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1巻
1-1
プロローグ
何本ものかがり火が焚かれた宮殿の入口は、まばゆいほどの光に包まれている。
今夜は新年を祝う王家主催の宮廷舞踏会とあり、名だたる貴族が国中から集まっていた。
アメリアにとっては成人となって初めての舞踏会で、兄のクリフォードにエスコートしてもらい参加している。黄金のウェーブする髪をハーフアップにまとめ、髪と同じ色に光る髪飾りをつけていた。
空色の瞳はアメリアの浮き足立つこころを表して輝きを増している。
裾がふわりと広がった淡いベージュのドレスには、ビジューが幾重にもつけられていた。
首と肩を露出して、低い背のわりには大きめの胸の谷間が現れたデザインの夜会服は、普段のものよりも豪華に仕立てられている。
新年のお祝いというだけではない。アメリアがこれから参加する舞踏会には長年想いを寄せる騎士がいて、父親からは「彼から大切な話」があるだろうと言われていた。
幼馴染のジャスティン・ルーセル。
彼は優秀な成績で騎士学校を卒業し、今は王太子付きの近衛騎士として宮廷騎士団に入っている。
今夜のジャスティンはいつも着ている紺の騎士服ではなく、白の布地に銀糸で飾り刺繍のされた夜会用の豪奢な騎士服をまとっていた。
ジャスティンは光を受けるとプラチナのように輝く青銀の髪に、まっすぐ通った鼻梁に固く引き締まった唇を持つ美丈夫だ。
彼の目に留まりたい、とジャスティンを狙う令嬢はたくさんいる。
なぜなら彼は容姿だけでなく身体能力の優れた獣人騎士でもあった。
――獣人、それは動物の特徴を持つ人間で、セリーナ王国では貴重な人材として重用されている。姿は人間と変わらないが知力も体力も容姿も良い者が多い。
ジャスティンも狼獣人の能力を生かし、騎士として身を立てていた。
ナサナエル・タヴァナー王太子を守る騎士として、ジャスティンは夜会であっても厳しい表情を崩すことはない。
どれだけ着飾った美しい女性が傍に寄ってこようと眉一つ動かすこともなかった。
深紅の髪を持ち、炎のごとく苛烈なイメージのナサナエル王太子と、その隣に立つ近衛は『炎の王子と氷の騎士』と呼ばれ、存在感を増していた。
(あ、ジャスティン。今日もすごく素敵……)
ナサナエル王太子の出席する夜会に参加すれば、ジャスティンの姿を一目でも見ることができる。それが今のアメリアにできる唯一のことだった。
アメリアは内気な性格もあって、夜会では自分から誰かに話しかけることができない。奥ゆかしい、といえば聞こえはいいが、仲のいい令嬢もほとんどいない。
兄が傍を離れた途端に一人となり、いつも壁の花となってしまう。
そんな彼女に声をかける男性もいるが、不思議なことに一度話をした後に再度声をかけてくる者はいなかった。
しかも、時折ジャスティンと視線が絡んだ途端に顔を伏せられる。
明らかに避けられている仕草にアメリアは毎回傷ついてしまうのに、それでもジャスティンの姿が見たい。
(お父様はジャスティンから私に話があると言っていたけど……、やっぱり何もないわよね)
ジャスティンは鋭い眼をして王太子を守るために背後に控えている。
舞踏会の時間は瞬く間に過ぎ、後は王族からの新年の挨拶を残すだけとなった。
王族が壇上に上ると会場にいる人々が集まり始める。
ナサナエルは一歩前に出て大きな声を出した。
「キャサリン・オルコット、お前とはもう婚約破棄だ!」
煌びやかな王宮で開かれた新年を祝う夜会の挨拶とは思えない、王太子の宣言が響き渡る。
ざわついていた会場は彼のひとことで水を打ったようにシーンと静まりかえった。
急に婚約破棄を宣言したナサナエルに人々の注目が集まる。
(な、なんてこと!)
アメリアも何事かと目を見張った。
騒動の中、ナサナエルの目の前にいた婚約者のオルコット公爵令嬢が、顔を青白くして彼に問いかけた。
「ナサナエル殿下! 私との婚約を破棄するのはなぜですか?」
「それは、……それは、私は真実の愛を見つけたのだ!」
ナサナエルは顔を紅潮させ、会場に響き渡るように声を張り上げた。
「真実の愛とは、……お相手はどなたですか?」
オルコット公爵令嬢はとうとう涙を一筋流して、それでも気丈に顔を上げる。
するとナサナエルは、緊張した様子で声を震わせながら答えた。
「そ、それは……、か、彼だ! 彼が私の真実の愛なのだ!」
周囲が一気に騒然とし始める。
なぜなら、ナサナエルの指さした相手は、隣に立っているのは――
(ジャスティン!)
