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第1話 プリンセス・ゼラの世界

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 ベッドに横になった私は、めそめそと泣きながら、暗がりの中でスマホを操作し、「ハワードチャンネル」のアプリを立ち上げた。

 もちろん、観る映画は決まっている。

 かのハワード・ロジャース・カンパニーが誇る名作中の名作アニメ「プリンセス・ゼラ」だ。

 画面上に広がる、魔法のような世界。名家に生まれながら、妾の子としていじめられるゼラが、やがて王子パーシヴァルに見初められて、幸福を掴む物語。

 昔の映画だから、75分と短い。あっという間に全編見終わり、私はスマホを消した。

 ああ。私も、ゼラみたいな幸せを掴みたい。東京ハワードランドでは、シンボルとなっている「ゼラ城」で、大がかりな結婚式を挙げることが出来るらしい。いつか、素敵な人と出会って、そんな式を挙げてみたい。

 だけど……たぶん、そんな時は永遠に訪れない。

 控えめに言っても、私は顔のつくりが良くない。体型も昔からぽっちゃりしているし、声だってガラガラ声だ。ありとあらゆる点で、プリンセスらしくない。

 高校ではスクールカーストの最下層。

 家に帰れば、意地悪な叔母と、その娘リセ――私の同級生で、超美人でパリピだけど、性格は悪い――にいじめられる。

「お父さん……お母さん……」

 掛け布団をギュッと抱き締めて、私は小声で天国に向かって呼びかけた。

 7歳の頃、二人とも事故で亡くなってしまった。それ以来、不幸の連続。唯一、心の支えになっているのは、何度もお父さんとお母さんに連れていってもらったハワードランドでの思い出。それと「プリンセス・ゼラ」のテーマ「夢はいつか叶う」。

 しくしくめそめそ、布団の中で泣いていると、いきなりバンッ! と部屋のドアが開けられた。

「ちょっと! アスナ! どういうことよ、この請求書! なんでハワードチャンネルなんかに課金しているわけ!」

 叔母さんだ。電話料金の請求書を手に持っている。

 え、でも、何を言っているのか、よくわからない。ハワードチャンネルに加入したのは、半年も前のこと。その時に、お金は私のバイト代から出すから、ということで、なんとか了承を得たはずだった。

「まったくもう! 世間体があるから、仕方なくスマホを使わせてやってるだけで、本当はあんたのためにお金かけたくないんだからね!いますぐハワードチャンネルを解約して!」

 たぶん、叔母さんは気分屋だから、虫の居所が悪い時に、電話代の請求書を見て、ついカッとなったんだろう。

 なんとかなだめないと、と思うけど、ああ、とか、うう、とかしか、言葉は出ない。

「なに唸ってるのよ! ほんと、気持ち悪いやつ!」

 罵るだけ罵って、叔母さんは部屋から出ていった。

 私はまた、布団に潜り、めそめそと泣く。

 もう耐えられない。この家を出ていこう。迷惑をかけるかもしれないけど、遠くにいるおじいちゃん、おばあちゃんを頼ろう。そうしよう。

 そんなことを考えているうちに、いつしか、私は眠りについた。

 ……。

 …………。

 ………………あれ?

 なんだか、部屋の外が明るい?

 やけに熱いような……。

「うそ⁉ 火事⁉」

 気が付けば、家の中は火の海になっている。私の部屋にも火の手は回っていて、外に逃げられそうにない。というか、私の部屋は外に面していない。家の中の収納部屋を無理やり寝室にした場所なので、窓なんてものはない。

 ドアを開けた向こうは、紅蓮の地獄。

 だけど、あの中に飛び込まないと、確実に死んでしまう。

 私は意を決して、ペットボトルに入っている水を出来るだけ体全体に振りかけると、火の海の中に入った。

 廊下を右に進めば一階へ下りる階段。

 左に進めば、叔母さんや、リセの部屋がある。

 私は迷わず――左へと駆け出した。

(助けないと!)

