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5.悪天候
しおりを挟む兄と夜を過ごした次の日は、なぜかいつも決まって空の機嫌が悪い。
既に昼を過ぎている時刻になっても、まだ窓を叩き続ける激しい雨音を聞きながら、キオは足早にフレンの私室へと向かっていた。
(くっそ、寝過ごした……兄上も兄上だ……あれだけヤる必要が本当にあるか?ないだろ!単なる性欲発散相手ならオレじゃなくて、あんたの妻たちでいいだろうが!!)
苛々と足を進めるのは昨晩ようやく解放されたキオが、この離宮に宛がわれている自室へと這う這うの体で辿り着いたのが、明け方近くのことだったからだ。
事実上の気絶という何度かの休息を挟みながら長々と行われた交合は、キオの体力も精神も削り切るのには充分過ぎた。
結局最後は、もう二度と不要な異能は使わないから、と泣きながら許しを請うてやっとジルヴェストの腕から逃れられたのだ。
それが治療を目的とする行為がようやく達成されたからか、単に異母兄の溜飲が下がったからなのかは、キオには知る由もない。
躰を繋いでいる最中でさえ、ジルヴェストが彼の体液を媒体にして施しているという異能の効力など認識できないのだから。
ただ、キオが常日頃感じている小さな倦怠感が、今日は綺麗さっぱり消え去っている。
長時間の交わりによる体の節々の痛みや、寝不足からくる軽い頭痛と微かな喉の痛みを除けば、身体的には絶好調ともいえる。
兄と肌を重ねれば得られるその感覚こそが、何よりの証明となっているわけだ。
自分はジルヴェストが言う通りの「欠陥品」で、一族と血統の事情で仕方なく生かされている、それが真実なのだと。
あの行為に、それ以上の理由などない。
なのに、その熱を、肌を、吐息を間近で感じていると、そこに他の理由を探したがる救いようのない自分が声を上げそうになる。
そして再び嵌り込む、思考の渦。
そんな不毛な時間を過ごしたくなくて、どれだけ体が辛かろうと半分以上寝落ちしていようとも、キオは動けるようになった段階でいつも早々に自室へと引き上げてから、独りだけで眠るようにしていた。
そもそも兄弟揃って同じ邸で生活していた頃も、肉体関係を持つようになってからは一つのベッドで朝を迎えたことなど、数えるほどしかないが。
(この時間なら兄上は出立しているはずだし、顔を合わせることもないからいいとはいえ……フレデリック殿下のことだ。きっと――)
大きな長方形をした総二階建ての離宮、フレンの寝室はその二階部分の最奥にあり、キオの自室もそこから程近い場所に与えられている。
とはいえ、昼食も終わったであろうこの時間から、あの闊達な子供がほぼ寝るためだけの部屋へ戻ることはない。
だからキオは迷わず一段一段がささやかに軋む広い螺旋階段を下り、色落ちしてまだら模様となった緑の絨毯が敷き詰められた薄暗い廊下を進む。
目指すのは、一階にある主が勉強部屋として使っている私室の一つだ。
こういった激しい雨模様の日には、離宮へ通ってくる教師たちも対面での授業を休みとする慣例ができており、今頃はフレン一人で暇を持て余しているはずだから。
そう、独りで。
勿論、キオの代わりの人員がいないわけではない。
ジルヴェストが『キオから任務状況についての報告を泊りがけで受けている間』、フレンの護衛に就く者は別に用意されている。
異母兄弟が顔を合わせた次の日は、キオの休暇とする取り決めもあらかじめ成されており、その為の交代要員をジルヴェストはいつも伴ってきていた。
だがフレンは、毎回それを断ってしまうのだ。
「キオが休暇の日は、僕もおとなしくている。だから代わりの護衛は、必要ありません」
自分の与り知らぬ所で、あのオルデアス家当主へそう直言したのだと聞いた時には、キオも驚いた。
思わず「殿下、漏らさなかったんですか?」と失言してしまい、年下主の矜持を回復してもらうのに少々の時間を要することにもなったが。
とにもかくにも、そんな可愛いことを言う主がいるのだから、休暇であろうとなかろうとキオの足は今日もフレンの下へ向かう。
けれど、目指す主の私室へは、もう十歩ほどでたどり着く。
その時にふと、濡れた窓に映り込んだ自分の顔が視界に入ったキオは、ぎくりと足を止めてしまった。