声にならない叫び声を上げたアメリアは、口をはくはくとさせた。
「そんな!」
「まさか!」
「きゃぁああ!」
王太子は婚約破棄を言い渡すだけでなく、真実の愛の相手が近衛騎士のジャスティンだと表明した。
ナサナエルもジャスティンも、優れた男らしい体躯と整った顔立ちのため、多くの令嬢の憧れの存在だ。
その二人が恋人同士だと宣言したせいで、あちこちで悲鳴が上がる。
いくら男色に理解のあるセリーナ王国とはいえ、世継ぎを期待される王太子の恋人が男性とあっては王位の継承問題にもなりかねない。
その場にいる貴族の中には、今後の政権を心配して顔色を悪くする者もいた。
「ジャスティン……、そんな!」
アメリアがジャスティンを目で追うと、彼はナサナエルの隣で眉をひそめ、口を固く結び、まるで怒っているようだ。
もしかすると、今日この場で恋人関係を明かされるとは思っていなかったのかもしれない。
泣き崩れるオルコット公爵令嬢は、つき従っていたシャペロン(介添えの女性)に肩を抱かれ、静かに退室した。
(婚約破棄をするといっても、何もこんな目立つ夜会でしなくても……、キャサリン様もかわいそうに)
特にこれまで、ナサナエルとキャサリンが不仲だという話はなかった。
むしろ最近では仲睦まじい姿が見られ、結婚式の発表も遠くないという噂があったくらいだ。
アメリアはキャサリン嬢の心中を思うといたたまれなくなる。
もし自分がキャサリン嬢の立場だったら、立ち直ることなどできそうにない。
その場に残っていたナサナエルもしばらく父親である王と話をしていたが、踵を返すとジャスティンを連れて未だおさまりのつかない大広間を出ていった。
「皆の者、静かに――」
ナサナエルが退場したのを見届けると、王は両手を挙げ聴衆に静まるように命令した。
さらに、ナサナエルの宣言した内容については、後日改めて発表するとだけ伝えられ、その日の舞踏会はあっけなく終了した。
「まさか、ジャスティンが男色家だったなんて」
アメリアは大広間からバルコニーに出ると、手すりにもたれながら切なくため息を漏らした。
簡単には信じられないけれど、ジャスティンが男色家だとすればこれまでの行動に納得がいく。
彼とナサナエルは同じ学年で、一緒に切磋琢磨した間柄で仲がいい。
そのためジャスティンがナサナエルの近衛騎士に選ばれたとも聞いた。
騎士学校には女性もいるが、その数は非常に少ない。
一部の男子学生は男色に目覚めることもあるという。
ジャスティンもその仲間入りをしたため、アメリアに興味を失ったのかもしれない。
彼は今や、獣人騎士として宮廷騎士団の中でも若手エースだ。王太子からの信頼も厚い。
「……ジャスティン、あなたが殿下の恋人だったなんて」
もうあの時の約束を忘れて、幼い頃からの恋に終止符を打つべき時が来たのかもしれない。
――彼は、ナサナエルの恋人なのだから。
頬を伝う涙を拭い、アメリアは気持ちを切り替えようとバルコニーから外に出た。
手入れの十分された庭園には、木々の間を縫うように小道が整えられている。
夜の冷たい空気を吸うと、さっきまで哀しみで埋め尽くされていたこころが静まり、気持ちも落ち着いてくる。
月が綺麗に出ていて、王宮の切りそろえられた木々の庭を美しく照らしていた。
少し歩くと、噴水の近くで誰かが言い争っている声が聞こえる。
どうやら男性同士が口喧嘩をしているようだ。
「……!」
「……、お前しかいないんだ! ……!」
「殿下! ……、……!」
二人は声を抑えて争っている。注意して聞くとひとりは騒動の中心にいたナサナエルだった。
もうひとりは背中しか見えないが、服装からして……
(ジャスティン!)
アメリアは近くにあった木の陰にサッと入り、二人をそーっと観察した。
月はナサナエルの顔を照らしている。苛烈なイメージのあるあの王太子とは思えないほど眉を寄せて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
二人は急に静かになった。
そしてナサナエルが下を向いたタイミングで、ジャスティンが彼の頬を両手で挟み込み、顔を近づけた。
まるでそれは――キスをしているかのようで。
(ジャスティン、あなたは本当に……!)
アメリアはこころの中で何かがパリンと割れた音が聞こえ――、幼い頃から温めてきた初恋が終わったことを知った。
もしかしたら、ナサナエルはジャスティンと一芝居打ったのではないかと疑っていた。
でも今見た二人の様子からはそうとは思えない。
ナサナエルは涙目になりながらジャスティンを見上げ、恋人を一途に想うような顔をしていた。
(あぁ、ジャスティンは本当に殿下の恋人なのね)
二人の親密な様子は、恋人同士であることを信じさせるのに十分だった。
赤髪を立てて、獅子と間違いそうなほど勇猛な姿をしているナサナエル王太子。
盗賊討伐に向かった時はまるで炎のように苛烈で、その傍に常に控えていたジャスティンは氷のごとく冷静に彼を支えていたという。
きっと、その頃から二人の仲は進展していたのだろう。
ズキン、と痛む胸を押さえアメリアはその場をそっと離れる。
(さようなら、ジャスティン――、私の初恋の騎士様)
嗚咽を噛み殺しながら、アメリアは兄の待つ馬車乗り場へと向かった。
第一章
ジャスティンと初めて出会ったのは、アメリアが五歳になる誕生祝いの時だった。
心地良い風が吹き抜ける日に伯爵邸の庭園で開催されたパーティーに、近隣に住むルーセル伯爵一家も招かれた。
