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37.傲慢な望み
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「……にいさま……?」
明るい昼過ぎとはいえ、北方のこの季節ではまだ室内の暖炉は欠かせない。
温かな空気が保たれた談話室は、質素ながらも質の良い調度品で適度に彩られ、家主の家格に相応しくあろうと苦心した誰かの存在が透けて見える。
つまりそれは、この館の主が、ただ蔑ろにされるためにこんな辺鄙な地へ留め置かれているわけではないということだ。少なくとも、主を尊重する人材が事実上放逐された男の身近に今も侍っている。
そんな柔らかく温かな場所から眺める景色は、まるで出来の悪い夢でも見ているかのようで酷く現実感がない。
それでも、息をすることさえ忘れかけていた体が掠れた声を上げたことで、キオは我に返った。
「っ兄様!!」
腰かけていたソファーから慌てて立ち上がろうとしたものの、枷のような左足がそれを許すはずもなく、無様にモスグリーン色の絨毯へと膝をつく。
そのまま這うように身を乗り出したキオの先には、無造作に床へと置かれた大きな鏡があった。
本来ならこの部屋と調和した何らかのローテーブルがあるべき場所で、楕円形の鏡面を上にして置かれている大型のそれは、周囲に施された真鍮の彫刻が形作る草花と相まって、まるで室内に生まれた水たまりのようですらある。
だがそこに映るのは、やや小ぶりで質素なシャンデリアがぶら下がる天井ではない。
この館からは到底伺い知れない先、エクランドとノーヴォル、二国が開戦を迎えた平原を上空から見下ろしているかのような光景が映し出されていた。
遠く離れた地の『今』を、鏡の上に結ぶ。
そんな異能を軽々と行使してみせた男は、キオの向かいのソファーでその長い足を組んだまま、ため息交じりにどこかのんびりとした口調で吐き捨てる。
「これが一番マシとはいえ、やはりああいうモノと遭遇したくはないなぁ。覗き見だけでも悍ましい」
その焦燥感のなさに、青ざめた顔で食い入るように鏡を覗きこんでいたキオは即座に剣呑な目つきを向けた。
「これも!わかっていたならっ!なんで……!!」
言葉になりきらないのは、鏡の中の景色が刻一刻と悪化していくからだ。
悲鳴じみた自分の声に最も苛立ちを覚える中、鏡の上に置いた手を強く握りしめながら、父という男へ問う。
「あなたはっ!兄様も殿下も死なせるつもりか!!」
純粋な憎悪に彩られた薄紫の瞳に灯り始める、異常な輝度。それを真正面から受け止めるエルバルトは、小さく鼻で嗤う。
「だから教えてやっただろう?どちらか一人なら救える、と。それで、君はどちらを選ぶ?」
「――――っ!!」
逆に問いかけられた言葉は、キオの手にこもる力を更に強めさせた。答えなど、出せるはずもないというのに。
だからキオは酷く顔を歪めたまま、再び戦場を映す鏡へと視線を落とし、ここまで情勢がひっ迫している原因――戦場に突如舞い降りた強大な魔獣の動きをただ目で追った。
それが現れたのは、エルバルトに連れられて食堂からこの談話室へと場所を移動し、足元の大鏡に戦場が映し出されてからしばらくのことだった。
オルデアスの威光、それを余すことなく知らしめる強大な異能の力が振るわれた後、三体の魔獣の幼体が大打撃を受けたばかりのノーヴォル軍へ追い打ちをかけていく。
昨夜エルバルトが語った通り、本来であればその魔獣たちはザイユの街で暴れるはずだったというのに。
ただしその因果の先にはキオの死がある――だから、そうならないように手を打ったのだと先代オルデアス家当主は、再び恩着せがましく囁きながら、こう続けた。
「ただし君を救う場合、どうしてもこの未来は避けられない」
そんな父の言葉と同時に視界をよぎった影を、キオは当初正確に判別できず、鏡のすぐ向こうの空を大きな鳥でも通過したのだろうと思った。
上空から戦場を見下ろしているのだから、飛ぶ鳥くらい映ってもおかしくはないだろう、と。
