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9.たりない
しおりを挟むフレンの剣術指南役に、高名な騎士が加わってから一か月。
閑散としていたはずの離宮は、いつの間にか様変わりしていた。
悪天候の日を除き、限られた教師が予定通りに訪れるだけであった王子の勉強部屋には今、フレンと歳の近い少年たちが十名程集まり共にテーブルを囲んでいる。
その面々は侯爵家の次男から男爵家の長男までと親の爵位にこそ差はあるが、皆が皆、貴族の家に生まれた子供たちだ。
そんな彼らは、つい先日まで互いに面識もなかったのが嘘のようにフレンを中心にして、とても賑やかな会話を繰り広げている。
この会に名前をつけるなら、『王宮図書館でたまたま出会った気の合った者同士の自主的な勉強会』……とでもなるのだろうか。
部屋の隅に佇むキオは、同年代の少年たちに囲まれて楽し気な主の様子を遠目にそっと窺った。
何が理由かはわからないが、ここ最近のフレンは自ら行動範囲を広げることにしたようなのだ。
その始まりは、先代王国騎士団長であるユアンとの初稽古を終えた、翌日のこと。
朝と夕刻にだけ顔を出す王宮の侍従――本来は王宮に滞在する来賓者の世話係である人間の一人――に、仕立師をすぐに離宮へ寄こすよう命じたらしい。
貴族としては些かみすぼらしい恰好であろうと、誰から注意されることもなく、自ら気にも留めていなかった王子が。
またもや直前まで何も知らされていなかったキオが淡々と説教を続ける中で、フレンは素直に反省の弁を口にしながら採寸の時間を過ごした。
前日に過ぎた悪戯を咎められ、そのお仕置きとして軽く投げ飛ばされたばかりだったことも、きっとその素直さを後押ししたのだろう。
そうして、それから三日と経たぬうちに真新しい服と、同様にして新調した靴がフレンの下へと届けられた。
第五王子に宛がわれている年間予算がいかに少なかろうとも、普段着に近い衣装を数着仕立てることに問題はなかったのだ。
白を基調とした上着は襟袖や裾口を鮮やかな蒼が縁取り、極薄い水色をしたシャツの上には濃紺のベストと、柔らかな黄色をしたヒラヒラの胸飾りが合わさる。
上着と同じく白い下衣に、膝丈までの明るい茶色のブーツが年相応の少年らしさにも花を添える。
どれもが目を見張るほどの高級なものではないが、小綺麗に整えられたことで元来の気品さが全面に押し出された結果、その姿は大国エクランドの末の王子としては及第点であった。
そんな新たな装いに身を包んだフレンが早速出かけた先が、王宮図書館だ。
名前の通り、広大なエクランド王宮の一角に存在するその建物は、特権階級だけが触れることのできる知識の宝庫でもあり、まだ務めに就いていない貴族子弟たちの社交場にもなっている。
今までのフレンであれば絶対に近づこうともしなかった場所、だったのだが……。
(……勉学の合間に通い出して、三日で友達二十人。今や知り合いだけならおそらく三桁とか……殿下の対人能力、高すぎないか?)
勿論それはいいことには違いないのだが、キオが胸の内で零したその声には少しばかり、苦みがあった。
この三週間近くで劇的に交友関係が広がったフレンが今こうして、特に気の合う友人たちを招いて楽しく談笑する光景は、とても微笑ましいものだ。
けれど同時に、それに寂しさを覚えるからこそ、キオの自己嫌悪は静かに静かに蓄積されていく。
「あっ、殿下。あの、前回ご提案して頂いた農地の改良方法なんですけど、兄に話したらとても乗り気で……もうじき試してみることになりそうです」
「それは良かった。でも御礼ならメイルド先生、っと、メイルド卿に伝えてほしいな。僕は先生のお話を思い出しただけだから」
「……メイルド卿?もしかして、植物学に造詣が深いものの大層な人間嫌いと有名な、あの!?」
「ぼくも聞いたことあるなぁ。お爺様が頼み込んでも滅多に社交界にも出てきてくれなくて、なかなかお近づきになれないってぼやいてて――」
フレンに宛がわれている専任教師の一人について話題が移ったところで、キオは主から壁掛け時計へと視線を流した。
せいぜいあと半時程でこの楽し気な勉強会も終わりを迎える予定だが、今のキオにはそれも少しばかり堪えるのだ。
(……あぁ、怠いな……――兄上は、元気かな。会いた……っくそ……)
自分の主に異母兄との関係を感づかれることとなった、あの日以降、ジルヴェストはこの離宮を訪れていない。
一カ月以上もの間、飼い主の手を離れている欠陥品の体は日に日に不具合を強く主張し始めているというのに。
もしこのまま捨て置かれるとしたら、あと一週間もしないうちに護衛の任に支障をきたすだろうことはキオの経験上、明らかだった。
まだまだ子供である主の関心が、自分から逸れていくことを嘆いてしまう情けなさ。
好悪入り混じる異母兄の訪れを躰だけではなく、油断すれば心でも求めてしまう、この弱さ。
じりじりと悪化していく体調へ追い打ちをかける自己嫌悪に、キオは思わず小さく息を乱した。
「……キオ殿?」
直後、そう静かに声を掛けてきたのは、フレンの友人である侯爵家の次男坊に仕えている護衛だ。
キオよりも上背があり体格もいい壮年の男は、侯爵が辺境視察に赴いた際に直々に召し上げた剣豪だという。
そんな情報を知るまでに顔馴染みとなっているのも、キオの主の精力的な社交のせいだ。
「あぁ、失礼しました。お気になさらず」
「その……どこか具合でも悪いのか?」
互いに腕の届かない位置に陣取りながらも、小声で交わす会話。
余計なことを詮索されたくないキオはいつもの微笑を浮かべ、ただ緩く首を横に振ってそれを終わらせる。
その途端に、四角張った無骨な顔をした男の頬に僅かな赤味が差した……のを気のせいだと黙殺し、もうしばらくこの立ち仕事に専念しようとキオが姿勢を正した時だ。
「では少し早いけど、今日はこれで終わりにしよう!皆ありがとう、楽しかったよ」
そう朗らかに告げるフレンの声につられ、キオが再び主へと顔を向ければ、その翡翠の瞳となぜか真っすぐに視線が絡んだ。
加えて、明らかに含みをもった笑みでニッコリしてみせる王子に、キオはしばらく目を瞬かせていたが……。
(おいおいまさか、また『誰にでもあんな顔するな』か?ただの愛想笑いなのわかってるよな?さすがに、男を誑し込んでるとは思われたくないが……それとも、オレの体調不良まで感づかれたか?)
