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第40話 父の手記

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 大学のキャンパスに着いたとき、時間は夜八時を回っていた。

 路上にトラックを停めると、第一部隊から第四部隊は手際良く外へと飛び出し、目立たぬよう校内へと滑りこんでゆく。

 蓮実たち第五部隊がトラックを降りるのと同時に、五台のトラックは発車した。手記を確保するのと同時に、一馬が連絡をして、迎えにきてもらう手筈となっている。

「長峯俊介の手記には、これから先に起こることが記されています」
「先に、起こること?」
「ええ。それゆえに『予言の書』とも言われている」

 木陰に隠れて、先行する部隊の安全確認が終わるのを待ちながら、一馬は簡単に説明をしてくる。

 戦闘にいる第一部隊から、手信号で合図が来る。問題なし。

 蓮実たちは先行部隊のいる木陰まで移動する。と同時に、第二部隊が飛び出し、目の前の講堂の壁際まで一気に駆けていく。リレー形式で、こうして少しずつ進んでいくのだ。

「あなたのお父さんは、東北で巴さんと出会った後、北海道に眠っているというヴィーナ姫の話に興味を持ち、海を渡った。その話は聞いていますね」
「ええ。巴さんから」

 そこで姫――自分の母を凍土の中から見つけ、現代に復活させたのだと聞いた。そして、アムリタを飲んだ、とも。

 父は、夜刀神の一族としての生を選んだのだ。

「トラックの中でも話をしましたが、アムリタを飲むと、ごく稀に特殊な能力に目覚めることがある。長峯俊介は、その希少なうちの一人だった」

 合図が来たので、講堂の壁際まで移動した。

「その能力は、未来視」
「先のことが見える、ということ?」
「聞いた話では、もっと便利な力だったそうです。その人が望む終着点がある。未来に成し遂げたいことがある。その思いを受けて、どのように行動すれば望み通りの未来に辿り着くか、イメージが、脳内に浮かぶんだそうです」
「そんな――」

 身体能力の飛躍的向上だけでも信じられないというのに、この上、そんな超能力に目覚めることがあるなんて、悪い冗談としか思えない。

「そうして、長峯俊介は、夜刀神一族にとって最良の道を見出した――その内容が、彼の手記に書かれているのです」
「つまり、その手記通りに行動すれば、夜刀神一族にとって都合の良い未来になる、ってことなの?」
「そうです。だから、主戦派に奪われるわけにはいかない。最悪の場合、この国は崩壊してしまいますから」

 再び部隊は進み始めた。

 何度か移動を繰り返した末に、ようやく研究棟に辿り着いた。水沢教授のいる四階の研究室を見上げる。明かりがこぼれている。中にいる。

「在室中なのは確認済みです。問題は、アポも取っていないから、素直に手記を渡してくれるかどうか……」

 第三部隊と第四部隊は研究棟の外に待機し、第一部隊と第二部隊は内部へと進入する。蓮実たちはその後に従った。

 階段を使って四階まで上り、廊下の安全の確認が終わると、蓮実は一馬たちを連れて水沢教授の研究室の前まで行った。

 動悸が早くなる。

(先生も、もしかしたら)

 これまで、自分に関係する多くの人たちが、実は夜刀神一族だった。父の手記を持っているということは、あるいは水沢教授も同じく一族の者なのかもしれない。

 だとしたら、主戦派側か、穏健派側か。

 ドアを開ける。

 デスクで書き物をしていた教授は、顔を上げた。

「お、長峯か。どうした、こんな時間に?」
「先生こそ――」

 いつもと変わらぬ水沢教授の口調に、思わず涙がこぼれそうになる。なんだか元の世界へ戻ってきたような気がした。

 だけど油断してはいけない、と気を引き締め直す。

「実は、頼みがあって来たんです」
「待て。その前に、そいつらは誰だ」

 水沢教授は、特に警戒している風でもなく、普通に質問してくる。一緒に入ってきた一馬たちのことを、とりあえずは「友達です」と紹介した。いまは詳細を説明している時間はない。

「父さんの、手記を、持っていませんか」

 蓮実の問いを受けて、水沢教授はピクリと眉を動かした。

「知ってたのか」
「今日、知りました」

 沈黙が流れる。息が詰まりそうだ。十秒経過しても、なお水沢教授は黙ったままでいる。後ろに立っている斗司が「チッ」と舌打ちした。痺れを切らして動こうとしたのを、「ダメだよ」と悠人が止めた。

 さらに五秒ほど経過して。

 水沢教授は、デスクの引き出しを、ガタッと開けた。

「いつかは、こんな時が来ると思っていたよ」

 そう言って、引き出しの中から、革のブックカバーで保護された本を取り出した。

 ドクン、と蓮実の心臓が大きく鳴った。

「あいつからは、誰であろうと渡すな、って言われていたんだが、他ならぬ娘のお前には、渡してもいいかもしれないな」
「教授、これは、本当に、父さんの……」
「正直な話、この手記の中身が何なのか、お前が何でこれを求めているのか、俺にはわからない。興味もない。だから、質問されても答えられない。ただ、一つ言えるのは、この手記は間違いなく、お前の親父さんから預かった物、ということだ」
「いつ、これを預かったんですか?」
「あいつが命を落とす、一週間前」
「ひょっとして……父さんは、自分が殺されることを知っていたんでしょうか」
「さあな。俺にはさっぱりわからん。と言うか、あいつが殺人事件に巻き込まれたことを、知ったのか」
「つい最近ですけど」
「そうか……気の毒に。できれば、隠しておきたかったんだが」

 蓮実は、水沢教授から、手記を受け取った。ここから先は、誰にも奪われてはならない。絶対に離すものかと、ギュッと胸に寄せて、抱きかかえる。

「あの、教授。一つだけ、教えてください」
「なんだ?」
「あなたは、主戦派ですか? 穏健派ですか?」

 その質問に対して、水沢教授は眉をひそめた。

「何を言ってるんだ? よくわかんないな、その質問」

 嘘を言っている様子はない。

 念のため、一馬のほうを見てみると、彼はかぶりを振りながら、

「この人は何も知らないはずですよ」

 と答えてくれた。

 蓮実はホッとした。水沢教授は今回の騒動には関与していない。それがわかっただけでも、十分だ。

「ありがとうございます、教授――」

 礼を言って、去ろうとした、その瞬間。

 突然、窓ガラスが割れ、水沢教授の体が弾き飛ばされた。

「――え?」

 壁にもたれるように倒れている水沢教授の目からは、生気が失われている。その額には、銃創があいている。血が、こぼれ出した。

「スナイパーライフルだ! みんな隠れろ!」

 一馬は叫ぶと、蓮実の体を引っ張り、デスクの陰へと避難させた。

 全ては一瞬の出来事だった。
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