ルーセル家の息子で七歳になるジャスティンは鈍く光る刃のような銀色の髪を持ち、同年齢のどの子よりも背が高く体格も良い。アメリアを一目見た彼は目を大きく見開いた。
「っ、君はっ……!」
ジャスティンは息を止めて一瞬動かなくなり、金色の瞳を輝かせてアメリアを見つめたまま、肩を小刻みに震わせて喜びを噛みしめている。
ふわふわとした金色の髪を風に遊ばせて、空色の瞳と同じ色のドレスを着たアメリアは、自分を見つめるジャスティンの金色の瞳が珍しくて、その輝きを覗き込んでいた。
黙ったまま見つめ合う二人を見たアメリアの母は、小腰を屈めて娘の肩を叩いた。
「アメリア、お客様よ。ほら、ご挨拶して」
「は、はい。アメリア・スティングレーです。はじめまして」
にこりと微笑みながらスカートの端をちょっと持ち上げて、練習したばかりの淑女の礼をする。
ジャスティンはアメリアから視線を外すことなく、こころの底から嬉しいとばかりに屈託のない笑顔を見せると、膝を深く曲げて目の高さをアメリアと合わせた。
「ジャスティン・ルーセルです」
少年特有の高く澄んだ声を聞いて、アメリアは何かがふわりとこころを通り抜けるのを感じた。
その日からジャスティンはアメリアの一番の友達で、かけがえのない幼馴染となった。
アメリアの初恋は自然にやってきた。
初めて会った時からずっと、ジャスティンは甘く蕩ける眼差しでアメリアを見つめている。
親同士はすぐに仲良くなり屋敷も近くにあった。
さらに兄のクリフォードとジャスティンは同い年で、その二歳下のアメリアの三人は毎日、飽きもしないで日が暮れるまで一緒に遊んだ。
獣人のジャスティンは嗅覚が優れていて、香りのよい花をたくさん集めることができる。
アメリアが色鮮やかな花が好きなことを知ると、空いた時間に広大な野山を駆けては花を摘み、それを渡した。
「アメリア――! こっちにおいで、いい匂いのする花があるよ!」
「ジャスティン、どれ?」
「これ、この花だけどわかる?」
「これ?」
「うん。でもやっぱりアメリアが一番、いい匂いがする!」
「もう! ジャスティンはそればっかり!」
ちょっと年上のお兄さんで、面倒見のいい彼はいつでもアメリアの近くにいた。
庭を歩く時は手を繋ぎ、足が痛くなるとおんぶしてくれる。
時折、自分の匂いを嗅ぐ仕草をするのは彼が獣人だからと思い、アメリアは気にすることなくいつも一緒にいた。
おやつの時間も隣に座ってアメリアに食べさせていたのはジャスティンだった。
「アメリア、はい、クッキーだよ。あーんして」
「ん、あーん」
焼き菓子やプリン、なんでも彼の手で食べさせてもらうのが習慣になっている。
その様子を隣で見ていたクリフォードが口を挟んだ。
「おい、ジャスティン、アメリアはもう自分で食べることができる年齢だぞ」
「クリフォード、いいんだよ。僕が食べさせたいんだから」
「そうよ、お兄様。ジャスティンが食べさせてくれると、美味しいお菓子がもっと、もーっと美味しくなるんだから!」
兄が呆れるほどの可愛がりようを、アメリアは何も不思議に思っていなかった。
むしろジャスティンと家が違うことが残念で、クリフォードと交代してほしいとねだったこともある。
遊び疲れたアメリアのお昼寝の時間に、寝かしつけるのも自然とジャスティンの役目になった。
「ねぇねぇ、ジャスティン。もふもふさせて?」
「ちょっとだけだよ」
お昼寝部屋でアメリアがお願いをすると、ジャスティンは後ろを向いて服を脱ぎ、獣化した姿を見せた。
狼獣人のジャスティンは美しい青銀の毛をなびかせる狼に姿を変えることができる。
そのことを知ったアメリアは、二人きりになると時々ジャスティンに狼になってほしいとせがみ、彼も大抵の場合はそれに応えていた。
獣人が獣化した姿を見せるのは家族か、親しい間柄の者、例えば結婚を約束した者だけだということを当時のアメリアは知らなかった。
普段の優しい瞳と違い、鋭く金の瞳を光らせた彼は、ベッドに寝るアメリアの傍に来て、その身を横たえた。
「もふもふして、気持ちいい!」
獣化した狼のジャスティンを撫でていると、不思議なことにスーッと眠気が来る。
普段は寝つきの悪いアメリアだったが、優しい狼を抱きしめながらその毛に顔を埋めると気持ちが落ち着いた。
「ジャスティンは、太陽の匂いがするね」
「ワォン」
狼になったジャスティンは言葉を話せないが、鳴き声で喜んでいることがわかる。
アメリアは狼に添い寝してもらうと、すぐに眠ることができた。
狼になったまま、ジャスティンも一緒に昼寝することさえあった。
アメリアが本を読める年齢になった頃、二人で庭にある東屋に行き本を読むことが多くなった。
「ねぇねぇ、ジャスティンは狼なんだよね?」
「うん、狼と人間が重なっているよ」
「すごーい、強いんだよって、兄さまが言っていたわ」
屈託なく笑うアメリアは、今日は新しく手に入った騎士の物語の本を持っている。
「父さんは獣人騎士で、とても強かったよ」
「騎士? お話の中によく出てくる強い騎士だったの?」
アメリアは先日読んだ本の中に、お姫様のため騎士が悪者を倒した話があるのを思い出した。
「お話の中の騎士より、うんと強いよ」
「すごーい! ジャスティンも強いなら、大きくなったら騎士になるの?」
「アメリアは、……僕に騎士になってほしい?」
「うん! だってジャスティンが騎士なら、私をお姫様として守ってくれるでしょ?」
