鬼上司さまのお気に入り

なかゆんきなこ

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1巻

1-3

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 黒崎部長の分も、と手を差し出せば、彼は「ありがとう」と言って、薄手のコートを手渡してきた。
 その時、ふわりと黒崎部長の香りが鼻をかすめる。
 冷徹れいてつなイメージに反した少し甘めの香りに、ちょっぴりドキッとしてしまった。

「高梨は酒、飲める方か?」
「あ、はい。好きで、けっこう飲みます」

 席につくと、黒崎部長がメニュー表を見せてくれる。私に見やすいよう、こちらに向けて。
 そういえば、部長はあんまり部の飲み会に参加しないから、黒崎部長と一緒にお酒を飲むのって去年の歓迎会以来だ。
 それも、当時は彼狙いの他部署の女子社員まで集まっちゃって大人数になってしまった。なので、私は隅っこの方で気の合う同僚と飲んでいて、部長と一緒に飲んだって感じじゃなかった。
 確か、あの時部長はあんまり飲んでなくて、一次会だけ出てすぐ帰ったんだっけ?

「部長は、お酒は?」
「俺も好きでよく飲む。ただ、アリスを飼ってからはもっぱら一人で宅飲みばかりだ」

 あとは接待で飲むくらいだな、と黒崎部長は言う。

(一人で宅飲み?)

 そこで私はふと疑問を覚えた。
 今の話しぶりからすると、仕事以外で一緒に飲む相手がいないみたい。

「あの、部長って、彼女とかいないんですか?」

 意外に思って尋ねると、黒崎部長は苦虫をみ潰したような顔で、「いたらお前と二人きりでここには来ないだろう」と答える。

「あ、それもそうですね」

 口止めのためとはいえ、女の部下と二人で飲みなんて、彼女がいたらしないか。

「でも意外ですねえ。部長、モテるのに」
「うるさい。ほら、何にするんだ」

 この話はこれで終わりだとばかり、黒崎部長がメニュー表を突きつけてくる。

「ええと、最初は生で」
「俺も。あとは適当に料理を頼むか」

 私達はあーだこーだとメニューを選び、生ビール二杯とおつまみになる料理をいくつか頼んだ。
 そして注文を受けた店員さんが部屋を出るなり、黒崎部長は自分のスマホを取り出して、私に見せてくる。
 その時、部長の眼鏡がキラッと光った気がした。

「これを見てくれ。うちのアリスの激カワショットだ」
「へっ?」
(げ、げきかわしょっと?)

 黒崎部長のスマホの画面には、頬袋をパンパンにふくらませたリスの写真が表示されている。

「めちゃくちゃ可愛いだろう!」
「は、はあ」
(確かに可愛い。めちゃくちゃ可愛い、けど……)

 鼻息荒く詰め寄られ、私はたじろいでしまう。

「それからこれ! こっちは昼寝中のアリスだ。しかも俺の手の上で寝てるんだ。やばいだろう」
「や、やばいです」

 二枚目は、黒崎部長のてのひらで眠っているリスの写真。
 そのあとも、彼はアリスの可愛い写真を私に見せながら、活き活きとした表情でいかにアリスが可愛いかを力説する。

(あ、これは……)

 私はてっきり、黒崎部長が私にお菓子をくれたり飲み物をおごってくれたり、こうして食事に誘ってくれたりするのは、口止めの一環なんだと考えていた。
 でも違う。これは……

「聞いているか高梨! うちのアリスは気性も穏やかで人懐っこくて……」
(ペット自慢の相手としてロックオンされただけだー!!)

 周囲にはリスを飼っていることを秘密にしている黒崎部長は、きっと今までペットの話ができる相手がいなくて、鬱憤うっぷんが溜まっていたのだろう。
 そう思わせるくらい、彼はお酒や料理が運ばれてきたあとも、ペット自慢を続けた。
 もう、どんだけ話したかったんだよってツッコミを入れたくなるほど。
 黒崎部長ってば、本当に……

「アリスのことが、大好きなんですねえ」

 私はふふっと笑ってしまった。
 だってなんか、無性に可愛く思えちゃって。
 すると、黒崎部長は何故か息を呑み、押し黙る。
 いえいえ、馬鹿にしたわけじゃないんですよ。
 熱烈にペットを愛する気持ち、私にもよくわかるから。
 私だって、太郎さんの自慢を始めたらきっと今の黒崎部長みたいに……いや、ここまでひどくはないな。うん。
 でもとにかく、微笑ましいなあって思ったんだ。

