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四章
Ⅱ
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休日ということもあってか、昼前なのに市場はにぎわっている。それだけでなく、行き交う人の力はまるで海そのもの。人の流れに逆らうこともできず、留まることすら許されない。人の波のせいで、デートというロマンチックな雰囲気にならず、なんとかはぐれないように買い物をするだけで精一杯。
「ご主人様、帝都はやはりすごいですね」
「ああ。俺もあまり市場には来ないけど、改めて帝都にはたくさん住人がいるって実感していたよ。それよりもルウ大丈夫か?」
たくさん人がいるところでは、匂いがつらいと話していたのを覚えている。けど、以前とは違って健康そのものの顔を頭を横に振った。
「もう慣れました」
通り過ぎる露店の商品を興味深そうに視線だけちらり、ちらり。そして、商品を手に取る。
「私が住んでいた村はこのような市場がありませんでした。月に一度行商人が来ていましたが、このように大勢が商いをしているのは初めてです」
尻尾が勢いよく振られているから、テンションがそれなりに上がっているってことなんだろう。いとおしい! そんなルウを眺めているだけで幸せ。
「どれを買うんだ?」
ルウは熱心に同じ果物や野菜を手にのせて比べている。むむむ、と子供っぽい無邪気さと真剣さが同居したように苦悩しているみたいで、微笑ましくていとおしい。
「ご主人様はどれがいいですか?」
「俺? 俺はどれでもいいけど」
ルウがほしいものならいくらでも好きなだけ買っていい。基本的に食べ物に好き嫌いはない。
「それでは、こちらのとこちらの、どちらがお好きですか?」
片方はオレンジ、もう片方はりんご。正直どっちも嫌いではないが好きでもない。だから困ってしまう。
「う~ん。どちらでもいいよ」
「それではこちらは?」
次はなすとズッキーニ。これも同じ。
「・・・・・・これらの中では?」
トマト、アセロラ、パセリ、コーン、ブロッコリーキャベツ、レタス。はてはオリーブや使う小麦粉、卵、バター、牛乳。調味料に至るまで。あらゆる用途の食材、あらゆる露店に移動しながら示される。
「やはりたくさん物が集まるなぁ」
「感心してほしいのではなく、いい加減どれか選んでほしいのですが」
不機嫌になってしまったのか、眉間にしわが寄っている。う~ん、どれかと聞かれても、食べたい物とかこだわったことはないし。
「本当にどれでもいいんだよ」
「・・・・・・私の母が食事の献立で悩んでいたときと同じ心境になりました。どれでもいいが一番困るのです」
結局俺に選ばせるのは諦めたらしい。店の人と直接話してそして商品を手提げ籠に入れていく。時折、店主が俺をちらっと見た後、ルウに耳打ち。ルウも小声でごにょごにょと。なんだろう。
「なんかすまん」
「いえ。私がご主人様に期待していたのがいけなかったのです。間違えました、ご主人様のように食事という生き物がする当然の行為に意識を向けていない変人であるという認識を失念していたからです。これもおかしいですね。ご主人様が――」
傷つく! けどなんか懐かしい。暮らし始めたとき、こんな遣り取りしてたっけ。まさかこんなやりとり、またできるとはおもいもしなかった。
「・・・・・・いえ、これは違いますね。これでは以前と同じ。違和感が強いです」
ブツブツ呟いてるけど、よく聞き取れない。
「なぁ、ルウ。一体どうしたんだ?」
「どうした、とは?」
「・・・・・・すまない」
「なにゆえ謝られるのですか?」
「それは――」
「・・・・・・ご主人様が謝られることなんて、一つもございません。本当に。ご主人様は悪くありません。致し方ないことですから」
それから、互いに無言。ああ、まただ。きっとまた俺のせいで最悪にしてしまったに違いない。
肉を大量に買いこんだあと、手提げ籠がけっこう重くなってしまった。せめてそれを持とうとしたけど、ルウがぎっちりと離さない。
「大丈夫です。例えこの腕が引きちぎれてミンチとなって日常生活に支障を及ぼす結果となっても持ち帰ってみせます」
「余計持たせられるか!」
もっと自愛しろよ。
「例えその結果、ご主人様が周りから重い荷物を女の子に持たせ、苦しんでいるその姿に性的興奮する異常者だとしてもその期待に応えてごらんにいれます」
