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41.まだできていない 前編
しおりを挟むとても悲しい夢を見ていたことだけを、覚えている。
どんなに手を尽くしても、どれほど希っても、望む未来が決して訪れないことを知ってしまうから。
そんな絶望的な気分で目を覚ましたキオだったが、夢現に二、三度瞬いただけで全ての思考を放棄したくなっていた。
殊更寝心地が良いベッドの中にいるとはいえ、まず目に入った見知らぬ天井が示す通り、自分がなぜ今ここにいるのか皆目見当がつかないからだ。
今が日中であることを疑う余地もない、自然な明るい光で満たされた室内は、ちらりと目にした部屋の豪勢な内装からして、本来の逗留地であったザイユの館でも、あの『仮宿』と称されていた邸宅でもないことだけは一目瞭然なのだ。
ついで、意識を失う直前まで感じていた、あの二度と経験したくない激烈な苦痛が綺麗さっぱり消え去っている――それどころか、すこぶる調子が良い。まるで異母兄による丹念な治療を受けた翌朝のように。
(いったい何がどうなったら、こんな所で悠長に寝ていられるんだ?……もしかして、やっぱり死んだか?)
父を名乗る男によって強引に連れ出されてから、一生分の驚愕と混乱と奇跡を使い果たしたような気さえしているのだから、いざここが死後の世界ですと誰かに教えられたとしても、特段疑うこともなく納得できてしまいそうだ。
キオはそう半ば現実逃避を行いながらも、一番あり得そうな予想をどうにか頭の中から弾き出してみる。
(また何日か寝込んでいる間に、ジル兄様がオレをあの……父さん……の所から回収して、どこかの屋敷に放り込んだ……てところか?)
だとしたら、もし記憶にあるあの全てが夢などではなかったとしたら……。
(――……大きく、なってたなぁ……)
不思議な感覚を通して視て、触れた、懐かしさを覚える青年のあの姿が現実であるならば、キオのかつての小さな主はもう、本当に手の届かない存在になるのだろう。
強大な魔獣の乱入という突発的事態が発生しこそすれ、速やかに退却していたエクランド軍本隊は無傷、戦争の勝敗そのものも何ら影響は受けていない、はずだ。
となれば、あの第五王子は今回の戦功でついに王太子の座を奪取し、いずれはこの国の王となる。
そうするために、他国との戦争すら引き起こす筋書きを書いた人物がいることは気にかかるが、フレンの傍にはジルヴェストがいてくれるのだ。何が起きようとも、大丈夫。きっと多くの人から愛される良き王に、なるのだろう。
そこに自分が、オルデアスの欠陥品が関与できる余地など二度とあるはずもない。
最後に命懸けでその身を守ることができただけでも、身に余るほどの幸運だったのだから。
ぼんやりと天井を眺めながら、そう思考をまとめたキオだったが、じわりと視界が滲みだすのは止められなかった。
七年ぶりに会った主が、変わらずあんな瞳で自分を見るから……大人びた声であろうと記憶にあるのと同じように、この名を特別なものであるかのように呼んでくれたから――死に損なった不毛な期待と分不相応な望みが、また脳裏を過るのだ。
(オレは、あなたにとってまだ大切な人間で……必要とされていたい……なんて――)
そんなただ虚しく惨めになるだけの願望――異母兄へと向かう想いとも非常によく似たそれには、今まできちんと蓋をできていたはずだった。
だというのに、あんなおかしな状況でほんの少しその顔を見て、僅かに言葉を交わした途端に、コレなのだ。どれだけ年を重ねようとすぐに心が軋む自分の弱さに、いっそ嗤えてくる。
顔を片手で覆いながら、そうキオが投げやりに自嘲していた時だった。ただ静寂だけが流れていた室内に、突然小さくノックの音が響いた。
おそらくオルデアス家の誰かだろうと思ったキオは、それに答えようとすぐに口を開けたものの、やけに掠れている喉からはろくな音も出なかった。
それは単に長い眠りから覚めたばかりだっだから――というわけではなく、ひょこっと小首を傾げるように扉から顔を出したまさかの人物に、息を飲んだからだ。
「わぁ、凄いな。本当に目を覚ましているなんて、まさに予言だね。もしかして、あれも異能の一端だったりするのかな」
ベッドへ横たわったままのキオと視線が絡んだ途端、ふわりと柔らかく微笑んだのは、翡翠の瞳をした端正な顔立ちの青年で。
「でもそんなことより、気分はどう?何もしなくて大丈夫とは言われたんだけど、さすがに飲み物くらいはもう必要なんじゃないのかな?」
軽装ながらも見るからに上等な白と紺を基調とする貴族然とした装いに身を包み、癖のある赤みを帯びた短い金の髪を揺らしながら、すらりと伸びた長い足で小走りに室内を横切ってくる。