「今日はいっくらでも聞きますから、アリスの話、いっぱいしてください」
「ああ」

 私の言葉に、黒崎部長が嬉しそうに顔をほころばせる。

(わっ)

 その穏やかで優しい表情を見て、私はドキッとしてしまった。

(仕事中も、もっとこんな笑顔を見せてくれたらいいのに)

 そうしたら、職場の雰囲気もずっと良くなるんじゃないかな。
 ああ、だけど黒崎部長がたくさん笑うようになったら、彼のことを好きになって仕事が手につかない女子が続出しそう。それはちょっと困る、かな。仕事に支障が出るのはよくない。うん。
 何杯目かのビールを飲みながら、そんなことを考える。

「それでな、高梨」
「はいはい、聞いてますよ~」

 そしてこの日、私は終電間近まで美味おいしいお酒と料理を楽しみつつ、黒崎部長のアリストークにお付き合いしたのだった。


 その飲みの日に聞いたのだけれど、黒崎部長がアリスを溺愛していることは、私以外知らないらしい。
 社内の人間はもちろん、友達や、離れて暮らすご家族にさえ言っていないというのだから驚きだ。
 というわけで、部長は私以外にアリスの話ができる相手がおらず、以来、私はすっかり部長のペット自慢を聞く相手に認定されてしまった。
 ペット話をする時には大抵食事とお酒も込み。部長とは食やお酒の好みも合うし、一方的に話すばかりじゃなく、私の太郎さん自慢も聞いてくれるので、なんだかんだで私も楽しんでいる。
 いやあ、思う存分ペットトークができる相手がいるのって、いいね。
 それに、普段は厳しい黒崎部長が相好そうごうを崩して嬉しそうにアリスの話をする姿は微笑ましい。私は自分だけが鬼上司の意外な一面を知っていることに、ちょっとした優越感も覚えていた。
 ちなみに黒崎部長とアリスとの出会いは、今年の四月末。
 当時の部長は、部下がミスを連発して残業続きになるわ、取引先に謝罪行脚あんぎゃに行く羽目になるわ、その分、仕事はどんどん詰まっていくわでストレスが溜まっていたらしい。
 思い返してみれば、この時期の黒崎部長は鬼気迫ききせまる様子で、いつも以上に近寄りがたかったかも。
 で、話を戻すと、ストレスを爆発させた黒崎部長はその夜、仕事帰りにふらっとペットショップに立ち寄ったのだとか。モフモフな犬猫や愛らしい小動物にいやしを求めていたんだそうだ。……末期だったんですね。
 するとそのお店で、可愛らしい仔リスが売られていた。それがアリスだ。

『見た瞬間、運命を感じた』

 と、ビールのグラスを片手に恍惚こうこつとした表情で語る黒崎部長は正直ちょっとキ……いや、なんでもない。
 で、黒崎部長はそのリスを衝動買い! 
 さらに店員さんに勧められるまま、リスの飼育に必要な物も一通り大人買いした。
 そして今に至る、と。
 ちなみにちょうど同じころ、黒崎部長は仙台支社時代から付き合っていた恋人と破局していたらしい。
 お互いに仕事が忙しく、転勤前から関係が悪くなっていたんだそうだ。納得ずくで別れたと言っていたけれど、たぶん仕事のストレスに加え、恋人と別れた寂しさもアリスを飼うことにした理由の一つなんじゃないかと私は思っている。
 黒崎部長は、「アリスは俺のいやしなんだ」と語っていた。
 部長の仕事量を考えると、小動物にいやしを求めたくなる気持ちもわかる。
 まして彼は当社最年少で部長職に就任した人だ。その分、周りからの期待やプレッシャーも大きいはず。
 愛情を注ぐ相手がいるっていうのは、このストレス社会で生きていく上で、大きな支えになるんだろう。
 部長ほどのプレッシャーやストレスを感じているわけじゃないけれど、私も日々、愛犬の太郎さんにいやされているので、その気持ちはよくわかる。
 太郎さんがいてくれるだけで、辛いことがあってもまた頑張ろうって思えるんだよね。 
 だからさ、もう好きなだけ可愛がったらいいんだよ。
 三十過ぎの男が、リスを溺愛したっていいじゃないか!
 私でよければ、いくらだってペット自慢を聞きますよ! ただし私の太郎さん話も聞いてくださいね!
 そんな気持ちで、私は黒崎部長と秘密の関係を続けていた。