フレンと共にその学友たちが次々に席を立つなか、平静を装いながらもキオは思案する。
二度目のキス以降、主従の関係は多少のぎこちなさは残るものの、以前と同じ気安いやり取りも戻ってきてはいる。
そもそも悪ふざけの延長とはいえ、二度もフレンの方から男である自分へキスをしてくるくらいだ。
蛇蝎の如く嫌われているわけではない……のかもしれない、とようやくキオも前向きに認識を改めてきたところではある。
だからこそ、本当は自力で体調管理すらままならない欠陥品であることなど、できるなら知られたくはない。
そんなざわつき始めた胸の内を顔に出さないよう、キオは貼り付けた笑みを維持しながらフレンに追従し、離宮のエントランスまで来訪者たちを見送りに行く。
そうして繰り広げられるのは、既に馴染みとなった光景だ。
三台ほどの御者付き馬車に乗り合わせて来た友人たちと別れの挨拶を交わす、小さな主。
そのどこまでも楽し気な様子を一歩後ろから静かに眺めているキオに、声を掛ける者がいた。
あの護衛ではなく今度はその主、侯爵家の次男であり、フレンよりも少しばかり年上の少年だ。
「キオ様にも、お世話になりました。今度はぜひご一緒に、お話を聞かせてくださいませんか?」
「――自分のようなただの護衛に、そのようなお気遣いは無用です」
「そんな!あのオルデアス公の弟君様に失礼があれば、ぼくが家の者に叱責されてしまいます」
フレンと立ち話をしている少年たちからの視線もチラチラと感じるなか、薄紫色の瞳を僅かに細めたキオはもう一度、無邪気に残酷な侯爵家子息の申し出を丁重に断った。
オルデアスの一族内に限れば、『キオが当主の異母弟』であることは有名な話ではあるが、外では『当主には弟がいる』という程度でしか知られていない。
それは今までキオが表舞台に立つ――まともな一族の任に就いたことがなかったからだ。
だが、フレンの交友関係が広がるにつれ、ジルヴェストとキオの血縁関係を知る者も王宮内に現れ始めている。
最初は第五王子の護衛にオルデアスがいるというのは確かか?という噂が流れ。
次に、それは当主の異母弟らしい、と。
王宮で任務に就いている一族も多く、キオの存在自体が秘されているわけでもないのだ。
顔見知りとなった人間に尋ねられれば、真実を答える一族の者がいるのも当然だろう。
そのキオは、オルデアスの中でもろくに使えもしない貧相な異能しか持ち合わせておらず、当主にさえ疎まれている――そう知れ渡るのも、おそらく時間の問題でしかない。
(殿下の傍にはいたいけれど……このまま行動範囲が更に広がれば、きっとオレでは護衛としても力不足になる。兄上に嫌われているオレという存在が、自分の世界を広げ始めた殿下の利になることだって……ない)
残念がる侯爵子息を始めフレンと仲の良い少年たちを全て見送った後、離宮内へと戻るために歩を進め始めた主の、小さな背。
それを立ちすくんだまま、ぼんやりと眺めながらも、キオはまた考えださずにはいられなかった。
強く使い勝手のいい異能の力も、特筆すべき身体能力もない。
知識量の自負はあれど、どれも専門家には決して叶わない。
何よりも、自分に降りかかる現状だけですぐに手一杯となって乱高下する、この脆弱な精神性。
こんな足りないものだらけの自分が、いつまでこの主の役に立てるのか……必要としてもらえるのか。
「キオ?早く戻ろう?」
後をついて来ない護衛を振り返り、わざわざ足を止め、名前を呼んでくれる存在。
そんな些細なことにすら嬉しさのような感情が込み上げてくるのも、堂々巡りをするしかない思考も、全て体を苛む不調のせいだ。
「――はい、殿下」
薄く笑って誤魔化しながらそう結論づけたキオだったが、まさか明くる日の夜に、その悩みが根本的に消し去られることになるとは思ってもいなかった。
「一月後に、お前の任を解く」
突然夜中に供もなく、たった一人でキオの自室を訪れた異母兄からの言葉。
それは間違いなく、小さな主との主従関係に終焉を告げるものだったのだから。
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