遅い朝の身支度を自室で始めた時には、精一杯意識しなければ、いつもの笑みを張り付けることもできないほどの酷い顔をしていたはずなのに。
今、フレンのことを考えていた自分の顔は、傍目から見ても自然と口元が綻び、まるで楽しげですらある。
「……う、わぁ……」
それを自覚した途端、薄暗い窓に映る整った涼やかな顔立ちは盛大に歪んだ。
そして、引きつった口元を隠すように手で覆いながらも、鏡のようなそれから視線を逸らし、大きくため息を零した。
ジルヴェストとの一夜の間、心という器にこれでもかと詰め込まれた相反する感情が醸成する、毒のような不快感。
それがフレンのことを考えるだけで薄らいでいくのは、思えばこれが初めての事でもない気がする。
だが、まさかこんなにもあからさまに顔に出る程だとは、キオも今しがたまで気づいていなかったのだ。
そのせいで、昨夜夢現に聞いていたはずの兄からの忠告が、鮮明に脳裏へ蘇る。
――あの子供に、あまり入れ込むな――
主としてお仕えしている相手へ心を砕くことの、何が問題だというのか。
即座に覚えたその反発心を口にすることはできなかったが、キオは確かにそれを不快に思ったはずだった。
(……なんだ……結局いつも正しいのは、兄上か……)
それが、たった一晩でジルヴェストの言葉を肯定せざるを得なくなったことに、一気に体が重くなる。
あの小さな主に必要とされる時間は、何よりも心地いい。
叶うなら、このままずっと傍にとも望んでいる。
それが依存の始まりだというのを、経験則で知っているがゆえに。
(――あぁやめだ、やめ。オレの悩みなんかよりも、殿下の傍へ戻る方が、今は優先事項に決まってるだろ)
意図的に思考を切り替えるために、数度自分の頬を軽く両手で叩いた後、キオは普段通りの表情を心掛けながら再び足を進めた。
そうして残りの距離をさっさと歩き、目的の扉をノックして声をかけてから、主が過ごす部屋を覗き込んだ。
「キオ!」
予想通り、フレンは部屋の中央に置かれた円形の勉強机に向かっていた。
机上に散らばる多くの書類は、こんな日の為の自主学習用にと持たされている課題たちだろう。
その手元からぱっと顔を上げ、満面の笑みで嬉し気に自分の名を呼ぶ、たった一人の主。
それを前に、キオは今しがたの自覚もさっさと忘れて浅紫の瞳を柔らかく細めてしまった。ついでに、
「殿下、また代わりの護衛を断ったんですか?正直、オレよりも優秀な一族のはずなので、一度くらいお傍に置かれてみては?」
「むぅ……それならキオこそ、休みの日くらい僕のことなど気にせず休めばいいんだ」
「御言葉ですが、護衛がおりません」
「護衛がいなくてもいい日だから、お休みなんですー!」
そんな軽口を、互いに楽しんでしまう。
ただフレンの勉強机へと近づいた時、キオは僅かな違和感に気がついた。
珍しく、主の手元の問題用紙たちはほとんど白紙のままで、手が付けられていない。
いつもであれば暇つぶしついでにさっさと課題を進め、次の授業で各教師たちへ得意げに成果を披露するのが、彼の楽しみでもあるはずなのに。
今日は自習ではなく読書の気分だったのか?と思ったものの、机の上にはフレンが夢中になるような本も、特に見当たらない。
「……殿下?何か気になることでも?」
こんな陰気な天候の日には、いくら子供とはいえ物思いにも耽りたくなるのかもしれない。
特にこの王子の境遇であれば、尽きぬ悩みも多いだろう。
そうフレンの心情を推し量ったキオは、できるだけ優しく穏やかに、かつ、いつもと変わりのない口調を意識しながら話の水を向けてみる。
「っ……え、えっと……」
だが、丸机に手をつき身を屈めて視線を合わせたキオの浅紫の瞳から逃れるように、フレンの翡翠色をした瞳はすぐさま伏せられてしまった。
(……殿下?)
自分にはどんなことでも話してくれる主が久しぶりに見せる、拒絶じみた反応。
それに内心で首を傾げながら、キオが次の言葉を待っていると……やがてフレンは本心か方便か、蚊の鳴くような小さな声でぽつりと言った。
「問題の解き方を忘れたから……手伝って……」
軽く目を瞬いたキオは、その後すぐに二つ返事で了承の意を告げた。
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