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第2章 魔女は空から降ってくる
第15話 近江町市場での戦い
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次の日、一一時ごろ、私とエリカさんは近江町市場の中心部にやって来た。
世間は盆休み。県外からの観光客で市場の中は、大変な人混みだ。この中から目的の人物を探し出すのは、かなり骨が折れそうだ。
エリカさんからLINEでもらった、森瞬一郎の写真を、改めてスマホで確認する。
甘いマスクの二枚目。多少神経質そうな目つきだけど、パッと見は、まともなスポーツマンに思える。だけど、外見がそうだからといって内面がしっかりしているとは限らない。
「なんでスリなんてするんでしょうか。リスクが高いのに」
「才能があったのかもね。上手にできるとなれば、調子に乗って、悪いことであろうとどんどんやるものよ。それに、たぶん、生活がギリギリなんだと思う」
「ヤクザの組に、入ったんじゃないですか?」
「だからって何もしないやつを食わせてくれるわけじゃない。瞬一郎は、小心者だった。誰かと真正面からケンカする度胸なんてない。組からすれば三下もいいところよ。そんな人間だから、結局、ちっぽけな犯罪で生活費を稼ぐことしかない」
「やっぱり……ちゃんと警察に通報したほうが……」
「依頼は依頼。それに、ほら」
と、エリカさんは壁の貼り紙を指差した。「スリに注意! 最近多発しております」と注意書きが記されている。
「あくまでも依頼は森さんの独断ね。他の商店は何も知らず、普通に警察に届け出ているみたい。だから森さんとしては、息子が警察に逮捕されるよりも早く、私たちの手で捕まえてほしいと願ってるんだと思う」
「だったら、どうして依頼のときに、私たちにまで情報を隠してたんですか?」
「保険よ。万が一の場合、犯人を知っていた、となればまずいことになる。そういう点では森さんはしたたかな男ね。私たちのことをまったく信用しているわけではないから」
無駄話はここまで、とばかりに、エリカさんは私に背を向け、市場の中に目を光らせ始めた。
薄手のパーカーにショートパンツ。白い脚がふとももから露わになってる。ほどよく筋肉がついた、引き締まった美脚。相当トレーニングを積んでるんだろう。そのきれいな脚を見て、思わずため息が出た。
エリカさんも何か武道の経験があるんだろうか。そんなことを考えながら、私はふと、前方に気を取られた。
道の先、人混みの奥で、何か妙な動きが見える。
夏場だというのに、ネズミ色のフードをかぶった人が、私たちの前を歩いている。後ろ姿だから顔は見えない。
フードの人は、上着のポケットに突っこんでいた手をゆっくりと外に出すと、横を歩く女性の隣にさり気なく接近した。
私は歩くスピードを上げた。エリカさんの「なにしてんのよ!」と怒る声が聞こえたけど、それどころじゃない。
ほとんど小走りで、急いで距離を詰めた私は、女性のトートバッグに手を差しこんだ瞬間の、フードの人の腕を掴んだ。
当たりだ。
フードの人は、女性のトートバッグの中で、財布を手に持っている。
思わず私は大声で怒鳴った。
「あなたがスリね!」
たちまち周囲の人々の視線が集まる。しまった、と自分のミスに気が付いた。わざわざ目立たせる必要はなかったのに。
「よけいなことすんな、バカ!」
エリカさんの注意する声が聞こえた、と思った直後、スリは私の手を振り払った。その弾みでフードが外れ、顔が露わになる。
写真で見た、森瞬一郎その人だ。
瞬一郎は無言で、私の顔面を目がけて殴りかかってきた。私は体をさばいて相手の突きをかわしたけど、次に繰り出されてきた蹴りをまともにお腹に喰らい、地面に尻餅をついてしまった。
その隙に、瞬一郎は近くの店舗の中に飛びこんで、走り出した。
「逃がさないわよ!」
