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2.飼い主
しおりを挟む目につく場所のみが、かろうじて手入れされた小さな庭園。
所々剥げた石畳は、おざなりに植えられた芝や背丈の低いつる植物で誤魔化され、穴の開いた小さな天幕の下にある石造りのベンチは一部が苔むしている。
けれど、そこに陰鬱な空気はない。
よく晴れた昼下がり、穏やかな陽光が降り注いでいることもそうだが、それに負けじと溌溂な声を響かせるフレンが、その中心にいるからだ。
「――四十八、四十九、ごっ、じゅうぅぅ!!っはっ、はっ……おわ、終わったよ!キオ!!」
シャツも脱ぎ去り、上半身裸となって一心不乱に重しの入った木剣を振り続けていた少年王子は、息を整えるよりも先に天幕の下にいる護衛を振り仰いだ。
滝のような汗を流しながらも、どうだと言わんばかりに子供らしく胸を張った主に、キオは素直に感嘆の拍手を贈った。
一年前に比べて逞しくなった気がする少年の体に対して、年上としての将来的な危機感をほんの少し持ちながら。
「まさか本当に達成できるなんて……よく頑張りましたね、殿下」
「ふっふーん!僕の言った通りだろう?これくらい何てことないよ!だから、次はキオの番だよ。今日こそ――」
「あーはいはい、わかりましたから、まずはこちらへどうぞ。汗ぐらい拭きましょう?いくら元気さだけが取り柄のガキでも、油断すれば風邪くらい……確認ですが、殿下も普通に風邪ひきますよね?」
「それをわざわざ確認する大人に対して、完膚なきまでに論破する言葉を、僕は今、切実に探しているっ!」
困ったなと内心でぼやきながらも適当な会話を挟みつつ、子供用とはいえ鉄剣での五十回連続素振りを見事成し遂げた主を、まずは落ち着ける。
ベンチの上に置いた籠から取り出した柔らかなタオルで、今はまだ小さな体を頭からざっと拭き上げ、着替え用のシャツに袖を通させた。
それから、ベンチと同じように苔に侵食されつつある白く小さな丸テーブルで出番を待っていた水差しから、飾り気のないガラスのゴブレットへぬるい水を注ぐ。
それを自分よりも小さな手へと渡しながら、
(つい売り言葉に買い言葉……で、約束してしまったのは軽率だったか……)
そんな後悔を胸に抱くキオだったが、すぐさま豪快に水を飲みほしたフレンは、その翡翠の瞳をこれでもかと輝かせて彼を見つめてくるのだ。
となれば、キオも覚悟を決める他に、もう道は残されていなかった。
「はぁ……仕方ないですね。他ならぬオレの主からのお願いですし……今回だけですよ?オルデアスの異能は、見世物ではないので」
ある時代は魔法、別の時代では魔術、今では異能と呼ばれるオルデアス家の一族のみが振るえる不可思議な力。
それを見たいと、前々からフレンは強く望んでいた。
キオが護衛として役立つ機会など今まで皆無だったこともあり、好奇心旺盛な少年の関心は高まる一方だったのだから、何かと理由をつけてはぐらかし続けるのもそろそろ限界だったのだ。
主の手から空になったゴブレットを受け取り、そこへ再び並々と水を注ぎながら、キオはちらりと庭園へ視線を向ける。
その先には憎らしいほどの晴天と、風がなければじわりとした暑さを覚えるほどの変わらない陽気。
この環境で、自分ができることといえば……。
「……期待外れでも泣かないでくださいね。オレが泣きますから」
「えっ!?」
驚く主の声に、何を子供みたいなことを言っているのかと自分でも小さく嗤いながら、キオは腕を払い、ゴブレットの水を庭園の中央へ向けてまき散らした。
その瞬間、ただ重力に従い石畳を濡らすはずだった僅かな水の塊は、一本の糸のように連なりうねりながら宙へ留まる。
