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21.目覚め
しおりを挟むどうして、こんな夢を見続けているのか。
頭の片隅でぼんやりと疑問に思いながらも、キオは幼い頃の自分となって、広い館の中を小走りに駆けていた。
その記憶は、母親を亡くした子供が辺境の田舎街から王都へと引き取られてから、一年程過ぎた頃のことだ。
そうはっきりと覚えているのは、当時のキオにとって、それはとても印象深い出来事だったからだ。
『ジル兄様、お帰りなさい!』
大好きな異母兄が一カ月近くも館を留守にするなど初めてのことで、それもキオがまだ見たことすらない魔獣という恐ろしい化け物退治のためだというのだ。
どれだけ一緒に行きたかったか。
どれほどその身を案じていたか。
母と暮らしていた頃とは比べ物にならないほどの、満ち足りた豊かな生活を与えられていながら、ともすれば母を失った時と同じ喪失感に苛まれそうになる。
そんな一カ月を、遠征先からの定期的な便りだけを支えに乗り切ったのだ。
待ちわびた異母兄のようやくの帰還に、声を弾ませながら思い切り抱き着いてしまう自分を、キオは止められなかった。
けれど、
『あぁ、今戻った。変わりはないな?キオ』
まだエントランスホールに足を踏み入れたばかりの兄は、それを拒むことなくしっかりと抱き留めてくれた。
キオは、やっと大好きな温もりと低く静かな声に包まれて破顔したものの、自分を抱き上げたジルヴェストの顔がふと小さく顰められたのに気づき、青ざめた。
オルデアス家当主という、本来なら雲の上のような存在に対する出迎えの不作法さを謝罪しようと口を開きかけた寸前で、兄の形の良い唇が再び動いた。
『少し痩せたか?――オルフェン、キオの食事はどうなっていた』
離れた所で控えていた老執事を静かに詰問する男へ、エントランスまで付き従っていた黒装束の集団から小さなざわめきさえ上がった。
だが、怒られないの?とぽかんとしていた顔を再び綻ばせたキオにとっては、それも些細なこと。
確かに兄のいない間は、どんなに美味しい食事でもあまり喉を通らなかった。
天候が崩れることも多く、連鎖的に母のことを思い出して余計に気分が沈んでいたせいもあるかもしれない。
でも、こうして兄の関心が向けられていることを嬉しいと、その頃のキオは思ってしまったのだ。
同時に、もし次があるならば心配をかけないよう、きちんと食べなければとも自分に言い聞かせる。
その方がきっと、この兄は喜んでくれるはずだから。
そっと床に降ろされたキオは、苦笑混じりの老執事と難しい顔で話す兄を、ずっとにこにこと見上げていたが――……不意に、背後から服の裾を引かれた。
その感覚に驚いて振り返ると、
『誰にでも、ああいう顔、しないでほしい』
そう言ってムスッと顔を歪ませている、小さな主がいた。
隠すこともなく曝け出された、子供らしい執着心。主のその感情の先にいるのが自分であることが、不思議と嬉しい。
だから、頭のどこかでは違和感を覚えながらもキオは更に笑みを深めたのだが、その直後、身長もそう変わらない主に顔を引き寄せられて、咄嗟に目を閉じた。
そうして闇となった視界のなかでは、今度は知らない男の声が静かに響く。
――いいかい?五番目の二番目だ。頼んだよ――
その瞬間に闇は終わり、目まぐるしく景色が移り変わっていく。
晴天の下で咲き狂う花々に覆われた、大きな庭園。
白いベンチに腰掛ける、貴族らしく華やかな装いの少年と少女。
髪の色も、顔も、二人とも靄が掛かったようによく見えない。
だがなぜか、あどけなさが残るその顔で幸せそうに微笑み合っているのだけは確信できて、それに心底安堵する。
その何の脈絡もなく意味不明な情景を最後に、キオの長い夢は終わった。
「……ぅ…?」
やけに鮮明な夢の最後、その余韻に目を瞬きながらも、キオは自分がとても居心地の良い、明るい場所にいることに気づく。