エリカさんは怒鳴り、勢いよくこっちまで駆け寄ってくる。だけど、すでに瞬一郎は店の奥まで逃げている。間には大きな商品棚があって、すぐには追いつけそうにない。
このままだと逃げられちゃう――そう思っていたら、私の目の前まで来たエリカさんは、地面を激しく蹴った。
跳んだ。エリカさんの体は、宙を舞った。それはジャンプなんて次元のものじゃない。幅広の商品棚を軽々と飛び越え、一気に相手との距離を詰める。そのとんでもない跳躍力に、周りの人たちも「おおっ」と驚きの声を上げた。
すぐ近くまで迫られて、ギョッとした瞬一郎は、そこらへんにある棚や商品をやたらめったら倒して、障害物を作りながら、奥へと逃げようとする。
だけど、そんな瞬一郎の頭上を、エリカさんはまた跳躍して飛び越すと、軽やかに着地して、相手の退路を塞いだ。
「諦めて捕まりなさい。警察だけは勘弁してあげる」
エリカさんは、相手の真っ向から指を突きつけて、降伏を迫った。
瞬一郎は黙っている。私のほうからは背中しか見えないので、どんな表情をしているのかわからない。そのうち、相手の両肩が震え出した。ククク、と笑っている。
「まさかお前に追われる日が来るなんてな。人生ってのは面白いぜ」
「無駄口はいいから、とっとと――」
「うるせえ! 殴られてえのか! あん!?」
安っぽい暴力的な言葉。千秋さんなら笑って受け流すところだろう。
だけど、エリカさんは顔を引きつらせて、突然動かなくなった。
(様子がおかしい……!)
危険なものを感じた私は、背後から、瞬一郎に飛びかかった。だけど、私の動く気配を察したのか、すかさず相手は後ろ蹴りを放ってきた。当たりはしなかったけど、私の足は止まってしまった。
瞬一郎は駆け出した。
「おら、どけ!」
動けないでいるエリカさんに向かって拳を振り上げる。
それに対して、迎え撃つこともなく、「きゃっ!」と悲鳴を上げたエリカさんは、頭を抱えてしゃがみこんだ。
苦もなく突破した瞬一郎は、そのままお店の奥から、隣の雑居ビルへと入っていった。
私は急いであとを追いかけた。でも、建物の中の、どこを瞬一郎が移動しているのか、まったく見当がつかなかった。
結局、見失ってしまい、この日の仕事は失敗に終わった。
世間は盆休み。県外からの観光客で市場の中は、大変な人混みだ。この中から目的の人物を探し出すのは、かなり骨が折れそうだ。
エリカさんからLINEでもらった、森瞬一郎の写真を、改めてスマホで確認する。
甘いマスクの二枚目。多少神経質そうな目つきだけど、パッと見は、まともなスポーツマンに思える。だけど、外見がそうだからといって内面がしっかりしているとは限らない。
「なんでスリなんてするんでしょうか。リスクが高いのに」
「才能があったのかもね。上手にできるとなれば、調子に乗って、悪いことであろうとどんどんやるものよ。それに、たぶん、生活がギリギリなんだと思う」
「ヤクザの組に、入ったんじゃないですか?」
「だからって何もしないやつを食わせてくれるわけじゃない。瞬一郎は、小心者だった。誰かと真正面からケンカする度胸なんてない。組からすれば三下もいいところよ。そんな人間だから、結局、ちっぽけな犯罪で生活費を稼ぐことしかない」
「やっぱり……ちゃんと警察に通報したほうが……」
「依頼は依頼。それに、ほら」
と、エリカさんは壁の貼り紙を指差した。「スリに注意! 最近多発しております」と注意書きが記されている。
「あくまでも依頼は森さんの独断ね。他の商店は何も知らず、普通に警察に届け出ているみたい。だから森さんとしては、息子が警察に逮捕されるよりも早く、私たちの手で捕まえてほしいと願ってるんだと思う」
「だったら、どうして依頼のときに、私たちにまで情報を隠してたんですか?」
「保険よ。万が一の場合、犯人を知っていた、となればまずいことになる。そういう点では森さんはしたたかな男ね。私たちのことをまったく信用しているわけではないから」
無駄話はここまで、とばかりに、エリカさんは私に背を向け、市場の中に目を光らせ始めた。