「いい加減俺への誤解を改めさせてくれ!」
「そしてその光景を見た周りが、ご主人様に対して鬼畜であると認識されることになったとしても、奴隷ですので」
「奴隷ですので、じゃねぇよ! なんの保証にもならねぇよ!」
「それに、先程買い物をしているとき、ご主人様のうわさが広まっているようなので」
「やっぱり昨日とかその前のことのとか広まってるのかよおおお!」
「私はそのうわさにちょっとしたアクセントを足しました」
「絶対尾ひれりついてるよなそれええ! さっきのやりとりまさかそれ!? だから皆俺を見てたの!?」
「それから、あの人が件の魔法士です、私のご主人様ですと教えたら皆さん商品をおまけしてくださいました」
「よかったのかなそれ!? 誰にとってよかったのかなそれ! あーもういいから! 持たせてくれ!」
二人でぎゃいぎゃい遣り取りをしながら手提げ籠の奪い合いになってしまう。女の子だけど、以外と力が強く拮抗してしまう。
「もしかして、ご命令ですか?」
「あーだからもういいって! 俺が持つから!」
「いえ、奴隷ですので」
「奴隷とか関係ないから!」
「――――関係なくありません!」
いつにない大声で怒鳴られて、つい手を離して呆然となる。
「昨日と同じではありませんか、また私のことで、」
様子がおかしい。苦しげで、それで悲しそうで。そして怒ってもいる。あらゆる負の感情がごちゃ混ぜになってしまった顔つき。昨日と同じだ。この子のこんな感情的になるところが、やっぱり衝撃的で、言葉にできない。
「私は奴隷なのです。そうなのです。それが普通なのです。なのに、おかしいじゃありませんか。ご主人様が私の、奴隷の、物の犠牲になるなんて、逆です。昨日だって、魔法が当たらなかったのは、ご主人様がなにかしてくださったのでしょう?」
ぞくり。背筋に冷たい刃物が入った気持ちの悪い寒気と恐怖。反射的に半歩あとずさる。すぐに動揺がやってくる。やっぱり見られていた。気づいていた。じゃあ知られた? あの魔法を? あの顔を?
今までのとは違う。有象無象に知られるってことじゃない。好きな子という特別な存在に、自分の汚点、恥部、呪いを知られる。だめだ。生きていけない。この子にだけは知られちゃいけない。そんなことになったら、死ぬ。それだけあの魔法は、とんでもなく消し去ってしまいたいものだから。
一瞬でそこまで思考が加速していく。それは、一種の防衛本能がなせるのかもしれなかった。ごまかそうとする。隠してごまかして、上辺だけとりつくろって、あれはなんでもない魔法だって誤解させて終わらせる。
「別に――」
「こんなんじゃ私、余計迷ってしまうではありませんか・・・・・・」
被せられた言葉の意味に、意識をとられた。迷うってなにを? 尋ねようとしたまさにそのとき、一際大きい波がきた。俺たちは人の波に飲み込まれて、そのまま圧されていってしまう。
誰も他人のことには無関心なのか、とにかく肩とか体とかぶつかるし足は踏まれてすねは蹴られ、しまいには挟まれ揉まれ息苦しささえあった。脱出、抗う、とにかく一切なにもできない。
ようやく開けた場所で、人がはけたところに出られたと安心して新鮮な空気を取り込んで落ち着いていたのものもつかの間。ルウがどこにもいなかった。はぐれてしまったらしい。一瞬で血の気が引いていく。
「ルウ!」
人を乱暴にかき分けて探し回る。叫んで呼んでみるが、だめだ。雑多な喧噪に飲み込まれてしまう。
「くそ・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・!」
見つからない。時間だけがすぎていく。日が落ちていく。心臓の動悸が激しいのは走っているからではない。もしかしたらこのまま離ればなれになるんじゃないか? って不安が芽生えてしまう。
視界の端で、金色の毛並みの尻尾が映った。ルウの尻尾。あれはもう何度も見ているし触っているし間違いない。もふもふの毛並みも質感も長さも太さも、記憶と一致する。
追いかけるけど、縮まらない。手を伸ばして、そして掴んだ。
「ひゃん! ご主人様ですか。不審者かと間違えて撃退するところでしたどこにいたのですか」
ルウの尻尾をだった。。瞬間、その場でルウは飛び跳ねて、そしておそらく体術の構えなのか飛び退いて片足を上げて拳を突きだしている。やっぱり最高のもふもふ具合・・・・・・じゃない!
