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冬の章
10 我が家のトイレのユウレイ②
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元旦。弟は今日も友だちとどこかへ遊びに行っていた。一方、僕は食事のとき以外はほとんど自室にこもってゲームをしている。地元の友人とも疎遠になってしまったので、他にすることがない。
昼食は僕と父と母の三人だ。
「大学ではどんなことをやっているんだ? 研究室に出入りしたりするのか?」
紅白のかまぼこをかじり、父が尋ねてくる。
「まだ専門のことはほとんどやらない。一年は高校の延長みたいなものだから」
僕は伊達巻きたまごを口に運んだ。しっとりした食感に、ほんのりとした甘さが絶妙だ。
「部活は?」
「やってないけど、サークルなら入った」
「そうか」
父のしわの増えた顔に、安堵と喜びがにじむ。
「テニスのサークルか?」
中学時代の部活がテニスだったから、そう思ったのだろう。だが僕はテニスが特別好きなわけではなく、仲のいい友だちがいたから入っただけだ。父も母もそんなことは知らない。
「違う。料理というか、野外活動というか」
僕は曖昧に答えた。
「料理!? 悠一、そういうのに興味があったの?」
母の声が高くなった。
「興味あるわけじゃないけど」
「楽しいか?」と父。
楽しいよ。そんな答えを期待しているのだろう。そんな答えが聞ければ満足なのだろう。だから、このわずらわしい質問攻めに区切りをつけるために、答えるのだ。
「すごく楽しいよ」
「そうか、ならいいんだ」
満足げな父。もうすぐ六十になるだけあって、だいぶ白髪も増えた。母も「よかった」と安心し切っている。
僕は餅をさっさと平らげて自室に戻った。パソコンを起動し、さっそくゲームにログインする。大学生になってからは逆戻りしないように封印していただけあって、久々にやり始めたかつてのゲームは僕を夢中にさせる。今日も気が付くと日が暮れていて、夕飯を食べた後も、深夜の二時、三時までやり込んだ。そしてあくびをしながら、冷たい布団にもぐりこんで身を丸める。今日も楽しかった、と思いながら。
僕は眠りの淵をさまよう。視界一面に広がる満開の桜。校庭で転んでできた、膝のでっかいカサブタ。頭と顔面はセーフのドッジボール。ギラギラと照り輝く夏の太陽。頭にぺたりと貼りついた水泳帽の気持ち悪さ。木の枝に引っかけて穴をあけた虫取り網。トンボを捕まえてテントの中に放していたら、父に怒られた。集めた枯れ葉から立ち昇る炎と煙。アルミホイルで包んだサツマイモとジャガイモ。それをほおばる僕と、名前も知らない女の子。イチゴの丸いケーキ。名前の書かれたチョコレートを二つに割って弟にあげた。スキー教室では一番初心者のクラスだったけれど、二日目にはちゃんと滑れるようになっていた。書初めの日に習字セットを忘れて友だちにこっそり借りた。
――楽しかった。あの頃は目に映るすべてのものが輝いていた。
でも、今の僕だって、まだ負けたわけではない。僕は言ってやるのだ、あの頃の僕に! アシダカグモを知っているか? ゆでて食べるとカニの味がするんだ。マダガスカルゴキブリを触ったことがあるか? でっかいダンゴムシみたいなやつで、気色悪いけど結構かわいいんだ。キューキュー鳴くぞ。スズメバチはペットボトルと甘いエキスで作るスズメバチトラップで捕まえればいい。セミは案外おいしいぞ、唐揚げにでもエビチリにでもすればいい。でもフナムシだけは食うなよ。あれは苦すぎる。サクラケムシは、ほんのり桜の風味がするんだ、嘘じゃない。ジョロウグモの赤いのは全部メスで、ゆでると枝豆みたいな感じなんだ。中華『朱雀』に行ってみるといい。カイコのさなぎの唐揚げがいつでも食べられるぞ。
そうですよね?
全部、僕の言う通りですよね?
一月は何をするんですか?
二月は? 三月は?
