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第2話 魔女ライラ

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「お母様、お呼びになりましたか?」

 透き通るような美声。すぐ近くの部屋のドアを開けて、ゼラが出てきた。

 この瞬間まで掃除をしていたのだとわかる。埃をかぶっていて、だいぶ汚くなっているけど、本人はホウキとちり取りを持って、満足そうな顔をしている。

 ああ、ゼラ……! 私の憧れのプリンセス・ゼラ……! 実物はやっぱり素敵! いますぐ駆け寄って握手したいくらいに、尊い!

「何をやっていたの! 掃除の時間だというのに!」
「はい、ですので、まず一番汚くなっていたお部屋を綺麗にしようかと……」

 と、ゼラはさっきまで自分がいた部屋のほうを指さした。

 途端に、ディアドラはこれまで以上に声を張り上げて、ゼラのことをなじり始めた。

「余計なことをしないで! その部屋は触らないように、と言っていたでしょう!」
「あ……す、すみません」

 ゼラはいまにも泣きそうな顔になって、ペコペコと謝り始めた。

 かわいそうなゼラ。私と同じで、本当のお母さんじゃないから、こんなにいじめられているんだね。でも、大丈夫。あなたはそのうち「迷いの森」で魔女ライラと出会って、助けてもらえるから。そうしたら、お城の舞踏会で、王子様に見初められて、その後ハッピーに……。

 あれ?

 ちょっと待って。

 私はいま、ゼラの宿敵スカーレットになってる。

 ということは、どういうことになるの?

 何度も何度も繰り返し観てきた「プリンセス・ゼラ」だから、ストーリーはしっかり憶えている。

 王子パーシヴァルとゼラが結婚した後、王子はゼラのことをこれまでいじめてきたディアドラと、その娘達を、国から追放してしまう。

 それは、まあ、仕方のないこと。ディアドラは終盤、ゼラの命を狙うから、そんな危険な人を放置してはいられなかったのだと思う。

 つまり、このままストーリーが順調に進んでいって、ゼラがパーシヴァルと結婚しちゃうと……私、この国を追い出されちゃうってこと⁉

 物語では、その後のスカーレットのことまで語っていない。とにかくゼラがハッピーになったんだから、良かったでしょ、という終わり方だ。

 最近の映画だったら、もう少しフォローがあってもいいところだけど、あいにく「プリンセス・ゼラ」は1950年のアニメ。特に悪役に対して厳しかった時代だから、突き放し方も容赦ない。

「やばい」

 一気にパニックが押し寄せてきた。

「どうしたの、スカーレット?」

 ディアドラが首を傾げて、私のことを見てきた。

「お姉様、何かありました?」

 ゼラも、心配そうに私の顔を覗きこんでくる。

「ちょっと、お母様、ごめんなさい! 私、大事なことを思い出したの! 出かけてくるわ!」

 慌てて駆け出そうとする私の前に、ディアドラは立ちはだかった。

「落ち着いて、スカーレット」
「どいて、お母様! 大事なことなの!」
「出かけるのは構わないけど、寝間着のままはいかがなものかと思うわよ」

 あ、本当だ。私、ネグリジェの格好のままだ。

 顔を真っ赤にして、一旦自分の部屋へと戻ると、動きやすそうな平服に着替えて、再度廊下に飛び出した。

「じゃあ、お母様、行ってきます!」
「あ、ちょっと、どこへ行くの⁉ 誰も連れていかないの⁉ ねえ!」

 ディアドラの声を背中に浴びながら、私は家を出た。

 外から見ると、本当に立派なお屋敷だ。「プリンセス・ゼラ」では詳細には描かれていなかったけど、スカーレットの家は、この王都でも名のある商会みたいで、一階には応接用のソファとかテーブルが置いてあり、壁には剥製の頭とかが飾ってあった。お屋敷と、オフィスを兼ねているみたい。