「大丈夫か!? けがはないか!? 誰かに変なことされなかったか!? 美味しいお肉食べさせてあげるからついといでとかされなかったか!?」
「ものの数分でそんなことあるわけないじゃないですか・・・・・・」
「じゃあ大丈夫なんだな? なんともなかったんだな?」
「はい。ご心配には及びません。私は奴隷ですから、そのような事態に陥ったとしてもご主人様には危害は及びませんし」
「俺にはって・・・・・・」
自分を一切省みないルウが、悲しかった。同時に少し腹がたってしまった。
「奴隷でもなんでも! 心配してしまうのは心配するんだ!」
少しの間、見つめあう形になった。どちらからともなく離れていく。
「申し訳ありません」
消え入りそうに、それだけ聞こえてきた。ああ、まただ。俺が台無しにしてしまった。ルウのことを気遣わず、自分の都合だけで怒鳴って・・・・・・最低じゃないか。
「ありがとうございます」
聞き間違いだろうか。けど、正しかったらしい。彼女は自覚しているからか、手の甲で隠そうとしている。けど頬が赤いのはバレバレだ。じもじしているのと尻尾の動きで察することができた。
照れている? 恥ずかしがっている? それに、ありがとうございますって・・・・・・? 嬉しかったってこと? 俺が心配したのが? それとも怒鳴ったこと?
なんで? という疑問は薄れていく。俺が持っていた手提げ籠の半分、ルウが掴んだから。二人で半分ずつ持つ形になって、歩いている。広がっていた心の距離が縮まった。ルウから歩み寄ってくれた。それだけで泣きそうになるほど嬉しい。
「ルウちゃんなんか変わりやしたね」
最後に、マットが店番をしている素材屋に向かった。なにも買えなくても、素材を見ているだけで落ち着くし楽しい。
「変わったって、なにが?」
「いえね、前に来たときは、まさに奴隷だってかんじの子でしたけど、今は別人みたいでさぁ」
別人って、たしかにここ最近変貌し続けているけど、それは言い過ぎ。かわいいところも好きなところもいとおしいところも変わっていないけど。
「というかまさに奴隷ってどんなかんじだよ」
「そりゃあよく帝都でいる奴隷みたいなかんじでさぁ。絶望してるとか諦めてるっていうか・・・・・・。まぁ、ユーグの旦那は他人に興味がないですからわからないでしょうけど」
「失礼な」
「女心はもっとわからないでしょう」
「もっと失礼な!」
なに? マットってこんなこと言うやつだったっけ?
「いえね、きょうび魔道士になりたいって人も、素材を買いに来てくれる人もいねぇんで、旦那は貴重な常連さんですから。失礼のないように言葉は選んでたんですよ。旦那も無駄話は嫌いでしょ? けど、今は軽口親しみが持ててつい軽口出ちまいます」
「ご主人様、他にはなにか買う物ありますか?」
店の奥から頭だけひょいと出して聞いてくるルウが不覚にもかわいすぎて、マットとの会話が瞬時にどうでもよくなる。
「ああ、あと月見草とカシの木も見たいな」
「月見草とはどこにあるのでしょうか?」
「ああ、それなら――」
ルウを連れて、案内をする。もう通って何年もたってるから店の内部は把握していて造作もない。なんなく月見草を選んで、どういうものなのか説明をしかけて・・・・・・とまる。
「ご主人様?」
小首を傾げるルウがかわいすぎるけど、ぐっとこらえて商品を棚に戻す。いかんいかん。以前と同じように興味なさそうだから、説明をしても楽しまないだろう。他の商品を選んでいるときも、何回か同じ失敗をしかける。ルウが困るだけだってわかってるはずなのについしてしまう。こんなところが、最近のルウとの関係に悪影響を与えていたんだ。もっとルウ第一に配慮しなきゃ。
「帰ろうか」
「・・・・・・はい」
早々に切り上げて、店を後にして魔法のことについて話すけど、ルウはやっぱり退屈だったんだろう。耳がしゅん・・・・・・と垂れている。
「どっかで外食でもしていこうか」
せめて食べ物でテンションを上げようと持ちかける。けど、返答は想像すらしなかったことだった。
「いえ、無用です。今後は外食をできるだけ控えましょう」
え? いいの? あ、そうか。買い物安く抑えられたけど、だからこそ金銭的事情を把握したんだろう。ルウを気遣わせるなんて、相変わらずだめだ俺は。
「遠慮しなくていいよ」
俺が次の給料日まで水で過ごせばいいだけ。
「いえ、私がご主人様に手料理を作りたいからです」