だがその直後、再び鏡の中へと映りこんだ影は、真っ逆さまに地上へと向かっていった。
異能によって視点が置かれた空からみるみる遠ざかるにつれ、くっきりと明らかになったその全貌は、巨大な魔獣だった。
キオが知る限りの――過去の討伐記録全てから見ても、比肩するものがないほどの、馬鹿げた巨躯。
敵とはいえ多くの人間が集まる場所へ迷うことなく、それが着地した瞬間、鏡越しでも聞こえるほどの地を割る轟音と共に、盛大な土煙が派手に巻き上がる。
やがて風が戦場の視界を晴らした頃には、その魔獣は前足に二匹、そして口元に一匹、同族の幼体を易々と確保していた。
それは、仔を取り戻しに来た魔獣の親――などではなかった。
まるで焼き菓子でも頬張るように、簡単に仕留めた獲物を次々に口へと運ぶ、ただの化け物だ。
恐怖からか、まだ目の前の現実を理解しきれていないのか、逃げ惑うことすら忘れて呆然と魔獣を見上げて佇む兵士たち。そんな周囲の矮小な群れを気にすることもなく、悠然と食事を続ける魔獣は理解しているのだろう。
自らが、この場の最上位存在であると。
だがその均衡も長くは続かない。軽く頭を振った魔獣の深い咢から、血と肉片が周囲に飛び散ったのを境に、人々は我先にと悲鳴を上げながら逃げ出したのだ。
それを煩わしく思ったのか。それとも食後のデザートをいくらか確保しておきたかったのか。魔獣は気まぐれに、腕や尾で周りの空間を薙ぎ払う。その単純な動きだけで、どれだけ屈強な騎士であろうと鎧ごと潰された体が宙を舞い、草も僅かな砂礫の大地を転がる肉塊へと変わっていく。
一方で、エクランド軍の本陣が置かれた小高い丘からは、騎馬の一団が速やかに撤退を開始していた。
ただし、魔獣の幼体たちが現れてすぐに退却行動に移っていた本隊に合流するのではなく、逆に遠ざかるように別方向へと駆けていく。
それが正確に精確に、巨躯の魔獣の次なる行動を理解していたからこその行動だとキオが知ったのは、ノーヴォル軍のただなかにいた化け物が不意に動きを止め、背に生える大きな翼をはためかせた時だった。
そう――オルデアス一族では、共食いをする魔獣の個体は忌避すべき脅威として語られている。
際限なく成長することが可能と思われている魔獣は、長く生きるだけでも強くなることができるが、同族を食らうことで更に効率的に成長可能なのではないか、と推測されているのだ。
ゆえに一度でも同族を食らった経験のある魔獣は、どのような状況であろうと何よりも共食いを優先するという。
過去、共食いをする魔獣の個体とオルデアスが遭遇した時の状況も、記録にはこう残されている。
手傷を負えば、あるいは命の危機を感じれば、通常の魔獣の個体ならば本能に従って逃走を図るが、共食いを犯した個体はどれだけ自らが不利になろうとも、決して退かない。
命尽きるその瞬間まで、目の前のオルデアスを捕食しようと試みる。と。
人間の身にすら異能を与えたもうた、古の魔獣の『血』。
それこそが、至高の獲物だとでもいうように。
やがて瞬きのうちに高く高く跳躍した黒い影が、再び大地を踏み鳴らす轟音を生み出したのは、駆ける騎馬の一団の進行方向目前であり、その刹那、土煙を貫くほどの金の閃光が上がる。
そうしてキオは悲鳴じみた声で異母兄を呼びながら、ソファーから転がるようにして鏡を覗きこむことになったのだ。
「っあんな、あんな化け物……いくら兄様でもっ……兄様の傍にはきっと殿下もいる、はずで――っ」
空からの視界では、魔獣の巨体は見えても土煙に邪魔されて、人影の判別は難しい。
その場にいる異母兄とそれに付き従う一族、そしてかつての、けれど今でも大切な大切な主。
どれだけ願おうと只人同然のキオの目では、見分けることすらできない。
だから、不吉な思考が声となって漏れていくのだ。
ジルヴェストかフレデリックか。父たる男が言うように、そのどちらかを喪う未来が本当に訪れてしまうのかと。
「さて、そろそろ時間だ。私の異能を使えば、あちらから一人だけをこちらへ引きずり出せる。その選択を君に委ねよう」
色を失った顔で、薄紫の瞳が縋るように見上げてくるのを眺めながら、エルバルトが穏やかに言葉を続ける。
