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43.*この夜だけは*
しおりを挟む部屋に差し込む光が黄昏色へと移り変わるなか、幾度も手紙に綴られた言葉よりもなお熱く甘い睦言を惜しみなく囁かれながら、キオはもうずっと泣き言を口にしていた。
暴かれた本心を自覚してしまった後では、愛しいと想う相手に触れられて抵抗できるはずもない。けれど、このままただ喜んで抱かれるわけにはいかないほど、清純とはかけ離れた想いを抱え込んでいるせいで。
フレンというかつての主たる青年を、拒めないほど愛しく想う。
それと同時に、いまだ異母兄へ向かう感情も、到底この身から切り離すことなどできない。
だから、触れるだけのキスをフレンが顔中に降らす間にも、キオはぐずぐずとすすり泣くように呟くのだ。
本当にこんな自分がいいとか正気か。万が一にでもオルデアス家当主の不興を買ったらどうする。オレはもう貴方の為になることなど何もできないのに――と。
キオの目元を伝う雫を唇で拭いながら、フレンもそれに応えて言い募る。
君以外誰も欲しくない。触れたいのも傍にいてほしいのも君だけだ。全て大丈夫だから、今だけは僕のことだけを考えていて、と。
そうしてブーツも服も潔くさっさと脱ぎ捨てたフレンに、いよいよ寝間着をはだけられたところで、
「せめて湯浴みくらいしてから……」
そう諦め悪くごねた元護衛へ、かつての主は有無を言わさぬ笑みを纏って一息で言い切った。
「毎日僕が隅々まで丁寧に綺麗にしていたから大丈夫だよ」
だからどう考えても、絶対に、それは王子がやるようなことではない。
キオは反射的にそう指摘しかけたが、ややあってその口から零れたのは小さな笑い声だった。
これでは、どちらが年上かわからない。
本当にこんな欠陥品の年上の男のどこがいいのか。考えてもどうせわからないのならば、せめてものまだマシな見た目を、これ以上無様に歪ませてばかりもいられない。
こんな自分を『愛している』と言ってくれるのだから――。
「なら……あとでいくら後悔しても、オレはもう知りませんからね」
そう投げやりにも聞こえるような軽口を叩きながら、キオは自分からフレンの頬へと手を伸ばした。
その瞬間に翡翠の瞳がほんの少し見開かれたのは、想い人の花が綻ぶような微笑に目を奪われたからだ。
そんなフレンの顔を引き寄せ、自分から初めてその唇を塞いだキオは、ただ一人に教え込まれた深い口づけを送った。
舌で歯列をなぞり相手の口を小さく開けさせ、おずおずと伸ばされたぬるつく舌先と絡め合うように触れながら、時折上顎の辺りを舐め上げる。
混ざりあう吐息と同じように互いの体温を口内で一つにしていく作業は、いつもただ受け入れるだけだったキオにとっては多少勝手が違うとはいえ、慣れたものだった。
「……っ……ん……ちょ、ちょっと待った!」
だが、フレンの方は早々に根を上げ、先程までの大人びた余裕のある顔はかろうじて維持してはいるものの、その頬には隠しようのない赤を散らせていた。
そこにまだ九歳だった頃の主の面影を見たキオは、わざとらしく小首を傾げながら、これまでの意趣返しも込めて不思議そうに呟いてみせる。
「フレン殿下、閨教育はサボっておられましたか?」
「キオ以外に触れるなんて無理だし!?あ、でも色々勉強はさせてもらったから知識は大丈夫!だから安心して僕に任せ――っ」
そう房事の経験値のなさを直球で問うたキオへ、恥じらいからか早口であわあわと弁明するフレン。
その姿にキオの中で溢れたのは、どうしようもないほどの愛しさだった。
きっと今のフレンが望めば、喜んで褥を共にする人間は少なくないだろう。女はもとより、それこそ男であろうとも。
だというのに、誰の熱にもまだ触れたことがないという青年の不慣れな仕草は、どんな言葉よりも雄弁にキオへ証明してくれる。
(あなたは、それほどまでに…………オレが好き。あの頃からずっと――オレを、『愛してる』から)
取り繕う台詞の為に離れた主の顔を強引に引き寄せて、溢れても溢れてもまだ湧き上がる想いのままキオはその唇を塞いだ。
そうして、緊張のせいかほんの少し体を強張らせながらも、乞われるまま舌を合わせて応えてくれるフレンの背に腕を回して、どちらのものともわからない溶け合った熱を飲み込む。
それが、キオに残っていた最後の箍を外した。
この青年が王太子となる王子であることも、ジルヴェストに対する罪悪感に似た感傷も、誰にも相応しくなどない欠陥品である自分のことも、全てを置き去りにしてただ目の前の温もりへ手を伸ばす。
微かな金の光も消えた薄暗がりが連れてくるこの夜だけは、七年前に手放した最愛の主に愛されてみたい。
その欲望だけが、キオを埋め尽くした結果――。
「えっ、ちょ……キオ、あの……っ」
自分とそう変わらぬ大きさになった主の手をとって、自ら足を開いてその奥の窄まりへ宛がうという大胆な行動に出ていた。
