42 / 45
42.まだできていない 後編
しおりを挟む七年ぶりの再会だというのに、際どい戯れを仕掛けてきたのは有り余る懐かしさの裏返しでもあったのだろう。
それに仮初の邂逅だったとはいえ、またああも無様な別れ方をしてしまった後なのだから、優しい主の心をそれだけ乱してしまったのは他ならぬ自分の落ち度である。
ならば、いくら悪趣味とはいえ年下の悪ふざけくらい見て見ぬふりをしてやるべきかもしれない。
そう自分へ言い聞かせることで平常心を取り戻したキオは、同じく咳払いをした後に仕切り直しとでも言うように再びキラキラとした笑みを浮かべ直したフレンから、おとなしく世話を焼かれることにした。
おそらく給仕の人間が部屋の外にでも控えているのだろうが、この室内へと踏み入るのはなぜかフレンだけだったせいもある。
主がわざわざ手ずから用意してくれた軽食や飲み物が小さなベッドテーブルへ並ぶなか、身を起こしたキオはほんの少しずつそれを口に入れていた。軽やかな低い声が、この状況の説明をしてくれるにつれ、どこか遠い目をしながら……。
「つまり、フレン殿下はオルデアス家当主の依頼を受けて、先代当主からオレの身柄を預かると共に異能で王都まで送り届けてもらった、と?……それ本当に『円満』な依頼でしたか?何か物騒な過程を隠してるだろ……あぁもう。相変わらず化け物揃いを前に、何をやってるんですか何を。殿下がやる必要のないことでしょうが」
「戦果を陛下へ直接報告するっていう建前――いやいや、大役があったんだよ。オルデアス公も酷く疲れていたからね。あの場に王子である僕がいない方が、気苦労も少ないだろうし。勿論、動ける一族の人や騎士が護衛を務めてくれていたから、道中に問題はなかったよ。ただ、キオの御父上にもきちんとご挨拶をしたかったんだけど、残念ながら会ってもらえなくて」
「は!?あの男っ、王子殿下相手にそんな非礼まで……はぁ」
フレンの言う通りなのであれば、キオはエルバルトの元で意識を失ってから、もう三日ほど眠り続けていたことになる。
辺境の戦場だったあの荒野から諸々の処理を終えた異母兄が帰還するまで、あとどれだけの日数がかかるのかは予想もつかないが、それまではなぜか自分の身柄を元主が預かるのだという。それも、エクランド王宮の一角に新設されたばかりという離宮の、この一室で。
もはや並ぶ者もない大陸の覇者たる強国エクランド。その後継者たる地位に内定したはずの青年のどこに、そんな行動の必要があるのかキオには到底理解できなかった。
そのうえ、本来なら重要なはずの隣国との戦争結果についても「予定通りだから安心していいよ」と、為政者らしいのか単なる無責任な傍観者なのか、判別のつきかねる軽い一言で済まされては。
「……フレン殿下は、王太子となられる……はずなんですよね?」
昔からの心配癖で、見た目は確実に成長している主へ思わずそうキオが尋ねてしまっても、無理はないだろう。
欠陥品の元護衛の為にこんな時間を割くことなどよりも、もっと大切なことが、その地位には今だって腐るほどついてくるだろうに。
フレンがその問いに答える頃には、あまり食欲もなかったキオの短い食事は終わり、ベッドの上も綺麗に片付られていた。そうして、今度はベッド脇へ置かれた椅子にきちんと腰かけたフレンは、微笑を浮かべながらまたキオへとその手を伸ばす。
「そうだよ。もう少ししたら正式に王太子妃も一緒にお披露目して、そう時を置かずに彼女の懐妊も発表する」
「っ……それは、おめでとうございます。御子のご誕生が楽しみですね」
さらりと返された言葉にか、自分の長い髪を肩口の少し下あたりで一つにまとめて緩く結われる主のその行為にか。どちらにせよ、一瞬言葉を詰まらせながらも、キオは顔色を変えることなくそう取り繕った。
フレンからは見えない、上掛けの下に隠された手を握り締めたのは不可抗力だったが。
ただ、キオの主の言葉は、まだ終わってはいなかった。
「勿論僕の種ではないけれど、生まれてくる子供はちゃんと大切にするよ。だから、キオも秘密にしておいてね」
「…………え?」
薄紫の瞳が驚きに見開かれるなか、手にした青黒髪へ鮮やかな青緑色のリボンを結びつけ、満足そうに笑うフレンは機嫌よく話し続ける。
「あのオレンジ色のリボンもいいけど、やっぱりキオにはこちらもよく似合うよ。だからといってあれも捨てたりなんてしていないから、安心して。キオの物は全て、僕の大切な物だから――」
が、その内容があまりにも明後日の方向へ転がるものだから、キオは主の言葉尻に被せながらつい声を荒らげていた。
「フレン殿下!今そんな話ではっ……なんて女を妻に選んだんです!?貴方の伴侶には、もっと!………っ」
「もっと……なに?」
結われた髪の先を口元へ運び、そこへ口づけながら嬉しそうに尋ねてくる翡翠の瞳に見つめられ、キオは僅かに口ごもる。