花がほころんだように笑うアメリアを、ジャスティンは目を細めて見つめている。
どんなに突拍子もないことを言っても、彼は否定しないで受け止めてくれる大切な友達だ。
アメリアは持っていた本を横に置くとジャスティンの頬を両手で持ち、いきなり顔を近づけて鼻と鼻をこつんと合わせた。
「んんん? アメリア?」
いきなり鼻を擦られることになったジャスティンは、目を丸くした。
「あのね、ご本の中に書いてあったわ。狼の騎士は遊びたくなると鼻をお姫様のお鼻に合わせて、仲良くするんですって! どう? ジャスティンも遊びたくなった?」
「ア、アメリア?」
無邪気な様子で顔を近づけるアメリアに、ジャスティンは慌ててこつんと額をくっつけた。
「アメリア、鼻をくっつけるのは違う意味もあるから、僕以外の男にしちゃダメだよ」
「え? うん、わかった。ジャスティン、もしかして怒ってるの?」
「違う、……うーんと、心配してるだけ」
アメリアの空色の瞳を覗き込む金色の瞳がほのかに揺れている。
いつも隣にいる兄みたいな存在のジャスティンがまるで違う生き物のように感じ、トクン、とアメリアの胸が鳴った。
「ジャスティンにしか、しないから」
「うん、約束だよ。僕もアメリアにしかしない」
顔を離したジャスティンは、静かに手元の本を開いて再び読み始めた。
アメリアも横に置いた本を持って開いてみるけれど、文字が頭に入ってこない。
ドクドクと高鳴る鼓動ばかりが耳に響き、集中できなかった。
肩がくっつくほど隣に座っているジャスティンの横顔を見上げると、幼心にも彼の顔の造作が整っていることがわかる。
(ジャスティンの隣に、大人になっても座っていたいな)
アメリアはジャスティンが兄とも、友達とも違う存在だということに気がついた。
それが初恋だと気がつくのに時間はかからなかった。
兄弟のいないジャスティンは、スティングレー伯爵家でクリフォードと一緒に家庭教師から学んでいた。
自然とアメリアも学び始めるが兄たちに追いつけない。
家庭教師の時間が終わるとジャスティンはいつでも、教師よりわかりやすくアメリアに勉強を教えてくれた。
「ねぇ、ジャスティン、先生はどうしてあんなに難しく教えるの?」
「そうだね、アメリアにはまだ早いのかな」
「ジャスティンが先生だったら、よかったのに」
「でも、先生だと一緒に遊べなくなっちゃうよ」
「それは嫌!」
「そうだね、僕もアメリアと一緒にいたいから、もうちょっとだけ頑張ろうか」
「うん!」
ジャスティンは小さなアメリアを膝の上に乗せて頭を撫でる。
時折、アメリアの匂いを嗅ぐために密着するがアメリアは嫌ではなかった。
むしろ、ジャスティンの身体の温もりを感じることができて心地良い。
気がつくとすぐ傍にジャスティンがいて、アメリアは実の兄であるクリフォードよりも彼と過ごす時間のほうが多かった。
ある日アメリアは人形と小さな家のおもちゃで遊びながら、無邪気な声でさらりと言った。
「私、将来はジャスティンのお嫁さんになって、赤い屋根のおうちに住むの!」
「赤い屋根のおうち?」
手にしているおもちゃの家の屋根は、赤くて可愛らしい造りをしていた。
二階建ての平民が好んで住む家だ。
「そう、丘の上にあって、小さくてかわいいおうちなの。ジャスティンのお嫁さんになったら、毎日一緒に眠ることができるんでしょ?」
「う、うん。それはそうだけど」
「じゃ、毎日ジャスティンのもふもふと一緒ね!」
「えーっ、そうすると僕は狼になって寝るの?」
「うん! ジャスティンが狼になって、私はいーっぱい、抱きしめて寝るの!」
「じゃ、狼になるから、アメリアは僕のお嫁さんになってくれる?」
「いいよ!」
ジャスティンは目を細めて、アメリアを可愛がった。
二人は幼いなりにも特別な絆を感じて過ごしたけれど、そんな幸せな時はあっけなく終わりを告げることになる。
ジャスティンが騎士学校に、クリフォードが貴族の子弟の通う学園に入るために王都へ行くと、二人の関係は急激に変化した。それもアメリアが望まぬ方向に。
ジャスティンは休暇時期になっても領地に戻ることもなく、スティングレー家への訪問はパッタリと途絶えてしまう。
「ねぇ、お父様、お母様。兄さまは頻繁に帰ってくるのに、どうしてジャスティンは帰ってこないの?」
「さぁ、騎士学校は忙しいのではないのかな」
「でも、もう半年も会っていないよ」
いくらジャスティンのことを話題にしても、父親も母親も、クリフォードさえも何も言わない。
そうしているうちに、アメリアの十二歳の誕生日がやってきた。
身内でお祝いするだけの小さな誕生会は、ジャスティンと出会った七年前と同じだ。
その日も水色のドレスを着たアメリアが呼ばれて振り返ると、花がいっぱい飾られたガーデンパーティーの会場に現れたのは、青色のフロックコートを着たジャスティンだった。
肩についていた青銀の髪を短く切り、幼さの消え去った彼はまるで絵本の中から飛び出してきた王子様のようだ。
「――っ、ジャスティン!」
久しぶりに会う彼は背が伸びて声が少し低くなっていたが、アメリアを見る目は変わらず甘く蕩けるようだ。
腕にはカラフルな花束の他に箱を一つ持っていた。
「アメリア、これ。君の誕生日プレゼントだけど、受け取ってくれるかな」
「ありがとう、ジャスティン!」
アメリアは喜びを顔いっぱいに表しながら箱を開けると、「わぁ」と声を上げた。
