獣の幸福

嘉野六鴉

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42.まだできていない 後編

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 七年ぶりの再会だというのに、際どい戯れを仕掛けてきたのは有り余る懐かしさの裏返しでもあったのだろう。
 それに仮初の邂逅だったとはいえ、またああも無様な別れ方をしてしまった後なのだから、優しい主の心をそれだけ乱してしまったのは他ならぬ自分の落ち度である。
 ならば、いくら悪趣味とはいえ年下の悪ふざけくらい見て見ぬふりをしてやるべきかもしれない。

 そう自分へ言い聞かせることで平常心を取り戻したキオは、同じく咳払いをした後に仕切り直しとでも言うように再びキラキラとした笑みを浮かべ直したフレンから、おとなしく世話を焼かれることにした。
 おそらく給仕の人間が部屋の外にでも控えているのだろうが、この室内へと踏み入るのはなぜかフレンだけだったせいもある。
 主がわざわざ手ずから用意してくれた軽食や飲み物が小さなベッドテーブルへ並ぶなか、身を起こしたキオはほんの少しずつそれを口に入れていた。軽やかな低い声が、この状況の説明をしてくれるにつれ、どこか遠い目をしながら……。

「つまり、フレン殿下はオルデアス家当主のを受けて、先代当主からオレの身柄を預かると共に異能で王都まで送り届けてもらった、と?……それ本当に『円満』な依頼でしたか?何か物騒な過程を隠してるだろ……あぁもう。相変わらず化け物揃いを前に、何をやってるんですか何を。殿下がやる必要のないことでしょうが」

「戦果を陛下へ直接報告するっていう建前――いやいや、大役があったんだよ。オルデアス公も酷く疲れていたからね。あの場に王子護衛対象である僕がいない方が、気苦労も少ないだろうし。勿論、動ける一族の人や騎士が護衛を務めてくれていたから、道中に問題はなかったよ。ただ、キオの御父上にもきちんとご挨拶をしたかったんだけど、残念ながら会ってもらえなくて」

「は!?あの男っ、王子殿下相手にそんな非礼まで……はぁ」

 フレンの言う通りなのであれば、キオはエルバルトの元で意識を失ってから、もう三日ほど眠り続けていたことになる。
 辺境の戦場だったあの荒野から諸々の処理を終えた異母兄が帰還するまで、あとどれだけの日数がかかるのかは予想もつかないが、それまではなぜか自分の身柄を元主フレンが預かるのだという。それも、エクランド王宮の一角に新設されたばかりという離宮の、この一室で。

 もはや並ぶ者もない大陸の覇者たる強国エクランド。その後継者たる地位に内定したはずの青年のどこに、そんな行動の必要があるのかキオには到底理解できなかった。
 そのうえ、本来なら重要なはずの隣国との戦争結果についても「予定通りだから安心していいよ」と、為政者らしいのか単なる無責任な傍観者なのか、判別のつきかねる軽い一言で済まされては。

「……フレン殿下は、王太子となられる……はずなんですよね?」

 昔からの心配癖で、見た目は確実に成長している主へ思わずそうキオが尋ねてしまっても、無理はないだろう。
 欠陥品の元護衛の為にこんな時間を割くことなどよりも、もっと大切なことが、その地位には今だって腐るほどついてくるだろうに。
 
 フレンがその問いに答える頃には、あまり食欲もなかったキオの短い食事は終わり、ベッドの上も綺麗に片付られていた。そうして、今度はベッド脇へ置かれた椅子にきちんと腰かけたフレンは、微笑を浮かべながらまたキオへとその手を伸ばす。

「そうだよ。もう少ししたら正式に王太子妃も一緒にお披露目して、そう時を置かずに彼女の懐妊も発表する」

「っ……それは、おめでとうございます。御子のご誕生が楽しみですね」

 さらりと返された言葉にか、自分の長い髪を肩口の少し下あたりで一つにまとめて緩く結われる主のその行為にか。どちらにせよ、一瞬言葉を詰まらせながらも、キオは顔色を変えることなくそう取り繕った。
 フレンからは見えない、上掛けの下に隠された手を握り締めたのは不可抗力だったが。