――すごく楽しいよ。
あの言葉は嘘なのか? 本当なのか? もう僕にも分からない。
だけど、あそこは――虫の輪はもう僕の居場所なのだ。僕がいたいと思うところで、会いたいと思う人たちがいる。
それは全部、先輩から始まったんだ。先輩があのときあの場所にいて、他の誰でもなく、僕に声をかけてくれたから始まった。僕でないといけない理由はなかったかもしれない。必然性なんて、なかったかもしれない。それでもいい。だって僕が先輩に出会ったことは、誰にも否定できない事実だから。僕が今、虫の輪の一員であることは、疑いようのない現実だ。そして僕の中に、先輩への特別な想いが芽生え、育ったこともまた、真実なのだ。
これは、僕が望んでいた恋の物語だ。
神様はこれ以上、何も与えてはくれないだろう。――自ら率先して行動・選択しない臆病者には。
昼食は僕と父と母の三人だ。
「大学ではどんなことをやっているんだ? 研究室に出入りしたりするのか?」
紅白のかまぼこをかじり、父が尋ねてくる。
「まだ専門のことはほとんどやらない。一年は高校の延長みたいなものだから」
僕は伊達巻きたまごを口に運んだ。しっとりした食感に、ほんのりとした甘さが絶妙だ。
「部活は?」
「やってないけど、サークルなら入った」
「そうか」
父のしわの増えた顔に、安堵と喜びがにじむ。
「テニスのサークルか?」
中学時代の部活がテニスだったから、そう思ったのだろう。だが僕はテニスが特別好きなわけではなく、仲のいい友だちがいたから入っただけだ。父も母もそんなことは知らない。
「違う。料理というか、野外活動というか」
僕は曖昧に答えた。
「料理!? 悠一、そういうのに興味があったの?」
母の声が高くなった。
「興味あるわけじゃないけど」
「楽しいか?」と父。
楽しいよ。そんな答えを期待しているのだろう。そんな答えが聞ければ満足なのだろう。だから、このわずらわしい質問攻めに区切りをつけるために、答えるのだ。
「すごく楽しいよ」
「そうか、ならいいんだ」
満足げな父。もうすぐ六十になるだけあって、だいぶ白髪も増えた。母も「よかった」と安心し切っている。
僕は餅をさっさと平らげて自室に戻った。パソコンを起動し、さっそくゲームにログインする。大学生になってからは逆戻りしないように封印していただけあって、久々にやり始めたかつてのゲームは僕を夢中にさせる。今日も気が付くと日が暮れていて、夕飯を食べた後も、深夜の二時、三時までやり込んだ。そしてあくびをしながら、冷たい布団にもぐりこんで身を丸める。今日も楽しかった、と思いながら。
僕は眠りの淵をさまよう。視界一面に広がる満開の桜。校庭で転んでできた、膝のでっかいカサブタ。頭と顔面はセーフのドッジボール。ギラギラと照り輝く夏の太陽。頭にぺたりと貼りついた水泳帽の気持ち悪さ。木の枝に引っかけて穴をあけた虫取り網。トンボを捕まえてテントの中に放していたら、父に怒られた。集めた枯れ葉から立ち昇る炎と煙。アルミホイルで包んだサツマイモとジャガイモ。それをほおばる僕と、名前も知らない女の子。イチゴの丸いケーキ。名前の書かれたチョコレートを二つに割って弟にあげた。スキー教室では一番初心者のクラスだったけれど、二日目にはちゃんと滑れるようになっていた。書初めの日に習字セットを忘れて友だちにこっそり借りた。
――楽しかった。あの頃は目に映るすべてのものが輝いていた。
でも、今の僕だって、まだ負けたわけではない。僕は言ってやるのだ、あの頃の僕に! アシダカグモを知っているか? ゆでて食べるとカニの味がするんだ。マダガスカルゴキブリを触ったことがあるか? でっかいダンゴムシみたいなやつで、気色悪いけど結構かわいいんだ。キューキュー鳴くぞ。スズメバチはペットボトルと甘いエキスで作るスズメバチトラップで捕まえればいい。セミは案外おいしいぞ、唐揚げにでもエビチリにでもすればいい。でもフナムシだけは食うなよ。あれは苦すぎる。サクラケムシは、ほんのり桜の風味がするんだ、嘘じゃない。ジョロウグモの赤いのは全部メスで、ゆでると枝豆みたいな感じなんだ。中華『朱雀』に行ってみるといい。カイコのさなぎの唐揚げがいつでも食べられるぞ。
そうですよね?
全部、僕の言う通りですよね?
一月は何をするんですか?
二月は? 三月は?
――すごく楽しいよ。
あの言葉は嘘なのか? 本当なのか? もう僕にも分からない。
だけど、あそこは――虫の輪はもう僕の居場所なのだ。僕がいたいと思うところで、会いたいと思う人たちがいる。
それは全部、先輩から始まったんだ。先輩があのときあの場所にいて、他の誰でもなく、僕に声をかけてくれたから始まった。僕でないといけない理由はなかったかもしれない。必然性なんて、なかったかもしれない。それでもいい。だって僕が先輩に出会ったことは、誰にも否定できない事実だから。僕が今、虫の輪の一員であることは、疑いようのない現実だ。そして僕の中に、先輩への特別な想いが芽生え、育ったこともまた、真実なのだ。
これは、僕が望んでいた恋の物語だ。
神様はこれ以上、何も与えてはくれないだろう。――自ら率先して行動・選択しない臆病者には。
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