中には可愛らしく舌をちょっと出した狼のぬいぐるみが入っていた。
アメリアの手にちょうどいい大きさで、肌触りもジャスティンの獣化した時の毛に似ている。
「かわいい! 私、大切にするね!」
「よかった。またしばらく会えないから、僕の代わりにしてくれるといいな」
「え……、また会えなくなるの?」
アメリアが心配になって上目遣いに見ると、ジャスティンは眉根を寄せて困った顔をした。それでもアメリアを安心させるために、少し屈んで目の高さを合わせると優しく囁いた。
「アメリアが大きくなったら迎えに来るよ。それまでここで待っていて」
「大きくなったら? 私が大人になるまで会えないってこと?」
「そんなことはないけど、これまでみたいに一緒にいるのはしばらく我慢だよ。でも、アメリアの準備ができたら、……一緒に暮らそう」
「ジャスティンと、一緒に暮らせるの?」
「うん、今日はそのために帰ってきた。後で両親と一緒にアメリアのお父さんと話をするからね」
優しく笑ったジャスティンはポンポンとアメリアの頭を撫でた。
何本ものかがり火が焚かれた宮殿の入口は、まばゆいほどの光に包まれている。
今夜は新年を祝う王家主催の宮廷舞踏会とあり、名だたる貴族が国中から集まっていた。
アメリアにとっては成人となって初めての舞踏会で、兄のクリフォードにエスコートしてもらい参加している。黄金のウェーブする髪をハーフアップにまとめ、髪と同じ色に光る髪飾りをつけていた。
空色の瞳はアメリアの浮き足立つこころを表して輝きを増している。
裾がふわりと広がった淡いベージュのドレスには、ビジューが幾重にもつけられていた。
首と肩を露出して、低い背のわりには大きめの胸の谷間が現れたデザインの夜会服は、普段のものよりも豪華に仕立てられている。
新年のお祝いというだけではない。アメリアがこれから参加する舞踏会には長年想いを寄せる騎士がいて、父親からは「彼から大切な話」があるだろうと言われていた。
幼馴染のジャスティン・ルーセル。
彼は優秀な成績で騎士学校を卒業し、今は王太子付きの近衛騎士として宮廷騎士団に入っている。
今夜のジャスティンはいつも着ている紺の騎士服ではなく、白の布地に銀糸で飾り刺繍のされた夜会用の豪奢な騎士服をまとっていた。
ジャスティンは光を受けるとプラチナのように輝く青銀の髪に、まっすぐ通った鼻梁に固く引き締まった唇を持つ美丈夫だ。
彼の目に留まりたい、とジャスティンを狙う令嬢はたくさんいる。
なぜなら彼は容姿だけでなく身体能力の優れた獣人騎士でもあった。
――獣人、それは動物の特徴を持つ人間で、セリーナ王国では貴重な人材として重用されている。姿は人間と変わらないが知力も体力も容姿も良い者が多い。
ジャスティンも狼獣人の能力を生かし、騎士として身を立てていた。
ナサナエル・タヴァナー王太子を守る騎士として、ジャスティンは夜会であっても厳しい表情を崩すことはない。
どれだけ着飾った美しい女性が傍に寄ってこようと眉一つ動かすこともなかった。
深紅の髪を持ち、炎のごとく苛烈なイメージのナサナエル王太子と、その隣に立つ近衛は『炎の王子と氷の騎士』と呼ばれ、存在感を増していた。
(あ、ジャスティン。今日もすごく素敵……)
ナサナエル王太子の出席する夜会に参加すれば、ジャスティンの姿を一目でも見ることができる。それが今のアメリアにできる唯一のことだった。
アメリアは内気な性格もあって、夜会では自分から誰かに話しかけることができない。奥ゆかしい、といえば聞こえはいいが、仲のいい令嬢もほとんどいない。
兄が傍を離れた途端に一人となり、いつも壁の花となってしまう。
そんな彼女に声をかける男性もいるが、不思議なことに一度話をした後に再度声をかけてくる者はいなかった。
しかも、時折ジャスティンと視線が絡んだ途端に顔を伏せられる。
明らかに避けられている仕草にアメリアは毎回傷ついてしまうのに、それでもジャスティンの姿が見たい。
(お父様はジャスティンから私に話があると言っていたけど……、やっぱり何もないわよね)
ジャスティンは鋭い眼をして王太子を守るために背後に控えている。
舞踏会の時間は瞬く間に過ぎ、後は王族からの新年の挨拶を残すだけとなった。
王族が壇上に上ると会場にいる人々が集まり始める。
ナサナエルは一歩前に出て大きな声を出した。
「キャサリン・オルコット、お前とはもう婚約破棄だ!」
煌びやかな王宮で開かれた新年を祝う夜会の挨拶とは思えない、王太子の宣言が響き渡る。
ざわついていた会場は彼のひとことで水を打ったようにシーンと静まりかえった。
急に婚約破棄を宣言したナサナエルに人々の注目が集まる。
(な、なんてこと!)
アメリアも何事かと目を見張った。
騒動の中、ナサナエルの目の前にいた婚約者のオルコット公爵令嬢が、顔を青白くして彼に問いかけた。
「ナサナエル殿下! 私との婚約を破棄するのはなぜですか?」
「それは、……それは、私は真実の愛を見つけたのだ!」
ナサナエルは顔を紅潮させ、会場に響き渡るように声を張り上げた。
「真実の愛とは、……お相手はどなたですか?」
オルコット公爵令嬢はとうとう涙を一筋流して、それでも気丈に顔を上げる。
するとナサナエルは、緊張した様子で声を震わせながら答えた。
「そ、それは……、か、彼だ! 彼が私の真実の愛なのだ!」
周囲が一気に騒然とし始める。
なぜなら、ナサナエルの指さした相手は、隣に立っているのは――
(ジャスティン!)