 ただ、キオの主の言葉は、まだ終わってはいなかった。

「勿論僕の種ではないけれど、生まれてくる子供はちゃんと大切にするよ。だから、キオも秘密にしておいてね」

「…………え?」

 薄紫の瞳が驚きに見開かれるなか、手にした青黒髪ブルネットへ鮮やかな青緑色のリボンを結びつけ、満足そうに笑うフレンは機嫌よく話し続ける。

「あのオレンジ色のリボンもいいけど、やっぱりキオにはこちらもよく似合うよ。だからといってあれも捨てたりなんてしていないから、安心して。キオの物は全て、僕の大切な物だから――」

 が、その内容があまりにも明後日の方向へ転がるものだから、キオは主の言葉尻に被せながらつい声を荒らげていた。
 
「フレン殿下!今そんな話ではっ……なんて女を妻に選んだんです!?貴方の伴侶には、もっと!………っ」

「もっと……なに?」
 
 結われた髪の先を口元へ運び、そこへ口づけながら嬉しそうに尋ねてくる翡翠の瞳に見つめられ、キオは僅かに口ごもる。
 そうして、これみよがしなため息で誤魔化しながら自分の気持ちを落ち着けると、言葉を継いだ。

「――もっと、誠実な相手でなければなりません。これでは未来の王妃として殿下をお傍で支え続ける大役など、到底果たせるわけもない。最初から不実ふじつな伴侶を、貴方は愛し、信頼できるのですか。……だからその締まりのない顔をやめろ」

「ごめんごめん。キオに直接あれこれ心配されるのも、とても懐かしいなって」

「話を逸らすなクソガキ様が。それで、このことは他に誰が把握しているんです?当主には相談しておられますか?オルデアス家が介入すれば、今からであろうと新たな王太子妃を立てることも可能なはず――」

 こちらの息が止まりそうな爆弾発言をしておきながら、一層幸せそうな甘い笑みすら纏って見せる年下王子を前にしていると、頭痛すらしてきたような気がして、キオは無意識に俯きつつ額を抑えた。
 そこは先程、フレンの不躾な悪戯を強制的に終了させた余韻で、少しばかり実際に赤みを帯びてもいるのだが……。

「ありがとうキオ。でも、大丈夫なんだ。全て計画通りだし」

 そう礼を言いながらも、その手に重ねるように触れてきたフレンの指先に、キオははっと顔を上げる。
 また自分を誤魔化すことに多大な労力を費やすような出来事は、もう勘弁してほしかったからだ。

「待った、ちゃんと聞きますから手は放しましょうか」
 
 なのに――。
 
「それは無理。だって、僕が愛しているのは君だけだから」
 
(――――っ!!?)

 優しく微笑む青年の口から放たれたその音に、否応なく心臓は跳ね、瞬間的に胸を埋め尽くした歓喜が、今度こそキオの呼吸を奪った。
 ずっとずっと、その言葉を欲しがっていた自分など、もう消えたはずだったのに。
 けれど、欠陥品の自分がその想いを受け入れることだけはできない。そう信じきっていたからこそ、すぐさま窘める台詞だって吐けるのだ。
 得意だったはずの軽薄な笑みで取り繕うこともできず、泣き笑いのような酷い表情かおしかできなくとも。
 
「お戯れもほどほどに。どうやら、でかくなったのは見てくれだけですか。いつまで子供の延長線でオレに懐いているんです?それにオレももう26で、殿下よりも先にジジイになるんです。血迷ってないで、現実を見てください。手紙だって、もうあれで終わりになっていたくせに……」

「キオはどんな姿になろうと、誰よりも綺麗だよ。それに――ふふっ嬉しいなぁ。やっぱり僕からの手紙、ちゃんと読んでくれていたんだ。僕ももっと頻繁に送りたかったんだけど、戦争をしようと思ったら色々と身の回りがうるさくなってね。万が一にもキオの所にまで飛び火したら嫌だから、しばらく自粛していたんだ。どこかの怖い当主様からも、きつく釘を刺されたし」

「フレン殿下、また話が変わってます。オレは」
 
 子供時代を引きずっただけの気の迷いに応えるわけにはいかないのだ、とキオが言い募る前に、指を絡ませ合うように握られている手とは別の手に、そっと頬を包みこまれてしまった。
 そうしてキオの主は、もう驚くのが馬鹿らしいほどの、呆れることを言い出すのだ。
 それがさも当然のことであるかのように、晴れ晴れとした笑みと、直視するのをためらうほどの強い光を、その翡翠の瞳に宿しながら。