それは水で形作られた蛇のように、キラキラと光を弾きながら小さな庭園の広場を舞うように、ぐるりと周回する。
そうして束の間の散歩を楽しんだ後は、再びキオが持つゴブレットの中へと戻り――ちゃぷっという消えそうな音と共に、ただの水へと返ったのだった。
(……しまった。最後は植木の枝でも刈るくらいした方が、まだ実用性の証明にもなったのに……これだと普通に、ただの見世物だろ……)
声もなく無言のまま固まっている主の前へゴブレットを置いたキオは、涼しげな顔にはりつけた微笑を崩すこともなく、胸の内でだけ盛大にそう嘆息する。
本来なら一族の中での血統的に、キオの力はもっと強大なものでなければいけない。
こんな水など使う必要もなく、それこそ請われるままに少年の目を楽しませる見世物を幾度となく披露しても、問題ないほどの。
だというのに欠陥品の自分では、負担なくできる芸当はこの程度。
主の期待を、さぞ裏切っただろう。
「まぁ、オレがお見せできるのはこんなモノですが、他の一族も同じだとは思わないでくださいね。これはただオレが欠陥――」
だから思わず、一番嫌いな言葉を自分自身で口にしかけた時だった。
「っっすっごいね!!?キオすごい!!素晴らしい!!あれがこの水って嘘だろう!?きれいっ、今まで見た何よりも美しかった!!」
「……っ」
勢いよく立ち上がったフレンから、そんな純粋な称賛を、ただ好意しかない笑みと共に、宝石のような翡翠の瞳に自分だけを映しながら、与えられる。
それに目を丸くしたキオは、興奮のままに自分の胸元へ抱き着いてきた主をただ受け止め、呆然と見下ろしていた。
「なぜあんなにきれいなの!?キオだから?すぐに消えてしまうのが勿体ないけど、でもこれが芸術学の先生が言っていた刹那の美というものだよね!?僕わかった!次の論述試験、絶対勝てる!」
「フレン殿下……あの……近い、です」
「ん?……!?っご、ごめん!!」
途端に更に顔を赤らめて、腕の中からパッと距離を取ったフレン。
それを苦笑と共に眺めながらも、キオは小さく小さくほっと息をつく。
どうやら自分はまだ、この主を失望させていない……必要としてもらえるみたいだ、と。
「だ、だってキオがすごいからつい……いやキオがきれいなのはいつものことだけど、特別きれいに見えて……あぅうぅ……やっぱりか……となったら……よしっ――あのさ!キオ!」
ベンチの隅に座り直し、頭を抱えてぶつくさ呟いていた王子は何かを逡巡した後、彼の護衛の名を呼んで顔を上げる。
テーブルの上を片付けながら、はい?と小首を傾げた内心上機嫌なキオが見つめるなかで、唐突に、彼は言った。
「僕はこの先、よく知りもしない遠い他国へ後ろ盾もなく婿入りするか、国内のどこかの貴族の子女と名ばかりの婚姻をして、その領地の外れで生きることになる……よね?」
これまた急にどうした、と流石に手を止めたキオは、真剣な顔をして語り始めたフレンの足元へそっと膝をついて小さく頷きを返す。
下手に王の血を引いた男子が必要とされる状況など、おそらく、ろくなものではないと知っているからだ。
人質と変わらない状況で他国との姻戚作りに使われるか、その必要さえなければ、ろくな権力も財も与えられないまま辺境へ追いやられるくらいだろう。
「でも、最初にキオが言ってくれたように今勉強を頑張れば、そうなっても僕が役立てることが何かあるかもしれない。僕の価値を、誰かが認めてくれるかもしれない。そうしたらきっと護衛の一人くらい、自分で養えると思うんだ。だから――」
ずっと、僕と一緒にいてほしい。