声にならない叫び声を上げたアメリアは、口をはくはくとさせた。
「そんな!」
「まさか!」
「きゃぁああ!」
王太子は婚約破棄を言い渡すだけでなく、真実の愛の相手が近衛騎士のジャスティンだと表明した。
ナサナエルもジャスティンも、優れた男らしい体躯と整った顔立ちのため、多くの令嬢の憧れの存在だ。
その二人が恋人同士だと宣言したせいで、あちこちで悲鳴が上がる。
いくら男色に理解のあるセリーナ王国とはいえ、世継ぎを期待される王太子の恋人が男性とあっては王位の継承問題にもなりかねない。
その場にいる貴族の中には、今後の政権を心配して顔色を悪くする者もいた。
「ジャスティン……、そんな!」
アメリアがジャスティンを目で追うと、彼はナサナエルの隣で眉をひそめ、口を固く結び、まるで怒っているようだ。
もしかすると、今日この場で恋人関係を明かされるとは思っていなかったのかもしれない。
泣き崩れるオルコット公爵令嬢は、つき従っていたシャペロン(介添えの女性)に肩を抱かれ、静かに退室した。
(婚約破棄をするといっても、何もこんな目立つ夜会でしなくても……、キャサリン様もかわいそうに)
特にこれまで、ナサナエルとキャサリンが不仲だという話はなかった。
むしろ最近では仲睦まじい姿が見られ、結婚式の発表も遠くないという噂があったくらいだ。
アメリアはキャサリン嬢の心中を思うといたたまれなくなる。
もし自分がキャサリン嬢の立場だったら、立ち直ることなどできそうにない。
その場に残っていたナサナエルもしばらく父親である王と話をしていたが、踵を返すとジャスティンを連れて未だおさまりのつかない大広間を出ていった。
「皆の者、静かに――」
ナサナエルが退場したのを見届けると、王は両手を挙げ聴衆に静まるように命令した。
さらに、ナサナエルの宣言した内容については、後日改めて発表するとだけ伝えられ、その日の舞踏会はあっけなく終了した。
「まさか、ジャスティンが男色家だったなんて」
アメリアは大広間からバルコニーに出ると、手すりにもたれながら切なくため息を漏らした。
簡単には信じられないけれど、ジャスティンが男色家だとすればこれまでの行動に納得がいく。
彼とナサナエルは同じ学年で、一緒に切磋琢磨した間柄で仲がいい。
そのためジャスティンがナサナエルの近衛騎士に選ばれたとも聞いた。
騎士学校には女性もいるが、その数は非常に少ない。
一部の男子学生は男色に目覚めることもあるという。
ジャスティンもその仲間入りをしたため、アメリアに興味を失ったのかもしれない。
彼は今や、獣人騎士として宮廷騎士団の中でも若手エースだ。王太子からの信頼も厚い。
「……ジャスティン、あなたが殿下の恋人だったなんて」
もうあの時の約束を忘れて、幼い頃からの恋に終止符を打つべき時が来たのかもしれない。
――彼は、ナサナエルの恋人なのだから。
頬を伝う涙を拭い、アメリアは気持ちを切り替えようとバルコニーから外に出た。
手入れの十分された庭園には、木々の間を縫うように小道が整えられている。
夜の冷たい空気を吸うと、さっきまで哀しみで埋め尽くされていたこころが静まり、気持ちも落ち着いてくる。
月が綺麗に出ていて、王宮の切りそろえられた木々の庭を美しく照らしていた。
少し歩くと、噴水の近くで誰かが言い争っている声が聞こえる。
どうやら男性同士が口喧嘩をしているようだ。
「……!」
「……、お前しかいないんだ! ……!」
「殿下! ……、……!」
二人は声を抑えて争っている。注意して聞くとひとりは騒動の中心にいたナサナエルだった。
もうひとりは背中しか見えないが、服装からして……
(ジャスティン!)
アメリアは近くにあった木の陰にサッと入り、二人をそーっと観察した。
月はナサナエルの顔を照らしている。苛烈なイメージのあるあの王太子とは思えないほど眉を寄せて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
二人は急に静かになった。
そしてナサナエルが下を向いたタイミングで、ジャスティンが彼の頬を両手で挟み込み、顔を近づけた。
まるでそれは――キスをしているかのようで。
(ジャスティン、あなたは本当に……!)
アメリアはこころの中で何かがパリンと割れた音が聞こえ――、幼い頃から温めてきた初恋が終わったことを知った。
もしかしたら、ナサナエルはジャスティンと一芝居打ったのではないかと疑っていた。
でも今見た二人の様子からはそうとは思えない。
ナサナエルは涙目になりながらジャスティンを見上げ、恋人を一途に想うような顔をしていた。
(あぁ、ジャスティンは本当に殿下の恋人なのね)
二人の親密な様子は、恋人同士であることを信じさせるのに十分だった。
赤髪を立てて、獅子と間違いそうなほど勇猛な姿をしているナサナエル王太子。
盗賊討伐に向かった時はまるで炎のように苛烈で、その傍に常に控えていたジャスティンは氷のごとく冷静に彼を支えていたという。
きっと、その頃から二人の仲は進展していたのだろう。
ズキン、と痛む胸を押さえアメリアはその場をそっと離れる。
(さようなら、ジャスティン――、私の初恋の騎士様)
嗚咽を噛み殺しながら、アメリアは兄の待つ馬車乗り場へと向かった。
第一章
ジャスティンと初めて出会ったのは、アメリアが五歳になる誕生祝いの時だった。
心地良い風が吹き抜ける日に伯爵邸の庭園で開催されたパーティーに、近隣に住むルーセル伯爵一家も招かれた。
ルーセル家の息子で七歳になるジャスティンは鈍く光る刃のような銀色の髪を持ち、同年齢のどの子よりも背が高く体格も良い。アメリアを一目見た彼は目を大きく見開いた。
「っ、君はっ……!」
ジャスティンは息を止めて一瞬動かなくなり、金色の瞳を輝かせてアメリアを見つめたまま、肩を小刻みに震わせて喜びを噛みしめている。