「君の質問は『なぜ?』だろう。答えは、今まで捨て置いていた、もう一人の息子への罪滅ぼしだ」
小さく息を飲んだ後、キオの視線は再び鏡へと落ちる。
巨大な黒い影の動きだけは難なく追える景色の中から、大切なものを探すように。
けれどそれは、選択のためではない。
「――……誰が、選ぶものか」
握りしめたていた手を解き、戦場が映る鏡の上へ、巨躯の魔獣の横へと置く。この境界を越えてしまいたいと願うように。
だが、震える掌から伝わる冷たい感触は、キオの無力さだけを証明するのだ。
「誰が……選べる、わけがっ……!」
口ではいくらそう言ったところで、状況を変える力など欠陥品の自分にあるはずもない。
ぽたぽたと鏡面へ零れ落ちる温かな雫が、一番それをキオに突きつける。
いつもいつも――力が欲しかったと。
「オレは、二人に、生きていてほしい」
だからそんな望みを口にすることは、ただの傲慢だ。
無力な人間には許されもしない、単なる夢想。
それでも、
「フレンも、兄様も、オレの――オレのものなのに!!」
追い詰められ昂った、感情の波。その隙間から吐き出されたものを、キオ自身理解できていたかは定かではない。
ただ、はっとキオを我に返したのは、自分の背に触れる掌の感触だった。
「ならば、行っておいで。そのための目印なら、そこにあるだろう――ほら」
いつの間にか傍らへ膝をついていた男の優し気な声音と共に、鏡に置いていてた手の一つを上から重ねるようにして握られる。
その手の下の世界では、なぜか動きを止めた巨躯の魔獣が長い首をもたげ、自身の前方にあたる何かを注視していた。
「七年前のあの時からずっと、君の異能は一瞬たりとも途絶えていないのだから」
僅かに晴れた土煙の向こう。そこにただの黒い人影に、金と銀の色を見た気がした瞬間。
トン、と軽く背を叩かれたキオが感じたのは、体が突然浮き上がるような急激な浮遊感。それに反射的に目を閉じてしまった後、次に瞼を開けたキオの視界に広がったのは――――今まさに強靭な前足の一本をこちらへ向けて振りかぶる、巨大な黒い影だった。
明るい昼過ぎとはいえ、北方のこの季節ではまだ室内の暖炉は欠かせない。
温かな空気が保たれた談話室は、質素ながらも質の良い調度品で適度に彩られ、家主の家格に相応しくあろうと苦心した誰かの存在が透けて見える。
つまりそれは、この館の主が、ただ蔑ろにされるためにこんな辺鄙な地へ留め置かれているわけではないということだ。少なくとも、主を尊重する人材が事実上放逐された男の身近に今も侍っている。
そんな柔らかく温かな場所から眺める景色は、まるで出来の悪い夢でも見ているかのようで酷く現実感がない。
それでも、息をすることさえ忘れかけていた体が掠れた声を上げたことで、キオは我に返った。
「っ兄様!!」
腰かけていたソファーから慌てて立ち上がろうとしたものの、枷のような左足がそれを許すはずもなく、無様にモスグリーン色の絨毯へと膝をつく。
そのまま這うように身を乗り出したキオの先には、無造作に床へと置かれた大きな鏡があった。
本来ならこの部屋と調和した何らかのローテーブルがあるべき場所で、楕円形の鏡面を上にして置かれている大型のそれは、周囲に施された真鍮の彫刻が形作る草花と相まって、まるで室内に生まれた水たまりのようですらある。
だがそこに映るのは、やや小ぶりで質素なシャンデリアがぶら下がる天井ではない。
この館からは到底伺い知れない先、エクランドとノーヴォル、二国が開戦を迎えた平原を上空から見下ろしているかのような光景が映し出されていた。
遠く離れた地の『今』を、鏡の上に結ぶ。
そんな異能を軽々と行使してみせた男は、キオの向かいのソファーでその長い足を組んだまま、ため息交じりにどこかのんびりとした口調で吐き捨てる。
「これが一番マシとはいえ、やはりああいうモノと遭遇したくはないなぁ。覗き見だけでも悍ましい」
その焦燥感のなさに、青ざめた顔で食い入るように鏡を覗きこんでいたキオは即座に剣呑な目つきを向けた。
「これも!わかっていたならっ!なんで……!!」