 そして十一月なかばの金曜日。
 今夜も部長に誘われ、私達は食事がてらペット談議に花を咲かせることに。
 黒崎部長と食事をするのは、もっぱら金曜日の夜が多い。休み前で気兼ねなく飲めるしね。
 ただし時間は、いつも一時間ほどで切り上げる。終電近くまで飲んだのは、初めてペット自慢をされた夜だけだった。
 なんでも、家にひとり残しているアリスのことが心配なのだとか。
 かといって、定期的にアリスの自慢話をしないではいられないらしく、結果、今の形に落ち着いた。
 今夜のお店は、会社から離れた場所にある洋風居酒屋。個室はないけれど、仕切りで各席ごとに区切られているので、人目を気にせずにいられるのがいい。落ち着く。

「お待たせいたしました~」

 注文してしばらくすると、店員さんが料理とお酒を運んできてくれる。
 テーブルにそれらが並んですぐ、黒崎部長が甲斐甲斐かいがいしく料理を取り分けてくれた。いつもながら手際が良い。
 本来なら部下でかつ女の私が女子力を発揮するべき場面なのだろうが、部長は人にやってもらうより自分でやりたい派の人だと何度か食事を共にして知ったので、ありがたくやっていただくことにしている。

「ほら」
「ありがとうございます」

 綺麗に盛りつけられた取り皿を受け取り、礼を言う。

美味おいしそうですね~」
「この店には何度か来たことがあるが、ここのトマトとバジルのパスタは絶品だぞ」

 ちょうど今、部長が取り分けてくれた料理だ。
 湯気ゆげと共にトマトとバジルの良い香りが立っていて、よだれが湧いてくるくらい美味おいしそうである。
 それではさっそくと、私はフォークでクルクルとパスタを巻き取った。

(ありゃりゃ)

 しかし思ったより量が多く、かたまりが大きくなってしまった。

(うーん、いけるかな? いける……な)

 また巻き直すのも面倒だったので、ふうふうと息を吹きかけたあと、あーんと大口を開け、ぱくんと一口に頬張る。

(おいしー!)

 口いっぱいに入っているので声に出して言うことはできなかったけれど、私はにこにこ顔でもぐもぐと咀嚼そしゃくした。

(……ん?)

 ふと見ると、黒崎部長がパスタに手をつけず、なにかこう、微笑ましいものを見るような、生温かい視線を私に向けていた。

「高梨は小さい割に、よく食うよな」
(ムッ)

 確かに私は背が低い。
 しかも小柄で華奢きゃしゃならまだしも、チビな上にぽっちゃりしている。
 それがコンプレックスでもあったので、部長の言葉にムッと眉をひそめてしまった。
 黒崎部長はそんな私のしかめっつらに気付いているのかいないのか、さらにこう言った。

「そんなに頬をふくらませて、まるでうちのアリスみたいだ」
(頬……、頬袋)

 部長に悪気はないのだろうし、ここは「リスと一緒にしないでくださいよ~」と、笑って流せばいいだけの話なのだろうけれど……

『お前は今日から、ハムスターのハム子だ!』
「…………っ」
「高梨?」

 嫌なことを、思い出した。
 私は昔からこんな体型だったので、小動物に例えられることにはまあ、慣れている。
 特に食べる時なんかはつい口いっぱいに頬張ってしまうので、ほっぺたがふくらむこともしばしば。その姿がハムスターやリスのようであると、よくからかわれたものだ。
 昔はまだ、そんなに気にしていなかった。ハムスターやリスは可愛いし、似ていると言われても悪い気はしなかった。
 それが変わったのは、つい数年前のことだ。
 私は大学卒業後、今の会社に入社した。新入社員研修ののち、営業事務として配属されたのは第一営業部。
 当時、私には四十代の営業事務の女性社員と、二十代の営業職の男性社員が教育係としてついていた。
 営業事務の先輩は優しくて親切な人だったのだけれど、この営業の男性社員が……