ふわふわとした金色の髪を風に遊ばせて、空色の瞳と同じ色のドレスを着たアメリアは、自分を見つめるジャスティンの金色の瞳が珍しくて、その輝きを覗き込んでいた。
黙ったまま見つめ合う二人を見たアメリアの母は、小腰を屈めて娘の肩を叩いた。
「アメリア、お客様よ。ほら、ご挨拶して」
「は、はい。アメリア・スティングレーです。はじめまして」
にこりと微笑みながらスカートの端をちょっと持ち上げて、練習したばかりの淑女の礼をする。
ジャスティンはアメリアから視線を外すことなく、こころの底から嬉しいとばかりに屈託のない笑顔を見せると、膝を深く曲げて目の高さをアメリアと合わせた。
「ジャスティン・ルーセルです」
少年特有の高く澄んだ声を聞いて、アメリアは何かがふわりとこころを通り抜けるのを感じた。
その日からジャスティンはアメリアの一番の友達で、かけがえのない幼馴染となった。
アメリアの初恋は自然にやってきた。
初めて会った時からずっと、ジャスティンは甘く蕩ける眼差しでアメリアを見つめている。
親同士はすぐに仲良くなり屋敷も近くにあった。
さらに兄のクリフォードとジャスティンは同い年で、その二歳下のアメリアの三人は毎日、飽きもしないで日が暮れるまで一緒に遊んだ。
獣人のジャスティンは嗅覚が優れていて、香りのよい花をたくさん集めることができる。
アメリアが色鮮やかな花が好きなことを知ると、空いた時間に広大な野山を駆けては花を摘み、それを渡した。
「アメリア――! こっちにおいで、いい匂いのする花があるよ!」
「ジャスティン、どれ?」
「これ、この花だけどわかる?」
「これ?」
「うん。でもやっぱりアメリアが一番、いい匂いがする!」
「もう! ジャスティンはそればっかり!」
ちょっと年上のお兄さんで、面倒見のいい彼はいつでもアメリアの近くにいた。
庭を歩く時は手を繋ぎ、足が痛くなるとおんぶしてくれる。
時折、自分の匂いを嗅ぐ仕草をするのは彼が獣人だからと思い、アメリアは気にすることなくいつも一緒にいた。
おやつの時間も隣に座ってアメリアに食べさせていたのはジャスティンだった。
「アメリア、はい、クッキーだよ。あーんして」
「ん、あーん」
焼き菓子やプリン、なんでも彼の手で食べさせてもらうのが習慣になっている。
その様子を隣で見ていたクリフォードが口を挟んだ。
「おい、ジャスティン、アメリアはもう自分で食べることができる年齢だぞ」
「クリフォード、いいんだよ。僕が食べさせたいんだから」
「そうよ、お兄様。ジャスティンが食べさせてくれると、美味しいお菓子がもっと、もーっと美味しくなるんだから!」
兄が呆れるほどの可愛がりようを、アメリアは何も不思議に思っていなかった。
むしろジャスティンと家が違うことが残念で、クリフォードと交代してほしいとねだったこともある。
遊び疲れたアメリアのお昼寝の時間に、寝かしつけるのも自然とジャスティンの役目になった。
「ねぇねぇ、ジャスティン。もふもふさせて?」
「ちょっとだけだよ」
お昼寝部屋でアメリアがお願いをすると、ジャスティンは後ろを向いて服を脱ぎ、獣化した姿を見せた。
狼獣人のジャスティンは美しい青銀の毛をなびかせる狼に姿を変えることができる。
そのことを知ったアメリアは、二人きりになると時々ジャスティンに狼になってほしいとせがみ、彼も大抵の場合はそれに応えていた。
獣人が獣化した姿を見せるのは家族か、親しい間柄の者、例えば結婚を約束した者だけだということを当時のアメリアは知らなかった。
普段の優しい瞳と違い、鋭く金の瞳を光らせた彼は、ベッドに寝るアメリアの傍に来て、その身を横たえた。
「もふもふして、気持ちいい!」
獣化した狼のジャスティンを撫でていると、不思議なことにスーッと眠気が来る。
普段は寝つきの悪いアメリアだったが、優しい狼を抱きしめながらその毛に顔を埋めると気持ちが落ち着いた。
「ジャスティンは、太陽の匂いがするね」
「ワォン」
狼になったジャスティンは言葉を話せないが、鳴き声で喜んでいることがわかる。
アメリアは狼に添い寝してもらうと、すぐに眠ることができた。
狼になったまま、ジャスティンも一緒に昼寝することさえあった。
アメリアが本を読める年齢になった頃、二人で庭にある東屋に行き本を読むことが多くなった。
「ねぇねぇ、ジャスティンは狼なんだよね?」
「うん、狼と人間が重なっているよ」
「すごーい、強いんだよって、兄さまが言っていたわ」
屈託なく笑うアメリアは、今日は新しく手に入った騎士の物語の本を持っている。
「父さんは獣人騎士で、とても強かったよ」
「騎士? お話の中によく出てくる強い騎士だったの?」
アメリアは先日読んだ本の中に、お姫様のため騎士が悪者を倒した話があるのを思い出した。
「お話の中の騎士より、うんと強いよ」
「すごーい! ジャスティンも強いなら、大きくなったら騎士になるの?」
「アメリアは、……僕に騎士になってほしい?」
「うん! だってジャスティンが騎士なら、私をお姫様として守ってくれるでしょ?」
花がほころんだように笑うアメリアを、ジャスティンは目を細めて見つめている。
どんなに突拍子もないことを言っても、彼は否定しないで受け止めてくれる大切な友達だ。
アメリアは持っていた本を横に置くとジャスティンの頬を両手で持ち、いきなり顔を近づけて鼻と鼻をこつんと合わせた。
「んんん? アメリア?」
いきなり鼻を擦られることになったジャスティンは、目を丸くした。
「あのね、ご本の中に書いてあったわ。狼の騎士は遊びたくなると鼻をお姫様のお鼻に合わせて、仲良くするんですって! どう? ジャスティンも遊びたくなった?」
「ア、アメリア?」
無邪気な様子で顔を近づけるアメリアに、ジャスティンは慌ててこつんと額をくっつけた。