 無我夢中だった。きっと、この火事は、叔母さんの寝タバコが原因だろう。何回かベッドを焦がしていて、リセに注意されているのを見たことがある。自業自得、と言えるかもしれない。

 それでも、放っておけない。

 だって、私が助けなかったら、叔母さんもリセも死んじゃうから。

 だけど……結局、私は、叔母さんとリセを助けられなかった。

 なぜなら、廊下を進んでいる途中で、パジャマに火がつき、体を燃やされ始めたからだ。

(熱い! 熱い!)

 パジャマを脱ぎ捨てようともがいているうちに、うっかり煙を吸い込んでしまい――

 そこから意識は飛び――

 私は焼け死んだ。



 ※ ※ ※



 鐘の音がどこからか聞こえる。

「ん……?」

 目を覚ますと、そこは見知らぬベッドルーム。

 中世ヨーロッパ風の、瀟洒な紋様が刻まれた寝台。ふかふかの毛布と布団にくるまれて、ワンピース型のネグリジェを着ている。

「あれ……私、生きてる……?」

 と言ってから、私は自分の声に驚いた。いつものガラガラ声はどこへ消えたのか、甘くまろやかな声音が、喉の奥から出てきた。しかも、日本語じゃない。どこの言語か知らないけど、ペラペラと、私は教わったこともない外国語を喋っていた。

「もしかして、これって……⁉」

 跳ね起きて、部屋の窓を開け放つ。

 リンゴーン、リンゴーン、と鳴る鐘の音が、ひときわ大きく飛び込んできた。さらに、街の雑踏が耳に入ってくる。ゲームやアニメで見たような、中世の街並みが目の前に広がっている。家の前には大通りが走っていて、大勢の人々や馬車が行き交っている。

 右手奥、大通りの突き当たりには、立派なお城がそびえ立っている。その形は、見間違えようがない、私の大好きな「プリンセス・ゼラ」に出てくるゼラ城。国王や王子パーシヴァルが住んでいるところだ。

「やったー! 私、異世界転生したのね!」

 ピョンピョンと跳びはねて、体全体で喜びを噛み締める。

 焼け死ぬのはキツかったけれど、その結果、「プリンセス・ゼラ」の世界へ来れたのなら、文句はない。

「ふふふ、どうしよう、本物の王子様に会えちゃう……♡」

 そんな風にドキドキワクワクで胸を膨らませていると、

「ゼラ! いつまで寝ているの! 早く起きて掃除をなさい! ゼラ!」

 廊下のほうから聞こえてきた怒鳴り声で、この世界だって楽しいことばかりではない、ということを思い出させられた。

 いまの声は、ゼラの義母ディアドラだ。

 そうだった。ゼラは妾の子。そして、本当の母親はゼラが幼い頃に病気で亡くなったから、名家の本妻であるディアドラに育てられたのだけど、かなりいじめられている。しかも、意地が悪いのはディアドラだけじゃなくて、その娘二人、ヴァイオレットとスカーレットも、だ。

 特にスカーレットのいびり方は、陰湿で、「プリンセス・ゼラ」を見た大半の人がスカーレットを嫌いになるほど、性格が歪んでいる。

 とにかく、急いで返事しないと、どんな罰を受けるかわからない。

「はい、すみません! お母様! いま行きます!」

 ドアを開けて、廊下に飛び出した私は、ディアドラに向かって頭を下げた。

「……どうしたの」
「へ?」

 なんだか、ディアドラの様子がおかしい。

「あなたのことは呼んでないわよ」
「え、でも、いま、ゼラって……」
「やだわ、寝ぼけてるの? いつからあなたはゼラになったのよ」

 え。

 えええええええ⁉

 慌てて部屋に戻り、鏡台へと駆け寄って、鏡に自分の顔を映した。

 鋭い吊り目。どこか怒っているような眉毛。美人なんだけれど、気の強さと、意地の悪さを感じさせる容姿。

 この顔は、どう見ても、あのキャラだ。

 ディアドラの次女スカーレット。

 私が転生したのは、よりによって作中一番の悪役令嬢だった。
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