「僕が玉座を狙ったのも、この戦争も、全て、君が欲しくてしたことだ」
 
「な、んで……っ離してください、殿下」

 うるさく鳴り始める心臓と、このままでは何か取り返しのつかないことになりそうな予感を覚え、キオは主の言葉を問いつめたい欲求よりも、近い距離にあるその体を押し退けることを優先しようとした。
 だが、上体を起こして座っていただけの体は、簡単に年下の男によってベッドの中へと戻されてしまう。
 
「キオ。僕は、もう子供じゃない。七年前の僕を『子供』とたしなめてくれた君と、同じ歳だ」

 易々とキオを押し倒した青年は、屈強な騎士には及ばないとはいえ、それなりに鍛え上げられた体躯をしている。
 かつての欠陥品の護衛と比べても、純粋な腕力だけであれば今の主に軍配が上がるかもしれない。
 もう長年剣を振るうことさえしていないキオが、異能なしでその体を跳ね除けられるはずもなかった。
 
「……ぁ」

 薄紫の瞳が揺れるのは男に組み伏せられた本能的な動揺か、それとも惜しみなく愛を口にした主へ向かおうとする、強烈な感情を抑え込むためだったのか。
 どちらであろうとも、それを幸せそうに覗き込むフレンにとっては構わない。
 こつんと額を軽く合わせながら、想い人を前にその口はただ優し気な音を紡ぐだけなのだから。
 
「次に会う時、僕は愛する君を必ず手に入れると誓った。だから、覚悟しておいてって言ったんだよ」
 
 もうこれ以上の逃げ道を断つように、確固とした言葉と態度で追い詰めてくるフレンを見上げながら、キオは小さく声を震わせる。
 その取り繕えなくなった顔は、まるで迷子の子供のように悲愴さで押し潰されそうになっていてもなお、美しく歪んでいた。

「……覚悟なんて、できているはずもしているはずもないだろうが……。オレには、昔から飼い主がいるとご存知でしょう?――それとも、オレの口から言わせたいんですか。……っ腹違いの兄に抱かれているようなオレが、貴方に……応えられるわけがないと」

 今しがた、見ず知らずの令嬢の不実を断じた口で、誰よりも幸せを願ってきた主のこんな愚行を受け入れられるわけがない。
 この王子から想いを向けられる相手は、少なくとも異母兄へ歪んだ想いを抱き続けているような自分であってはならない。
 それなのに、近すぎる熱も、愛を口にする声も、何もかもがキオの今までの努力をなかったことにしようとする。

「それでもキオは、僕のことが好きだろう?その命を簡単に捧げてくれるほど」

「っそれは貴方が、オレの主だったからで……!」

 そう言い募れば言い募るほど、否定するために囁かれる言葉が嬉しいなどと、認めてはいけないのに。
 でなければ子供相手だと、初めて仕えた主への依存だと、自分ですら気づかないように覆いをかけてきた想いに飲まれてしまう。
 
 そうなる前に、最後の抵抗とばかりに圧し掛かる男の体を押しやろうとキオは腕に力をこめる。
 けれど――。

 
「いいや、違う。キオは僕のこと愛してくれているよ。だから、僕に愛されるのが嫌なわけがない」


 とろりと蕩けたように甘く細められた翡翠の瞳に囚われるなかで、見惚れるほどの自信に満ちた笑みと共に、そう傲慢な言葉が穏やかに言い放たれた。
 ただ、気が付くと自分の頬を次から次へととめどなく零れ落ちていく温かな雫のせいで、それが真実でしかないことを、キオはついに自覚してしまった。

「あぁ……とても綺麗だけど、泣かないでキオ。僕は嬉しいんだよ。だから、もう諦めて覚悟して。まだできていなかったのなら、今して」

「ぁ、ま……っ」

 滲んだ視界の中で唇を掠めるような距離でそう囁くフレンへ、もう形ばかりの抵抗すらやめてしまったキオの口からは、まだそんな言葉が漏れる。
 ただし、それもこの主の前では無意味なものにしかならなかった。
 
「もう待てない。君が欲しい」

 そうして再び唇に合わさった柔い熱を、キオはもう拒絶しなかった。
 もう、拒絶できなかった。

 
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