そうして、これみよがしなため息で誤魔化しながら自分の気持ちを落ち着けると、言葉を継いだ。
「――もっと、誠実な相手でなければなりません。これでは未来の王妃として殿下をお傍で支え続ける大役など、到底果たせるわけもない。最初から不実な伴侶を、貴方は愛し、信頼できるのですか。……だからその締まりのない顔をやめろ」
「ごめんごめん。キオに直接あれこれ心配されるのも、とても懐かしいなって」
「話を逸らすなクソガキ様が。それで、このことは他に誰が把握しているんです?当主には相談しておられますか?オルデアス家が介入すれば、今からであろうと新たな王太子妃を立てることも可能なはず――」
こちらの息が止まりそうな爆弾発言をしておきながら、一層幸せそうな甘い笑みすら纏って見せる年下王子を前にしていると、頭痛すらしてきたような気がして、キオは無意識に俯きつつ額を抑えた。
そこは先程、フレンの不躾な悪戯を強制的に終了させた余韻で、少しばかり実際に赤みを帯びてもいるのだが……。
「ありがとうキオ。でも、大丈夫なんだ。全て僕の計画通りだし」
そう礼を言いながらも、その手に重ねるように触れてきたフレンの指先に、キオははっと顔を上げる。
また自分を誤魔化すことに多大な労力を費やすような出来事は、もう勘弁してほしかったからだ。
「待った、ちゃんと聞きますから手は放しましょうか」
なのに――。
「それは無理。だって、僕が愛しているのは君だけだから」
(――――っ!!?)
優しく微笑む青年の口から放たれたその音に、否応なく心臓は跳ね、瞬間的に胸を埋め尽くした歓喜が、今度こそキオの呼吸を奪った。
ずっとずっと、その言葉を欲しがっていた自分など、もう消えたはずだったのに。
けれど、欠陥品の自分がその想いを受け入れることだけはできない。そう信じきっていたからこそ、すぐさま窘める台詞だって吐けるのだ。
得意だったはずの軽薄な笑みで取り繕うこともできず、泣き笑いのような酷い表情しかできなくとも。
「お戯れもほどほどに。どうやら、でかくなったのは見てくれだけですか。いつまで子供の延長線でオレに懐いているんです?それにオレももう26で、殿下よりも先にジジイになるんです。血迷ってないで、現実を見てください。手紙だって、もうあれで終わりになっていたくせに……」
「キオはどんな姿になろうと、誰よりも綺麗だよ。それに――ふふっ嬉しいなぁ。やっぱり僕からの手紙、ちゃんと読んでくれていたんだ。僕ももっと頻繁に送りたかったんだけど、戦争をしようと思ったら色々と身の回りがうるさくなってね。万が一にもキオの所にまで飛び火したら嫌だから、しばらく自粛していたんだ。どこかの怖い当主様からも、きつく釘を刺されたし」
「フレン殿下、また話が変わってます。オレは」
子供時代を引きずっただけの気の迷いに応えるわけにはいかないのだ、とキオが言い募る前に、指を絡ませ合うように握られている手とは別の手に、そっと頬を包みこまれてしまった。
そうしてキオの主は、もう驚くのが馬鹿らしいほどの、呆れることを言い出すのだ。
それがさも当然のことであるかのように、晴れ晴れとした笑みと、直視するのをためらうほどの強い光を、その翡翠の瞳に宿しながら。
「僕が玉座を狙ったのも、この戦争も、全て、君が欲しくてしたことだ」
「な、んで……っ離してください、殿下」
うるさく鳴り始める心臓と、このままでは何か取り返しのつかないことになりそうな予感を覚え、キオは主の言葉を問いつめたい欲求よりも、近い距離にあるその体を押し退けることを優先しようとした。
だが、上体を起こして座っていただけの体は、簡単に年下の男によってベッドの中へと戻されてしまう。
「キオ。僕は、もう子供じゃない。七年前の僕を『子供』と窘めてくれた君と、同じ歳だ」
易々とキオを押し倒した青年は、屈強な騎士には及ばないとはいえ、それなりに鍛え上げられた体躯をしている。
かつての欠陥品の護衛と比べても、純粋な腕力だけであれば今の主に軍配が上がるかもしれない。
もう長年剣を振るうことさえしていないキオが、異能なしでその体を跳ね除けられるはずもなかった。
「……ぁ」
薄紫の瞳が揺れるのは男に組み伏せられた本能的な動揺か、それとも惜しみなく愛を口にした主へ向かおうとする、強烈な感情を抑え込むためだったのか。
どちらであろうとも、それを幸せそうに覗き込むフレンにとっては構わない。
こつんと額を軽く合わせながら、想い人を前にその口はただ優し気な音を紡ぐだけなのだから。
「次に会う時、僕は愛する君を必ず手に入れると誓った。だから、覚悟しておいてって言ったんだよ」
もうこれ以上の逃げ道を断つように、確固とした言葉と態度で追い詰めてくるフレンを見上げながら、キオは小さく声を震わせる。