言葉になりきらないのは、鏡の中の景色が刻一刻と悪化していくからだ。
悲鳴じみた自分の声に最も苛立ちを覚える中、鏡の上に置いた手を強く握りしめながら、父という男へ問う。
「あなたはっ!兄様も殿下も死なせるつもりか!!」
純粋な憎悪に彩られた薄紫の瞳に灯り始める、異常な輝度。それを真正面から受け止めるエルバルトは、小さく鼻で嗤う。
「だから教えてやっただろう?どちらか一人なら救える、と。それで、君はどちらを選ぶ?」
「――――っ!!」
逆に問いかけられた言葉は、キオの手にこもる力を更に強めさせた。答えなど、出せるはずもないというのに。
だからキオは酷く顔を歪めたまま、再び戦場を映す鏡へと視線を落とし、ここまで情勢がひっ迫している原因――戦場に突如舞い降りた強大な魔獣の動きをただ目で追った。
それが現れたのは、エルバルトに連れられて食堂からこの談話室へと場所を移動し、足元の大鏡に戦場が映し出されてからしばらくのことだった。
オルデアスの威光、それを余すことなく知らしめる強大な異能の力が振るわれた後、三体の魔獣の幼体が大打撃を受けたばかりのノーヴォル軍へ追い打ちをかけていく。
昨夜エルバルトが語った通り、本来であればその魔獣たちはザイユの街で暴れるはずだったというのに。
ただしその因果の先にはキオの死がある――だから、そうならないように手を打ったのだと先代オルデアス家当主は、再び恩着せがましく囁きながら、こう続けた。
「ただし君を救う場合、どうしてもこの未来は避けられない」
そんな父の言葉と同時に視界をよぎった影を、キオは当初正確に判別できず、鏡のすぐ向こうの空を大きな鳥でも通過したのだろうと思った。
上空から戦場を見下ろしているのだから、飛ぶ鳥くらい映ってもおかしくはないだろう、と。
だがその直後、再び鏡の中へと映りこんだ影は、真っ逆さまに地上へと向かっていった。
異能によって視点が置かれた空からみるみる遠ざかるにつれ、くっきりと明らかになったその全貌は、巨大な魔獣だった。
キオが知る限りの――過去の討伐記録全てから見ても、比肩するものがないほどの、馬鹿げた巨躯。
敵とはいえ多くの人間が集まる場所へ迷うことなく、それが着地した瞬間、鏡越しでも聞こえるほどの地を割る轟音と共に、盛大な土煙が派手に巻き上がる。
やがて風が戦場の視界を晴らした頃には、その魔獣は前足に二匹、そして口元に一匹、同族の幼体を易々と確保していた。
それは、仔を取り戻しに来た魔獣の親――などではなかった。
まるで焼き菓子でも頬張るように、簡単に仕留めた獲物を次々に口へと運ぶ、ただの化け物だ。
恐怖からか、まだ目の前の現実を理解しきれていないのか、逃げ惑うことすら忘れて呆然と魔獣を見上げて佇む兵士たち。そんな周囲の矮小な群れを気にすることもなく、悠然と食事を続ける魔獣は理解しているのだろう。
自らが、この場の最上位存在であると。
だがその均衡も長くは続かない。軽く頭を振った魔獣の深い咢から、血と肉片が周囲に飛び散ったのを境に、人々は我先にと悲鳴を上げながら逃げ出したのだ。
それを煩わしく思ったのか。それとも食後のデザートをいくらか確保しておきたかったのか。魔獣は気まぐれに、腕や尾で周りの空間を薙ぎ払う。その単純な動きだけで、どれだけ屈強な騎士であろうと鎧ごと潰された体が宙を舞い、草も僅かな砂礫の大地を転がる肉塊へと変わっていく。
一方で、エクランド軍の本陣が置かれた小高い丘からは、騎馬の一団が速やかに撤退を開始していた。
ただし、魔獣の幼体たちが現れてすぐに退却行動に移っていた本隊に合流するのではなく、逆に遠ざかるように別方向へと駆けていく。
それが正確に精確に、巨躯の魔獣の次なる行動を理解していたからこその行動だとキオが知ったのは、ノーヴォル軍のただなかにいた化け物が不意に動きを止め、背に生える大きな翼をはためかせた時だった。
そう――オルデアス一族では、共食いをする魔獣の個体は忌避すべき脅威として語られている。