 って、いまは、そんなことを考察している余裕はないんだった。

 人に道を尋ねて回り、ほとんどの人から「冗談はよせ、あそこへ行くのはやめろ」と警告を受けたけど、私は構わず、まっすぐ目的地へと向かった。

 そして辿り着いたのは「迷いの森」。

 ゼラが、舞踏会の日に、ヴァイオレットとスカーレットの姉妹にドレスをズタズタにされてしまい、世をはかなんでフラフラと歩いているうちに入り込んでしまった、魔の森。

 そこには、魔女ライラが住んでいる。

「ライラ! 魔女ライラ! いるなら出てきて! 話があるの!」

 まだ時間は朝だっていうのに、迷いの森は光があまり入らず、どんよりと暗く湿っている。ゲアッゲアッと気味の悪い鳥の鳴き声まで聞こえてくる。

「魔女ライラ! 私はスカーレット! あなたの助けが必要なの!」

 すると、一匹の蛇が、シュルシュルと木陰から這い出てきた。

 かと思えば、その蛇は鎌首をもたげてから、人間の言葉で話しかけてきた。

「あらあら、これはまた珍しい。プリチャード家のお嬢さんね」

 だいぶセクシーな声。この声は間違いない、魔女ライラだ。どうして私がスカーレットだってわかるのか、不思議に思ったけど、相手は魔女だから何でもありだろうと思い直し、深く聞かないことにした。

「いい? いまから私が説明することをしっかり聞いて。ありえない、と思うかもしれないけど、真実だから」

 そして、これまでの出来事を全部かいつまんで説明した。

 さぞや驚くだろう、と思っていたら、ライラは意外にも平然としている。

「まあまあ、予想はしていたわ。あっちの世界と、こっちの世界の境界線が不安定になっていたから、何が起こってもおかしくないと思っていたの。でも、まさか異世界転生なんてことが本当にあるなんて、ねえ」
「お願い! ここはきっと物語の世界だから、このままだと、私、国を追放されることになっちゃう! 助けて!」
「そうは言っても、ここがあなたの言う通り物語の世界なら、『大いなる意志』で支配されているから、助けようがないわよ」
「『大いなる意志』?」
「そ。この世界を創り出した存在の、意志。なんて言うとわかりにくいでしょうから、もっと平易な言葉で説明するわね。『運命』なんてどうかしら」
「私、いやよ! 運命でもなんでも、不幸になるのは!」

 これまでずっと辛い思いをして生きてきた。

 せめて、この新しい世界での新しい人生は、幸福に生きたい。

 そう願うことの何が悪いの?

「どうしても抗いたいのなら、自分の力でなんとかしなさい。無駄だと思うけど」
「できない……無理だよ……私、頭も良くないし、コミュ障だし……なんの取り柄もないもの……」

 涙が滲んできた。いけない、泣きそうだ。こんなところで、いつもみたいにめそめそしたってしょうがない、とわかっているはずなのに。

「しょうがないわねえ。じゃあ、一つだけ魔法を授けてあげるわ」

 ため息混じりに、魔女ライラ――の声で喋る蛇は、そう言ってきた。

「魔法⁉ 私に、くれるの⁉」
「ただし、条件があるわ」
「条件?」
「この力が他人に知られたとしても、絶対に、私からもらったということは言わないこと」
「わかった、誓う」
「それともう一つ。あくまでも、あなたの体内に眠る潜在能力を、表に出すだけのことしか出来ないから」
「えっと……つまり?」
「要するに、どんな魔法が使えるようになるかは、私にもわからない、ってこと。あなたの特性によって決まるから」
「それでも構わないわ! 魔法が使えるなら、心強いから!」
「オーケー、じゃあ、何が起きても恨みっこなしよ」

 そう言うやいなや、蛇の両目がカッと光り輝いた。

 まぶしい! と思って目を閉じた、その一瞬の間に、すべて終わったらしい。

「あらあ……ご愁傷様」

 蛇は目を細めて、心なしか口元も笑っているように見える。

「え、何が、ご愁傷様なの?」
「あなたに付与された魔法は、『毒の魔法』よ」
「毒の魔法? え? え?」
「どんな毒でも自在に生成できる魔法。でもまあ、良かったじゃない。それで邪魔者をどんどん殺していけば。最後にあなたと王子だけ生き残れば、それで勝ち確定よ」

 うふふふ、と魔女は妖しく笑う。

 私は、スーッと気が遠くなるような感覚を覚えていた。

 毒……! 毒の魔法……!

 これじゃあ、ますます悪役令嬢に拍車がかかるどころか、ヴィランの道まっしぐらじゃない!

「お願い! やっぱり、この魔法、無かったことにして!」

 そう頼んだ時には、すでに蛇の姿は消えていた。
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