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10.密談
しおりを挟む「どういうつもりだ。話が違う」
静かに淡々と紡がれた、感情を削ぎ落とした低い声音。
されど、その奥に潜ませた苛立ちを露わにするように、金に一滴の深紅を溶かし込んだ色の瞳は、鋭い眼光を放つ。
そのような眼差しを対面に座したオルデアス家当主であるジルヴェストから受ければ、どれほど海千山千の貴族たちであろうと一瞬は息を呑み、尻込みしてしまうのが常だ。
だが今、ジルヴェストと向かい合う男はそれに臆するどころか、小さく笑ってすらみせた。
「そう怒ってくれるな、ジルヴェスト。余も一年以上は其方との約束を守ったのだ……状況は変わるもの、そうであろう?」
黄昏の光がささやかな窓辺から差し込む、贅を凝らした見事な一級品の調度品で彩られた小部屋。
その窓際に置かれた二脚の椅子のうちの一つに悠々と腰かけ、柔らかな口調でそう告げたのは、齢六十をとうに超えた恰幅の良い男であった。
肩口で切り揃えられた癖の強い髪の色は、赤みがかった金。
親しい者へは惜しげなく向けられる、穏やかな眼差しを生む瞳の色は、深い蒼。
老いがその顔へ所々深い皺を刻もうとも、在りし日の眉目秀麗さを然程も損なわぬ男が見せる微笑は、怒気を湛えた相手の毒気を多少なりとも抜く効力があった。
普段であれば、だが。
「たった一年と少しの安寧の為に、互いの急所を晒し合ったと?私にとってはとんだ誤算だ。手を組むには足り得なかった。それとも……初めからこの私を謀ったか、王よ」
親子ほどの年齢差があるとはいえ、長年の戦友でもあるオルデアス家当主が発する辛辣な言葉と剣呑さをより増した眼光に、さすがの男――エクランド国王アルフレッド・ウォル・ブライツ・エクランドも、その笑みを苦笑へと変えざるを得なかった。
しかし、それすらもが今のジルヴェストの気に障ったのか。
人払いがなされた王の最も個人的な私室には肌を刺すような不穏な空気が渦巻き、調度品の上に飾られた花瓶や壁を彩る絵画たちが次第に小さく震えだす始末。
これには王もたまらず、慌てて背もたれに預けていた身を乗り出しながら口を開いた。
「待て待て、一度怒りを鎮めよ。余もこの状況は本意ではない。余の後継争いに決着がつくまでは、アレは隔離しておいてやりたいと今でも望んでおる」
「ほぅ?御望みとあらば、今夜中にその後継争いとやらの決着を私がつけてやってもよろしいが」
「はぁ……王太子の他は皆殺しにでもする気かの。派手に動けば疑われるのは其方ぞ、オルデアス公よ。さすれば、その当主の座も危うくなろう?浅慮はよせ」
「私が何をどこまでできるのか、知る者は誰もいない。が……まぁ冗談だ。強き王である貴方と、明確に敵対するつもりはない。少なくとも今は、な」
「わかってはいても其方の冗談は笑えぬわ、まったく……」
ジルヴェストが平淡な口調で冗談だと告げた途端、部屋を満たしていた重々しい気配はフッと消え去った。
それに対してアルフレッド王は大仰に肩を竦めてみせながらも、弁解の言葉を続けるのは忘れない。
長年の付き合いによる経験上、一度こうして引いて見せたジルヴェストこそが最も危険だと理解しているからだ。
「フレデリックの件は其方も巻き込んだ以上、切に遺憾には思っておる。だがな、一方でこれも親心故になのだ。ただ平穏な世界に閉じ込めるよりも、望む生き方を許してやる方がアレの幸せかもしれぬ」
「……」
「其方にも、余と同じ想いが幾許かはあるのではないか?でなければ、どのような理由があろうとも、他人の箱庭を利用する其方ではなかろう」
この場で一応の納得を得られなければ互いに築いてきた長年の信頼など意にも留めず、この青年は自分との相互扶助関係を切り捨てるに違いない。
また、国王としてオルデアス家当主との個人的な友諠を失うことは計り知れないほどの損失であり、ひいては王国の安定にも影響を与えうる。
そう考えながらも惜しげなく本心を語るアルフレッド王の言葉を、ジルヴェストはただ黙って耳を傾けていた。
そして、僅かな沈黙が流れた後――。
「貴方が語る言葉だからこそ、その重さも理解する。だがそれでも、私は私のやり方を変えるつもりはない」
「……ふむ、そうか。オルデアス公からの信頼を損なうは痛いの……」
拒絶に近い言葉に、王はがっくりと肩を落とす。
が、言葉を継いだジルヴェストに驚きながらも、すぐにまた顔を上げた。
「それは勘違いだ、王よ。私の目的は変わらずとも、この件で貴方との関係を切るつもりはない。言ったはずだ。貴族にも民にも、そして我がオルデアスにも、一定の影響力を持つ強き王がいなければ困るのだ」
そう思案気に伏せられた瞳が美貌に落とす影の濃さは、夕陽によるものだけではないのだろう。
(見た目だけなら第三王子……中身は王太子とも変わらぬ若者だというに、まことジルヴェストは苦労が絶えんの。先代当主のあ奴が、多少なりとも支えになってやればよいものを……)