『お前、なんかハムスターっぽいな。よし、お前は今日から、ハムスターのハム子だ』

 そう私にあだ名をつけ、何かと私をいじるようになったのだ。
 最初は笑って流していた私も、さすがに別の部署や社外の人の前でまで「ハム子」と呼ばれるのに辟易へきえきして、何度も「やめてください」と訴えた。
 しかし先輩は「ハムスター可愛いんだからいいじゃねえか」と聞く耳を持ってくれなかった。私が昼食や差し入れのお菓子を食べるのを見ては、いちいち「おお、今日も頬袋ふくらんでんな~」とからかってきたり、おつまみ用のひまわりの種をわざわざ買ってきて、「お前の大好物買ってきてやったぞ」と食べさせようとしたりと、執拗しつように絡んできた。
 そんなに毎回頬をふくらませて食べていたわけじゃない。特に先輩の前ではほっぺたをふくらませないように気を付けていた。けれど、頬がふくらんでいなくてもからかわれたし、絡まれたのだ。
 それだけでなく、私のことを頼りなくて仕事のできない人間だと決めつけ、ちゃんと仕事を教えず、コピーとかお茶出しとか、そういう雑用しかさせてくれなかった。
 見かねた他の先輩達が教えてくれたり、仕事をくれたりしたものの、少しでも失敗しようものなら「ほら、やっぱり」と鬼の首をとったように嘲笑ちょうしょうし、「ハム子だからな~」と馬鹿にした。
 あのころは、先輩に小動物扱いされるたび、社会人として、また一人の人間として認められていないのだという気になって、どんどん自分に自信がなくなっていって、辛かった。
 一時は退職を考えるほど悩んでいたのだけれど、幸いというか、その先輩が大阪支社に転勤することになって、ホッとしたっけ。
 残った人達に私を「ハム子」呼ばわりする人はいなかったし、その後、私も第二営業部に異動になって、今に至る。
 それからの日々は、たまに鬼上司に雷を落とされたりと波乱もあるけれど、とても平和だ。
 先輩や同僚にも恵まれていると思うし、最初は怖かった鬼上司とも、こうして一緒にお酒を飲めるようになった。
 だけど、小動物扱いされるのがトラウマになっていたんだなあって、今の部長の言葉で気付かされた。
 もちろん部長に悪気がないことはわかっているけれど、美味おいしい料理にはずんでいた気持ちが、どんよりと沈んでしまう。

「高梨? おい、どうした? 大丈夫か?」
「あっ」

 急に押し黙ってしまった私に、黒崎部長が心配そうに声をかける。
 はっと気付いた私は「す、すみません」と苦笑した。

「ちょっと、ぼうっとしちゃって」
「体調でも悪いのか?」
「え、と」
(部長の言葉にトラウマを刺激されて、しばし思考がトリップしちゃってました~なんて、い、言えないよ)

 どう答えたものか逡巡しゅんじゅんしていると、部長は私のビールグラスを取り上げ、「今日は酒はやめておけ」と言う。

「いえ、あの、大丈夫ですよ? お酒も飲めますし」

 私は慌ててビールグラスを取り返す。生ビール、飲みたい。

「本当に大丈夫か? 無理はするなよ。お前に休まれると、仕事がとどこおるからな」
「えっ」

 私が驚きの声を上げると、部長はニヤッと笑って続けた。

「お前は仕事が速いし、丁寧だ。プレゼンテーション用の資料をまとめるのも、最近じゃ滝川たきがわさんの次に上手い」
(うそ……)

 滝川さんは、うちの部署で一番の大ベテラン、五十代主婦の営業事務さんだ。
 そんな大先輩の次に上手いと言われて、ちょっと、いや、かなり嬉しい、かも。
 黒崎部長は私によく仕事を振ってくるなあとは感じていたけれど、まさかそこまで買ってくれていたなんて予想外で、胸が高鳴る。