際限なく成長することが可能と思われている魔獣は、長く生きるだけでも強くなることができるが、同族を食らうことで更に効率的に成長可能なのではないか、と推測されているのだ。
ゆえに一度でも同族を食らった経験のある魔獣は、どのような状況であろうと何よりも共食いを優先するという。
過去、共食いをする魔獣の個体とオルデアスが遭遇した時の状況も、記録にはこう残されている。
手傷を負えば、あるいは命の危機を感じれば、通常の魔獣の個体ならば本能に従って逃走を図るが、共食いを犯した個体はどれだけ自らが不利になろうとも、決して退かない。
命尽きるその瞬間まで、目の前のオルデアスを捕食しようと試みる。と。
人間の身にすら異能を与えたもうた、古の魔獣の『血』。
それこそが、至高の獲物だとでもいうように。
やがて瞬きのうちに高く高く跳躍した黒い影が、再び大地を踏み鳴らす轟音を生み出したのは、駆ける騎馬の一団の進行方向目前であり、その刹那、土煙を貫くほどの金の閃光が上がる。
そうしてキオは悲鳴じみた声で異母兄を呼びながら、ソファーから転がるようにして鏡を覗きこむことになったのだ。
「っあんな、あんな化け物……いくら兄様でもっ……兄様の傍にはきっと殿下もいる、はずで――っ」
空からの視界では、魔獣の巨体は見えても土煙に邪魔されて、人影の判別は難しい。
その場にいる異母兄とそれに付き従う一族、そしてかつての、けれど今でも大切な大切な主。
どれだけ願おうと只人同然のキオの目では、見分けることすらできない。
だから、不吉な思考が声となって漏れていくのだ。
ジルヴェストかフレデリックか。父たる男が言うように、そのどちらかを喪う未来が本当に訪れてしまうのかと。
「さて、そろそろ時間だ。私の異能を使えば、あちらから一人だけをこちらへ引きずり出せる。その選択を君に委ねよう」
色を失った顔で、薄紫の瞳が縋るように見上げてくるのを眺めながら、エルバルトが穏やかに言葉を続ける。
「君の質問は『なぜ?』だろう。答えは、今まで捨て置いていた、もう一人の息子への罪滅ぼしだ」
小さく息を飲んだ後、キオの視線は再び鏡へと落ちる。
巨大な黒い影の動きだけは難なく追える景色の中から、大切なものを探すように。
けれどそれは、選択のためではない。
「――……誰が、選ぶものか」
握りしめたていた手を解き、戦場が映る鏡の上へ、巨躯の魔獣の横へと置く。この境界を越えてしまいたいと願うように。
だが、震える掌から伝わる冷たい感触は、キオの無力さだけを証明するのだ。
「誰が……選べる、わけがっ……!」
口ではいくらそう言ったところで、状況を変える力など欠陥品の自分にあるはずもない。
ぽたぽたと鏡面へ零れ落ちる温かな雫が、一番それをキオに突きつける。
いつもいつも――力が欲しかったと。
「オレは、二人に、生きていてほしい」
だからそんな望みを口にすることは、ただの傲慢だ。
無力な人間には許されもしない、単なる夢想。
それでも、
「フレンも、兄様も、オレの――オレのものなのに!!」
追い詰められ昂った、感情の波。その隙間から吐き出されたものを、キオ自身理解できていたかは定かではない。
ただ、はっとキオを我に返したのは、自分の背に触れる掌の感触だった。
「ならば、行っておいで。そのための目印なら、そこにあるだろう――ほら」
いつの間にか傍らへ膝をついていた男の優し気な声音と共に、鏡に置いていてた手の一つを上から重ねるようにして握られる。
その手の下の世界では、なぜか動きを止めた巨躯の魔獣が長い首をもたげ、自身の前方にあたる何かを注視していた。
「七年前のあの時からずっと、君の異能は一瞬たりとも途絶えていないのだから」
僅かに晴れた土煙の向こう。そこにただの黒い人影に、金と銀の色を見た気がした瞬間。
トン、と軽く背を叩かれたキオが感じたのは、体が突然浮き上がるような急激な浮遊感。それに反射的に目を閉じてしまった後、次に瞼を開けたキオの視界に広がったのは――――今まさに強靭な前足の一本をこちらへ向けて振りかぶる、巨大な黒い影だった。
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