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28.束の間の逢瀬 前編
しおりを挟むオルデアス家当主の広い寝室を照らすのは、出入り口の扉付近にある壁掛けランプ一台に、部屋の奥に鎮座するベッドのヘッドボードから伸びる花の形をしたランプの二台のみ。
主不在の部屋は薄暗がりが大半を支配してはいるが、同じベッドに腰を下ろせば互いの表情くらいは難なく把握できる。
そんな状況で夜半の予期せぬ来訪者を相手に、キオは大層綺麗な微笑を浮かべながら滾々と説教を続けていた。
「本当にわかっておられます?ここは、すれ違う侍女の中にすら異能を使える人間が当たり前に紛れている、オルデアス家本邸ですよ。オレが言うのもどうかと思いますが、化け物共の巣窟です。いくら子供とはいえ、不審な侵入者と断じられれば容赦はされません」
「ふぁ、ふぁぁい」
「ほんっとうに……このゆるふわ頭が、まだ胴体と繋がっていてよかったですね?」
「あうぅ……れも、ひゃんとねまわひひてるしっ」
「ちゃんと根回しされた上での侵入ですか。当然想定内です。でなければ、ここまで部外者が辿り着けるはずがないでしょう、まったく……。後学の為に、どんな手を使われたのかお教え願えますか?」
そこまで口にしたところで、キオはようやく自分の手をフレンの頬から離した。
手加減されているとはいえ決して優しくはない力で、ずっと両頬をムニムニと抓られ続けていた少年はすぐさま自分の手で、そこを労わるようにさすりだす。
キオが久しぶりに間近で眺めるその翡翠の瞳は、僅かに涙ぐみながらもしっかりと不満の色を宿していた。
「その前にっ!急に抓るなんてひどいと思う。あの流れは絶対キス――」
「にっこり微笑まれて手招きされたぐらいで無警戒にのこのこ近づいて来るその無防備さが、オレは心の底から心配です。そんなことより脱出経路の確保は?無事に王宮まで帰りつけるよう手配されてますよね?あとは」
「わかった話す!話すけど、時間がないから質問は禁止だよっ」
互いに声を落としながらの言葉の応酬は、フレンがそう宣言したことで終止符が打たれる。
そうしてベッドの縁に腰かけているキオの小さな主は、暗唱でもするかのように淀みなく一息に説明してみせた。
オルデアス家本邸、それも当主の寝室へこんな時間に、第五王子自らが忍んで来れた理由を。
「オルデアス公から条件付きで許可を貰ったんだ。館の人間一人につき、一度だけは見逃す。それでキオの下まで辿りつけたなら非公式に見舞ってもよい、って。同じ人間に二度姿を見られたら、その時点で王宮へ送り帰されることになってる。で、結果はこの通り。新しい護衛の人とか、色んな人にちょっとずつ協力してもらえるようになるまで、こんなに時間がかかっちゃったけど」
そうキオへと語るフレンは、走馬燈のようにこの半年間のことを思い浮かべていた。
初公務からの帰途で襲撃を受けたことを切っ掛けに、父たるアルフレッド王と生活空間を共にし始めたばかりの頃、離れ離れになってしまった護衛のことしかフレンの頭にはなかった。
事あるごとに父の侍従や、王本人にまで何度も繰り返しその容体を問う程に。
文字通り身を賭してまで王族を守り抜き、深手を負った護衛――それもオルデアス家当主の異母弟――について、王自身が強く関心を持っていたこともあり、すぐにフレンとも情報を共有してくれるようになったのは幸運だったといえる。
だからフレンは、キオの状況を知ってはいた。
無事に生死の境を越えたことも、意識が戻ったことも、片足は完治する見込みがないことも。
その過程で、もしあのまま何も起きなければ数日後には、キオというオルデアス家からの護衛が自分の下から去ることになっていた事実すらも。
そうしてフレンはキオが目を覚ましたと聞いた時から、胸に渦巻き続ける様々な想いを最初の手紙に綴り始めたのだ。
が、書き上げる途中で同室者に内容を覗き見され、年上の立場からもたらされた助言の数々を素直に受け入れた結果、多少乱文となり枚数も多くなってしまったわけだ。
自分自身を一族の欠陥品と自嘲していたキオの立場と、病み上がりの体調を思えば、最初から返事は僅かしか期待していなかった。
とはいえ、ただ手紙を認める日々にフレンがやきもきしだすまでそう時間はかからず――……。
そんな時に、オルデアス家当主が自主的に課していた謹慎を終え、王宮へ復帰するという報せを又聞きしたのだ。
それを受けてフレンはすぐさま、ジルヴェスト個人宛てに書簡を送った。