その取り繕えなくなった顔は、まるで迷子の子供のように悲愴さで押し潰されそうになっていてもなお、美しく歪んでいた。
「……覚悟なんて、できているはずもしているはずもないだろうが……。オレには、昔から飼い主がいるとご存知でしょう?――それとも、オレの口から言わせたいんですか。……っ腹違いの兄に抱かれているようなオレが、貴方に……応えられるわけがないと」
今しがた、見ず知らずの令嬢の不実を断じた口で、誰よりも幸せを願ってきた主のこんな愚行を受け入れられるわけがない。
この王子から想いを向けられる相手は、少なくとも異母兄へ歪んだ想いを抱き続けているような自分であってはならない。
それなのに、近すぎる熱も、愛を口にする声も、何もかもがキオの今までの努力をなかったことにしようとする。
「それでもキオは、僕のことが好きだろう?その命を簡単に捧げてくれるほど」
「っそれは貴方が、オレの主だったからで……!」
そう言い募れば言い募るほど、否定するために囁かれる言葉が嬉しいなどと、認めてはいけないのに。
でなければ子供相手だと、初めて仕えた主への依存だと、自分ですら気づかないように覆いをかけてきた想いに飲まれてしまう。
そうなる前に、最後の抵抗とばかりに圧し掛かる男の体を押しやろうとキオは腕に力をこめる。
けれど――。
「いいや、違う。キオは僕のことも愛してくれているよ。だから、僕に愛されるのが嫌なわけがない」
とろりと蕩けたように甘く細められた翡翠の瞳に囚われるなかで、見惚れるほどの自信に満ちた笑みと共に、そう傲慢な言葉が穏やかに言い放たれた。
ただ、気が付くと自分の頬を次から次へととめどなく零れ落ちていく温かな雫のせいで、それが真実でしかないことを、キオはついに自覚してしまった。
「あぁ……とても綺麗だけど、泣かないでキオ。僕は嬉しいんだよ。だから、もう諦めて覚悟して。まだできていなかったのなら、今して」
「ぁ、ま……っ」
滲んだ視界の中で唇を掠めるような距離でそう囁くフレンへ、もう形ばかりの抵抗すらやめてしまったキオの口からは、まだそんな言葉が漏れる。
ただし、それもこの主の前では無意味なものにしかならなかった。
「もう待てない。君が欲しい」
そうして再び唇に合わさった柔い熱を、キオはもう拒絶しなかった。
もう、拒絶できなかった。
187
あなたにおすすめの小説
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
【本編完結】処刑台の元婚約者は無実でした~聖女に騙された元王太子が幸せになるまで~
TOY
BL
【本編完結・後日譚更新中】
公開処刑のその日、王太子メルドは元婚約者で“稀代の悪女”とされたレイチェルの最期を見届けようとしていた。
しかし「最後のお別れの挨拶」で現婚約者候補の“聖女”アリアの裏の顔を、偶然にも暴いてしまい……!?
王位継承権、婚約、信頼、すべてを失った王子のもとに残ったのは、幼馴染であり護衛騎士のケイ。
これは、聖女に騙され全てを失った王子と、その護衛騎士のちょっとズレた恋の物語。
※別で投稿している作品、
『物語によくいる「ざまぁされる王子」に転生したら』の全年齢版です。
設定と後半の展開が少し変わっています。
※後日譚を追加しました。
後日譚① レイチェル視点→メルド視点
後日譚② 王弟→王→ケイ視点
後日譚③ メルド視点
僕はただの平民なのに、やたら敵視されています
カシナシ
BL
僕はド田舎出身の定食屋の息子。貴族の学園に特待生枠で通っている。ちょっと光属性の魔法が使えるだけの平凡で善良な平民だ。
平民の肩身は狭いけれど、だんだん周りにも馴染んできた所。
真面目に勉強をしているだけなのに、何故か公爵令嬢に目をつけられてしまったようでーー?
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
時間を戻した後に~妹に全てを奪われたので諦めて無表情伯爵に嫁ぎました~
なりた
BL
悪女リリア・エルレルトには秘密がある。
一つは男であること。
そして、ある一定の未来を知っていること。
エルレルト家の人形として生きてきたアルバートは義妹リリアの策略によって火炙りの刑に処された。
意識を失い目を開けると自称魔女(男)に膝枕されていて…?
魔女はアルバートに『時間を戻す』提案をし、彼はそれを受け入れるが…。
なんと目覚めたのは断罪される2か月前!?
引くに引けない時期に戻されたことを嘆くも、あの忌まわしきイベントを回避するために奔走する。
でも回避した先は変態おじ伯爵と婚姻⁉
まぁどうせ出ていくからいっか!
北方の堅物伯爵×行動力の塊系主人公(途中まで女性)
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる