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36.雨が降らないように
しおりを挟む戦場に選ばれたエクランド王国とノーヴォル新王国の国境線沿いに広がる荒蕪な平原では、この季節にしては珍しく嫌なほど晴れた空の下で、剣戟と怒号が木霊していた。
昼に差し掛かろうかという時刻でようやく開戦を迎えた両国は、最終的な軍勢の規模で言えば意外にも拮抗していたのだ。
その理由は、人間相手となれば一騎当千という言葉すら優に凌駕するオルデアス家当主が直々に参戦することが予定されていたから――などではなく、エクランド内部の勢力争い、その最後の悪足掻きの結果であった。
失態続きの現王太子の第二王子に代わり、ここで最後の功績を上げれば、かつて誰にも見向きされなかった第五王子が、いよいよ次の王となる資格を手にする。
今のエクランド王宮内で、もはやそれは暗黙の決定事項ですらあるのだから。
だからこそ、それを快く思わない者たちは、起死回生の最後の機会とばかりに今回の軍勢の数を削れるよう暗躍した。
もっとも当の『被害者』だけは、そうなることなど端から予想済みで、着々と予定通りに事を進めたに過ぎない。
開戦の直前までジルヴェストが直々に領地巡りをしていたのも、早々に本隊へ合流すればどこかからの横槍――ありもしない魔獣襲撃事件への救難要請等――が入るだろうことを予想していたからだ。
ことここに至るまで他にも互いに様々な大小の謀略を仕掛けあってはいたものの、エクランドの影の王が立ち位置を決めた時点で、人間同士の殺し合いなどという矮小な次元での勝利は、約束されたも同然だった。
だというのに、なぜ眼下の平原を見下ろす二人の空気はやけに張り詰めているのか。
彼らの背後で控える者たちの中でも、事情を知らされていない一部にとって、それはいささか不可解なものと映ってしまっている。
「オルデアス公、そろそろ頃合いでは?」
「私に否やはないが、それで先方は納得するのか。ならば今すぐにでも薙ぎ払うが」
「ん~~ならもうしばらくだけ、待ちましょうか。ただ本当に、あちらは問題ない――それは絶対に確かですか?」
人工的に造り上げた小高い丘の上で、ジルヴェストは自分と轡を並べる馬上の人物へ、ちらりと視線だけを向けた。
一見常と変わらず朗らかな人好きのする微笑を口元に履いている青年は、定石通りにぶつかり合う両軍から目を逸らすこともなく、堂々とした佇まいで自らの象徴としての役割をよく果たしている。
ただ、それが上辺だけのものであることを、ジルヴェストは察していた。
不本意極まりないが、この自分も似たような状況なのだから。
積年の懸念も、この戦争が終われば一応の解決を迎える目途も経った。
昔から異母弟に執着していたどこかの王子が、化け物じみた才覚でこうして同じ戦場に立っていることに、本来ならばもう少し感傷めいた何かを抱くだろうとも思っていた。
昨夜、その全てを水泡に帰しかねない報告がもたらされるまでは。
「この戦争に勝ったら――などと不吉なことを言うつもりはなかったのに、このタイミングで事を起こすとは、さすがは公の血筋ですね。僕への試練に抜かりがない」
小声でぶつぶつと恨み言を並べるにこやかな王子に、ジルヴェストはゆるく瞬きをしてからその橙色の瞳で軽く空を見上げる。
(あの男が……父上がキオを掌中に置いた。名目上は保護と伝えてきたが、それだけが真の理由であるとは限らない……)
一時期生ける屍のようになっていたエルバルトが、あの瞳にもう一度生気を取り戻した日のことを、ジルヴェストは今でもまざまざと思い出せる。
彼の望む未来を手にするためには、自分の協力が不可欠であると、形振り構わず懇願してきたことも。
おかしな話だ。
その直前まで父の助力を得るために、膝をつき頭を垂れ、声を震わせながら懇願していたのはジルヴェストで、鬱陶しげにあしらっていたのは当のエルバルトの方だったのだから。
(私の望みを知る以上、父上が今、キオを害することは決してない……はずだ)
だから、とジルヴェストは自分に言い聞かせるように、傍らの主君へ語りかける。
「あちらに問題はない。殿下は目の前の事に集中するがいい」
その言葉に軽くジルヴェストを振り仰いだ青年は、橙色の視線の先をなぞるように晴れ渡った空を眺めながら、口元の笑みを消して頷いた。
「そうだね。せめてここでは雨が降らないように……気を引き締めておくよ」
そう二人の会話が落ち着くのを見計らってか、後方に控えていた騎馬の中からおもむろに一頭が進み出る。
纏う黒衣が示す通り、オルデアスの一員たる男は、主君の背に向かって届いたばかりの伝令を口にした。
「若。積み荷の行方ですが、やはり完全に見失ったと」
「…………わかった。街への警戒は緩めぬように」
「御意」
積み荷と呼ばれたそれは、敵国が飼い慣らそうと腐心していた魔獣の幼体のことである。
かねてからノーヴォルがそのような人の身に余る愚行に手を出していることは、当然オルデアスも把握だけはしていた。
ただ、異能を扱える稀少な人間の数は少ないのだ。
戦争を始めるからといって国内の魔獣が一斉に大人しくなるわけもなく、王都では国王を始め多くの要人が普段通りの生活を送っている以上、一族が任されている身辺警護を疎かにすることもできない。
元より人員に余裕があるわけでもなかったが、血統の一つを粛清までした以上、どこかで何かを取り零すのは致し方ない。