歴史上の過去に比べれば衰えたとはいえ、人の身では叶わぬ事象を可能とする『異能』という力に恵まれた一族。
それを束ね、率い、存続させていくことの難しさは、今や揺るがぬ大国となって久しいエクランドの玉座に就く者にとって容易に想像がつく。
だからこそ、アルフレッド王がジルヴェストへ向ける眼差しと言葉は自制なく柔らかい。
「うむ……其方の友諠には余も厚く感謝するが、あまり心労を溜めすぎるでないぞ。時間が許すなら、晩餐にも付き合うか?たまには共に飲み明かすのもよいだろう」
それは、この光景がたとえ誰かの目に留まったとしても、オルデアス家最強の男が簡単に害されるはずもないという安心感があるからだ。
しかし、形式上の主君へと視線を合わせたジルヴェストは珍しく、小さくとも感情を露わにしていた。
「誰のせいで苦労しているか忘れたか?辺境騎士団が出張って討ち漏らした魔獣討伐の尻拭いに、王太子と第二王子のくだらん政争で一族から双方へ出していた護衛役の総配置転換……それだけならまだしも、挙げ句には今更ユアン・グラドハイムをフレデリック殿下の後見と定めるだと?しかも最近になって奴の方から突然申し出があった上で、それを呑むだと?失礼ながら貴方は正気か」
淡々と語りながらも純粋に険悪な顔をしてひたと王を見据えるジルヴェストに、当のアルフレッド王は軽く咳払いをしてから再び穏やかに笑ってみせた。
「あぁ……まぁ、うむ。ユアンものぉ……余や其方に対して、決して悪意があるわけではなかろう?むしろ善き理解者の一面もあろう?」
「それが問題だと言っている。あの戦闘狂が加わるなど、今後何事もないはずがない。貴方の考えも理解はできるが、私は手を引かせてもらう」
「致し方ないが、其方の譲歩は有難い。今後とも余の友でいてくれることを、今は何よりの幸いと思おう」
躊躇いなく冷徹に強権を振るうこともある大国の王が浮かべる、ただの好々爺じみた柔和な微笑。
それに今度こそ多少の毒気を抜かれたジルヴェストは、深いため息をつきながらも椅子から腰を浮かせた。
もう行くのか、と残念がる国王の前でオルデアス家当主が静かに腰を折るのは、二人の密談を終わらせる合図ともなっている。
そんないつもの仕草を眺めながら、アルフレッド王は鷹揚に頷いておく。
「――では、大義であった。束の間であろうがゆるりと休むがよい、オルデアス公よ」
「御言葉、有難く。陛下とエクランドに絶えぬ光あらんことを」
先程までの遠慮のないやり取りとは一転、格式ばった別れの言葉を重々しく交わした後、ジルヴェストは黒衣を翻した。
それと同時に、五歩もあれば辿り着ける先にある扉が外からゆっくりと開かれる。
王の私室に面したそう広くもない廊下には、扉を開けた侍従長を始め、五人の近衛騎士やジルヴェストの供回りであるオルデアス家の者が二名、直立のまま控えているという物々しさだ。
そこから足早に遠ざかる黒衣の背を、同じく揃いの黒い外套で頭から身を包んだ一族が無言のまま追従する。
やがて異能の一族たちが口を開いたのは、国王個人の生活領域となっている王宮の深部から充分に離れた、広い回廊へと差し掛かってからだった。
「若様、随分と熱心にお話をされていたようですが、また何か厄介ごとでも?」
背中から掛かった壮年の男の小声に振り返ることもなく、ジルヴェストは自らの腹心たちへ国王との会談内容を要約して告げた。
「辺境での尻拭いの件と、王位継承に絡んだ混乱への憂慮についてだ。我らオルデアスの立ち位置が変わることはない、と申し上げておいた。お前たちもそのつもりで手を打て」
「承知いたしました」
誰よりも異能に長けた男がその力を用い、外部からの盗聴の一切を許さずに交わす会話を、彼の腹心たちが内心快く思っていないことも、ジルヴェストは把握している。
だが、それも王に請われたからだという大義名分がある以上、誰も口出しはできない。
だからジルヴェストも、建前であろうと恭しく頷く腹心の声を意に留めることもなく、再び思索に耽ろうとしていた。
ここ最近の突発的な事態への対応が重なり、フレンの離宮を尋ねる機会が後回しになっているのだ。
キオという異母弟の存在を想えばこそ、その足取りは常よりも僅かに早くなる。
まだ時間的には充分猶予があるとはいえ一か月近くも『治療』がなければ、あの体を苛む苦痛も大きくなっているはずだ。
明日にでも、あの離宮へ逗留する予定をねじ込まなければいけない。
そう結論を出したジルヴェストが、明日以降の予定を変えるよう腹心へと命じるべく口を開こうとした、その寸前。
「あ、あのぉ、若様……。実は……その、先程一報が入りまして……館にて先代が――若様の御父上が、連絡を請われているそうです」
先程話したのとは違う男がおずおずと切り出したその言葉によって、ジルヴェストの足がピタリと止まった。
直後、人影もまばらな回廊に一瞬吹き荒れた冷気は、若き当主よりも年嵩な腹心のため息を誘い、不運にも報告者となってしまった男の身を竦めさせた。
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