そう明るくもない未来を見据えた十二歳の少年から、まさかそんな言葉が飛び出すとは思ってもいなかったキオは、僅かに迷った。
それが咄嗟に浮かべかけた愛想笑いを不完全なものにしたとも知らず、翡翠の瞳が一心に見つめる前で、ぎこちなく口を開く。
「ありがとう、ございます。殿下が、そう望んでくださるのなら……」
緊張が滲む真剣な顔から一転、途端に安堵したような笑みを浮かべかけるフレン。
自分に懐いている主が望む答えを口にすることは、こんなにも簡単だ。
だからこそ、いつもの笑みをようやく纏い直したキオは、軽い口調で言葉を続けた。
「――なんてね。オレの飼い主は別にいるので、そういったことは、そちらへお願いしてください」
この小さな主の傍で、いつまでも彼の助けとなれる自分――そんな幸せな未来を一瞬でも夢想した、その本心を誤魔化すために。
「うっ!?え、えぇぇええ!!でもでもっ、キオは僕のこと嫌いじゃないよね!?」
「勿論、好きですよ」
「っすッッ――!!?ぼ、ぼぼぼ僕も……っ!だから、えっと……うぅ……」
ぐしゃっと顔を歪めたかと思えば、次の瞬間には真っ赤になって口ごもるフレン。
その子供特有の純粋な好意を、心の底から嬉しく思いながらも、キオはそんな素振りを見せることもなく、淡々と主へ言い聞かせた。
「というより、好き嫌いの問題でもないですね。殿下だってご存知でしょう?オレはオルデアスの家の者なんですから。でも、お気持ちだけはありがたく大切に、頂戴しておきます。さぁ、お部屋へ戻りますよ」
「むぅぅ……僕は本気なのに」
子供の我儘としてあしらわれたと思ったフレンが、そう小さく頬を膨らませる。
キオがやれやれと微笑みながら、その機嫌を取るように金の頭へそっと手を伸ばしかけた時――。
突然、庭園への出入口である離宮の扉が内側から開け放たれた。
古びた木製の黒い扉が大きく軋む音を上げるなか、慌てた様子でそこから飛び出してきたのは、この離宮でフレンに仕えている初老の侍女だ。
「でっ、殿下、キオ様!お客様が――オルデアス公の御来訪にございますっ」
彼女はそう上ずった声で、一年前であれば絶対になかったであろう高位貴族の訪れを告げる。
これが初めてのことではないのだが、座ったまま身を固くしたフレン同様、幾度繰り返そうともまだ慣れることはできないらしい。
それもそうだろう。
開け放たれた扉の先、暗く長い板張り廊下の向こうから、こちらへ歩を進めてくる幾人かの人影。
その先頭にいる美貌の男こそ、このエクランド王国の影の王――異能を振るう一族を束ねる現当主、その人に他ならないのだから。
鮮やかな紅色で精緻な刺繍が施された上品で華やかな黒衣に、均整の取れた細身の長身を包み、後ろ髪だけが長く背まで伸ばされた雪のような銀髪を靡かせる当主。
その無表情めいた端麗な顔立ちは、既に三十路を越えたはずだというのに、二十歳間近のキオとあまり変わりのない若々しさだ。
ただし金に近い橙色をした瞳の鋭さと、彼が纏う気配の重々しさは、決して外見年齢相応のものではない。
それどころか、老獪な上位貴族たちをも凌駕するほどの威圧感を自然と振りまいている。
(……間の悪い……何も真っ昼間から来なくても……)
だからこそ、こんな明るい時間に、自分の大切な小さな主までをも委縮させてしまう男の来訪に対して、キオは無言のまま眉を顰めた。
形だけの愛想笑いも、心にもない歓迎の言葉も、自分の全てを掌中に置く男の前では何の意味もないからだ。
ジルヴェスト・ディーク・オルデアス。
それが、オルデアス家当主にしてキオの飼い主である、異母兄の名だ。
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