「男同士は、ここを使うわけですが……やはり生理的に無理という場合もありますし、どうし――」
「っ香油出すからちょっと待って!?」
胸の鼓動がやけにうるさいのは、柄にもなく生娘のように緊張しているせいだと自覚しながらも、キオは平静を装ってフレンへ問いかけたが、食い気味に返答された言葉に、また小さく吐息のような笑みを零す。
全ての仮面を取り払ったその微笑は、フレンにとって今までのどんなキオよりも蠱惑的に見えていた。
だからいっそ衝動のままにその躰を暴いてしまいたい欲を抑えるため、無意識に喉を鳴らしながら唾を飲み込んだ後、ため息交じりにフレンは呟いた。
「本当にもう……お手柔らかに頼むよ、キオ――」
その懇願をキオはただ微笑ましく感じていたが、ある意味そんな余裕を取り戻せていた時間はごく僅かなことだった。
ナイトテーブルの引き出しから目的の物を手に取ったフレンがいそいそとベッドへ戻り、初めての行為に対しての手ほどきを始めたものの――すぐに酷く困惑することになったからだ。
(え……あ?な、なんで……)
慎重にゆっくりと手順を踏んで、遠慮がちにキオの後口で指を動かすフレンの手技は、当然お世辞にも技巧的に長けているとは言えない。それこそ、キオの躰を知り尽くしている男の愛撫とはまるで比べ物にならないだろう。
だというのに、気を抜けば声を漏らしてしまいそうなほど、その指先が蠢くたびにキオを甘く苛めるのだ。
腰の下にクッションを挟んだ正常位の体勢で続けられる丁寧な前戯に、物足りなさすら覚えてしまう。
もっと確かな熱が欲しいのだと、腹の奥から切ないような感覚がじわりと滲みだすようで、キオはたまらずその先を促した。
「……っ、ん……っ殿下、もう、いいですから」
「そう?でもキオのここ……まだきついよ。あ、ほらまたきゅうって――」
「~~で・ん・か?」
このガキ皆まで言わせる気か?と笑顔のまま凄めば、物分かりのいい青年はすぐにキオの言葉に従ってくれた。
そうして、後口に押し当てられた熱が少しずつ体内へと押し入ってくるのを、咄嗟にキオは自分の手で声を抑えながら受け入れる。
ただそこまでしても、吐息と共に微かなあられもない声が漏れていくのを止められなかった。
「ぁっ…ぁあ、ん……」
「っ……キオ、だいじょう、ぶ?」
軽く息を乱しつつも、自分を気に掛けてくれるフレンを直視することもできず、キオは目を閉じたまま、ただ小さく頷き返す。
抱かれ慣れているとはいえ、この程度でこんなにも強い快楽を拾えるほどではなかった……はずだ。
いつもとは違う自分の反応に、そうキオが焦りを覚えるのは、この一途に想い続けてくれた年下の想い人に幻滅されるかもしれないとの不安が、頭をよぎったからだ。
誰に抱かれても簡単に感じるような淫乱なのだと、フレンにだけは思われたくない。
だというのに、このままでは、あまりにも浅ましい醜態を晒してしまいそうな嫌な予感に、キオの口はひとりでに制止の言葉を紡ごうと開きかけた。
が、男らしいしっかりとした手に、強く腰を掴まれる方が僅かに早かった。
その瞬間、下腹部に響いた重い衝撃は、足先から痺れるほどの甘美な波となって一気にキオを飲み込んでいく。
「……っ?……は、ぁっ、あ……?」
自分の腹を濡らした生暖かい体液の感触に、挿入だけで軽く達してしまったことをようやく自覚する。
と同時に、この感覚がそれだけで終わるはずがないという経験則をキオへ突きつける。
(だ……だめだこれ。呑まれる)
まだ保っている理性という殻が、愛しい熱に早くも溶け切って、丸裸にされた獣のような本性を晒しながら愛される――そんな勇気など、あるはずがない。
とはいえ長年の想い人と初めて繋がった若い男が、やっと手に入れた熱の実感と、自分に抱かれて確かに快楽を示す情欲的な躰を前に、いつまでも自制できるわけもない。
「――っごめん。もう無理」
「あっ!まだまっ、んぁ……ぁあ!あぁっ!」
今まで過剰なほどキオの様子を伺っていたフレンが、息を吐きだすように低くそう呟いた途端、その腰がゆっくりと動き出し、すぐに激しさをました。
びりびりと痺れるような快感が熱と共に躰の奥底から幾度も走り抜けていく感覚に、キオの口からはあられもない甘い声しか上がらない。
ただ、どちらともなくきつく抱きしめ合った躰と、息をする間も惜しんで交わし合う口づけが、キオから最後の不安をも奪っていった。
「愛してる。キオ」
荒い息の合間に、僅かな距離だけを残して真っすぐにその言葉を囁く翡翠の瞳。
滲む視界の中で、自分の頬を伝っていく熱の感触を覚えながらも、キオは心の底からの笑みをその顔に浮かべた。
この先たとえ何があろうとも、この夜だけは死ぬまで絶対に忘れない。
一夜だけでも、この主に愛されることを受け入れた。その選択を、後悔することはない。
そんな祈りのような確信を胸に抱きながら、キオは長い長い夜を過ごした。
生まれて初めての、愛し愛される夜を。
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