【完結】美人の先輩と虫を食う

吉田定理

文字の大きさ
5 / 44
春の章

2 G=肉球 × 新郎①

しおりを挟む
 次の週の土曜日。午後三時五十五分。
 僕は理学部C棟503研究室の前に立ち、深呼吸をして自分を落ち着かせる。大丈夫だ、アパートを出る前にきちんと発声練習はしてきた。コンビニでレシートは不要かと聞かれたときは、うまく声が出せなかったが、あれは不意を突かれたからにすぎない。心の準備さえできていれば、気持ちの良い挨拶くらいはできる。……できるはずだ!
 ノックをすると須藤教授の声がした。スライド式ドアをあける。
「こんにちはぁっ!」
 僕は少々うわずった声で挨拶した。普段の僕の三倍はあろうかという声量である。会話をほとんどしない日々が続くと、うまく声を出せないどころか、自分の声の大小の判断もできなくなるのだ。
「おっ、主役の登場だ」
 須藤教授が柔和な笑みで僕を迎えてくれた。どうやら不自然に声が大きすぎたことを気にする人はいなかったようなので、僕はほっと胸をなでおろした。
 先輩は「もう来ないんじゃないかと思って、昨日から眠れなかったよ! 来てくれてホントにありがとう」と涙を浮かべている。……過去に何かあったのだろうか?
 須藤教授も先輩もラフな格好で、今日は白衣を身に着けていない。先輩はパーカー、教授はポロシャツ姿だ。土曜日は基本的に講義がないのだが、三年生以上は研究や論文執筆のために休みもなく大学へ来るのだという。
 部屋の中にはもう一人の人物がいた。――女子高生だった!
 淡い水色のワイシャツ。膝上のチェックのスカート。すらりと伸びる脚。学校の制服なのだろうか。しかしここは大学のはず。僕は男子校出身で、女子高生という生き物にはまったくと言っていいほど慣れていない。
 女子高生は猪俣先輩とはまったく対照的な雰囲気をまとっている。先輩が太陽ならこの少女は月。一言で言うとクール系美少女だ。左右で結んだツインテールの髪、さっと細筆でひいたような眉。冷たく鋭い目ををしているが、瞳には理知的な光が宿っている。感情が見えないので少々近づきがたい雰囲気。僕みたいなヤツはゴミを見るような目で「キモい。死ね」と言われそう……。
 怖い。先輩に「どなたでしょうか」と無言で尋ねる。
「凜ちゃんは先生の娘さん。現役女子高生だよ」
「須藤凜(りん)です。父がお世話になっております」
 月光のように澄んだ声。
 JKである凜ちゃんに丁寧なお辞儀をされて、慌てて僕も腰を折った。見た目の印象と違って、物腰が柔らかい。
「わ、渡辺悠一ですっ。こちらこそお世話になっております」
「渡辺さん、コーヒーいかがですか?」
「あ、あの、いえ、僕は……」
「遠慮しなくてもいいです」
「す、すみません、じゃあ、お願いします……」
「お砂糖とミルクはどうしますか?」
「どっちもお願いします」
 僕は凜ちゃんがコーヒーを淹れているところをじっと恐縮して見守る。落ち着いていて、丁寧な動作。なんてしっかりした娘さんだろう。さすが大学教授だけあって家庭での指導もしっかりしているんだろうな、などと考える。
「どうぞ」
「ありがとうございます。なんか、わざわざすみません」
「いいえ」
 先輩と二人並んでいるところを見ると、身長こそ先輩のほうが高いのだが、凜ちゃんのほうがしっかり者の姉に見えてしまうから不思議だ。もし「高校では生徒会長をやっています」と言われたら、すんなり納得できる。
「男性二名がまだ来てないから、くつろいで待っててね」と先輩も僕を気遣ってくれる。「コーヒーならいくらでもあるから! おかわりが欲しかったら言ってね、凜ちゃんに」
「は、はい」
 僕の豆腐メンタルでは、女子高生におかわりを要求して働かせるなんて、できそうにない。