そうか。じゃあしょうがないな。残念だけど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
歩いているうちに、手料理を作りたいから。その言葉に含まれている意味を考えてしまう。ルウは素知らぬ顔をしているけど、若干赤くなっている。
「なんで?」
いくら考えても疑問は解消されないから聞いてみた。
「・・・・・・ご主人様は最低です」
ぷい! と顔を反対側に背けてしまう。決してこちらに見せないように。家に着いてもそうだった。
「???」
どうしてそんな反応するのかもわからず、頭を捻り続けるしかなかった。
「ご主人様、帝都はやはりすごいですね」
「ああ。俺もあまり市場には来ないけど、改めて帝都にはたくさん住人がいるって実感していたよ。それよりもルウ大丈夫か?」
たくさん人がいるところでは、匂いがつらいと話していたのを覚えている。けど、以前とは違って健康そのものの顔を頭を横に振った。
「もう慣れました」
通り過ぎる露店の商品を興味深そうに視線だけちらり、ちらり。そして、商品を手に取る。
「私が住んでいた村はこのような市場がありませんでした。月に一度行商人が来ていましたが、このように大勢が商いをしているのは初めてです」
尻尾が勢いよく振られているから、テンションがそれなりに上がっているってことなんだろう。いとおしい! そんなルウを眺めているだけで幸せ。
「どれを買うんだ?」
ルウは熱心に同じ果物や野菜を手にのせて比べている。むむむ、と子供っぽい無邪気さと真剣さが同居したように苦悩しているみたいで、微笑ましくていとおしい。
「ご主人様はどれがいいですか?」
「俺? 俺はどれでもいいけど」
ルウがほしいものならいくらでも好きなだけ買っていい。基本的に食べ物に好き嫌いはない。
「それでは、こちらのとこちらの、どちらがお好きですか?」
片方はオレンジ、もう片方はりんご。正直どっちも嫌いではないが好きでもない。だから困ってしまう。
「う~ん。どちらでもいいよ」
「それではこちらは?」
次はなすとズッキーニ。これも同じ。
「・・・・・・これらの中では?」
トマト、アセロラ、パセリ、コーン、ブロッコリーキャベツ、レタス。はてはオリーブや使う小麦粉、卵、バター、牛乳。調味料に至るまで。あらゆる用途の食材、あらゆる露店に移動しながら示される。
「やはりたくさん物が集まるなぁ」
「感心してほしいのではなく、いい加減どれか選んでほしいのですが」
不機嫌になってしまったのか、眉間にしわが寄っている。う~ん、どれかと聞かれても、食べたい物とかこだわったことはないし。
「本当にどれでもいいんだよ」
「・・・・・・私の母が食事の献立で悩んでいたときと同じ心境になりました。どれでもいいが一番困るのです」
結局俺に選ばせるのは諦めたらしい。店の人と直接話してそして商品を手提げ籠に入れていく。時折、店主が俺をちらっと見た後、ルウに耳打ち。ルウも小声でごにょごにょと。なんだろう。
「なんかすまん」
「いえ。私がご主人様に期待していたのがいけなかったのです。間違えました、ご主人様のように食事という生き物がする当然の行為に意識を向けていない変人であるという認識を失念していたからです。これもおかしいですね。ご主人様が――」
傷つく! けどなんか懐かしい。暮らし始めたとき、こんな遣り取りしてたっけ。まさかこんなやりとり、またできるとはおもいもしなかった。
「・・・・・・いえ、これは違いますね。これでは以前と同じ。違和感が強いです」
ブツブツ呟いてるけど、よく聞き取れない。
「なぁ、ルウ。一体どうしたんだ?」
「どうした、とは?」
「・・・・・・すまない」
「なにゆえ謝られるのですか?」
「それは――」
「・・・・・・ご主人様が謝られることなんて、一つもございません。本当に。ご主人様は悪くありません。致し方ないことですから」
それから、互いに無言。ああ、まただ。きっとまた俺のせいで最悪にしてしまったに違いない。
肉を大量に買いこんだあと、手提げ籠がけっこう重くなってしまった。せめてそれを持とうとしたけど、ルウがぎっちりと離さない。
「大丈夫です。例えこの腕が引きちぎれてミンチとなって日常生活に支障を及ぼす結果となっても持ち帰ってみせます」
「余計持たせられるか!」
もっと自愛しろよ。
「例えその結果、ご主人様が周りから重い荷物を女の子に持たせ、苦しんでいるその姿に性的興奮する異常者だとしてもその期待に応えてごらんにいれます」
