる」と口ごたえする主を根気よく説得することから始め、ある時は正論で泣かし、投げ飛ばして泣かし、蹴り飛ばして泣かした。
お世辞にも屈強とは程遠い、こんな見た目の自分にすら一切太刀打ちできなくていいのか?と嗤う名目上の護衛に、フレンの王子としてのなけなしの矜持が大いに刺激されたのも当然のことだったのだろう。
当初はただ、キオに対する反抗心で勉学や剣術にしぶしぶ励みだしたフレンだったが、どんな小さなことでも褒めてくれる存在が身近にいることで、次第にやる気を出すようになっていった。
そして今では、算術だけでなく政治・経済・軍事……王族の男子として一応は施される教育の数々に対し、教師役たちから優秀な回答を評価されるまでに成長したのだ。
そんなフレンという孤独な王子が、いつも傍にあり、真っすぐに自分を見てくれる存在を誰よりも慕うようになったのもまた、息をするように自然なこと。
キオにとっても、それは同じだった。
この小さな主は、自分を必要としてくれる。
その事実が何よりも、彼の心を満たしてくれるのだから。
「キオが僕に仕えてくれてから、もう一年だよ?そろそろ二人きりの時くらい、フレンと呼んでもいいと思う」
「へぇ、ガキ様の分際で年上であるオレに意見ですか?」
「そこまで言うくらいなら、もうフレンって呼んでもいいよね!?」
今となっては可愛い弟分でもある主君が手近なクッションを抱き潰し、そのやるせなさをぶつけている様を笑って見守りながら、キオは今日の試験用紙を質素な文箱へ丁寧にしまった。
それからしばらく、次の専任教師がこの部屋を訪れるまでの休息の時間を二人で楽しむのが、ここでの日常だ。
そう、確かにキオはこの日々を楽しんでいた。
自分の役目は護衛とはいえ、利用価値もない第五王子を害そうとする者など皆無に等しく、またフレン自身もこの離宮から出歩くことを好まないがゆえに、その身に危機が迫ることもない。
ただ好ましく思う少年の相手をしながら、穏やかな時を過ごせるなど夢のようだとすら思っていた。
定期的に自分を訪ねてくる存在さえ、いなければ。
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