 先輩と教授に会うのは今日でまだ二回目だ。ちょっと緊張するけど、温かいコーヒーを飲んでいると心が落ち着いてくる。僕はちびちびとコーヒーに口をつけた。
「渡辺さんは変人ですか?」
「ハッ!?」
 僕の聞き間違いだろうか。今、凜ちゃんから脈絡もなく変な質問をされたような気がする。僕がうろたえていると、凜ちゃんがもう一度、薄い唇をひらいた。
「こんなサークルに入るなんて、渡辺さんは変人ですか? 正気ですか?」
 気のせいではなかった!
「凜ちゃんひどい! まるでここのメンバーが変人みたいに!」と先輩がわめいたが、凜ちゃんは軽く無視した。先輩の扱い方を心得ている!?
「ええと、凜……ちゃん……も」僕は女の子の名前を呼ぶのがとても苦手なのだ。「『虫の輪』の……メンバーだったりするんですか?」なぜか僕は敬語で尋ねた。
「もちろんです」
 もちろんなんだ!? 感情の見えない冷たい目が僕を不安にさせる。
「まだよく分からないんだけど……ま、まあ、僕も変人なのかも。ははは……」
 曖昧な笑顔を返すことしかできなかった。そういうあなたも高校生なのにわざわざ大学のサークルに所属してるあたり、むしろ僕より変人ですよね? と言いたかったが、怖いので黙っていた。
「渡辺さん」
 凜ちゃんは真顔である。視線が鋭いのでドキリとしてしまう。
「な、なんでしょうか?」
「オタクですか?」
「えっ?」
 これまた唐突な質問に、僕は一瞬固まってしまう。凜ちゃんはなぜそう思ったのだろうか? 僕が挙動不審だから? コミュニケーションがぎこちないから? 服装がダサいから? 確かに高校時代に母親が『しまむら』で買ってきた服なんだけど。
「ゲームはけっこう好きだし、ゲームオタクと言えばオタクと言えるかもしれないですけど……」
 これが僕に言える精一杯であった。
「僕、オタクっぽいでしょうか?」
「少し」
 うぐっ……!! そうなのか、僕、オタクっぽいのか……。
 それにしても凜ちゃんの表情はさっきから一ミリも変わらない。何を考えているのか分からん。冷たい視線が僕の胸に突き刺さる。次の一言が「キモい。死ね」だったら、僕は生きていけない。
 会話はぶつりと途切れた。何をしゃべったらいいか分からない。だが横たわる沈黙をぶった切るように、クール系JKは唐突に口を開いた。
「ゴキブリ食べたいですか?」
 背筋が凍るとはこのことだ。
「へ……?」
「ゴキブリ。食べたいですか?」
「あ、あ、あの、あの、あの、本当に、無理です、食べるのは、本当に、ごめんなさい、すみません、許してください……」
 僕はマジでビビって泣きそうになった。これは死刑宣告なのだ。「ゴキブリ食べたいですか?」は相手がゴキブリを食べたいと思っているかどうか知りたくて発するセリフではないと思う。なぜならゴキブリが食べたい人などいないはずだからだ! つまりこのセリフは「文句言うとゴキブリ食わせるぞコノヤロー!」みたいな意味を柔らかくオブラートに包んで――包めていない気がするけど――発したセリフなのではないか。つまり凜ちゃんは内心ではキレているに違いない! しかしなぜ!? 僕が挙動不審だから? 会話が続かないから? それだけでキレちゃう?
「凜ちゃん、すごい質問するね……」驚くべきことに先輩も困惑していた。「私でも初対面でその質問はしないよ」
 須藤教授もこめかみのあたりを押さえている。……自分の娘にあきれている?
 いったい何が起きているのか? 僕には分からない。このツインテールの氷の人形のような女子高生のことがまったく分からない。凜ちゃんは止まらなかった。
「渡辺さん」
「は、は、はい……」
 僕はぶるぶる震えながら、次はいったいどんな恐ろしい言葉が飛び出すのかと神判の時を待った。
「す……」
 ……す?
「……素敵ですね」
「えっ?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...