柔らかな肌触りのシーツも、寝心地のいい枕も、温かくはあるが重さは特に感じない上掛けも、その何よりも、懐かしいような幸せな気配にすっぽりと包まれている感覚が心地いい。
できることならずっとずっと、ここで眠っていたい。
ろくに動かない頭で、そう本能に従った望みを胸の中で口走っていたキオだったが、その時間は僅かだった。
「起きたか、キオ」
囁くような小声で紡がれようとも決して聞き間違えることのない声音に、夢現の縁に居座ろうとしていた意識がバチッと音を立てたように、一気に覚醒する。
はっきりと開かれた浅紫の瞳にまず映ったのは、自分のすぐ傍でゆったりとした黒色の肘掛椅子に腰かけているジルヴェストの姿だった。
その装いが、何の飾りもない簡素な白いシャツに、濃紺の下衣というラフな軽装であること、何より男の向こうに広がる見覚えのある室内の様子に、キオはしばし目を瞬く。
濃い青の壁が特徴的なこの広い部屋は、王都貴族街にあるオルデアス家の館、その主の寝室に他ならないからだ。
そのベッドになぜ自分は、のうのうと上掛けに包まって横向きに寝転んでいるのか。
「熱は……もうないか。痛みはあるか?」
常ならば固定された無表情の美貌は、冷徹な印象が強い。
だが、ほっとしたように細められた目元と、緩く弧を描く口元から零れる柔らかさを纏った言葉と共に、静かに頬へ触れた大きな手の温かな感触が、まだ自分が夢の中にいることを少なからずキオに疑わせた。
「にい……あに、うえ?」
珍しく濃い疲労の色が滲むジルヴェストを見上げながら呼びかけた声は、喉が掠れてろくな音にならない。
「なんだ。何が欲しい?」
それでも、キオが最初に問いかけたのは――。
「殿下は?」
たった一人の、小さな主の安否だった。
ただしそれは、途端にジルヴェストの眉間に小さな皺を刻ませることになる。
「……ご無事に決まっているだろうが。今は安全の為に王宮にて陛下と生活を共にされている」
「え?国王陛下、と?」
「後見人と相談しながら離宮の警護体制を見直している。一族からも常時二名の護衛をつけている。私の誓いを信じるならば、フレデリック殿下の身辺について、欠陥品のお前が懸念する必要は何一つない」
「っ申し訳、ありません……」
淡々と言い放たれた無機質な言葉に、キオは反射的に視線を逸らし小さく謝罪の言葉を口にした。
幸せな夢はもう終わったことも、はっきりと理解する。
それが契機にでもなったのか、あの襲撃から意識を失うまでの出来事が鮮明にキオの脳裏へと蘇ってきた。
一族の離反を見逃し、フレンという第五王子を襲撃させたのは、一体どんな意図があってのことだったのか。
その望み通り、欠陥品の自分など、あの場で死んでいればよかったのに、なぜ生き残っているのか。
あのまま主に看取られ、この兄の前で死ねたならば……きっと幸せだった。
後悔にも似た自己嫌悪が思考を侵食するなかで、再びキオの視線を戻したのは、頭上から聞こえてきた溜め息だった。
広いベッドの端で小さく横になるキオへ、すぐに手を伸ばせる場所へ椅子を置き、夜も明ける前からその目覚めを待っていた。
そんな素振りを何一つ見せることもないジルヴェストは、自分の眉間に手を当て深く息を吐きながら、ぼやくように呟く。
「欠陥品……あれほど、そう言い聞かせてきたというのに……。お前は自分が何をしたか、わかっているのか。目撃者全員の始末をどれだけ命じたかったか……いや、やはり今からでも特務を動かせば――」
「あの、兄上?」
「…………後で話してやる。まずは医師が先だ」
こんなにも憔悴した姿を見せる異母兄に驚きながらも、キオは感情を消した顔を取り繕い、飼い主たる男の言葉にただ頷いた。
どうせ自分の存在は、この人のお荷物にしかならない。
もう随分と昔から、そんな諦めはついているのだから。
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