「アメリア、鼻をくっつけるのは違う意味もあるから、僕以外の男にしちゃダメだよ」
「え? うん、わかった。ジャスティン、もしかして怒ってるの?」
「違う、……うーんと、心配してるだけ」
アメリアの空色の瞳を覗き込む金色の瞳がほのかに揺れている。
いつも隣にいる兄みたいな存在のジャスティンがまるで違う生き物のように感じ、トクン、とアメリアの胸が鳴った。
「ジャスティンにしか、しないから」
「うん、約束だよ。僕もアメリアにしかしない」
顔を離したジャスティンは、静かに手元の本を開いて再び読み始めた。
アメリアも横に置いた本を持って開いてみるけれど、文字が頭に入ってこない。
ドクドクと高鳴る鼓動ばかりが耳に響き、集中できなかった。
肩がくっつくほど隣に座っているジャスティンの横顔を見上げると、幼心にも彼の顔の造作が整っていることがわかる。
(ジャスティンの隣に、大人になっても座っていたいな)
アメリアはジャスティンが兄とも、友達とも違う存在だということに気がついた。
それが初恋だと気がつくのに時間はかからなかった。
兄弟のいないジャスティンは、スティングレー伯爵家でクリフォードと一緒に家庭教師から学んでいた。
自然とアメリアも学び始めるが兄たちに追いつけない。
家庭教師の時間が終わるとジャスティンはいつでも、教師よりわかりやすくアメリアに勉強を教えてくれた。
「ねぇ、ジャスティン、先生はどうしてあんなに難しく教えるの?」
「そうだね、アメリアにはまだ早いのかな」
「ジャスティンが先生だったら、よかったのに」
「でも、先生だと一緒に遊べなくなっちゃうよ」
「それは嫌!」
「そうだね、僕もアメリアと一緒にいたいから、もうちょっとだけ頑張ろうか」
「うん!」
ジャスティンは小さなアメリアを膝の上に乗せて頭を撫でる。
時折、アメリアの匂いを嗅ぐために密着するがアメリアは嫌ではなかった。
むしろ、ジャスティンの身体の温もりを感じることができて心地良い。
気がつくとすぐ傍にジャスティンがいて、アメリアは実の兄であるクリフォードよりも彼と過ごす時間のほうが多かった。
ある日アメリアは人形と小さな家のおもちゃで遊びながら、無邪気な声でさらりと言った。
「私、将来はジャスティンのお嫁さんになって、赤い屋根のおうちに住むの!」
「赤い屋根のおうち?」
手にしているおもちゃの家の屋根は、赤くて可愛らしい造りをしていた。
二階建ての平民が好んで住む家だ。
「そう、丘の上にあって、小さくてかわいいおうちなの。ジャスティンのお嫁さんになったら、毎日一緒に眠ることができるんでしょ?」
「う、うん。それはそうだけど」
「じゃ、毎日ジャスティンのもふもふと一緒ね!」
「えーっ、そうすると僕は狼になって寝るの?」
「うん! ジャスティンが狼になって、私はいーっぱい、抱きしめて寝るの!」
「じゃ、狼になるから、アメリアは僕のお嫁さんになってくれる?」
「いいよ!」
ジャスティンは目を細めて、アメリアを可愛がった。
二人は幼いなりにも特別な絆を感じて過ごしたけれど、そんな幸せな時はあっけなく終わりを告げることになる。
ジャスティンが騎士学校に、クリフォードが貴族の子弟の通う学園に入るために王都へ行くと、二人の関係は急激に変化した。それもアメリアが望まぬ方向に。
ジャスティンは休暇時期になっても領地に戻ることもなく、スティングレー家への訪問はパッタリと途絶えてしまう。
「ねぇ、お父様、お母様。兄さまは頻繁に帰ってくるのに、どうしてジャスティンは帰ってこないの?」
「さぁ、騎士学校は忙しいのではないのかな」
「でも、もう半年も会っていないよ」
いくらジャスティンのことを話題にしても、父親も母親も、クリフォードさえも何も言わない。
そうしているうちに、アメリアの十二歳の誕生日がやってきた。
身内でお祝いするだけの小さな誕生会は、ジャスティンと出会った七年前と同じだ。
その日も水色のドレスを着たアメリアが呼ばれて振り返ると、花がいっぱい飾られたガーデンパーティーの会場に現れたのは、青色のフロックコートを着たジャスティンだった。
肩についていた青銀の髪を短く切り、幼さの消え去った彼はまるで絵本の中から飛び出してきた王子様のようだ。
「――っ、ジャスティン!」
久しぶりに会う彼は背が伸びて声が少し低くなっていたが、アメリアを見る目は変わらず甘く蕩けるようだ。
腕にはカラフルな花束の他に箱を一つ持っていた。
「アメリア、これ。君の誕生日プレゼントだけど、受け取ってくれるかな」
「ありがとう、ジャスティン!」
アメリアは喜びを顔いっぱいに表しながら箱を開けると、「わぁ」と声を上げた。
中には可愛らしく舌をちょっと出した狼のぬいぐるみが入っていた。
アメリアの手にちょうどいい大きさで、肌触りもジャスティンの獣化した時の毛に似ている。
「かわいい! 私、大切にするね!」
「よかった。またしばらく会えないから、僕の代わりにしてくれるといいな」
「え……、また会えなくなるの?」
アメリアが心配になって上目遣いに見ると、ジャスティンは眉根を寄せて困った顔をした。それでもアメリアを安心させるために、少し屈んで目の高さを合わせると優しく囁いた。
「アメリアが大きくなったら迎えに来るよ。それまでここで待っていて」
「大きくなったら? 私が大人になるまで会えないってこと?」
「そんなことはないけど、これまでみたいに一緒にいるのはしばらく我慢だよ。でも、アメリアの準備ができたら、……一緒に暮らそう」
「ジャスティンと、一緒に暮らせるの?」
「うん、今日はそのために帰ってきた。後で両親と一緒にアメリアのお父さんと話をするからね」
優しく笑ったジャスティンはポンポンとアメリアの頭を撫でた。
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