「それとも食事にしようか。何か食べたい物はある?あぁ、勿論まだ眠かったら寝ててもいいんだよ。ここは眩しくない?」
そうしてベッド脇までたどり着くと、何のためらいもなく直接床に膝をつき至近距離で薄紫の瞳を覗き込みながら――。
「僕に何でも言ってよ。キオ」
滔々と流れ続ける甘く柔い声音が、何よりも大切そうに、そうキオの名を奏でた。
「…………な、んで……」
その全てがどこか現実感のないものに思えて、瞬きすら忘れたキオが呆然としながらもやっと口にできた言葉は、それだけだった。
だというのに、キオの顔にかかる長い髪を優し気に払う青年は少しも気分を害した様子もなく、逆にその笑みを深めてみせる。
「あれ?僕はちゃんと言ったよね。忘れてしまったのなら、思い出させてあげようか」
この国の第五王子はそう言いながら、キオが顔の横に置いていたままだった右手を取ると、その掌へと唇を寄せる。
七年前のあの夜と、同じように。
そこへ灯された微かな熱を忘れることなど、キオにできるはずもなかった。
忘れるどころか、小さな王子が呟いた言葉も、その声音も、息遣いにいたるまで、全てを今も克明に覚えている。
『――次に会う時までに、覚悟はしておいて』
「当然、もう覚悟はできているよね」
あの頃のまだ少年だった少し高い声音と、今間近で囁かれた低い男の声音が、耳の奥で溶け合っていく。
その瞬間、キオは全ての思考過程をすっ飛ばして、結論だけを得たような気がした。
自分はやっと、この主の下へ帰ってきたのだと。
「……フレン殿下」
それはキオの単なる思い込みでしかない。けれど、ただ一人の主の名を無意識にそう呟けば、翡翠の瞳にこの上なく嬉し気な光を宿したフレンの、屈託のない笑みが降ってくる。
たったそれだけで、キオは目が潤むような、胸の奥から熱がこみ上げるような、暴走する感覚を必死に止めなければいけなくなる。
「ほ、んとうに……大きくなられましたね。どこから見ても、ちゃんとした王子様で……」
昔のように軽口を叩いて、再会に歓喜する重すぎる本心をどうにかごまかそうと試みるキオだったが、微かに震える声を制御することはできなかった。
「キオ。僕はね、自分で言うのもなんだけれど、結構頑張ったと思うんだ。だから、キオも覚悟してくれるよね?」
そんなキオを見下ろしながら、フレンは口づけた手をそのまま自然と指先を絡めるようにして握ると、にこり、とまた太陽のような眩しい笑みを浮かべ、穏やかな声で言葉を紡ぐ。
その笑顔とどこか不穏が滲む台詞の嚙み合わなさに、キオはようやく深すぎる感傷の波からまともな思考を少しだけ取り戻す。
そういえばこの王子は、いったい何を言っているのだろうか、と。
「殿下?あの、えーと……そ、そう、オレはどうしてここに?に、あに……こほん。当主は今、どちらに――」
七年前、まだ子供だった主が寄せてくれた可愛らしい恋慕の情は、大切に大切にキオの胸の奥に仕舞い込まれている。
けれどそれは、キオへ届く手紙の頻度と共にフレンの中では昇華され、消えていったもののはずだ。
だから、こんなことはあり得ない。と、キオは反応が遅れた。
自分の上に影を落とすように顔を近づけるフレン。
その近すぎる距離に気づき、出遅れながらも咄嗟に空いている手を使って制止しようとしたのに、逆に手首を簡単に掴まれベッドへと縫い留められた瞬間――そっと唇を重ねられた。
その信じられない行動に、キオはまだ自分が夢の中にいるのだろうかと思い直したほどだ。
けれど、唇には確かに柔らかな熱が触れたままで、至近距離で視線が絡む翡翠の瞳は、してやったりとでも言うように満足げに瞬いているではないか。
(……え?は?――なっ!?)
動揺から思わず強張って握りこんでしまった手には、しっかりとした存在感のある男の指が絡んでいて、キオのそんな仕草にすら答えるかのように、きゅ、と握り返してくるのだ。
その瞬間、キオの冷静であり続けようとした忍耐はあっけなく瓦解し――――ゴンッ!!という鈍い音が盛大に室内に響きわたっていた。
「~~~ったぁぁあ~~!ひ、酷くない!?七年だよ!?七年ぶりなのにっ――頭突きするぅ!?」
「こっちの台詞だこのませガキ様が!!七年も音信不通だった相手に何してくれやがってんです!?」
内容はどうあれ、ようやくまともに再会した主従の気安い会話の応酬は「とにかく元気そうでよかったよ!!でももっと大事な話したくない!?」とフレンが強引に話題を終わらせなければ、延々と続いていただろう。
まるで二人が共に過ごしていた日々と何ら変わらない、日常の一場面のように。
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