「いい加減俺への誤解を改めさせてくれ!」
「そしてその光景を見た周りが、ご主人様に対して鬼畜であると認識されることになったとしても、奴隷ですので」
「奴隷ですので、じゃねぇよ! なんの保証にもならねぇよ!」
「それに、先程買い物をしているとき、ご主人様のうわさが広まっているようなので」
「やっぱり昨日とかその前のことのとか広まってるのかよおおお!」
「私はそのうわさにちょっとしたアクセントを足しました」
「絶対尾ひれりついてるよなそれええ! さっきのやりとりまさかそれ!? だから皆俺を見てたの!?」
「それから、あの人が件の魔法士です、私のご主人様ですと教えたら皆さん商品をおまけしてくださいました」
「よかったのかなそれ!? 誰にとってよかったのかなそれ! あーもういいから! 持たせてくれ!」
二人でぎゃいぎゃい遣り取りをしながら手提げ籠の奪い合いになってしまう。女の子だけど、以外と力が強く拮抗してしまう。
「もしかして、ご命令ですか?」
「あーだからもういいって! 俺が持つから!」
「いえ、奴隷ですので」
「奴隷とか関係ないから!」
「――――関係なくありません!」
いつにない大声で怒鳴られて、つい手を離して呆然となる。
「昨日と同じではありませんか、また私のことで、」
様子がおかしい。苦しげで、それで悲しそうで。そして怒ってもいる。あらゆる負の感情がごちゃ混ぜになってしまった顔つき。昨日と同じだ。この子のこんな感情的になるところが、やっぱり衝撃的で、言葉にできない。
「私は奴隷なのです。そうなのです。それが普通なのです。なのに、おかしいじゃありませんか。ご主人様が私の、奴隷の、物の犠牲になるなんて、逆です。昨日だって、魔法が当たらなかったのは、ご主人様がなにかしてくださったのでしょう?」
ぞくり。背筋に冷たい刃物が入った気持ちの悪い寒気と恐怖。反射的に半歩あとずさる。すぐに動揺がやってくる。やっぱり見られていた。気づいていた。じゃあ知られた? あの魔法を? あの顔を?
今までのとは違う。有象無象に知られるってことじゃない。好きな子という特別な存在に、自分の汚点、恥部、呪いを知られる。だめだ。生きていけない。この子にだけは知られちゃいけない。そんなことになったら、死ぬ。それだけあの魔法は、とんでもなく消し去ってしまいたいものだから。
一瞬でそこまで思考が加速していく。それは、一種の防衛本能がなせるのかもしれなかった。ごまかそうとする。隠してごまかして、上辺だけとりつくろって、あれはなんでもない魔法だって誤解させて終わらせる。
「別に――」
「こんなんじゃ私、余計迷ってしまうではありませんか・・・・・・」
被せられた言葉の意味に、意識をとられた。迷うってなにを? 尋ねようとしたまさにそのとき、一際大きい波がきた。俺たちは人の波に飲み込まれて、そのまま圧されていってしまう。
誰も他人のことには無関心なのか、とにかく肩とか体とかぶつかるし足は踏まれてすねは蹴られ、しまいには挟まれ揉まれ息苦しささえあった。脱出、抗う、とにかく一切なにもできない。
ようやく開けた場所で、人がはけたところに出られたと安心して新鮮な空気を取り込んで落ち着いていたのものもつかの間。ルウがどこにもいなかった。はぐれてしまったらしい。一瞬で血の気が引いていく。
「ルウ!」
人を乱暴にかき分けて探し回る。叫んで呼んでみるが、だめだ。雑多な喧噪に飲み込まれてしまう。
「くそ・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・!」
見つからない。時間だけがすぎていく。日が落ちていく。心臓の動悸が激しいのは走っているからではない。もしかしたらこのまま離ればなれになるんじゃないか? って不安が芽生えてしまう。
視界の端で、金色の毛並みの尻尾が映った。ルウの尻尾。あれはもう何度も見ているし触っているし間違いない。もふもふの毛並みも質感も長さも太さも、記憶と一致する。
追いかけるけど、縮まらない。手を伸ばして、そして掴んだ。
「ひゃん! ご主人様ですか。不審者かと間違えて撃退するところでしたどこにいたのですか」
ルウの尻尾をだった。。瞬間、その場でルウは飛び跳ねて、そしておそらく体術の構えなのか飛び退いて片足を上げて拳を突きだしている。やっぱり最高のもふもふ具合・・・・・・じゃない!