キオを見舞うために、オルデアス家本邸を自分が訪れる許可をもらいたい、と。
だがその手紙は開封もされずに、フレンの手元まで戻ってきてしまった。
単なる第五王子相手に、名門大貴族たるオルデアス家当主本人が対等に書簡を交わす謂われはない。
そう言外に示された辛辣な返答は、フレンにとって今までのどんな経験よりも酷な貴族社会の洗礼となった。
誰の目から見ても王の庇護が明らかな状況ではあるものの、フレデリックという王子には何の権限も権力もなく、高位貴族に対する影響力となるものなど何一つないのだから。
ただそこで落ち込むよりも先に、少年は決意した。
ないのならば、今から持てばいい、と――。
それからのフレンの日々は、また目まぐるしくなった。
後見人の協力を頼りながらも、王族としての立ち位置の確立を目論み、それに奔走するために。
同時に、誰よりも強力な協力者のおかげで、ジルヴェストが立ち寄る先を事前に把握できたフレンは、可能な限りその姿を求めて王宮内のいたる所に出向いた。
勿論、所詮子供でしかない王子が短期間で劇的にその地位を向上させることは難しかった。
が、鬱陶しがられようと構わず標的の視界へ入り続けた結果、フレンはオルデアス家当主と一言二言であれば直接言葉を交わせるまでになった。
それに要した時間は、約三か月。
そこからジルヴェストへ直談判できるようになるまで、更に多少の時間を必要とした。
しかしやっとそこまでの状況を作り出せても、自分の命を救ってくれた護衛を見舞いたい、というフレンの懇願はいつも「役目を果たしただけのことに大袈裟であり、迷惑だ」と切り捨てられてしまう。
ならばと考え抜いた王子は、いつものように王宮で捕まえた待ち人を相手に、交渉した。
『お忍びで誰にも……他の一族の方々に公に悟られないように見舞えたら、問題ないということですよね?こっそり内緒でお伺いします!』
『我が館に堂々と忍び込む宣言か、王子よ。やれるものなら――』
『でも僕は子供なので、多少の手加減はして頂けますよね?』
『ほぅ……この私に、子供の遊戯に付き合えと仰るか』
あからさまな冷笑を浮かべる相手とそんなやり取りの末に、フレンはどうにか一度だけ『当主公認の下、オルデアス家本邸へ忍び込む』機会を得ることになったのだ。
失敗すれば今後一切ジルヴェストの周りをうろつかない、という条件と引き換えに。
「さすがにオルデアス公が在宅中だと僕に望みはないだろうから、父上にも助力を仰ぐことになっちゃったけど……おかげで無事にキオに会えたから、感謝はしないとね」
「……殿下、少し待って頂けます?颯爽とオレの理解を越える馬鹿、失礼、行動力を発揮しないでくださいませんか?兄上相手に、そんな意味不明な条件を飲ませた?フレン殿下はオルデアスでしたか?どんな異能をお持ちで?」
長い間自分を捨て置いてきた父親に対して、思う所はあるだろう小さな主がそう呟くことに、本来ならキオも何か言ってやりたい。
これを機に父子の仲が改善されるならば、フレンの将来にとっても非常に良いことでしかないのだから。
だがしかし、主の口からさらりと語られた内容を理解し咀嚼する時間が、今のキオには足りていないのだ。
気のせいだとは思いつつも酷い頭痛までしてきた気がして、キオは自分の額を右手で抑えながらも口を止めることはできないでいた。
「いやそれよりも、よく殿下を手引きしてくれるオルデアスの人間を見つけましたね。当主相手に余興感覚のつもりだとしても、普通は有り得ませんよ。新しい護衛が噛んでいるのは当然として、他にも数名は――」
「キーオー?質問禁止って言った。でも今の護衛の人も皆、キオみたいに優しくて助かるよ。ただ、僕の一番はキオだけど」
逸らされていた薄紫の瞳に、そう護衛の言葉を制した王子の顔が再び映る。
それを待っていたかのように、キオの小さな主は言った。
今まで保ってきた何かが限界を迎えたように、その翡翠の瞳を揺らし唇を小さく戦慄かせながら、くしゃりと顔を歪めて。
「あの時から……怖くて仕方なかった。この目で見るまで、本当はもう、キオはいないんじゃないかとか……思ったりして……――だからどうしても、会いたかったんだ」
震える声音に誘われるように、まだ幼さの気配が微かに残る主の頬を伝う、雫。
それを目にした途端、咄嗟に伸ばされたキオの腕は、自分よりもまだ小さな体を抱き寄せていた。
あぁ失敗した、とその行動の拙さを瞬時に自覚しながらも、どうしても止められなかった。
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