「まあ、たまにあり得ない誤変換を見逃していたりもするが」
「うっ」

 実は今日も、それで黒崎部長に雷を落とされたばかりだった。
 二度確認したのに、見逃してしまっていたのだ。今度からは三度確認しようと思う。

「とにかく、これからクリスマス、年末年始と忙しくなる中で、お前はうちの大事な戦力だからな。体調不良で休まれると困るんだ」
「はいっ、きもめいじます!」

 鬼の黒崎部長が、私の仕事ぶりを認めてくれている。
 大事な戦力だって、言ってくれた。
 一人前の社会人として扱われなかった辛さを思い出し、暗くなっていた気持ちが一気に吹っ飛ぶ。
 我ながら、単純だなあ、私。
 でも、それくらい嬉しかったんだ。
 理不尽にあなどられ、ろくに仕事もさせてもらえなかった新人のころに比べたら、厳しい鬼上司にしごかれつつも一人前として扱われている今が、戦力と思ってもらえている今が、とても幸せに感じられる。

「ありがとうございます、部長」

 嬉しくって、つい調子に乗って、「乾杯しましょう、乾杯!」とグラスをかかげた私に、黒崎部長は苦笑しつつも、「はいはい、乾杯」と付き合ってくれた。

「私、これからも頑張りますね」
「おう、頑張れ。ただし、くれぐれも無理はするなよ。この間だって……」
「あっ」

 黒崎部長が言っているのは、先週の水曜日のことだろう。
 あの日、私は朝から体調が悪かった。
 普段はそうでもないのだけれど、私には年に数回、生理痛が酷くなる月がある。今月はその酷い生理痛になってしまい、腹部の鈍痛に加えて頭痛までしてきて、グロッキー状態だったのだ。
 しかも、痛み止めの薬を忘れるというおまけ付き。
 自分の間抜けさに頭を抱えつつ、とにかく昼休みに薬を買いに行くまで耐えねばと無理をして仕事をしていたら、うっかり操作をミスして二重に商品の発注をかけて、思わず「うわっ!」と大声を上げてしまった。
 その声に、私がミスをしでかしたと気付いたのだろう、黒崎部長からギロリと鋭い眼差まなざしでにらまれ、彼のデスクに呼びつけられた。
 そこで怒りのオーラを放つ部長におずおずと自分のミスを報告したところ……

『何をやっているんだ馬鹿者』

 そう怒られた。そこまで大きな声じゃなかったんだけど、黒崎部長の声って迫力があるので、びくっとしてしまったっけ。
 さらに、黒崎部長からの短いけれど心に刺さるお説教を聞く羽目に。
 普段の私は、叱責を受けたらその分「次は見返してやる!」と奮起ふんきするタイプなんだけど、その時は体調が悪かったこともあって、いつも以上に落ち込んでしまった。
 すると部長はお説教を終えたあと、ため息を吐いてこう言ったんだ。

『そもそも、そんな青い顔で職場に出てくるな。体調管理くらいしっかりしておけ。今日は帰っていい』
『えっ』

 お前はもういらないと言われたように思えて、血の気が引いた。
 青褪あおざめる私に、部長は言葉を続ける。

『帰ってきちんと休んで、体調を整えろ。その分、明日はちゃんと来いよ。こき使ってやる』

 突き放されたわけじゃなかった。黒崎部長なりに、私の体調を心配してくれたのだ。
 こうして私は早退させてもらうことになり、黒崎部長が私の発注ミスをフォローしてくれた。黒崎部長は言葉こそきついけど、優しい人……なんだよね。

「あの時はありがとうございました」
「気にするな。それよりほら、これを見てくれ。アリス用に回し車を新調したいんだが、どっちがいいと思う?」

 彼が鞄から取り出したタブレットに表示されたのは、黒崎部長がピックアップしたらしい回し車の写真と商品概要だ。

「うーん、そうですねえ」

 私は取り返したビールを一口飲んで、タブレットを覗き込む。
 この日も、私達は美味おいしい料理とお酒、そしてペット話で大いに盛り上がったのだった。



   三


 黒崎部長と一緒に洋風居酒屋で飲んだ翌週。
 パソコンとにらめっこしながら黙々とデータ入力をしていた私のデスクに、どさどさっと資料の山が落とされる。

「ふぁっ」

 びっくりして顔を上げると、そこには凶悪な表情を浮かべた鬼……もとい、鬼上司の黒崎部長が立っていた。

「これ、今日中にまとめておいてくれ」
「今日中ですか!?」

 この量を、私一人で!?


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