それが優先順位の低いものであればあるほど、割り切らなければならない。
だからジルヴェストは多少苦々しく思いながらも、配下へ簡潔な指示を与えるだけで不満も叱責も口にしなかった。
彼にとって、『所詮魔獣の幼体が三体』程度では、さしたる脅威にはなり得ないのだから。
「――あの問題の積み荷かい?いっそこちらへ出てきてくれれば、あれこれ思い悩まずにすむのにね」
情報を共有している最高指揮官の青年が、冗談か本気か判別のつかない笑みでその翡翠色の瞳を細めるものだから、年長者は思わず忠告めいた言葉を口にしてしまうのだ。
「幼体であろうが魔獣は魔獣。仮にこの場へ現れた際は、決して私から離れぬように」
それには素直に頷く王子だったが、
「オルデアス公。そろそろ――いい頃合いになったのでは?」
結局のところ今までの会話の全ては、逸る気持ちを抑えるための時間潰しでしかなかったのか。
本当に気を引き締め直しているのか。人の忠告はきちんと耳に入っているのか。
一から問い詰め直した方がいいだろうか、とくっきりと眉間に皴を刻むジルヴェストだったが、眼下の戦場を確認しながら深く大きなため息を零すだけに自制した。
今はまだ双方の先陣が手始めにぶつかり合っているだけだが、既に後々のことまで画策されし尽くした戦争など、早く終わらせることに異議はないのだから。
そうしてジルヴェストは無言のまま、目の前の宙へ右手を差し出した。
黒い手袋に包まれた掌を上に向け、その長い指を小指から一本ずつゆっくりと握りこむ。
そして、眼下に蠢く人の群れを見据えながら僅かにその双眸を細め、
「標的に変更はないな」
自らの望みのためだけに、ついには戦争まで引き起こした首謀者へ最後にそう問いかけた。
ジルヴェストの傍らに佇む馬上の青年は、少しだけ纏う笑みの種類を変え――彼が愛する者の前では決して見せないような表情で、嗤って頷く。
それを横目で確認してから、一度更に強く拳が握りこまれた後、パッと指先が開かれる。
一見、手品でも何でもない、ただの洗練された動作の一つ。
ただ、当主に付き従うオルデアス家の腹心たちだけは、反射的に小さく息を飲んだ。
その理由は、一瞬後には誰の目にも明らかとなる。
ノーヴォル軍が展開する陣の上空に、突如光輝く巨大な剣が出現したのだ。
それも三か所――敵のやや右陣寄りに二本、そして本陣の真上へ。
陽光を受けてではなく、それ自らが輝きを放つ白銀の巨剣が宙に存在した時間は、そう短くはない。
まるで両軍の多くが、異様な光景に気づくのを待つように、音もなく静かにしばしそこに在った。
が、あれは何だ、と兵士たちの多くが上空を見上げ、手を止めた刹那、まるで吊りあげていた糸が切れたかのように、剣先を下に向けた三本の剣は一斉に地へと墜ちていく。
人に比べればあまりにも巨大な剣だったが、その切っ先が大地か何かに接触した瞬間、閃光と共に凄まじい爆風と轟音が荒野を駆け抜けた。
そのゴウッ!!と叩きつける風は、エクランドの本陣にまでもおよび、異能に馴らしているオルデアスの騎馬までもが嘶きを上げる。
騎士団所有の騎馬などは何頭か恐慌に駆られ、走りだそうとまでする始末だ。
「~っ若!!」
「は、ははっ!すごいな!素晴らしい!今まで見たなかで二番目に美しい異能だ!」
背後から言外にやりすぎだと叱責する側近の男の声と、敵とはいえ人間が落ち葉のように吹き飛ぶ様に無邪気な歓声を上げる隣の王子。
そのどちらにも答えることなく、ジルヴェストは多少鼻息を荒くしている愛馬の首筋を軽く叩いて宥めてやる。
わけのわからない攻撃で軍勢の半数と指揮官を吹き飛ばされたノーヴォル軍は、幸いにも運よく生き残った副指揮官が全軍撤退の命令を出すことだろう。
対してエクランド軍の大半はろくに交戦もせず、無傷なまま。
全てが予定通りに、この戦争は終わる――はずだったのが、混乱するノーヴォルへ追い打ちをかけるように三つの影が平原の端、枯れ木が多く立ち並ぶ林の中から、突如姿を見せた。
「へぇ……あれが魔獣、の子供かい?」
「――警戒態勢。こちらへ攻勢を取るようなら対処。殿下、全軍を速やかに後退、魔獣と距離を取るよう進言する」
「わかった。全て公の指示通りに」
昨夜逃亡した『積み荷』たちは、多くの人間の気配に誘われ戦場近くに潜伏していたのだ。
ただ、まだ若く幼い個体たちは慎重に姿を隠し、食事の機会を待っていたのだろう。だが、突如木立の中を通り抜けた巨大な異能の余波に煽られ、思わず飛び出してしまった。
そのうえ腹を空かせた状態で、濃厚な血の臭いが鼻に届いてしまったのだ。
もはや餌を前に、自制するはずもない。
幸い魔獣たちが潜んでいた林はノーヴォル軍の後方に近く、その牙がエクランドの軍勢へ向けられる可能性は低い。
突然の襲撃に浮足立ってはいるが、命がかかっている以上、ノーヴォルの兵士たちも必死に撃退するだろう。
たとえそれが叶わずとも、腹を満たせば魔獣は去るものだ。
そのままノーヴォル側の国土へと姿を消すならば、オルデアスとしてもそれを見送るだけでいい。
ジルヴェストは油断なく魔獣の動きを遠目に見ながら、そう思案していたが――。
(……っなんだ?これは――)
突如ぞわりと肌が粟立つような、言い知れぬ悪寒を感じていた。
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