「大丈夫か!? けがはないか!? 誰かに変なことされなかったか!? 美味しいお肉食べさせてあげるからついといでとかされなかったか!?」
「ものの数分でそんなことあるわけないじゃないですか・・・・・・」
「じゃあ大丈夫なんだな? なんともなかったんだな?」
「はい。ご心配には及びません。私は奴隷ですから、そのような事態に陥ったとしてもご主人様には危害は及びませんし」
「俺にはって・・・・・・」
自分を一切省みないルウが、悲しかった。同時に少し腹がたってしまった。
「奴隷でもなんでも! 心配してしまうのは心配するんだ!」
少しの間、見つめあう形になった。どちらからともなく離れていく。
「申し訳ありません」
消え入りそうに、それだけ聞こえてきた。ああ、まただ。俺が台無しにしてしまった。ルウのことを気遣わず、自分の都合だけで怒鳴って・・・・・・最低じゃないか。
「ありがとうございます」
聞き間違いだろうか。けど、正しかったらしい。彼女は自覚しているからか、手の甲で隠そうとしている。けど頬が赤いのはバレバレだ。じもじしているのと尻尾の動きで察することができた。
照れている? 恥ずかしがっている? それに、ありがとうございますって・・・・・・? 嬉しかったってこと? 俺が心配したのが? それとも怒鳴ったこと?
なんで? という疑問は薄れていく。俺が持っていた手提げ籠の半分、ルウが掴んだから。二人で半分ずつ持つ形になって、歩いている。広がっていた心の距離が縮まった。ルウから歩み寄ってくれた。それだけで泣きそうになるほど嬉しい。
「ルウちゃんなんか変わりやしたね」
最後に、マットが店番をしている素材屋に向かった。なにも買えなくても、素材を見ているだけで落ち着くし楽しい。
「変わったって、なにが?」
「いえね、前に来たときは、まさに奴隷だってかんじの子でしたけど、今は別人みたいでさぁ」
別人って、たしかにここ最近変貌し続けているけど、それは言い過ぎ。かわいいところも好きなところもいとおしいところも変わっていないけど。
「というかまさに奴隷ってどんなかんじだよ」
「そりゃあよく帝都でいる奴隷みたいなかんじでさぁ。絶望してるとか諦めてるっていうか・・・・・・。まぁ、ユーグの旦那は他人に興味がないですからわからないでしょうけど」
「失礼な」
「女心はもっとわからないでしょう」
「もっと失礼な!」
なに? マットってこんなこと言うやつだったっけ?
「いえね、きょうび魔道士になりたいって人も、素材を買いに来てくれる人もいねぇんで、旦那は貴重な常連さんですから。失礼のないように言葉は選んでたんですよ。旦那も無駄話は嫌いでしょ? けど、今は軽口親しみが持ててつい軽口出ちまいます」
「ご主人様、他にはなにか買う物ありますか?」
店の奥から頭だけひょいと出して聞いてくるルウが不覚にもかわいすぎて、マットとの会話が瞬時にどうでもよくなる。
「ああ、あと月見草とカシの木も見たいな」
「月見草とはどこにあるのでしょうか?」
「ああ、それなら――」
ルウを連れて、案内をする。もう通って何年もたってるから店の内部は把握していて造作もない。なんなく月見草を選んで、どういうものなのか説明をしかけて・・・・・・とまる。
「ご主人様?」
小首を傾げるルウがかわいすぎるけど、ぐっとこらえて商品を棚に戻す。いかんいかん。以前と同じように興味なさそうだから、説明をしても楽しまないだろう。他の商品を選んでいるときも、何回か同じ失敗をしかける。ルウが困るだけだってわかってるはずなのについしてしまう。こんなところが、最近のルウとの関係に悪影響を与えていたんだ。もっとルウ第一に配慮しなきゃ。
「帰ろうか」
「・・・・・・はい」
早々に切り上げて、店を後にして魔法のことについて話すけど、ルウはやっぱり退屈だったんだろう。耳がしゅん・・・・・・と垂れている。
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「遠慮しなくていいよ」
俺が次の給料日まで水で過ごせばいいだけ。
「いえ、私がご主人様に手料理を作りたいからです」
そうか。じゃあしょうがないな。残念だけど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
歩いているうちに、手料理を作りたいから。その言葉に含まれている意味を考えてしまう。ルウは素知らぬ顔をしているけど、若干赤くなっている。
「なんで?」
いくら考えても疑問は解消されないから聞いてみた。
「・・・・・・ご主人様は最低です」
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