薄手のパーカーにショートパンツ。白い脚がふとももから露わになってる。ほどよく筋肉がついた、引き締まった美脚。相当トレーニングを積んでるんだろう。そのきれいな脚を見て、思わずため息が出た。
エリカさんも何か武道の経験があるんだろうか。そんなことを考えながら、私はふと、前方に気を取られた。
道の先、人混みの奥で、何か妙な動きが見える。
夏場だというのに、ネズミ色のフードをかぶった人が、私たちの前を歩いている。後ろ姿だから顔は見えない。
フードの人は、上着のポケットに突っこんでいた手をゆっくりと外に出すと、横を歩く女性の隣にさり気なく接近した。
私は歩くスピードを上げた。エリカさんの「なにしてんのよ!」と怒る声が聞こえたけど、それどころじゃない。
ほとんど小走りで、急いで距離を詰めた私は、女性のトートバッグに手を差しこんだ瞬間の、フードの人の腕を掴んだ。
当たりだ。
フードの人は、女性のトートバッグの中で、財布を手に持っている。
思わず私は大声で怒鳴った。
「あなたがスリね!」
たちまち周囲の人々の視線が集まる。しまった、と自分のミスに気が付いた。わざわざ目立たせる必要はなかったのに。
「よけいなことすんな、バカ!」
エリカさんの注意する声が聞こえた、と思った直後、スリは私の手を振り払った。その弾みでフードが外れ、顔が露わになる。
写真で見た、森瞬一郎その人だ。
瞬一郎は無言で、私の顔面を目がけて殴りかかってきた。私は体をさばいて相手の突きをかわしたけど、次に繰り出されてきた蹴りをまともにお腹に喰らい、地面に尻餅をついてしまった。
その隙に、瞬一郎は近くの店舗の中に飛びこんで、走り出した。
「逃がさないわよ!」
エリカさんは怒鳴り、勢いよくこっちまで駆け寄ってくる。だけど、すでに瞬一郎は店の奥まで逃げている。間には大きな商品棚があって、すぐには追いつけそうにない。
このままだと逃げられちゃう――そう思っていたら、私の目の前まで来たエリカさんは、地面を激しく蹴った。
跳んだ。エリカさんの体は、宙を舞った。それはジャンプなんて次元のものじゃない。幅広の商品棚を軽々と飛び越え、一気に相手との距離を詰める。そのとんでもない跳躍力に、周りの人たちも「おおっ」と驚きの声を上げた。
すぐ近くまで迫られて、ギョッとした瞬一郎は、そこらへんにある棚や商品をやたらめったら倒して、障害物を作りながら、奥へと逃げようとする。
だけど、そんな瞬一郎の頭上を、エリカさんはまた跳躍して飛び越すと、軽やかに着地して、相手の退路を塞いだ。
「諦めて捕まりなさい。警察だけは勘弁してあげる」
エリカさんは、相手の真っ向から指を突きつけて、降伏を迫った。
瞬一郎は黙っている。私のほうからは背中しか見えないので、どんな表情をしているのかわからない。そのうち、相手の両肩が震え出した。ククク、と笑っている。
「まさかお前に追われる日が来るなんてな。人生ってのは面白いぜ」
「無駄口はいいから、とっとと――」
「うるせえ! 殴られてえのか! あん!?」
安っぽい暴力的な言葉。千秋さんなら笑って受け流すところだろう。
だけど、エリカさんは顔を引きつらせて、突然動かなくなった。
(様子がおかしい……!)
危険なものを感じた私は、背後から、瞬一郎に飛びかかった。だけど、私の動く気配を察したのか、すかさず相手は後ろ蹴りを放ってきた。当たりはしなかったけど、私の足は止まってしまった。
瞬一郎は駆け出した。
「おら、どけ!」
動けないでいるエリカさんに向かって拳を振り上げる。
それに対して、迎え撃つこともなく、「きゃっ!」と悲鳴を上げたエリカさんは、頭を抱えてしゃがみこんだ。
苦もなく突破した瞬一郎は、そのままお店の奥から、隣の雑居ビルへと入っていった。
私は急いであとを追いかけた。でも、建物の中の、どこを瞬一郎が移動しているのか、まったく見当がつかなかった。
結局、見失ってしまい、この日の仕事は失敗に終わった。
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